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私のアイデンティティ-宮内悠介『カブールの園 』感想

宮内悠介さんの「カブールの園」を読んだ。
宮内さんの「盤上の夜」と「ヨハネスブルクの天使たち」(どちらも日本SF大賞特別賞受賞)は読了済。

前2作がSFだったので、これもそうなのかな?と思っていたら、こちらは芥川賞候補作で、現在のアメリカを描いた小説だった。

私は最初コンゴの世界一おしゃれな紳士たち『サプール』と勘違いしていて、サプールのSF?ワクワク!と楽しみにして読んだらホントに全然違った…。

でもこれはこれで、言葉が染み入ってくるようないい作品でした。

 

物語のあらすじ

 

カブールの園

 

表題作「カブールの園」と「半地下」、2編の物語が収録されている一冊。

「カブールの園」は日系三世、日本語を知らないヒロインレイが主人公。
子どもの頃から成績が良く、母の期待はすべて彼女に掛かっていた。

学校では激しいいじめを受け、自宅では親の期待を裏切れず作り話ばかり。
そんな辛い日々を逃れ、今はサンフランシスコのベンチャー企業でマネージャーをしている。

レイは精神を病んでおり、VRを用いた最新の精神治療を受けている。
幼少期のトラウマ体験をバーチャルリアリティー映像でもう一度思い出し、それに認知療法を組み合わせることで、心の問題を解決しようというもの。

治療はなかなか進まず、憤りを感じる日々の中、職場から思わぬ休暇を貰ったレイは大戦中に自分の祖母が収容されていたマンザナーの日系人収容所を訪れる。

自分のルーツを巡る旅の果てに、彼女は何を見るのだろうか?

 

「半地下」は夜逃げした父に日本からニューヨークに連れてこられ、そのまま置き去りにされた姉弟、ミヤコとユーヤの物語。

姉は働いて、異国で弟を育てていこうとするが、大使館の介入もあり上手くいかない。彼女はEWFというプロレス団体を頼り、レスラーとしてデビューすることで生きていこうとする。

オーナー・エディはミヤコの人生を買う、と言う。
二人の養育費を払い、養子として育てる。
そのかわり彼女はショーのための都合のいいキャラクターに生まれ変わってもらう、と。

こうして父を亡くし、EWFに買い取られた少女レスラーミヤコが誕生する。

怖いものしらず、受け身も取らないジャンキー少女。
これがミヤコに与えられた「役柄」で、彼女は巧妙に仕立て上げられた架空のダークヒーロを演じていく。

だが、危険な役柄はどんどん彼女の命をすり減らしていき…。

 

物語を貫く、素晴しい言葉たち

 

この作品は綴られた言葉の数々が美しい。心に残るセリフが多かった。
例えば『カブールの園』レイの言葉。

TVディナーは味気なく、隠元豆はゴムのようで青臭さしかない。でも、その味気なさは嫌いじゃない。荒野や廃墟に惹かれるのに近い。何より手間がかからない。

わたしは、ただ消えてなくなりたいと願っていた。誰でも、なんにでもなれるこの国の西の最果てで。

例えば『半地下』ユーヤが 二つの言語の間で生きる気持ちを吐露した言葉。

英語が自分の中の日本語を追いつめ、日本語が自分の中の英語を追いつめる。
英語と日本語の戦う戦場が僕だった。

 

 

ユーヤの姉の名はミヤコ。

彼女の恋人は彼女の名前が上手く発音することが出来ない。
何度練習しても、ミヨコ、ミヨコ。
でも彼女は名前を間違われることが好きだった。

それは、彼女がアメリカで新しく手に入れたアイデンティティ。
しかしある時人種解放団体がEWFに通告をよこす。

外国人選手の名前は彼らの民族性を尊重して、祖国の発音に合わせるべきだ、とかなんとか。
ミヤコは傷つく。なんだか裏切られたみたい、と漏らす。

そしてレイは叫ぶ。差別なんか受けてない!と。
二つの国の間で、己のアイデンティティにもがきながら、それでも器用に踊ってみせる。そんな、二人の女性の物語でした。

宝石のような言葉の数々が忘れられません。何度も読み返したい一冊です。

 

わたしたちの世代の最良の精神。
そんなもの、きっとこの先もわからないだろう。でも、誰かにそれは宿っている。
ブルースは私の耳に届かないだけで、いまもどこかで流れている。

 

カブールの園

カブールの園

 

 

私が凍死したかった日

小学生の頃、親と激しい言い争いをした。

1年生か、2年生だったか。
理由は忘れてしまったが、私には私なりの言い分があって、それが上手く伝わらないことに腹を立て、死んでやる!と思った。

とは言えまだまだちびっこ。痛かったり苦しいのは嫌だ。

ドラマで、冬山で遭難した人たちが「寝るな!死ぬぞ!」と頬を叩き合っていたことを思い出した。どうやら冬山で寝ると死んでしまうらしい。

それならわりと簡単かも…と私は山に行くことにした。
とはいえ、当時の私が住んでいたところは北海道、石狩平野。

本当の「山」は遥か遠くだ。
登山をしたこともなかった私は、とりあえず家の近所の雪山で寝ることにした。

除雪車が早朝からガンガン地響きを轟かせるような地域にお住まいの方ならお分かりだろうが、豪雪地帯の空き地や行き止まりには大抵巨大な雪マウンテンがそびえ立っているものだ。
2階建ての家くらいの高さの、その雪山によじ登り、てっぺんに横たわった。
サヨナラ、人生…。

 

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とても暖かい日だった。
空は晴れてまぶしかった。
私はスキーウェアを着ていて、ポカポカ暑いくらいだった。
大変心地よく、1時間ほど昼寝をした。

やがて「おやつよー」と呼ぶ声がして、家に帰った。
ちょっぴり気まずかったのだが、母が何事もなかったような顔をしていたので、いつも通りおやつを食べて、いつものように眠った。

 

今日の空が晴れていたので、何となく思い出した話。

教訓としては、子どもと喧嘩をした後は後に引きずらないほうがいい、ということ。

子どもに言い聞かせよう!と思うとついついムキになって、口げんかになってしまう。
でも大人が子供を言い負かせるのは当たり前のこと。勝ったって何の得にもならない。

私の願いは、必要な生活習慣を、息子が『自分のために』『自発的に行なえるようになる』こと。
怒らずに執念深く、彼の血肉になるまで言い聞かせなくてはいけない…のは分かってるんですけどねー。
とりあえずカルシウムとらなきゃ。


失敗したな、と思う日も、取り返しのつかないことなんて滅多にない。
晩御飯に好きなおかずでも付けて、いつも通りにしていよう。

そして、子どもの頃の私はどうやらかなりオロカだったようです。
それ、ただのお昼寝じゃん!

 

おすすめイヤミス、気持ちの悪い物語まとめ。

現在SNS断捨離中の某カンドー嬢からコメントでリクエストを頂いた。
グロい小説、気持ちの悪い話を教えてくれ、というもの。
これが結構難しい。

彼女が爽快にはらわたの飛び散るイヤミスを求めているのか、それとも私が生理的に気持ち悪い、と感じる話を読みたいのか。
それによって話が違ってくるからである。

イヤミス、と聞くとよく名前が上がる名作ミステリの数々。
「ハサミ男」や「殺人鬼」、「殺戮にいたる病」などいわゆるグロい系が多い。
これらの作品は確かにどれも血なまぐさい、怖い、後味も悪い。

ただこうした作品群は、ホラーに耐性のあるフレンズ、アンチヒーローが大好きなフレンズが読むとまた違った意味を持って立ち上がってくるのである。

ザ・爽快感。グロいって、たーのしー!
ハサミ男など、確かに後味が悪いのだけど実は私は笑ってしまった。
うまくやりやがったなコイツぅ!と言う感じで。

被害者側に肩入れするか、犯人側に肩入れするか。
物語を読む視点で、作品の後味は変わってくる。

『貞子VS伽椰子』『フレディVSジェイソン』なんて映画のタイトルを見てもわかるように、最恐の敵もシリーズ化して見慣れてくるうちにかわいらしく思えたり応援したくなったりしないだろうか?

ミステリーを読む上で、もちろんホームズには綺麗に謎を解いてほしいし、活躍してほしい。でも更に見事にモリアーティ教授が逃げおおせると、私はニヤッとしてしまうのだ。

 

サクッと読める爽快イヤミス

 

あなたがもしコカコーラのように、さくっと読めて後に残らない、爽快ライトなイヤミスを求めているのなら、『殺戮病院』『ギロチンアイランド』をお勧めしたい。

「殺戮病院」は感染すると凶暴化する古代ウィルス、閉ざされた病院、戦うナースや警官とバイオハザードを彷彿とさせる内容。
血と臓物がテンコ盛り。殺人ピエロがわらわたを振り回しながら迫ってくる、殺戮カーニバルである。 

殺戮病院 (マグノリアブックス)

殺戮病院 (マグノリアブックス)

  • 作者: ブレイク・クラウチ,ジャック・キルボーン,ジェフ・ストランド,F・ポール・ウィルスン,Blake Crouch,Jack Kilborn,Jeff Strand,F. Paul Wilson,荻窪やよい
  • 出版社/メーカー: オークラ出版
  • 発売日: 2016/04/25
  • メディア: 文庫
  • この商品を含むブログ (1件) を見る
 

 

「ギロチンアイランド」は、お金持ちが税金対策用に購入した地中海のリゾート島が舞台。別荘の管理人という美味しいバイトに潜り込んだはずのヒロイン、マーラ。
理想の島で、午前中は簡単なお仕事、後は仲間とパーティパーティの極楽生活のはずが、島の恐ろしい一面が見えてきて…という孤島サスペンス・ホラー。

問題点はただ一つ。この島にギロチンは無い。邦題どうした…⁉

 

断頭島 (ギロチンアイランド) (竹書房文庫)

断頭島 (ギロチンアイランド) (竹書房文庫)

 

 

どちらもB級映画っぽい作品。
1、2時間で読めるボリューム、映像的で、美味しいところをちゃんと掴むストーリー展開が魅力。

知らない作家さんの、どう転ぶのか分からない物語を手探りで読むのも面白いけれど、旅に連れて行くのならこういう枠組みのしっかりした、定石の面白さが詰まった作品が良い。

期待通りにワクワクさせてくれて、読み終わったら宿の書架に置いて帰れる。
後を引かない、ファーストフードのようなボリュームと手軽さ。
ライト・イヤミスの名で呼びたい作品である。

 

さて今紹介した2作品が洋のイヤミスならば、和の定石、三津田信三さんの《刀城言耶》シリーズもおすすめ。

奇譚を収集する主人公、変わった風習のある村、美しい家人、世継ぎをめぐる争い…そしてきれいに解けたかのように見える謎が、ほんの少しの後味の悪さと共に消えていく。まさに横溝正史の世界観である。

  

首無の如き祟るもの (講談社文庫)

首無の如き祟るもの (講談社文庫)

 

 

 こちらのシリーズは大好きで、多分全部読んでいる。
多分と言うのは表紙、タイトル、話の展開が似すぎていて区別がつかなくなってきたのである。

区別がつかないものを読む意味は?と聞かれそうだが「孤独のグルメ全シリーズ」と答えたい。
たとえワンパターンの展開でも、その世界が大好きならば、浸れる幸せと言うものが存在する。

読んでいる間は夢中でその世界に浸りこみ、怖さに震え、本を閉じれば現実に帰れる。
私の中でグロい=怖い、血生臭い物語と言うのはどこか予定調和で、爽快な作品が多いのである。

 

予定調和を外れた物語の『気持ち悪さ』

 

ところが気持ち悪い小説、となるとまた話が変わってくる。
私が小説に感じる、「気持ち悪さ」は肌感覚の問題だ。

なんだか収まりが悪くて、読んでいる間何処に身を置いたらいいのか分からなくて、脳みその裏側をざらざらとヤスリで削られているような感覚。
そんな物語を私は「気持ち悪い」と呼ぶ。

例えば竹本健治の「クレシェンド」。
あるいは恩田陸の「ネクロポリス」。

クレシェンドは昔軍の施設だった、職場の地下2階の謎を解くミステリからアマノウズメの神話へと物語が転換する。

 

クレシェンド

クレシェンド

 

 

ネクロポリスは英国と日本の文化が奇妙な融合を見せている島を舞台に、一年に一度、生者と死者が再会することができる「ヒガン」と呼ばれる祭りを描いている。
ヒガンの最中、話題の殺人鬼「血塗れジャック」に殺された被害者から証言を聞こうと意気込む生者たちの前に、次々と事件が起こる、ファンタジックなミステリー。

…ミステリーだったのだが、なぜかふわっと旅行記のように終わる。

 

ネクロポリス 上 (朝日文庫)

ネクロポリス 上 (朝日文庫)

 

 

ネジが上手く組み合わさっていない。ギブとハブが、と言いたくなる。
ただこれが作者の失敗なのか、思惑なのか、それとも物語自体がこうなろうとしたのか、そこの所がよく分からない。

物語の力が強すぎて、繋がらないものを混沌のまま纏め上げるから私には分からないのだ。この物語が失敗したのか、それとも収まるべきところに収まったのか。

特に竹本健治氏はミステリ―作家としてデビューしたのち、狂気や神秘の物語に傾向していくので、「クレシェンド」をミステリとして読み始めてしまった私の視点が最初から間違っていたのだ、と思う。でもこれミステリとして読みたかったよ…!

継ぎ合わされたパイプが噛み合っていなくても、水が流れるなら物語を生きているのかもしれない。

こうした小説はざらざらして、異質で、いつまでも心に残る。

 

恩田陸さんの小説は、時折結末が定まっていないような印象を受ける。
物語の導入部にはルートA、ルートB、いくつかの道筋があってそこから自然と分岐していくような。あくまでも私のイメージだから、実はきっちりと練り上げて書いているのかも知れないが。

私は多分描かれなかった、ルートBの物語が読みたかったのだ。
だから物語にざらざらした違和感を感じる。

物語の途中で置き去りにされた私のかけらは今も、地下2階で謎を探している気がする。

こういう本は旅先に置いてこない。ただし本棚の目立つ場所にも並べない。
そっと物陰に隠しておいて、体調の良い時にこっそりと開く。
そして「うわーやっぱり気持ち悪い!」と本を閉じる。

わからないし、気持ち悪いのだが私は結局これらの物語が好きなんだろう。


そういえば私は、どんなホラー映画より「ピクニック・アット・ハンギングロック」が一番気持ち悪い。

ピクニックに出かけた4人の女学生が居なくなる。
一人だけが帰って来るが、彼女の話は要領を得ず、何が起きたのかは結局よくわからない。

映画の中で、世界はただただ暑い。
めまいがするほど暑くて、少女たちは帰ってこない。
そこに答えなんてない。

この映画は実話を基に描かれているーと思っていたのだが、実は創作なのかも知れない、という疑惑があるらしい。

 

ピクニック・アット・ハンギングロック [DVD]

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物語が予定調和を乗り越えて「作者にもわからないかもしれない混沌としたもの」に取り付かれたような作品。

それは現実によく似ていて、そんな「よくわからない話」が私にとっての気持ち悪い、なのだと思います。そして私は、この鳥肌が立つような気持ち悪さが実は好きです。


昆虫を食し、綾辻行人の『殺人鬼』をこよなく愛するカンドー嬢がグロい、気持ち悪いと感じる物語ベスト3はいったい何なのでしょうか?
私はそっちの方が気になります。

そして「深夜に鳴る電話」「偽ブログ」「学校からの呼び出し」「2ちゃんにスレが立つ」。このように、人生には怖いことがたくさん。

そうした背筋が凍るような現実の心地悪さ、恐怖にフィクションは勝てるのでしょうか?

実は私は饅頭よりも小説よりも、現実が1番怖いです…。

カンド―嬢が真の怖さを求めているのならば、それは現実に、SNS上にあるのかもよ?とさりげなく誘って今日はおしまーい。

 

PS:ごめん…今日バレンタインデーだったね。よりにもよってのタイトル。
でもチョコと血はよく似ているので君にプレゼントだお♡ってことで一つよろしく…!

恩田陸が描く児童文学-「7月に流れる花」「8月は冷たい城」感想

恩田陸さんの「7月に流れる花」「8月は冷たい城」読了しました。
講談社ミステリーランド(少年少女のためのミステリーレーベル)刊なので、一応子ども向けなのかな?

確かに文字は大きめ、主人公は少年少女…なんだけど、子ども向けの枠を超えてかなり楽しめました。

物語のボリュームとしては中編くらい。
綺麗にスッキリまとまっていたので、このくらいの長さもいいな…と思いました。

恩田陸さんの長編連載モノ、たまにラストがアレだよね。
いや、途中過程はいつも最高に面白いんですけれども…!

 

物語のあらすじ

 

七月に流れる花 (ミステリーランド)

 


「7月に流れる花」「8月は冷たい城」。
共に同じ時間軸の物語なんですが、順番としては必ず7月から読んでください!
8月には7月のネタバレががっつりありますので。そこの所だけ、注意です。

 

「7月に流れる花」主人公の少女ミチルは夏流(かなし)という珍しい名前の町に引っ越してきたばかり。

だから町のことをよく知らず、不思議な風習やみんなが知っている「夏の人」というみどり色のおとこの存在に戸惑っている。

そんな彼女がみどりおとこからの招待で夏休みを夏のお城で過ごすことになる…。

夏流にある、窓を塞いた不思議な「冬のお城」の正体は?
町を歩く奇妙な「みどりおとこ」とは?

主人公ミチルが転校生という設定なので、私達は彼女といっしょになぜ?どうして?の世界を歩くことになる。

船でしか渡れない、堀に囲われた不思議な夏の城。
そこに閉じ込められた6人の少女たちの、不思議な共同生活。

ルールは3つだけ。
鐘が一度鳴ったら食堂へ集合。
三度鳴ったら、何時だろうとかならずお地蔵様にお参りすること。
それから水路に花が流れて来たら、その色と数を記録すること…。

分からないままに城の生活を続けるミチルだったが、少女が一人いなくなったことから疑惑に駆られて…というミステリー。

みどりおとこの正体とは?
何のために彼女たちが集められたのか?
奇妙なルールは何のためなのか?
消えた友達はどこへ行ったのか?

すっきりとまとまった、悲しくて綺麗な物語です。

 

「8月は冷たい城」は同じ夏の城ーただし少女たちとは塀で隔たれた向こう側ーに集められた少年たちの物語。

主人公光彦は夏流で育ったので、自分たちが城に集められた理由をよく理解している。

それを知ったうえで、彼の中に渦巻く疑問。
城の中で起きる、不思議な出来事。
僕らは誰かに、命を狙われているのか?

こちらの物語も事件が起こり、謎を解いていくミステリー仕立てとなっているのだけれど、夏の城の謎がもう解かれてしまっているので、「7月」ほどの驚きはないかも。

ラストは「みどりおとこ」について、7月よりもう少し深い考察が交わされるのだけれど…オチがかなりSF的で。小学生に理解できるのだろうか?
大人が読んでも、ちょっと曖昧な感じなので。
そこらへんが多少気になりました…!

私は「7月」の方が好きかな。でもどちらも面白かった。


「みどりおとこ」という設定がかなり面白いので、この物語のもう一つの視点(大人サイド)の話があったら読みたいな、と思いました。

2月に読む話じゃなかったかな…。(でも発売日は去年の12月…季節感は!?)
夏が来たら、また読みたいかも。

キャンプ場の木陰で、足を小川の流れに浸しながら。
流れてくる、百日紅の花を数えながら。

そんな雰囲気のミステリーです。
寄宿舎や林間学校のイメージ、がっつり恩田陸ワールドやで…!

それでは今日は短いけど終わり。またお会いしましょう♪

 

七月に流れる花 (ミステリーランド)

七月に流れる花 (ミステリーランド)

 

  

八月は冷たい城 (ミステリーランド)

八月は冷たい城 (ミステリーランド)

 

 

人は思い込みで死に至る?-ノセボ効果・プラセボ効果

プラセボ効果、という言葉を聞いたことがあるだろうか。
本当は薬効のない薬を与えたのに、信じ込むことによって症状が改善される効果である。
ノセボ、と言う聞き慣れない言葉はプラセボの逆。
例えば「この薬は副作用として吐き気を起こす」と言われると偽薬でも気持ちが悪くなったりする。

プラセボは偽薬が良い効果をもたらし、ノセボは偽薬が悪い効果をもたらす。

プラセボ、ノセボ。
効果は逆だけれど、人の思い込みが人体に影響を与えるのは同じ。

信じやすい人、疑り深い人。
その人によって効果は異なるのだろうけれど、思い込みに体が影響を受ける、と言うのが面白い。

私も飲んだら痩せる、と言う偽薬のプラセボ効果実験に参加してみたい…と思ったのだけれど、それってもしかしたら広告によく出てくる、絶対痩せる薬のこと?

 

ノセボと実験データ

 

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プラセボに比べて、ノセボの実験データはかなり少なく、あやふやだ。
そりゃそうだ、体に害を与えるかもしれない実験をたやすくできるわけがない。

ノセボ(ノーシーボ)でググると出てくるのはちょっぴり胡散臭い、怖い話ばかり。

 

例えば『ブアメードの血』という実験。

血液の3分の1を失うと人間は死ぬんだよ、と死刑囚に言い聞かせ、目隠し拘束の上足を切る。本人の血液に見せかけ、水がポタンポタンと落ちる音を聞かせ、「出血量が全体の3分の1に達した」と言うと実際は大した傷ではないのに死刑囚は死んでしまった、とか。

 

transact.seesaa.net

 


こわいよ!死ぬわ!死んだわ!
この事件が本当に行われたかどうかはかなり怪しいのだが、ホラー映画かよ!?と思った。


神の見えざる手実験、的な設定がSFには割と多い。
理想の世界は実は科学者の箱庭だったぜ!ディストピアをぶち壊せ!みたいな。

現代なら、実験しなくてもシミュレーションで何とかなりそうだけど。
それでも治験バイトみたいな話をよく聞くので、まだ人体実験は必要なのか。

 

変な話なのだけれど、私は割と生きていくことを実験のように捉えている。

例えば先月、あまりの寒さに葬式が相次ぎ、香典代が家計を圧迫。
給料日まであと1週間、財布に千円しかない危機が訪れた。

貯金を崩せば何とかなるけれど、そこは手をつけたくない。
カードで次月支払いも良いのだけれど、普段の生活はなるべくあるだけのお金で暮らす、を大切にしたい。

ユニコーン世代としては、この悲しみをどうすりゃいいの誰が僕を救ってくれるの、と悲観したいが、それをやっても金が降ってくる訳じゃない。

悲しみの言葉を探している暇があったら、でっきるかなでっきるかな、はてはてふふーん♪と歌いながら(節子それ実験やない、工作や…!)鶏胸と豆腐ともやしで乗り切りたい。


でっきるかなでっきるかな、はてはて…できるかぁ!いくぜ大迷惑!この悲しみをどうすりゃいいの⁉とヘッドバンギングしたくなる日もあるけれど。

大丈夫!って思いこむこともきっと、広義のプラセボ効果なんだよね。

 

ノセボ・プラセボの話がなぜかノッポ・ユニコーンにすり替わった所で今日はおしまい。

あなたの思い込みは、なんらかの効果をもたらしているのかな?
はてはて?ふむー。

 

風の谷のミニマリスト挫折

一時のミニマリストブームも落ち着いて来て、今残っているミニマリストブロガーさん達は本物のミニマリスト、シンプルな生き方がもはやDNAに組み込まれている人たちだと思う。

そんな中、私は恥を忍んで小声で告白する。

ミニマリスト…挫折しました…

 

どうも私の心の中にはクシャナ殿下が住んでいるようなのである。

捨てる、いる、捨てる、いる…などと分別をしている内にクシャナスイッチが入ってしまう。

 

これは要らない、これはいる?期限は?もうちょっと取っておこうか。これは…どっちだ?

ええい、しゃらくさい!
綺麗な家を取り戻すのに何をためらうことがあろうか!

焼き払え、なぎ払えーーー‼!!

 

原因は分かっている。一度にまとめて片付けようと、気負いすぎなのである。
毎日一カ所、少しづつ丁寧に物を捨てていけばキレイになるのに。

はじめるとついつい、このゴミ袋を一杯にしたい…!などと妙な欲が湧いてしまう。
捨てる捨てる、これも捨てる!と捨てていると、気分が上がってきてしまうのは私だけ?

もう、前提が間違っている。
要らないものを捨てて部屋をキレイにしたいから捨てる…じゃなくて、捨てるのが心地いいから捨ててしまう。

いわば、捨てるハイ。

ここからここまで頂くわ♡くらいの勢いでズサーッと捨ててしまう。

まさになぎ払え捨て。
なぎ払った後になにが残るか?
何もない…ならいいんですけど、捨てハイの後に後悔が、後悔がっ!

 

さて、私がこれまで捨てて後悔したものを軽快なナンバーに乗せて公開しよう。

 

いままで私が捨てたもの
家族全員のマイナンバー
いままで私が捨てたもの
年末調整領収書

当たっていたけれど
この世にないなんて
教えてくれたけど
現物燃えるゴミ

バイバイマイスイー宝くじ
さよならしてあげるわ

 

お分かりだろうか。

私の中のクシャナ(いや、やったの私だけど)は恐ろしいことに生まれて初めて当たった宝くじを捨ててしまったのである。

会社で買った宝くじ。
当たるように、と我が家のおきあがりこぼしや招き猫ぬいぐるみなどを置いた神棚っぽいコーナーに載せておいたのが悪かった。

年末クシャナが『神などおらぬ…すべては埃となるのだ…焼き払え――!』と言ったのでごそっと捨てた。

ええ、宝くじもごそっとな。

 

そのままにしておけば当たったことも気が付かなかったのに…。
恐ろしいことに、年末宝くじをまとめて購入してくれた係長はみんなの番号をわざわざコピーしておいてくれたのである。もちろんたかるために。

係長…恐ろしい子…!

「小野さーん、宝くじ一万円当たってるよー!みんなで飲みに行こう!」

えっ。

時が止まった一瞬だった。
私の宝くじ。

走馬灯のように思い出す。
なぎ払った、あの時感じた紙の手触り。確かに君だったよね…!

ああああああああああああああああああああああ

 

突然職場で発狂しだした私を見てみんな理解した。

あーこいつ年末ミニマリストに目覚めたって偉そうにぶっこいてたわ。
家じゅうスッキリした、みんなも捨てた方がいいよ、って上から目線だったよね。

捨てたな。捨てたわ。

 あの時の、周囲の冷たい視線が忘れられない。
なぜ、なぜ私は自分の宝くじを捨てて、ここまで責められなくてはいけないのだ!?

いいんだもん、どうせみんなで飲んだら一瞬で終わりなんだもんね。
私は私の肝臓を守るために捨てたんだから…

あああああ私のいちまんえーん!

さようなら、私の中のクシャナ殿下。
私は己の杜撰な性質がとことんミニマリスト向いてねぇ、ということにようやく気が付いた。

これからは大人しく腐海の植物なんかを育てていこうと思う。
らん、らんらららんらんらん、らんらららん…。

 

あのー、ホントにみんな大事なものまで捨てちゃって後悔してないですか?
後悔も捨ててこそ真のミニマリストなのですかっ…⁉

 

風の谷のナウシカ〈3〉 (1985年) (アニメージュコミックス―ワイド判)

風の谷のナウシカ〈3〉 (1985年) (アニメージュコミックス―ワイド判)

 

 

人と機械の境界はどこ?-海猫沢めろん『明日、機械がヒトになる』感想

今年は小説以外の本も読まなくちゃ…と思っておりますおのにちです。

そういう訳で、SF作家海猫沢めろんさんが最新科学の世界で人と機械の違いと何か?を探っていく科学ルポ「明日、機械がヒトになる」を読みました。

海猫沢さんは子どもの頃自分のことを精巧に出来たロボットなんじゃないか、と思っていたそうです。なんて不思議な発想。

でも誰しも、マンガやアニメの世界に出てくるロボットやアンドロイドに、人格を見てしまう時がありますよね?

アトムや攻殻機動隊のタチコマくん、最近だと宇宙兄弟に出てくるロボットブギー。
もしもブギーが側にいて、壊れてしまったら?

私はやっぱり、泣いてしまうと思うんです。
でも、ブギーと洗濯機の違いは何なの?
そして私とブギーに違いはあるの?

今日はそんな風に色々考えたくなる一冊「明日、機械がヒトになる」の感想です。

 

明日、機械がヒトになる ルポ最新科学 (講談社現代新書)

 

機械って何?人って何?


さて、このルポは作家の海猫沢めろんさんが、日本屈指の科学者たちに話を聞いて、最新の科学技術を実際に目で見る、体験してみる…という構成で出来ています。

語り手である海猫沢さん自身の経験値も半端ではなく、アイソレーションタンク(海外ドラマ、フリンジに出てくるアレ)のあるお店に行ったことがあり、SRの感覚がタンクで得られる変性意識状態と似ている、とか言い出すんですよ。なにその感覚!味わいたいよ!?

本に登場する科学者は7名。

SRー藤井直敬さん、3Dプリンタ―田中浩也さん、ロボット―石黒浩さん、AI(人工知能)―松尾豊さん、ヒューマンビッグデータ―矢野和男さん、BMI―西村幸男さん、幸福学―前野隆司さん。

具体的な研究内容は、ヘッドマウントディスプレイを通して現実と虚構の境目が分からなくなるSRシステム、アウラ(「いま」「ここ」にのみ存在することを根拠とする権威のこと)を揺るがす3Dプリンタ、本物の人間と見間違うようなアンドロイド、一流棋士に勝利するAI、などなどなど。最新科学が盛りだくさんです。

 

特色としては水先案内人が作家さんなので、話が素人にも分かりやすい。
小説やマンガに使えそうなアイデアに溢れてる。

私のように新しい知識が欲しい!何かを学んでみたい!って人のとっかかりには最高の一冊でした。参考文献も沢山紹介されてるので、この分野をもう少し詳しく知りたい!と思ったら更に深く学んでいけそう。

なにより最新科学が宗教や哲学の話、文学の領域にまで繋がっていく過程が面白いったら!この本は人と機械の境目とは何か?がテーマなので、機械と人を隔てるものを探っていく内に宗教とか哲学とか、心の領域の話になっていくんですね。

 特に人間の幸福さえ加速度センサで測れてしまう、という日立製作所の「ヒューマンビックデータ」の話が面白かった。

この話は「データの見えざる手」という本に詳しく書かれているらしいので、そちらも読んで見たいです。 

データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則

データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則

 

 

人間がもし機械のように、法則に基づいて動いているだけだとしたら?
私たちの「自由意思」は本当に存在するのか。

工学博士、矢野和男さんが実験しているという、その日の自分に最適なアドバイスをくれるシステム「ライフシグナルズ」の話も面白かった。

自分の過去の行動データから、その日にふさわしいアドバイスをくれるという「ライフシグナルズ」。

本が出た時点では試作段階だったようですが、2016年商品化された模様…。

www.hitachi.co.jp

人工知能で働く人の幸福感向上アドバイスだと!?
行動を全部監視され、職場でのコミュニケーションや時間の使い方までアドバイスされちゃうだと!?それなんてディストピア…?

うーむ、実際に使ってみないと分からないんですが、幸福が計れる、という考え方は面白いです。

 

最後に出てくる、慶応義塾大学の前野隆司教授の「幸福学」の話も面白かった!

ロボットの研究から、幸福を研究する学問に至った前野教授。
「ロボットは人を幸せにするための研究である。しかし、そもそも人を幸せにしてしまえばロボットはいらないのではないか?」
何その飛躍!?

さらに「受動意識仮説」の話になると、頭がこんがらかってきます。
前野教授は意識は受動的に出力される結果であり、心は幻想だと思っている、と言います。

1980年代、自由意識研究の先駆者ベンジャミン・リベットの実験によると、被験者に手首を曲げてもらい、それと関連する脳活動を観察した結果、動かそうとする意図よりも脳の活動の方がおおよそ1/3秒早かったのだそう。

これは、実際の決定がまず潜在意識でなされており、それから意識的決定ーつまり私たちの自由意思へとー翻訳されていることを示している…とのこと。

意識が受動的に出力されるとはどういうことなのでしょう?
私達は普段「立ち上がろう」「物を手にとろう」と意識して体を動かしている、と思っている。ところが実際は意識する前に体は動いていて、私たちの意識は後付けなのだ、と言うのです。
ええええ!じゃあ私たちが「心」だと思っていたものは何なの?

機能としての心や意識が希薄な人間は存在する、と海猫沢さんは言います。
全てを他人事のように感じてしまう離人症や、何をしても楽しめなくなる重度のうつ病。それは病だ、と思っていたけれど、生まれつきそういう性質の人間も存在するし、異常ではないのだ、と思うとまた別の世界が見えてきます。

前野教授は人の幸福までたった4つの因子で説明できる、と言います。
受動意識仮説も、幸福学もすぐには受け入れがたい話なんですが、面白い。
これらの本もこれから読んでみたいです。

 

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

 

  

幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書)

幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書)

 

 

機械嫁は電気毛布の夢を見るか?

 

2014年、アラン・チューリング博士が発案した、人間と機械をモニタ越しの対話で当てるゲーム「チューリングテスト」で、ついにAI側が人間を騙すことに成功したそうです。
つまり機械は既に人間と同じくらい自然に、言葉を扱えるようになっている。

過疎化していく地方の人間として、もしも学校にペッパー君がいたら?と考えたことがあります。

子どもがいないのなら、自宅でパソコンを通して授業を受けたっていい。
でもモニター越しの世界からは集団の中での振る舞い方、同世代とのコミュニケーションを学ぶことが出来ない。

たとえばペッパー君がもっとスラスラ、自然に会話できるようになれば、柔軟な子どもたちは彼を「学校の友達」として受け入れるんじゃないだろうか、そしてそれは過疎の町にとって「必要な子ども」になるんじゃないだろうか、そう考えたのです。

そしてもし、そんな風に優秀なペッパー君が、安価になり一般家庭でも買えるようになったら。
ドラえもんやドラミちゃんみたいに、一人っ子の子どもの、いい遊び相手になるかも知れない。

更に進化して、好きな容姿や性格に変えられるようになったら、本当の子どもを育てるよりロボットの方が良い…という時代が来るかも知れない。

性交や、簡単な家事機能もついたら、そもそも結婚するよりロボットと暮らした方が気楽でいいや、となるでしょう。

そうしたら、ロボットの維持管理費を稼ぐために人が働く、機械に人が奉仕する未来が来るのかもしれない。

機械と暮らした人間は、いつか年老いて死ぬでしょう。
そこにはロボットだけが残る。

彼/彼女は機械だけれど、電化製品や家財道具みたいに、廃棄したりリサイクルしてしまっていいものなのか。
クリーニングされて、リサイクル店で安く売られていたとして、私達はその「中古嫁」を愛することが出来るのか。

すごく便利な機械を手に入れる前に。
かわいいペットを飼う時みたいに、最後まで面倒を見られるかどうか?をきちんと考えなくちゃいけないのかも知れないな、なんて私は先の先まで考えすぎてしまいました…。

科学で、人と機械の境界が変わるかもしれない世界。
あなたの「トモダチ」が家電量販店で売られていたら。
あなたは、買ってしまうでしょうか…?

 

なーんて、そんな未来がくるのはまだまだ先?それともそう遠くない話?
とにかくわちゃわちゃ、色々考えたくなる面白い一冊でした。

次は何を読もうかなぁ。新しいことを知るって、ホントに面白いですね!

 

明日、機械がヒトになる ルポ最新科学 (講談社現代新書)

明日、機械がヒトになる ルポ最新科学 (講談社現代新書)