おのにち

おのにちはいつかみたにっち

あなたを嫌いでもいいですか?「ど根性ガエルの娘」感想

青柳美帆子さんの記事を読んで、「ど根性ガエルの娘」を買った。
最初は試し読みしようと思ったら、あまりの人気にサイトが開けなくて(今日は解消されている様子)、結局電子書籍を購入してしまった。

 

www.excite.co.jp

 

結果、読んで良かったと思う。
確かに怖いし、衝撃的なのだけれど。

これは心のどこかで親を愛せない、家族が全肯定できない人にとっては救いの一冊にもなるんじゃないだろうか。

何より私はこう思った。

愛と憎しみは隣にあっていいのだ。
辛い思い出を抱え込んでいてもいいのだ。

ああ、親を嫌いでもいいんだ、と。

 

未読の方は田中圭一さんのマンガ、それからヤングアニマルの最新話を読んでみて下さい。二つの漫画が同じ家庭を描いているのだ、と気が付いた時背筋が凍ります。
 

r.gnavi.co.jp

ヤングアニマルDensi

 

親を愛さなくてはいけない、という枷

 

ど根性ガエルの娘 1 (ヤングアニマルコミックス)

 

親を嫌うことは、悪いことだとされている。
誰に言われなくても、私自身の胸が痛む。

自分が子どもを育てていく中で、親には本当に大変な苦労を掛けたのだと実感できた。また、いつまでも小さなトゲにこだわり続ける自分はどれほど子どもなのだ、と思う。

私の人生は私の責任で出来ている。
もう誰かの所為にして生きていられる年ではない。

 

私の母は子どものように無邪気な人で、いくつになっても女性であること、娘より自分の方が美しいこと、かわいいことにこだわり続けて生きている。

母は今でも娘にマウンティングを仕掛けるのが大好きだ。
干してあった私のジーンズのサイズをわざわざ調べ、自分の方がワンサイズ小さいと笑う。

『まだまだ、お母さんの方がスタイル良いわね』
それがもうじき70になる人の言葉だ。

母にとって、幾つになっても娘は女としてのライバル。
その醜悪さに吐き気がしながら、私は笑う。
『もう、お母さんったら』

 

そうしなければ、昼下がりの幸せは壊れてしまう。
子どもたちはおばあちゃんの持ってきたオヤツを幸せそうに食べている。
夫も、母のことを子供のような人だと思っている。

私も今は、母が私より子どもである、と諦めて保護者を気取っている。
でもそこに隠れる欺瞞も気がついている。

私はそうやって世話焼きの娘を演じることでしか母と向き合えない。
仲の良い親子のロールプレイングゲームを演じているのだ。

 

もし私が母と、素の自分で向き合ったら周囲の人をハラハラさせてしまうだろう。
親を大事にしなよ。
思春期にはそんな言葉を腐るほど貰ってきた。

母が私を傷つけるような言葉をいくら吐いても、親の心配の名のもとに許される。
グズ。ブサイク。デブ。

新しい服や化粧品を買っても、母はいつも勝手に身に付けた。
娘のものは自分のもの、そう信じて疑わない人だった。
お母さんの方が似合う、お母さんの方がきれい。

思春期の私は諦めて、いつも黒や紺の少年のような恰好をしていた。
そうすれば母も興味を示さなかったから。

ピンクはいまでも苦手だ。
それは小さい頃から「おかあさんが着る色」だったから。

小学校の入学式、母がその色を着るから、選べなかった桜色のワンピース。
下らない感傷だ。新しい洋服が買って貰えなかった子も沢山いる。
贅沢だと分かっているけれど、痛みは確かにそこにあったのだ。

かつて私を傷つけた、言葉や態度の数々。
そこから蘇ってくる地獄のような嫌悪を、私は三角コーナーに投げ捨てる。

大月さんの漫画は、そんな口に出せない三角コーナーを全て露わにしたような作品だと思った。

言ってもどうにもならない、世界を傷つけるだけだ、私が憐れまれるだけだと分かっている醜悪な嫌悪たち。

私は誰にも憐れまれたくなんてない。
だから一生、態度には出さない。
良い娘のまま骨を拾ってやる覚悟はある。

 

それでも、一番キツイのは『母を嫌う自分の酷薄さを責める自分』だ。
自分の心の中をジャッジして責めたてる私がいる。
それが一番痛い、苦しい。

 

漫画を読んで、すごく苦しいのだけれど、怖いのだけれど、私は肯定された気がした。

表面上は仲良くしていても、忘れられないこともある。

それでもいいのだ、と許されたような気がした。
心の底に嫌悪を抱いていてもいいのだ、と。

愛と憎しみは遠い彼岸ではない。
いつも私の隣にある。

時に私は過去に悩まされ母の無邪気なディスを憎む。
それでもある日は母がしてくれたことに感謝するし、この人もまた生きづらさを抱えているのだ、と憐れむ。

それはどちらも私の感情だ。

でもそれはすべて私の心の奥底にある。
他人に理解できるものじゃないし、理解してほしいと願うのも甘えだと思っている。

だから私は今日も笑って、単純な世界を生きる。

 でも「ど根性ガエルの娘」が自分の中の割り切れないモヤモヤを、表に出してはならないと思っていたものを露わにしてくれたことで。
私は救われた気がした。
過ぎ去ったはずの憎しみを、今も抱え込んでいてもいいのだ、と。

 

たとえ親が変わっても、自分が大人になっても、心の何処かに布団を被って泣いていたあの日の私がいる。

けれど一方で、そうやっていつまでも抱えていることを子どもだ、人のせいにするなと責める私もいる。

漫画を読んで私は、思うことは自由なのだ、と許された気がした。

 

たとえ外面だけでも、幸せに見えればそれでもいいのではないだろうか?
未だに母に会いたくない、という痛みはほんの少しだけ残っている。

親だって人間。
理想の親なんていない。

そんなこと腐るほど分かっているけれど。
表には出さないから、これからも嫌いでいてもいいですか?

私にとっては、赦しのようなマンガでした。

  

ど根性ガエルの娘 1 (ヤングアニマルコミックス)

ど根性ガエルの娘 1 (ヤングアニマルコミックス)

 

 

ど根性ガエルの娘 2 (ヤングアニマルコミックス)

ど根性ガエルの娘 2 (ヤングアニマルコミックス)

 

 

あまりにも暗くなってしまったので、追伸。
ブログを読んで下さる方ならお分かりのように、今の私はのほほんとした日々を生きていますし、母とも仲良くしています。
ただほんの時折、小さなディスやマウンティングに昔の傷が痛むのは確か。

家族との確執を抱えていない人でも、昔自分をいじめた、裏切った人が改心したからといって心の底から仲良くできるか?と考えたら「ど根性ガエルの娘」の描きたかったものが分かるかもしれません。

愛も憎しみも同じテーブルにあって、でもそれは共存できる。
そういう作品だと思いました。

ただ世の中には「過去は過去!今日からお前は俺の友達だ!」と少年ジャンプのように、本気で言い切れる人が存在しているのかも知れなくて。
羨みながらも、私には信じられないのです。
そんな風に単純な世界が。(うわ、今日はやっぱり暗かった…)

 

他動的読書のすゝめ

北海道の豊かな大自然の中で子供時代を送ったはずの私。自慢ではないがインドアの記憶しかない。

試される大地北海道!では近所の友達の家に遊びに行くだけでも片道30分。
牧場の友達の家に遊びに行った帰り、地吹雪に巻き込まれ死ぬ思いをした私は(北海道では年に1人は凍死する)熊さえ寝ている冬に外に出るなど自殺行為、と悟り長い冬をひたすら読書で過ごすようになった。

楽しい読書三昧の日々…といきたいところだが、致命的な問題があった。
肝心の本がないのである。

小学生の頃、お小遣いは友達とファーストフードに行けばすぐになくなる程度。
自分で本を買うなど問題外。
クリスマスや誕生日には全集をねだり、お年玉も図書券でいいから2割増にしろと交渉した。

しかしそれでも本が足りない。
学校の図書館は蔵書が少なく、町の図書館は徒歩一時間。
スマホどころか、パソコンも無かった時代、とにかく読む物!といつも活字を探していた。

読む物のない活字中毒者はどうするか?とにかくそこにある文字をハイエナのように漁っていく。

まずは父の本棚。
星新一、ブラッドベリ、フレドリック・ブラウン、夢枕獏はここで覚えた。

それから母や祖父母の雑誌。
暮らしの手帖、私のカントリー、家の光、月刊農業。

自営業だったので、付き合いで新聞をいろいろ取っていたのもありがたかった。
北海道新聞(地元じゃ道新)、朝日、毎日、スポニチ、赤旗。
新聞を数紙読むと、同じニュースでも少しずつ論調が違うことを学べる。
それぞれ自社の主張があり、世の中に「絶対正しい」はなくて、自分で選びとるものなのかな、と気がつく。
特に赤旗の押しの強さは、子供の目にも明らかだった。
一紙だけ取っていたら、思考の偏りが結構やばかったと思う。

暮らしの手帖は結構ハマった。
料理や手芸、生活のあれこれはまだ早かったけれど、巻末のエッセイや読者コーナー、本や映画の紹介は面白かった。

大人になってから「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」を買った。
読んだ当時も古めかしく感じたのだけれど、その旧弊さが今は逆に豊かで、美味しそうで大好きな本だ。

  

巴里の空の下オムレツのにおいは流れる (河出文庫)

巴里の空の下オムレツのにおいは流れる (河出文庫)

 

 

 自由な読書の不自由さ

 

大人になった今、好きな本を好きなだけ読めるようになった。

自由になるお金も少しはある。
Amazonがあり、絶版本だって予算が許せば買える。
電子書籍も、図書館にもいつでも行ける。ネットの向こうにも文章が溢れている。

読み放題、贅沢な日々を送れる今。
実は少し、つまらないことがある。

それは目新しい、初めて知った!と言う驚きと出会えないこと。

自分でお金を出して買う本は、どうしても好きなジャンル、知っている作家に限られてしまう。図書館で借りるのも、自分好みの本ばかり。
それでも読み切れないくらい、好きな本はたくさんある。

本でも映画でもアニメでも、好きなジャンルの物ばかり手を出してしまいがちではないだろうか?それでも勿論、充分楽しめる。

ただ1つのジャンルを極めすぎると目が肥えてくる。
あれ、この展開〇〇で見た。面白いけれど、〇〇には敵わない。
そんなふうに感じてしまうようになったら、あなたは飽和状態なのかもしれない。

世の中面白い本も映画も山ほどあるけれど、時代を超えて愛される神作品とはなかなか巡り会えない気もする。

 

そんな時、昔読んだ父の時代小説やら、祖父の農業雑誌を思い出す。
どちらも普段は絶対読まないジャンルなのだけれど、読むものがなくて仕方がなく手を出した。

読んでよかった池波 正太郎。
それからキウイに雄雌があることを知った時の驚き。

自分で本を選ぶことを能動的読書、と言うならばそれはさしずめ他動的読書。

読むものがない、と言う理由で何の気なしに読んだ本の数々を思い出す。
そこには、ハズレもあるけど新しい驚きがあった。

知らなかった!エウレカ!と思うような本と出会えたときは、シナプスが火花を上げるほど面白い、ワクワクする。
そんなスパークが他動的読書にはあった…気もする。

私の知らないスゴ本は、あなたの家にあるのかもしれない。
今年は苦手なジャンルの本も、月に数冊はチャレンジしてみようと思う。

あなたのシナプス、鈍ってませんか?
女子大生ジャンルに飽きたなら、次はスカトロにGO! (そうじゃない)

 

【直木賞候補作】冲方丁「十二人の死にたい子どもたち」感想

今日は直木賞候補作品、冲方丁さん「十二人の死にたい子どもたち」感想。

この本、去年の10月発行でして。
実は新刊が出たばかりの頃図書館で見かけたのに、あらすじを読んで棚に戻してしまったという因縁の一冊です。

12人の自殺志願の子どもたちが集まってそれぞれの「死にたい理由」を語り合うーというあらすじ、病院を思わせる白い表紙、赤い文字に『重そう…シリアスそう…」と棚に戻してしまったんです。

シリアスな本、社会派な本も嫌いじゃないんですが、体力がいるもんで…。
その時は手応えある本より、手軽に読める一冊を探していたんですね。

 

ところがたまたま直木賞候補作品を眺めていたらこの本の名前が。

もしかして、エンタメ系?
そう思って読んで見たら当たりでした!
「マルドゥック・スクランブル」「天地明察」の冲方丁が書く初のミステリ。
すごくすごく面白かったです。

 

物語のあらすじ

 

十二人の死にたい子どもたち

 

ネットで知り合った、12人の死にたい子どもたちが、今は使われていない病院に集まる。ところが12人しかいないはずなのに、部屋には最初からベットに横たわる「13人目」が。
彼の死因は何なのか?これは殺人ではないのか?
12人の子どもたちは多数決で、自殺をすぐに決行するかどうかを決めるのだが…。

 

読む前は死にたい子ども達、という設定に、いじめや虐待が浮かんでしまい、重そう…と敬遠していました。

登場人物たちは中高生。
しかし大人びた考え方の子が多く、そこまで悲壮感がなくて助かりました。

また、この物語は「誰が13人目を殺したのか?」というミステリ。
個々の感情は深く掘り下げすぎず、群像劇として三人称で物語が進むので、雰囲気が乾いているところも良かった。
これ、子どもたちの一人称の物語だったら感情移入しすぎるというか、かなり重い話になってたはず。

 

「蒼穹のファフナー」脚本をやっていた冲方さんらしく、12人のキャラクターが生き生きしているのも良かった。

頭のいい子、荒っぽくみえるけど面倒見のいい子、大人しそうに見えるけど怖い子。

すべて病院内で、しかも椅子を囲んで話し合うシーンが続く物語なのですが、それぞれのキャラクターがクセありで、それぞれの言葉から間違いや矛盾を探していく人狼ゲームのような物語なので、スリリングで面白かった!

爽快だけど少し癖のあるラストもいい。
明るく希望がある…でもこうきたか!と手応えある終わり方で、余韻があります。

とにかくこの後どうなるの?が気になって、一気読みしてしまいました。
ドキドキする群像劇、って感じかな。

それぞれのキャラクターやセリフも精緻に考えられていて、丁寧に読み返せばまた違う魅力が感じられそう。

表紙からは想像つきませんが、ラノベっぽさもあり、かなり読みやすい本でした。

 

156回直木賞の行方は?

 

さて、第156回直木賞は19日の夜(つまり今夜!)発表なんです。
今回の直木賞候補作は5作品。

第156回直木三十五賞 候補作(出版社)
・冲方丁『十二人の死にたい子どもたち』(文藝春秋)
・恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)
・垣根涼介『室町無頼』(新潮社)
・須賀しのぶ『また、桜の国で』(祥伝社)
・森見登美彦『夜行』(小学館) 

実はこのブログでは今回の『十二人の死にたい子どもたち』を含め3作品レビュ―しております!

 

yutoma233.hatenablog.com

  

yutoma233.hatenablog.com

 

まぁ、今作はともかく他2作品はたまたま読んだんですけど(笑)

垣根涼介さん、須賀しのぶさんは未読なんですが、今回はどの本が賞を取るんでしょうね?

個人的には『蜜蜂と遠雷』が一番ワクワクしたんですが…でも静かな『夜行』もいいし、読みやすいのに精緻な『十二人の死にたい子どもたち』もいい!

候補作を読んでいる、というだけでも賞レースに参加している気分で、結構楽しめるもんですね。

ではでは、今夜の発表を楽しみにしているおのにちです。

【追伸】今回の直木賞は恩田陸さんでした!ついに…おめでとうーー!

 

十二人の死にたい子どもたち

十二人の死にたい子どもたち

 

 

FF15は愛すべき隣のクソゲーだった【ネタバレ注意】

一か月前に購入したFF15、ようやくクリアしました。
延べ60時間、レベル60の旅。

FFシリーズは1~12で止まっていました。
今回久々に購入したきっかけは、余りの酷評っぷりに軽くムカついたから。
そんなにクソクソ言うな、クソが!と思ったFF15。

 

yutoma233.hatenablog.com

 

エンディングを見終わって。
確かにクソって言いたくなるな…と改めて皆の衆の憤りの理由が分かりました。
王蟲だって攻撃色になるわ、そりゃ。

でもね、詳細にクソクソクソ、ここがクソ、って物語の欠点を言い連ねる人は逆にこの世界を愛しているのだ、と思いました。

だって同じクソな物語でも、駒として扱われてるキャラクターがいても、多分映画やマンガだったらこんなに怒らないし詳細に分析できない。

駄作、で終わる。感想書かないし、続きも読まない。

 

振り返ればFFシリーズって、みんなそこそこクソだったんじゃないですかね?

それぞれいろんなキャラに思い入れがあるから、100%の物語は存在しない。
クソクソ言われながらも、物語は形を変えて『私たちのFF』になっていく。

FF15も確かにクソだけど、そこに存在する物語だったんだ、と思います。
ノクトも、イグニスも、グラディオも、プロンプトも、ゲームのキャラクターだけどみんなそこにいた。

でなきゃみんなキャラクターを物語の駒のように扱うな、なんて憤らないもん。

ゲームの世界で長く付き合っていく中で、ノクトや仲間たちは私の大切な存在になっていて。だからこそ彼らの運命に納得がいかないとか、感情の流れがおかしいとか、つい本気になって分析してしまうのだ、と思いました。

 

他にも納得がいかない!と怒っている人達は沢山いて。

彼らの中にも同じように、一緒に長い旅をしてきた仲間たちがいて、だからこそ「そうじゃない!」と憤るのだと思います。
きっと、ストーリーのここがクソ!ってレビューする人の心のどっかには守ってあげたい物語の中の誰かがいるんじゃないのかな。

 

だからだからFF15は。
クソだけど、愛すべき物語なんじゃないのかな。

とにかく、私は遊んでよかったです。
納得いかない部分もあったけど、物語の中の彼らは忘れられない友人になりました。

私にとって彼らは「隣の、愛すべきクソ野郎ども」です。
不平不満が一つもない…と言ったらウソになる。

でもそれを乗り越えて、私はこのゲームが好きです。
すごくいい旅が出来たし、いっぱい泣いた。
忘れられない60時間になりました。

 

好きだった部分、嫌いだった部分

 

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正直久々のRPGで、オープンワールド物も初だったのでどれがおかしい、というのは良く分からないのですが初心者の感想を細々と。

まず、移動がめんどくさい。
基本車移動で、ワープ的なものもあるんだけど、遠くに行こうと思うとしばらく待たされる。仕方ないので待ち時間は腹筋したり、スクワットするようにしたら軽く筋肉痛になりました。

これが結構ストレスで、移動がめんどいから魔物を倒しても報告行きたくない…と思ってしまったり。
町の中だと走れないので、大きな町だとさらに報告に行きたくない。
倒しただけでクリアでいいじゃん!と思った。

チョコボさんは便利でかわいいんですが、一日ごとの有料レンタル制なの面倒なのでやめて欲しかった。チョコボ買取りクエストとかあったらみんな絶対やると思う。

あとカエル無理。宝石探しもきっつー。

王の剣は全部手に入れたかったんですが、某タワーがモンスターでぎゅうぎゅうになってしまい、画面が紫色だったので諦めました。

ボス系はまだいいけど、普通の敵も体力が多すぎて倒すのが面倒くさいのもちょっと、でした。
仲間の技とか、もうちょっと効いてくれたらいいのに。
主人公の必殺技は選べないし。
最終的にはひたすらボタン連打、ポーションで回復に落ち着いてしまい、戦闘の楽しさとは…となってしまいました。

あと召喚がべらぼうに強すぎる。
今までのシリーズで召喚獣は要らない子、と言われてたから?
ちょっと振り切りすぎ。来るタイミングもよく分からないし。

魔法は強いんだけど作るのがめんどくさいのと、仲間が絶対巻き込まれるので(言えよ!と必ず怒られる。無理だろ)あんまり使いませんでした。

バグがいっぱい報告されてますが、残念ながら私のグラディオは増殖しませんでした。透けたり、重なったりはあったけど普通に動ける、物語を進められる分には困らないかなーと。

ただ2回ほど固まってリセットを余儀なくされたのは困った。
オートセーブが小まめに働いてくれるので、助かりましたが。

 

楽しいのは仲間たちとの会話。
最初はだるいとか、雨降ってきた、とか暑いだの寒いだのホテル泊まりたいだの、色々うっさい!お前ら世界救う気あんのか!とか思ってましたが数々のイベントをこなして、愛着が湧いてくるとすごく楽しい。

だから『ねぇ写真撮ろうよー』とか、『ここに伝説の淡水魚がいるんだぜ』とか『新しいレシピを思いついた…』とか言われるとぜんぶ付き合ってしまうw

結果なかなか本筋には進めなかったのですが、この寄り道が楽しかった。
サボテンダーの置物買ったり、釣りマスター目指したり。

クエストは消化できないくらいのボリューム、ダンジョンもたくさん。
メインストーリーだけをサクサク進める、もしくはムービーだけを見ると薄っぺらい物語に感じるかもしれませんが、小さなクエストや、街中での会話、ラジオや置いてある本なんかで、様々な疑問は結構解決されてた気がします。
本編だけじゃなく、ブラブラすることに意義があるというか。

海を渡ってしまうとストーリーが急に進む…と聞いていたので、たっぷり前半のワールドを楽しんでから先に進めたのですが、結果正解だったと思います。
このゲームの楽しさは、寄り道にあると思う!あと釣りw


エンディングについて・ネタバレあり

 

このゲームが叩かれてるのって、やっぱり後半の性急さのせいだと思います。
それからラスト。
ここから先はかなりネタバレになってしまうので、出来ればクリアした人だけ読んで下さい。

 

 


エンディングを見て最初に思ったこと。

えーと、身も蓋もないことを言うと、これ主人公が死んで終わってしまうんですね。

まず悲しいのが仲間がさくっと脱落してしまうこと。戦わせてくれよ(泣)
そこから先は自分一人の戦いになります。

最後は…歴代王もうちょっと優しく刺せないっすか!?あんたの末裔うぐぅとか言ってるよ!?

とはいうものの、空が晴れて、光が世界を照らしていく様子は「世界を救う物語」のだいご味で、本当に良かった…と泣けました。

 

ただ、私はやっぱり主人公は生きててくれたほうが良かった。
神話的に王は供物だし、ノクトが成し遂げるために沢山の人が犠牲になったし。
捧げるほかない、それが王道なんだけど。

でも今までのFFシリーズって単なる神話じゃなくて、神話+少年ジャンプ展開だったと思うんですよ。
だから愛で救えよ!燃え上がれ心のコスモ!と思ってしまいました。

物語としては確かにしょうがない流れで…でもしょうがない、で終わるのは悲しい。ゲームなんだから破天荒な希望が欲しかった。

 

ノクトはアーデンに『魔法は借り物、剣も借り物』と言われてる。

ノクトの人生は王に選ばれた時点で決まっていて、いわば伝統ある会社の14代目社長みたいなもん。
宿命から逃れようとして脱走したりちょっとグレたり無気力になったり良く寝たりするけれど、結局は社員や家族のために腹を据えるしかない。
で、世界(株式市場?)を救うために、今まで蓄えてきた資産を全部使い果たして綺麗に散る。

散っちゃうんだけど…借り物の力を全て失って、無一文になって。
王でも王子でも社長でも無くなった、ずっと欲しかったはずの『普通の人の人生』がそこに残されててもいいじゃん!と思いました。

ノクトにとっても、父レギスにとっても、世界を守るために自分の寿命をどんどん吸い取っていく王の指輪は呪いでしかない。

レギスの旅は自分の運命を受け入れるための最後のワガママのようなもので、その後ノクトが生まれたことで王として国を守る覚悟を固めていく。

帝国は魔法障壁を無効化する手段を開発していたので、王はこのままでは国の未来が無いことを分かっていた。だから最初から覚悟の上での交渉であり、王都決戦だったのでしょう。

緩やかに滅びに向かっていくよりは、息子のために命を賭けてでも未来をつかみ取りたかった。それがレギスの王としての最後の覚悟。

シドがレギスとの旅の最後でケンカして、それっきりになってしまったのは、レギスが王になることが納得行かなかったからだと思う。

だって、友達なら世界も国も宿命も関係ないから、生きろよ!って言いたくなるもん。
誰か一人くらい、世界よりお前が大切だって言ってくれる奴がいてもいい。
レギスにとって、それがシドだったんだろう、と。
だから最後にノクトを頼んだんだろうなぁ。

 

一方ノクトにはその「覚悟」を決める瞬間があったのだろうか、何があっても生きろよ!と思ってくれる友はいたのだろうか。

「王たるもの」で、鉱山に行ったノクトは、まだ指輪もはめられず覚悟も定まってない。自分のために人が命を落としたり視力を失う、その現実に立ち向かえず、ぐらんぐらんして怒られている。
空気は悪いし、キャンプのメシはカップラーメンだし、どん底感が半端ない。

結局みんなのお母さんが時間が必要だ…となだめてくれるんですが、その後指輪をはめるきっかけになったのはアーデンの策略。

武器もない、仲間もいないので仕方なく一人でひっそりと苦しみながら指輪をはめる…。
地味や!絵が地味すぎる!
なんかもっとあるだろドガーンとかピカーンとか仲間が絶対絶命とか!

 

ルナフレーナや、王の犠牲が覚悟のきっかけになったんだろうけど、そこをきちんと描かないまま、10年閉じ込められる。

10年後のノクトはちゃんと口が達者になっていてタルコットのことを救ってあげられるようになっている。
しかし大人になった証拠が口が達者って。確かに口ベタだったが…。

10年の間に仲間たちもそれぞれ歩き出していて、逞しくなっている。
そして多分ノクトを失う覚悟も出来ている。
だから最後のキャンプのノクトが口にする「本音」にみんな涙する。

ノクトが漏らす本音はノクトがルナフレーナから直接聞きたかった言葉、シドがレギスから聞きたかった言葉。

だからノクトは、ここで自分の気持ちを仲間に漏らしたんだと思う。
彼らが後悔しないように。

シドが言う「仲間を頼れよ」の答えがノクトが泣きながら吐き出した「つれぇわ」。
虚勢を張るより、自分の感情を素直に認めるほうがキツい。
心が折れてしまいそうになるから。

でも仲間のために、恰好悪くてもいいから、本当の言葉を伝えた。
地味だけど、ここでようやくノクトは本当の王になれたのだと思う。

愚痴ばっかりだし、戦いよりも釣りが好きだし、朝寝坊だし。
でも、自分のことより仲間のことを大切にする。
人を思いやる気持ちを持っている。
それこそがノクトの「王の資質」。

そして多分ここが、ノクトが覚悟を決めた瞬間。
父のように、人の王として明日をつかみ取ろう、生きて帰ると誓った。

 その決意がちゃんと伝わったからこそ、仲間たちの最後のセリフは「どうかご無事で」だったんでしょう。

地味だけど、キャンプという当たり前の場所が大切な決断の場になっているから泣けた。こういう演出はゲームならではだと思う。
ずるいよね、今まで何度となくゴハン食べてコーヒー飲んで、ゲームしてたりした日々が走馬灯のように…!

10年経っているから、仲間たちも腹が据わってしまったんだろうけど、シドのように止めてくれる人が一人いたら良かったのに、とは思いました。

やめられないんだけどさ、王なんかやめちまえ!と言ってくれる人が一人くらいいても…と思ったらそんなセリフがあった人いましたね。
怒りんぼグラディオ。

彼はいつも自覚を持て、ってノクトの心が揺れるたびに怒ってばっかりいたけど腹の底はどうだったんでしょう?

王の盾として生きてきたのに、王の代わりに死んでやれない彼の気持ちは?
そこんところはもうじき販売になるDLCなのかなぁ…くそう!商売上手め!(3人の仲間たち視点で遊べる別シナリオがもうすぐダウンロードできるらしいっす…有料で)

別会計は悔しいけど、シナリオがエンディング後の世界の物語だったら、私は多分買っちゃうと思います。

グラディオの気持ち、それからイリスはどうしてるのか。

プロンプトの出生の、ちゃんとした話とか(ここはさすがに後付け感半端ないけど、ちゃんと設定あるんだろうな…⁉)シドニーとのその後とか。回りはみんな気が付いてるのに二人だけは気が付いてなさそう。

イグニスルートはアラネア姉さんで。イグニスごはんを姉さんに食べて欲しい…!

 

レギスもルナフレーナもノクトも得られなかった、普通に生きて普通に死んでいく、穏やかな幸せ。
その幸せはこれから仲間たちが受け継ぐんでしょう。

 

指輪が砕けた後、ノクトには10年でも20年でも、シドぐらい長生きして欲しかった。
父や歴代の王からの最後の贈り物が、「自分の人生」だったら良かったのに。

ルナフレーナのウエディングドレスは見たかったんだけど、二人で天国に登っていく…と見せかけて、彼女がノクトを現世に突き飛ばしても良かったんじゃないのかなぁ。

正直、ルーナがなんでここまでノクトを好きなのかはよく分からなかったんですが(ルナフレーナ目線がなさすぎ…映画見ないとダメなの⁉)強さは伝わったので、そこまでやっちゃって、シリーズ最強聖女の名を残すのも良かったと思います。

 

まとめ

 

さてさて、確かに物語として釈然としない部分もあるし、空白も沢山ある。
これがアニメだったら、最終回が最悪な、単なる黒歴史だと思うんですよ。

でもゲームは、アニメとはちょっと違う。
60時間一緒に旅した中で、キャラクターが『私の仲間たち』になってる。
だから釈然としない物語の空白を埋めようと色々考えてしまったり、救いのあるラストを妄想してしまう。

ゲームのキャラクター達の行動に辻褄を求めたり、ここをこうすれば良かったのに!なんて想像してしまう時点で、FF15は「私の物語」になっている。

なんでこのエンディングなんだよ!って怒ってしまう私の中で、仲間たちはちゃんと息づいている。

イグニスは突然失明してる(戦いの中アーデンの動きが気になって…的セリフがあるがそれだけ)、ルナフレーナの兄レイヴスは気が付けば死んでるし、唐突に出てくるプロンプトの過去とか、これはないわ、せめてムービーくらい入れてよ!とさすがにムカつく部分は沢山あったんですが、そうやって怒りたくなるくらい、私の中で彼らはただのキャラクターじゃなくて、共に旅する仲間になっていた。

それくらい、物語に肩入れしてしまっている。
好きだからこその怒りなんだと思う。
正直アニメで補完すんのはどうなの…とか、映画見てないと分からない部分があるのやめて、とは思います。空白部分も多いし。

でもこれ、「父と子、そして王の物語」って書いてありましたが、実際遊んでみて正直な感想を言うと「腐女子、そして腐の者の物語」だと思うんですよ。

pixivでFF15って検索すれば分かると思うけど。
だから空白部分はこれから埋まっていくと思う。薄い本で(おい)。

そういう意味では「完璧に出来上がってるけどクソ」な物語より「語り足りなくてクソ」な物語の方がよっぽどいい。

なんだかんだ、愚痴や苦情もありましたがFF15は『私の友達の物語』になった、と思ってます。

これから映画も見たいし、DLCも買っちゃいそうだし、pixivも検索するでしょう。
本当に出会えて良かったゲームでした。
まだ一週目なので、浅いかも知れませんが私の感想はこんな感じです!

色々難はありますが、一作で6000字超えの感想が書ける作品です。
今は値下がりして5000円くらい。

買っても損はないんじゃないかな、と思います。
クリアした際には、あなたの憤り、あなたの思うFF15を聞かせてくださいね。

ではでは、今日はそんな感じです。

 

 

 

変わる高齢者と若年層の医療貧困問題

高齢者の定義が65歳以上から75歳以上に変わるらしい。

今すぐに何が変わる、ということでは無いのだが、今後前期高齢という区分が見直されたり、定年や年金という考え方が変わってくるのだろうと思う。

現在の若者が高齢者を支えるという賦課方式は少子高齢化の中で破綻を迎えつつある。
これからは年齢関係なく、元気な者、働ける者が社会を支えていく、というシステムに変わって行くのだと思う。

 

年齢に縛られる医療制度

 

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そもそも、今までの医療制度は年齢に縛られ過ぎていたように思う。

たとえば高額療養費という医療費の自己負担限度額を定める制度では、同じ所得でも70歳以上なら月44,400円(外来・入院の世帯限度額。個人の外来なら更に安く12,000円以上で戻ってくる)、70歳未満は80,100円と倍近くの格差がある。

所得が同じなら生活の厳しさは同じだと思うのだが、この格差はなんなのだろう。

70歳以上になるとこの制度を利用する人が増えるが故の優遇措置なのかも知れないが、少数派の70歳未満の病気持ちは切り捨てなのか、と疑問に思う。

 

働き盛りが病に掛かった時

 

昨年、私の知人男性が50代でガンを発症した。
妻も同世代、高校生の子どもが一人。

体力を必要とする仕事をしていたため、退職を余儀なくされた。
現在も治療が続き病状が安定しないため、自宅で療養生活を送っている。
パートだった妻がフルタイム勤務に変え、生計を支えているがそれでも収入は毎月15万程度。それで家族3人が暮らしている。

日々切り詰めて暮らしても、医療費は毎月飛んでいく。
現在彼は妻の扶養として社会保険に加入している。
限度額適用認定証を利用しても、毎月の支払いは最低(多数該当制度を適用した場合)24600円。

収入のない彼には、痛い負担となる。
民間の医療保険があるではないか、と思う人もいるかも知れない。
勿論彼も、毎月相当の額を支払い医療保険に加入していた。
しかし若い頃に加入した医療保険であったため、入院や手術、死亡の際の補償額は大きいものの通院プランやガン特約が付いていなかった。

現行の医療は長期入院を避け、在院日数を短縮する、という方針に変わりつつあるので(彼も入院は最低限で、外来診療メインで治療を受けている)旧来の医療保険一本ではカバーできなかったのである。

他の支援はないのか?
私も色々調べてみた。

 

医療費負担が月一万円で済む特定疾病療養受療証というものがあるが、これは対象が血友病、慢性腎不全、HIVなど一部の病に限られている。

長期にわたって高額な医療費が必要となる疾病が対象の支援だが、肝心の病が限定されているところが厳しい。

多数該当制度のように、一年以上高額な医療費が掛かっている人などカバーできる範囲をもう少し増やしてくれたらいいのに、と思う。

 

ひとり親家庭医療費助成事業などというものもあり、これは世帯所得が一定額以下であれば世帯の医療費が1000円で済む、という素晴らしい制度である。

しかし問題は18歳未満の子を持つ配偶者のない父親か母親、名前の通りひとり親世帯のみの支援となっているところ。

同じ所得なら、両親が揃っていても生活が厳しい事には変わりないと思うのだが。
家事労働が出来る人間が一人いる、ということを資産として計算しているのだろうか?しかし人が一人多いという事はそれだけ食費や生活費も嵩むはず。その部分の算出はどうなっているのだろうか、と疑問に感じる。

 

他にも自立支援医療という制度もあるが、これは対象が精神疾患に限られている。

 

色々調べてみて、現行の医療支援制度の多くが年齢、一人親、特定の疾患など様々な縛りを設けていることに愕然とした。

 日本にはアメリカのようなラショニング政策は取り入れられていないと思ったが、(給付制限、もしくは選別給付の意。医療技術や医薬品について、患者に優先順位をつけたり効果が期待できない患者は給付対象から外す制度。アメリカオレゴン州の優先順位リストが有名)特定の疾患、特定の患者のみ医療費の補助が受けられる、という今の制度は選別や制限ではないのか。

トリアージやラショニングといった限界時の『医療選別』政策は、国民皆保険制度の日本では無縁の話だと思っていたが、格差も差別も存在しているのだ、と思い知らされた。

 

healthpolicyhealthecon.com

 

ガンでも障害年金?

 

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結局医療扶助には頼れないことが分かり、最終手段として生活保護も上がったが、妻が働いているため受給は難しいという。

もし離縁して、一人暮らしするならば彼は生活保護対象者となり、医療費も全額無償となる。妻子もひとり親世帯の支援が受けられ、所得が増えることになる。

しかし離婚した方が、もしくは働かない方が生活が楽になる、というのは懸命に支え合っている彼らにとって残酷な話である。

 

その後病院や役所、ソーシャルワーカーにも相談し、障害年金を申請してみるしかないのではないか、という答えが出た。

障害年金と言うと知的障害や身体障害を持つ方向けと言ったイメージが強いが、実際にはケガや病気で日常生活や仕事に支障をきたすようになった人全てをカバーするために作られた制度なので、体調が悪ければガンでも認定されるケースが多いらしい。

しかしガンのような内部疾患での障害年金受給は自分一人で申請するのは難しい、とソーシャルワーカーは言っていた。

障害年金には非常に細かな基準がある。
まず、初診日から1年6か月待たなくてはいけない(人工肛門や寝起きが不可能になるなどと言った特殊な事案は除く)。
それから初診日にどの年金に加入していたかが重要になってくる。
知人の場合は厚生年金だったため、障害3級でも受給資格がある。
国民年金だと、1級2級しか受給資格がないので、より厳しい道になってくる。

また、日常生活能力を評価・判定する「一般状態区分表」で等級が決定される。
「一般状態区分表」の内容は次の通り。

 

ア .無症状で社会活動ができ、制限を受けることなく、発病前と同等にふるまえるもの

イ. 軽度の症状があり、肉体労働は制限を受けるが、歩行、軽労働や座業はできるもの 例えば、軽い家事、事務など

ウ. 歩行や身のまわりのことはできるが、時に少し介助が必要なこともあり、軽労働はできないが、日中の50%以上は起居しているもの

エ . 身のまわりのある程度のことはできるが、しばしば介助が必要で、日中の50%以上は就床しており、自力では屋外への外出等がほぼ不可能となったもの

オ . 身のまわりのこともできず、常に介助を必要とし、終日就床を強いられ、活動の範囲がおおむねベッド周辺に限られるもの

 

障害の程度は、オに該当するものは1級、エ又はウに該当するものは2級、のウ又はイに該当するものは3級におおむね相当する、とされている。
この区分の他にも、様々な診断書と共に書類で資格審査が行われる。

現在の知人の状況だと、3級には該当するのではないか、とのこと。
しかし初診日から1年ほどしか経っていないため、半年は待たねばならないこと、タイミング的には体調が悪くなる重い薬を用いた時に診断書を依頼したほうがいいことなど、様々なアドバイスを受けたそう。

彼の病気は用いている薬によって体調が変わるので仕方がないのだが、一番重い薬を使っているときに診断書を書け、というあけすけなアドバイスにこれが現実か…と少しげんなりした。

障害年金に関する本を見せて貰い、私自身も色々調べたけれど、これを一人で申請するのはかなり難しいだろうな、と感じた。

知人の場合は初診日からずっと同じ病院に通い、ソーシャルワーカーの支援もあるので(勿論有料ではあるが)まだ楽だが、初診日から時間が経ってしまいカルテが廃棄されている場合などは初診日の証明が出来なくなってしまう。

また、彼がアドバイスされたように内臓疾患の場合は診断を下すタイミングによって重症度が変わってくる。もし軽度の時に申請を出し、不支給が決定されると、再申請には時間がかかってしまう。

ネットで調べると様々な事務所が、有料で障害年金の申請代行を行っていることが分かる。

公的な支援のはずなのに、肝心な提出先である日本年金機構のHPには簡単な制度説明と受給資格の記載しかなく、余りの情報量の薄さにも驚いた。

年金機構側は本当にこの制度を使わせる気はあるのか?と色々勘ぐってしまう。
現行のやり方だと、本当に困っている、お金も無く知識もない人たちの所に支援の手が届かない。

紙の書類しかチェックしない、面談すらない審査ってどういうことなのだろう。
相手が重病人の場合もあるが、職員が病院に出向いて面談することだって出来る。

申請者に知識が無い場合、実際より軽い等級になってしまう場合もある。
もちろん逆の事例もあるだろう。
どうして、困っている当人の話を聞かないのだ?

中身の見えない審査で、社労士だのなんだのプロばかりがテクニックを磨いて成立数を謳っている現在の障害年金には不信感を抱きたくなる。

 

国立がん研究センターによると、2016年のガン罹患者数の予測は約101 万人。

ところが傷病別の障害年金を受給者数を調べてみると、ガンで受給している人は国民年金、厚生年金の合計でも5万人にも満たないことが分かる。
ガンと一言で言っても程度は様々だが、このあまりにも乖離した数字はおかしいのではないだろうか?

 

傷病別の障害年金受給者数 | 年金情報部

リンク:障害年金の受給原因傷病

http://home.b05.itscom.net/kisoh/syogainenkin-syobyo.html

 

障害年金はケガや病気で働けない人のためにある大切な制度だ。
きちんと宣伝して、適切に運営してほしい。

必要な人に届けること、金を積まなくても申請書が書ける、もっと分かりやすい制度を目指すこと。今のままでは社労士がボロ儲けである。

 

基本的な障害年金入門のお話。グラフ入りで数字が分かりやすい。

www.yutorism.jp

 

制度改革とこれからの課題

 

健康寿命が延びた今、年齢に縛られず、働けるものが働く社会の訪れは当たり前のことだと思う。

しかし働けなくなった時の保障をしっかりしてくれないと、将来への不安で貯蓄や節約、投資に励むしかない。そうすると労働者数が増えても経済が活性化しなくなる。

金を使わせたいのなら、年金に変わるいざという時の保障をもう少し明確に、分かりやすく提示していくべきだと思う。

現行の制度や優遇措置は年齢や一人親などの立場、病の種類などあまりにも縛りが多すぎる。糖尿病や精神疾患に比べ、ガンといういまや当たり前の病への措置が少ない事にも驚いた。

人口が減っていくのだから、現在のように年齢や立場、病に応じた制度をいくつも立ち上げるより、所得や医療費に応じた大きな優遇措置に一元化していく方が経費削減になるし利用者の負担も減るのではないか、と思う。

『働けるうちは働け』でも構わない。
適切な労働時間で働くことはボケ防止にも、生活習慣病予防にもなる。

だけど若年層を過剰に働かせておいて、ダメになったら切り捨てるのはやめてくれ。
いくつになっても、病になっても、みんな程々に、出来る範囲で働けるくらいがいい。

働くと停止されてしまう生活保護は人間を飼い殺しにしているようで怖い。
年齢に関係なく、その収入に応じた支援や医療費への優遇措置があればいいと思う。

フリーターで国保料が収められず、歯医者にも行けない若い友人もいる。
彼と厚生年金暮らしの後期高齢者の所得は同じなのに、若者の保険料は月2万円、高齢者は月1000円。

正直、お年寄りの方が貯蓄もあり生活は楽な場合もあるのではないだろうか…?と歯に正露丸を詰める友人を見て思った(もちろん一方では国民年金のみで生活する老人の貧困という社会問題もあるのだが)。

 

高齢者の定義が変わるなら、若年層という考え方も辞めて、年齢に関係なく必要な者に保障が届く社会にしてくれ…と思うおのにちです。

 

ガン患者の家族のお話。
お見舞いの話はとても役に立ちました。ありがとうございます。

kutabirehateko.hateblo.jp

旅立つ子がくれたもの

カロリーメイトのCMが素敵だ。
レミオロメンの3月9日が流れる中、受験生の一年間の背中を母が見守る物語。

瞳を閉じればあなたがまぶたの裏にいることで

誰かの存在で、人は強くなれたり、頑張れたりする生き物で。
今日は私の支えだった小さな手の、旅立ちのお話。

 

春は卒業の季節。
私の甥っ子も、進路が決まり4月からは違う町に旅立つ。

私は20代で結婚して、いわゆる『嫁』になった。
夫の家は大家族で、親戚同士も仲が良く、盆や正月だけでなく、誕生日やささやかなお祝い事も親族全員で集まってやるような、にぎやかな家庭だった。

月に一度はなにかしらのイベントがあり、皆で集まる。
ちょこちょこ、実家に呼ばれる。

夫が仕事で出られない時は、私一人で出向くしかない。
夫の家族はみな穏やかな人たちで、色々気遣ってくれたのだが、最初はとにかく居場所が無くて帰りたいと思うだけだった。

私の実家は親戚が少ない。人を招いたりするのも嫌いな親だった。
家族旅行すら数えるほどしか行ったことがない。
正月は祖父母と会うくらいで、漫画を読んで引きこもって過ごすのが我が家のスタイル。

そんな個人主義の家庭で育った私は、人見知りで一人の時間が必要なタイプだった。

ところが旦那の家庭はテレビで見るような大家族。
義父は7人兄弟、義母は4人姉妹。
親族が勢揃いするとダンナですら『アレは誰だっけ?』と首をひねるような人数、賑やかさだった。

馴染めない、違和感ばかり。
最初の頃は本当に胃が痛くなるような日々だった。

 

そんな違和感を救ってくれたのが、小さな甥っ子。

賑やかな家の中で、何をしていいか分からない私に甥っ子は散歩に連れてって、と無邪気にせがんできた。

その内私の仕事は甥っ子の遊び相手になった。
何をしていいか分からない、何を話せばいいかも分からない、あの頃の心元なさを救ってくれたのが甘えん坊で明るい彼だった。

彼を通して周りの家族との会話も増えた。
その内彼の弟が生まれ、私にも子供が生まれ、従弟たちにも子どもが生まれ…。

 

気がつけば旦那の実家は男の子ばかり10人も集まる、恐るべき子ども屋敷になっていた。

その頃には私も義実家に慣れ、違和感なく過ごせるように。

私の手を引っ張って輪の中に入れてくれた甥っ子は、10人の男子のリーダーとして喧嘩を仲裁し、年下の面倒を見、仲良く遊ばせる頼もしいお兄ちゃんとなっていた。

 

私の子どもたちもそんなお兄ちゃんが大好きだ。
スポーツを頑張っていて、国体にも行った。
優しいけれど時に厳しい、審判役のお兄ちゃん。

なにより小さかった彼がそうやって大人になり、しっかり育って行くことがどれだけ私の励みになっただろう。

 

今考えたら昔の私の悩みは義理実家に馴染めない、というよくあるトラブルだ。
距離を置いて、付き合わない手もあっただろう。

でも私は、あの時甥っ子が私の手を引いてくれて本当に良かったと思っている。

たくさんの家族の中で、わいわい過ごす賑やかさや暖かさ。
それが本当に贅沢なことで、大切な経験なんだ、と思えるようになってきた。

 

私自身大家族の中で過ごすうちに人見知りしなくなったし、世間話のスキルも上がった。気配りも自然と出来るようになった。
それが出産後の転職やママ友付き合いの中でどれだけ役に立ったことか。

子ども達も従弟が山ほどいる中で遊んだせいか、人見知りしらずだ。
どこに行っても自分から声を掛けて、すぐに新しい友達を作る。

そんな風に輪の中に自然と入っていける力は、私一人では与えられなかったと思う。

義実家が開いてくれた沢山の誕生会やクマ鍋パーティ、焼肉祭りのおかげで私も子どもも逞しくなれた。

終わらない洗い物、落ちない熊脂…戦いは何度もあった。
義姉と終わらない酒盛りに水を混ぜるかと愚痴った日もあった。

それでも結婚して良かった、家族が増えて本当に良かった。
そんな風に家族をまとめて、ちびっ子たちを引っ張って行ってくれたのは、お兄ちゃん、あなたの優しさです。

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これから彼の新しい人生が始まる。
春からは一人暮らし。

同じく息子が都会に旅立つ人が言っていた。
福島だから、っていう人本当にいるのかなぁ。
結婚したくないとか、言われたらどうしよう。

いじめられた福島の子のニュースを思い出して、きゅっと心が冷たくなった。

でもきっと大丈夫。私は世界を信じたい。
あのニュースを見て、憤ってくれた人は沢山いる。

旅立つ子の全てを守ってあげることは出来ないけれど、願っている。

福島の子に、すべての田舎の子に、旅立つ都会の子どもにも。
世の中の理不尽や偏見に泣かされることがないように、と。
あなた自身を真っすぐに、評価してくれる大人に出会えますように、と。

 

朝はカーテン開けるんだよ。
夜更かしは程々にね。野菜もちゃんと食べるんだよ。
体を大事にしてね。
自分を大事にしてね。

あなたは誰かの大切な人。
あなたをまぶたの裏に思う人が、きっと何処かで待っているから。

これから一人暮らしを始める子どもたちも、長年一人暮らしの大人の人も。

 

大事にしてね、あなたのことを。
忘れないでね、一人じゃないってこと。 

 

森見登美彦「夜行」感想ーネタバレ注意

今日は森見登美彦さんの「夜行」を紹介します。

デビューから10年目の意欲作、直木賞ノミネート作品ということもあり、出版社も気合入ってます。特設サイトも豪華でスゴイ。

 

www.shogakukan.co.jp

 

CMも素敵だし、『本を読み解くための10の疑問』なんてコーナーもあり、ワクワクさせます、読みたくなります。

 

youtu.be

 

実際読んでみて、確かにすごく面白い本だった。ゾクゾクした。
森見登美彦の新境地だと思います。


ただ、怪談×青春小説×ファンタジーというラノベっぽい売り方、可愛らしい表紙はこの作品の実際の雰囲気とはちょっと違うんじゃないの、と。
売る側としては致し方ない面もあるのでしょうが。
青春小説要素、薄かったのでは…。

 

これは静かな闇の森見ですね。

「夜は短し歩けよ乙女」や「四畳半神話体系」が陽だとすると、「きつねのはなし」や「宵山万華鏡」が闇。

今までとは少し違う、大人の世界のもりみー。
時の長さ、人生の選択肢を知る大人にこそ楽しめる物語だと思う。
そういう意味で、まさに10年目の物語でした。

 

物語のあらすじ

  

物語の舞台は京都、鞍馬の火祭り。

同じ英会話スクールに通う男女6人が祭り見物に出かけ、一人の女性が行方不明になる。
それから10年、「長谷川さん」を喪った5人がもう一度集まり、祭りに出かけるのだが…。

10年前の祭りの夜、失踪した長谷川という女性を今も忘れられずにいる主人公大橋。

長谷川さんは、なぜ消えてしまったのか?
大橋の見た「夜行」という銅版画は何なのか?

物語は、彼と一緒に祭りに行った仲間たちの不思議な旅を通して語られて行きます。

第一夜は既婚者の中井が、変わってしまった妻を取り戻しに尾道に行く話。
(こちらは期間限定で試し読みできます!)

  

期間限定!お試し特別版 夜行

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第二夜は大橋の後輩武田の話。
職場の先輩増田、彼の恋人美弥、妹の瑠璃の4人で飛騨に旅行に行く。

第三夜は銀座の画廊で働く女性、藤村が語り部。
夫、夫の後輩児島と3人で寝台列車に乗り、津軽に向かう旅に出る。

第四夜は夜行の作者、岸田の友人である田辺が主人公。豊橋に帰る途中の電車の中で、不思議な女子高生と坊主に出会う。

そして第五夜、仲間たちの話が全て終わり、また大橋が語り部に。
皆で祭りに出かけていくのだが、考え事をしている内に一人ではぐれてしまい…。

 

どの話も静かで、ひっそりと怖い。

私は第一夜と第三夜が面白かった。
例え夫婦でも誰かのことを本当に分かるなんて、幻想じゃない?と言われているような気分になりました。

時折、ありませんか?

隣にいる人がまるで知らない人に見えたり、別の人生を想像したり。
長年連れ添った相手でも全てが分かる訳じゃない。
世界はいつも、もう一つの選択肢で溢れている。
もしかしたら、他の人と寄り添う時間軸もあったのかも知れない。

よく知っているはずの世界が、よく分からないものへと変貌を遂げる瞬間がある。
それを上手く捉えているから、この物語は密やかに怖いのかな、と思いました。

 

物語の解釈について~ネタバレあり、注意!

 

ここからはネタバレがあります!ご注意下さい。

普段はネタバレは書かない派なのですが、この作品は色々考察したくなるストーリーなので、つい…!

また、ラストがよくわからなかった、という感想もちょこちょこ見受けられましたので。「君の名は」みたいに、普段SFを読まない人には少し解りづらいストーリー展開なのかも知れません。

あくまで読んだ人のために、私なりの解釈を少しだけ。

 

 

 

ーーーーーーーここからネタバレーーーーーー

 


一言で言っちゃうと、この作品はパラレルワールドものなんだと思います。

10年前の火祭りの夜を境に、銅版画家岸田が連作「夜行」を描いた世界と、「曙光」を描いた世界に分岐している。

夜行の世界では長谷川が失踪、曙光の世界では主人公が失踪。
夜行では作者の岸田が死に、曙光では岸田は長谷川と結婚して幸せに暮らしている。

他の物語でも同じように例えば武田が生き残った世界、増田が生き残った世界、と分岐しているのでは?と思いました。

登場人物たちが絵の舞台になった家で出会う「いないはずの人の姿」は、もう一つの世界を覗いているのだと思います。

だから主人公は、無い筈の曙光を見た時には別の世界にいるのです。
その時間軸では女性ではなく自分が失踪したことになっていた。

どちらの世界が正しい、ではなく無数の可能性がある中で、たまたまこの世界に辿り着いた、だから朝は一度きり…と主人公は夜行の世界に帰ってきて終わり。
朝は一度きり、は彼がもう二度と曙光の世界には行けない、ということを示唆しているのだ…と思ったのですがどうでしょう?
だって「世界はつねに夜なのよ」なんだもの。

 

第一夜や二夜の暗さと怖さから、夜行は死の世界、曙光は生の世界だと思っていましたが、逆に画家が死ぬ夜行が無慈悲な現実、曙光は理想の世界なのかも。

祭りの夜に別れた彼女は、彼のいない曙光の世界で幸せに暮らしている。
そういう解釈でいいのかな、と思います。
もしかしたら理想の女性『長谷川さん』という存在自体が夢幻なのかも知れませんが。

 

 

まとめ

 

最初に書いた通り、表紙や売り方に多少疑問はありますが、物語としては最高に面白かった一冊。
特設サイトの『10の疑問』も面白いですから、ミステリのように頭を悩ませながら読むのも楽しいかもしれません。

サクッと解けるたぐいの謎ではありませんが、自分なりの解釈が楽しい。
読んだ人と、議論を交わしたくなる物語です。

それでは今日は森見登美彦「夜行」の感想でした~。

 

夜行

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