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終末SFが好き!『我もまたアルカディアにあり』がくれた答え

「我もまたアルカディアにあり」という江波光則さんの終末SF小説が面白かったので、最近過去作品を読み漁っている。まだまだ読み途中。
江波光則さんて、ラノベ出身だったのね。

前回の感想はこちら。 

yutoma233.hatenablog.com

 

最初に読んだ「我もまたアルカディアにあり」は早川だけど、おじさん、おばあさんのはずの登場人物たちにどこか硬質な、瑞々しさや青臭さが感じられて、そこがすごく良かった。


ラノベと一般書の敷居は、今や限りなく低い。
正直読みやすさとか表紙とか、畳の縁くらいの差異しかないと思っている。
そんなふうにものすごーく多様化してきたラノベの「ラノベっぽさ」とはなんぞや?と考えたときに私は『青春の青臭さ、瑞々しさが描かれている』ところなんじゃないか…と私は…個人的に…だ、だんだん小声になってきた…ラノベを語ると現れると言われる伝説のラノベ天狗、怖いんだもーん…


そういう意味では辻村深月さんの「島は僕らと」「ハケンアニメ!」や、三崎亜紀さんの「コロヨシ‼」(最強スポーツ掃除小説)も私にとっては限りなくラノベに近い。
どの本も瑞々しく甘酸っぱい。

最近枯れてきた私、無論甘酸っぱいは大好きだっ!


さて、江波さんの過去作品を読んで。
最初に癖のある作家さんだ、と感じた通り、どの作品も一風変わっていて面白い。
面白いのだけれど、「我もまた~」が芽吹き始めた何かを感じさせるような作品だったので、そこから先が読みたいんだよ!と今ヤキモキしている。
「我もまたアルカディアにあり」は、面白い断片がたくさん詰まった短編集なので、そこから先、断片が長編になったものを読みたいのだ!

 

元来、終末SFは大好物だ。
「最終兵器彼女」の痛いくらいの恋心、「ザ・ロード」は映画もいいけど原作小説の癖のある文体が好きだ。
「アルマゲドン」みたいな鉄板モノも好きだけれど、『世界を救う価値』は年々喪われつつあるんじゃないのか?なんて考えていて、その答えがゲーム「The Last of Us」にあるような気もした。

私は旦那のプレイを隣で観てただけだけど、もうすごく考えさせられた。
もう一回観たいけど私にはゾンビが倒せない。そして自分でプレイすると酔う。
ぜひ映画で…もう一回じっくり観たいです…!

 

The Last of Us(ラスト・オブ・アス) PlayStation3 the Best - PS3

The Last of Us(ラスト・オブ・アス) PlayStation3 the Best - PS3

 

 


「虐殺器官」で伊藤計劃が私たちに問うたのは『世界に救う価値なんかあるのか?』という残酷な質問。

その答えが「The Last of Us」に描かれてる気がする。
「アルマゲドン」で命を賭けて世界を、家族を救った終末の物語は、『The Last of Us』では世界よりも娘を選び、たとえ血の繋がらない娘でも、彼女のためなら怯える看護婦も撃ち殺す(これはプレイヤーの選択次第だけど。でも私もなんとなくそういうもんだ…と思っていて、その後動画でここは殺さなくてもクリアできるんだ、と気がついて愕然とした)歪んだ愛に変貌を遂げる。

 

「我もまたアルカディアにあり」で描かれる終末は少し変わっている。
冒頭では、世界が終わるかも知れないから巨大シェルター型マンションに引っ越しましょう、というお話なのだが、マンションに引きこもっているうちに世界は終わっている。

何が起こったのかは、バックグラウンドで軽く仄めかされている程度。
気がつけばマンションの外に人は住めなくなっていて、食料の配給も減りつつある。
それでも人の営みは続く。


狭いマンションの一室で暮らし、食料は配給制。ネットワークは繋がっているものの、まるで刑務所のような暮らし。それでも暴動は起きない。
みんな『このマンションで暮らせば働かなくても衣食住無料!』という売り文句で集められた、大人しい羊とその子孫達だからだ。

主人公も、どこか枯れている、諦めている。
それなのにロマンチストで。
世界の空虚さを知っているけれど、それでも希望を探しているような男。


そんな主人公が、泣くシーンが私は忘れられない。
時が過ぎて、年をとって、気がつけば孫に囲まれた賑やかな暮らしをしていて。
自分はおじいちゃんで、恋した女も年老いている。

それでもそんなこと関係なしに、どんなに遠く隔たれた場所にいても、今でもお前に会いたい、と泣く。
彼にとって彼女は妹で、恋人で、妻で、ただ一人の運命だった。

世界が終わっても、ヒーローになれなくても、ハーレムが無くっても。
あなたと私がいれば、物語は始まって終わる。


世界が終わった後も、ただ運命だけを探し続けている。
そしてその想いは、時を超えて受け継がれていく。

それは江南光則が書いた、新しい終末SFの答えなんじゃないかと思う。
「我もまたアルカディアにあり」、私の好きな終末SFベスト10に入れたいほど、印象深い作品です。

そしてアルカディアから2年。江波先生新刊待ってますからね!
血ヘド吐くほど待ってます…!

 

我もまたアルカディアにあり (ハヤカワ文庫JA)

我もまたアルカディアにあり (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

…と書こうと思ったら3月に出てるの今みつけたーーー!即買い。
教えてよねAmazon!あーでもこの記事書いて良かった…(自己満で終わるっ)

 

屈折する星屑 (ハヤカワ文庫JA)

屈折する星屑 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

人はなぜ飲みすぎるのか

こんにちは、頭が痛いです。
こんな日は哲学的な気分になりますよね?


なぜ人は飲むのか?
なぜ適当なところで止められないのか?
そしてなぜ、翌朝の後悔を時と共に忘れてしまうのか…?
そんな時思うのです。
私は酒と忘却を愛でるために生まれてきたのだ、と…

うっせえ酔っ払い。


この記事を書いているのは飲み会翌日の昼休み。
絶賛、二日酔いナウです。

水曜日、ノー残業デーの飲み会って危険ですよね。
明日も仕事だからほどほどにしないとなー、と思いつつ飲むお酒はなぜあんなに進んでしまうんでしょう。
しかしわぁい、金曜日ーー!と思いながら飲むお酒も進んでしまう…
ただのノンべじゃねーかバカヤロー。

 

ハウスウェルネス ウコンの力 ウコンエキスドリンク 100mlボトル缶×30本


でも二日酔いは久しぶりなのです。
ずっと二日酔い防止に、飲む前後にウコンを飲んでいたので。
ところが「ウコンは実は気休め」と言う悲しい記事を読んでしまい、今日は初めてのノーウコン飲み会、そして久々の二日酔い。

…どういう原理なのかは分かりませんが(プラセボ効果?)、私にはウコンが効くようです。気休めでもいい、今後もウコン買おう、と思いました。


さてさて、実は本日の議題は酔っ払いでもウコンでもありません。
酔っ払いの戯言をどう華麗に受け流すか、です。

何の話だったかは忘れたのですが、ナニカで課長に褒められたのです。
褒められた、までは良い。嬉しい。

でもそこから「俺もこういう人と一緒になればよかったなぁ」の流れはなぜなのか。
リップサービスなのは分かるのですが、全力で嬉しくないので困るのです。

イヤイヤ、タハハ…とごまかしておいたのに、さらに追い打ちが。

「生まれ変わったら一緒になろうね♡」
いやっ!無理っ!さすがに背筋がっ!


「いやっ、ないですないです!無理無理無理っ!生まれ変わっても旦那と一緒ですからっ!」とがっつり全力で振り払ってしまいました。


無理無理無理無理無理無理ィ!を連呼してしまい、「全否定だ…」と凹む課長にみんながウケていたから、まぁいいのですが。
課長はいつも存在を全否定されがちなキャラなので(?)、あくまでもネタなのだと思います。

 

しかし「生まれ変わったら一緒になろうね」ほどリアクションに困る言葉はないですね。

「ハイっ!無理っ!」で切り捨てやすい人ならいいのですが、ガチだったらどうしよう。来世など無いのです、とスピリチュアル全否定?
それとも「うわー…」(苦虫顔)と本気でドン引きしてみる?

えっ?「約束だぞ♡」って小指差し出して笑え?
そのくらいの気遣いがないからおまえらモテないんだよ、って?

…ごめんな。そのリアクションはたとえキャバでもボトル入れないと無理なんじゃね?職場の飲み会はキャバクラではないのですよゴゴゴゴゴゴ。

さて、そういうわけで正しいリアクションは未だ分かりません。
しかし、リアクションに困るようなネタを振ってくる課長の甘えをもう一度問いただしたいので、次回は『総務提出用・これってセクハラ?チェックシート』を飲み会に持参し、その場で書き始める、と言う辛口対応で受け流したいと思います。


あとこの飲み会の前に「『無理、イヤ、嫌い』という否定的な言葉はあまり使いたくない…私人を傷つけたくないのテツロー…」みたいなメーテルっぽいコメントを書いていたのですが、すいません現実は「無理」連呼祭りでした。私は他人様を金属バットでフルスイングするタイプでした。

どこへ向けて、何の釈明なんだかよく分かりませんが、とりあえず今日の酔っ払いはこんな感じです。

 

PS・家に帰って旦那に「課長に生まれ変わったら一緒になろうね、って言われたけど私たちは来世でも仲良し夫婦だもんねー!」とふったら「えっ?無理」とゲームしながら言われました。
えっ…えっ…?

…今後の夫婦関係の修復のために、ホワイトボードを購入したいと思います。

 

 

赤い服も素敵

私の職場の50代女性たちが、いつもオシャレでとっても素敵なのである。
背筋がぴんと伸びていて、シャキシャキ早足で歩く。

パンツにシャツという、動きやすいベーシックなファッションだけど羽織っているカーディガンがみんな素敵。
カナリヤイエロー、エメラルドグリーン、コーラルピンク!
ダークトーンが多い職場なので、いっきに華やかになる。


きれいな色の服は見ていて楽しい、明るい気分になる。
みんなで同じ形のカーディガンを着ていたから聞いてみたら、1人がキレイ色を着ていたのをみてステキ素敵、私もワタシも…と気がついたら週明けにはみんな違う色のカーディガンで決めていたらしい。


戦隊モノみたいよね、と照れ臭そうに笑っていたけど、本当に素敵なビューティーレンジャーだった。

仕事だから…とつい無難色、ベーシックな色ばかり選んでしまっていた私、かなり反省。
綺麗色は若作りになりすぎない?と思っていたけれど実際に着ている人を見ると綺麗だし可愛いし、こちらの気分まで華やかになってくる。


いいよねいいよね…と物欲を刺激された私、違う買い物のついでに思い切ってキレイ色カーデを買ってみた。
失敗してもいいように、かなりのプチプラアイテムで(1790円)。

 

zozo.jp


私はパーソナルカラー診断だとオータムで、差し色によくダークレッドやカラシ色を着ている。ピンクは少し勇気が出なかったけれど、朱色がかったトマトレッドならいけるかも…と買ったのだけれど。

届いて最初に思ったこと。
すっげぇ赤い。


私の顔が出川哲朗になりました。
ヤバイヨヤバイヨ、アカイヨアカイヨー!


ところが着る前は出川哲だったのに、実際に袖を通してみると結構いい。
カーデだから、間に白シャツとかを挟むと強い印象も少しは薄まる。

 

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実際のコーデはこんな感じ。
今回は白Tとカーキガウチョでラフに。一回洗ったけど(ドライモード、ネット使用)型崩れはしなかったです。値段相応の薄さだけど形はキレイなので、夏にはいいと思います!


このカーデを着た日は、トイレに行って鏡を見るたび気分がよかった。
服の色が明るいと気分も上がるのね。


着こなしを考えると、悩まなくていいベーシック最強!になるのだけれど、週に1回くらいはキレイな色で気持ちを上げるのもいいかもいいかも。


40代50代、くすんでくる私たちは『幸せそうに見える色』を足すといいんじゃないか、と思ったり。


50代からのカラフルカーディガン、みんないいな!と思ったらしく、5月はそれぞれ自分らしいキレイ色のカーディガンが大ブームです。


ちょうどクールビズの季節なので、男性でもいける。
若手男子がロイヤルブルーのカーディガンに白シャツを合わせたコーデ、王子様…!と大評判でした。


そんなわけで、おのにちの初夏の職場はまるでベネトンのCMのよう。

とってもカラフル!なのであります。

 

 

2017年に読む『すべての男は消耗品である』

前にも書いたけれど、kindleアンリミテッドサービスを利用している。
最近借りたのが「すべての男は消耗品である」完全版。
1984年8月~2013年9月の30年間分のエッセイ全349編が収録されている。
とにかく厚い。目次を読むだけでも大変なボリュームである。
毎晩寝る前に少しずつ、懐かしい気分で読んでいる。

 

すべての男は消耗品である。VOL.1?VOL.13: 1984年8月?2013年9月 連載30周年記念・完全版

すべての男は消耗品である。VOL.1?VOL.13: 1984年8月?2013年9月 連載30周年記念・完全版

 

 


連載当時は鼻につく部分もあったのだが(今も多少)、そんな部分も時代の空気、と楽しんで読める。

時折古くなった時事ネタもあるのだが、基本は男女に関する話ばかり。
バブリーな匂いは否めませんが、普遍的な事は色あせないのだなぁ、と思った。

 

そういえば最近読んだオモコロのセクシー島田さんのブログも昔の話なのに面白かった。「メシを残すことで有名な西田」という奇妙なタイトル。

エビグラタン | メシを残すことで有名な西田

職場の後輩がいつも昼食を残す、その残飯写真に短い文章を添える。
ただそれだけの話がひたすら記録されていて、何故か面白い。

いつも2人は連れ立ってご飯に行って、たわいない話をして盛り上がって、テーブルには後輩が残したご飯がたたずんでいるんだろう。
そんな日々の当たり前の愛情が感じられるような気がして、いいなぁ、と次々に日記をめくってしまった。

…本当に毎日残しているので、先輩の店のセレクトが悪いのでは、と少し思ってしまったが(笑)


ご飯を残す、って許せない人にとっては神をも殺す大罪なんだと思う。
お米には神様がいて、アフリカには飢えた子どもがいる。
わかってます、ホントに大罪です、後ろめたいです。

でもでも最近、少食にみせたい、とかそういうことじゃなくてホントに物理的に入らなくなってきた。吐くから。何なら吐くから。

最近のお店、デカ盛り多すぎじゃないですか?
ご飯少なめとかお願いはするけれど、それでも時々どうしてもギブアップ、の時がある。

家族と一緒の時は食べる前に多そうなおかずを分けておく、などの裏技が使えるのだが職場の人と一緒の時はさすがに「食べてくれませんか?」とは言い難い。
ブログで西田くんが微妙に残したご飯を見ていると「そういう日もあるよね、うんうん」と自分の後ろめたさが少しだけ払拭されるような気がする。

 

…ちょっと話が飛ぶのだが、昔蓮舫そっくり(美人だけど言葉が強い)な他社の人と昼食を一緒にする機会があった。
テーブルに前の客の残したごはんが置かれているのを見たその人は「私食事残す人嫌いなんですよねー!」と言い放つ。

ピンチ!を感じ取った私は1番量の少なそうなラーメンを注文。
数分後、彼女の頼んだ唐揚げ定食が届いて驚愕。
唐揚げもご飯も、飯盛山のようなボリューム。
周囲を見て納得。若い男性ばかり。
土地勘のない私たち、お店選びを間違ってしまったのだ。

どうするレンホー…としばらく様子を伺っていたが、そのうち手が止まり唐揚げを親の敵のように睨み始めたレンホー。

「ここ、量が多すぎだよね…?」と助け船を出したらホッとした顔で「そうですよね!量が多すぎるんですよね!」と笑顔を見せてかわいかった。

がっつり残してたけど。

 

さてさて話がズレた。軌道修正する。

男女の話もごはんを残す話も、時が経っても変わらない普遍的な話だ。
検索には引っかからないかも知れないけど、いつ読んでも変わらずに気持ちが届くような話がネットに落ちてるっていいなぁ、私の話も書いたことを忘れた頃に誰かが読んでくれるといいなぁ、そんなことを思いました。

 

…自分がかつて書いた、賞味期限切れの時事ネタと内輪ネタに溢れ、大文字小文字が点在する読み難い記事をゲンナリと薄目で眺めながら、ですが。

過去記事修正しなくちゃなぁ…。

ダイエットは続くよいつまでも

チルドさんのダイエットをやめるぜ!みたいな記事を読んだ。
わかーるわかるよきみのきもち…。

 

cild.hatenablog.com

 

ダイエット中にも関わらずカツライスを食べてしまった私にはとても刺さる記事でした。ダイエットって終わらないのよね。

 f:id:yutoma233:20170518201712j:image

 

痩せた!と思っても、元の生活に戻れば元通り。
リバウンドしないためには、体重の変動のない健康的な生活をずっと続けていかなくちゃいけない。

自分をきちんと律することのできる、己にも他人にも厳しい人たちがコメント欄に集い、生活習慣ガー、なんて意識高いコメントを挙げられてましたが。

 

ふーんだ!うっせえ!早く老化して代謝落ちやがれ!(身勝手な呪い)

私だって車は遠くに止めて歩くとか、階段を使うとか、炭水化物を控えるとか、いろいろ改善はしてるつもりです。
でも、この生活なら現状維持できるな、ってペースを一度掴むじゃない?
そのペース、永遠じゃないんだわ!
35歳、40歳、45歳と、節目になるといろいろやばいから!

この生活で絶対オッケー!なんて存在しなくて、数年おきにアップデートしていかなくちゃいけないんだよ人体も。

世の中には本気でダイエットいらずの人も存在するんだとは思いますが。
50代で小学生の娘の服が着れる、という人にスタイル維持の秘訣を聞いたら特には何も、と。

でも好きな食べ物はにんじんスティック!
にんじんスティックなんかバーでしか食べたことねぇぞ!?

アイラブ角煮♡をアイラブにんじん♡に書き換えできれば、ダイエットは不要になる…と言う事なんだと思いますが。

そんな便利な意識改革ある?うさぎにアップデート!?


現在も、冬期間の運動不足でついてしまった脂肪と戦っている私。

朝はチアシード入れたプロテイン飲んで筋トレ。
昼はゆで卵、鶏胸、ブロッコリーのお弁当。時間がある日はお昼休みに15分ほど歩く。

晩御飯は8時までに済ませるように。
今日は糖質オフビールにスペアリブのオーブン焼き、もやし炒め、きゅうり漬けに納豆。お風呂の前にフラフープ20分ほど。

ダイエットと言いつつ夜はがっつり食べちゃうし、土日は出先でお昼食べちゃったり、週末はダラダラ飲みもしてます。
本当は夜こそ控えるべきべきべき。

分かってる!でも晩酌をしながら晩御飯を食べるのが私の楽しみなんですもの!
ビールは糖質オフの350ML1本だけにして、物足りない時は炭酸水飲んだり、ご飯は抜いて、おかずはがっつり食べるけど8時には食事を終え、テレビ見ながらダラダラ食べてた柿ピーはやめたり。

できる範囲で、のダイエットをやってます。
我慢しすぎて脳内が食べ物だけになっちゃうのも怖いし。
食べ物の夢を見ない程度に、と言うのが私のポリシーです。
自分に甘いかな…ううむ。


もう、いいお年頃。
痩せすぎてもシワが目立つので、華奢ボディーはさすがに夢みません。
でもいつまでも、フットワークの軽い快適なカラダでいたい。

私だって楽に生きたい、楽して生きたいです。
でも楽に生きる、には身体状況が快適である、と言う条件も含まれているわけで。
つまり楽して生きるにも「楽なカラダ」が必要なわけなんですよね。

階段が辛かったり、健康診断で引っかかるような体はあんまり楽じゃないから痩せなくちゃ。でもビール&揚げ物と言う快楽も時には追求したい。

そこらへんの程良い折り合いを模索しながら(たまに太った!とヨガファイヤーでトリ胸を貪りつつ)私にとって楽なダイエット生活を見つけたいものです。

そのためにはやっぱり…運動瞑想野菜なんですかね…。

 

断片の恋人

ブログ、と言う不思議な名前の人が書いた文章を読んだ。
増田みたいに個人的な文章が綴られた、小さな日記。

最初は映画の助監督、と言う変わった職業に惹きつけられて。
そのうち忙しい仕事の支えが恋人とか、すっぽかされたデートの話とか、かつての自分にも重なるような話が出てきて、ほろ苦い気分になった。

続きが読みたいです、と小さなメッセージを送ったけれど、私が惹きつけられたのは恋人たちの行く末ではなく切り取られた断片で。

だからこの話の続きを読むより、いつかこの人の撮った映画が見たいな、と思った。
映画館のスクリーンで、リビングのテレビで。

この人の感じた切なさや苦しさ、恋した人の横顔が、映画に解かされているといいな。そんなふうに思う。

たぶん私は気がつかないけれど、それでもいつか。

ブログ — 恋愛と映画

 

誰かの心が揺れ動いた話を読むと、私の心も揺り動かされる。
私には、書いた人の目に映る本当の情景はわからない。

でも遠い昔、忙しい日々の中で、好きな人とのデートを支えに頑張っていたあの頃を思い出した。すれ違ったり、ケンカしたことも。

涙の匂い、振り払った手の温度。
それはすべて、今隣にいる人との物語なのに、まだ悲しみの欠片は残っている。
物語はめでたしめでたしで終わるけれど、私たちの現実はずっと断片のままなのかもしれない。

そうやって、自分と重ねあわせることのできる物語が私は好きだ。
泣いた日笑った日、あの日のもどかしさがよみがえってくる。

辛い経験もいつかはあなたの糧になる、なんてどっかのメーカーみたいな事は言わない。辛い目にも、悲しい目にも、できるならば会いたくない。
それでも、思いがけない場所で人はつまずいてしまうものだから。

 

だからこそ、覚えておきたいと思うのだ。
夜の匂いを、世界の底の色を。

 

Kindleアンリミテッドで全巻読めるマンガ『テンプリズム』

Kindleアンリミテッド、スタート時は流行ったけど最近は記事を見ない。
私は休んだり、また加入したりを繰り返しながら実はそこそこ継続している。

ラインナップが定期的に入れ替わるので、読みたい本がなくなったらやめて、しばらくして読みたい本を見かけたら加入、と言う感じ。

月980円だけど、この間借りた「すべての男は消耗品である」全話(村上龍。懐かしい!)は1冊1,250円だから、読まない期間や忙しい時期は1ヵ月休む、を忘れなければ元を取るのは簡単だと思う。

 

すべての男は消耗品である。VOL.1?VOL.13: 1984年8月?2013年9月 連載30周年記念・完全版

すべての男は消耗品である。VOL.1?VOL.13: 1984年8月?2013年9月 連載30周年記念・完全版

 

 

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