おのにち

おのにちはいつかみたにっち

夏の日、君のつむじ

夏なので、今日は夏休みの思い出話を。

 

高校の夏休み、休み明けの文化祭の準備のために、クラスメイト達と一緒に高校近くの工場まで、木材を貰いに行ったことがある。

2m近くある長い木材を、二人で運んだ。
重量があるため、女子二人ではキツイ。自然と男女ペアの組み合わせになった。

私はたまたま最後尾、友達が好きだと言っている男の子との組み合わせになってしまったので、少し気まずかった。

学校まではそれなりに距離があり、横断歩道も通るので、前の列とは自然と距離が出来てしまう。

時刻は夕暮れ。
日中の暑さがまだ強く残っている。

だんだん雲が濃くなってきた…と思っていたら、突然叩きつけるような雨が降ってきた。

慌てて木陰へ逃げ込んだ。
高校へ続く道は、森の中にあったから、雨宿りの場所には困らなかった。
乾いて、熱くなっていたアスファルトが、雨に冷やされて白い湯気を上げる。
雨に濡れて勢いを取り戻した木々から、強い香りがした。

「あのさぁ!」

雨の音が凄くて、声がよく聞こえなかった。
突然呼ばれて、私は驚いて振り向く。

「もし良かったら、今度の祭り一緒に行かねぇ?」

ごめん、もう友達と約束してるから…と私は断った。

彼は友達が好きな男の子、という意識があり、距離を置きたかったのだ。
まだ自分と友達の、境界線が曖昧だったあの頃。
恋よりも友情の方が大切だった。

「まじかーー!つか、断るの早すぎない!?」

そんな風に冗談めかして言った彼は、その場でしゃがみ込み、あーあ、と少し項垂れた。

そうやって下を向いた頭の、つむじがなんだか可愛らしかった。
黒い髪が雨に濡れて、湿気のせいか少し立ち上がり、揺れていた。

私はなぜだか手を伸ばして、その髪をクシャクシャにしてやりたい、と思った。

そういうのは男子の願望だと思っていたけれど、私の中にもあるんだ、と少し驚いた。
愛おしさとか、慰めたいとか、色んなものが入り混じった感情。

木材で両手が塞がっていたから、結局何もしなかったけれど。
あの時手を伸ばしていたら、何かが変わったんだろうか?と時折考える。

そんな日は人生に無数にある。
彼の髪、前を歩く人の白いシャツの裾、隣にあった大きな手。

掴まなかったものたちが、私にもう一つの世界を想像させてくれる。
だからきっとそれでいいのだ。

伸ばさなかった手、躊躇った世界。
掴まなかったその先は、いまでも鬱蒼とした森の奥でキラキラと光っている。

 

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雨が止んで、やがて私達は歩き出した。

前を行く私に、彼は前後を交代しよう、と提案した。
理由の説明が無かったので訝しく思ったが、前を歩く彼のシャツを見て理解した。
雨でシャツが張り付いて、背中が透けてしまっている。

つまり、私の背中も。
見ないようにしてくれた優しさに、相当胸がときめいた。
なぜあの時恋に落ちなかったのか、本当に理解できない。

高校生にもなって、「友達の好きな人」は禁忌、という『星の瞳のシルエット』的価値観が捨てられなかったのだ。

でもあの頃の自分の頑なさ、純粋さが、今は割と愛おしい。

 

辺りには薄闇が迫っていた。
闇を含んで、雨に濡れて、蒼く光る木立の暴力的なまでの美しさ。

私は今でも、夜の手前の蒼い緑の色が好きだ。


それは昼の清々しさとも夜の危うさとも違う、境目の色だ。
硬質に光る夕闇の色。
夏の夕べには、時折あの夕立を思い出す。
蒼い光の中にいた、私たちのことを。

 

『考え方が変わった』と揶揄されるブログの特徴

山田ズーニーさんの『伝わる・揺さぶる!文章を書く』という本が好きで、時々読み返している。

文章の細かなテクニックより、他人と向き合う、人の心を動かすにはどうしたらいいのか?という基本的なコミュニケーションに重きを置いている一冊。

上手く人に寄り添うための心の在り方まで伝わってくるから、ストレスで心が凝り固まってしまった時にはピッタリなのである。

 

伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)

伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)

 

 

本の中に、こんな一節がある。
『お互い心のどっかに揺らぎみたいなものがないと議論にならないな』

これはズーニーさんの知人がメールで寄越した言葉だという。

とても良く分かる。
他者と議論する、というのは『絶対』を持たずに相手の言葉、社会や周りの状況に応じて自分の内面にもう一度問いかける、という事だ。

考えることを放棄して、自分が過去に得た『納得』にドカンと腰を下ろしてしまったら、心は揺らがない、議論にならない。
自分の絶対に固執する人とは、話し合いにならないのだ。

私はそういう人間だから、と思い込むのは簡単だ。
いつも時代に迎合しなくちゃいけない訳じゃない、新しいものに巻かれないようにするのも一つの生き方だ。

でも波が寄せるたびにもう一度、改めて自分の生き方を考えるのは大切な事だと思う。
寄せては返す波に誘われて、飛び込んでみようかな?やっぱりやめようかな…?
そうやって立ち止まったり、進もうとしたり、波に合わせて『揺らぐ』ことが人間らしさなんじゃないか、と私は思う。

絶対に自分は動かない!変わらない!とドーンと座り込んでしまえる人は、浜辺の石だ。
大きくて揺らがない石は、誰かの目印にも、心休める場所にもなってくれる頼もしい存在でもある。
でも、私はまだどっしりした石になれない。
確固たる信念…という自信がまだないのである。

できればもっと歩いていきたい。泳いで行きたい。
違う浜辺まで、遠くの島まで。

そうやって揺らぐことで自分の考えも変わっていく。
でもそれが成長なんじゃないか、樹木のように枝葉を伸ばすってことなんじゃないか。
私はもう少し『揺らぐ』私でいたい、今はそんな風に考えている。

 

『考え』が変わるのはいけないことなの?

 

『揺らぐ』自分でいると、語る言葉が変わったりもする。
最近少し炎上していたのは、はあちゅうさんのこんな記事。

 

lineblog.me

 

 売れ残り独身!と言われたはあちゅうさんが、そんな言葉に言い返す。
他者をモノ扱いするのは失礼だし、反論自体は正しいと思う。

しかし炎上の理由は彼女自身が4年前に『36歳以上で結婚していない男性は何かしらの問題が?』というタイトルだけでアレ?な記事を書いていた、という事実で。

 

am-our.com

なんか、なんか、なんか…だよね。
これは揺らぎの分かりやすい見本で、自分がその年を迎えたから考えも変わった、ってそれだけの話なんだけど。

あのね、未だに年齢で差別する人がいるけど、当たり前だけどあなたが今『恵まれている』と思う10代、20代だとしても、それには必ず終わりが来る訳で。

『あなた』の延長線上に、ババアもオッサンも老害もあるんですよ。
だから、人を年齢で区切ってしまったらいつか自分にブーメランが来る、って言うのは自明の理じゃないっすか。

私は揺らぎたいし、しなやかに変わって行く人は素敵だと思ってる。
でもなぜか、はあちゅうさんの変容には少しだけ『アレ?』って思ってしまう。

なんで、違和感を感じるのだろう?
成長と共に考え方が変わるのは当たり前のことのはずなのに。

 

考え方が変わった!と責められる人を見ていると、言い切り型の文章の弊害、みたいなものを感じます。

  

 

ちょうどはあちゅうさんがこんな言葉を呟いていて。
傷つく勇気…つまり叩かれてもいいから言いたい、強い言葉を書く、ってことですよね?

確かにそんな風な強い言葉に惹かれる人は多いと思います。
でも『傷つく勇気』のある人の強い言葉は、一方で誰かを傷つけて、ネガコメが帰ってくるほど強いから、勇気が必要な訳であって。

傷つく勇気を奮い立たせて書いた方はいいかも知れないけど、傷つけられた方はどうなの?って思ってしまいます…。

自分の主張を強く書く!そうしないと言いたい事は伝わらないし、反響も帰ってこない、って言うのがイケハヤ理論、そして一部の文章術のメソッドではあります。

私もそれに則って書いてしまった記事が幾つかあります。

例えばこんな記事。

 

yutoma233.hatenablog.com

 


内容自体は本当に私の思ったことだし、今もこんな風に考えています。
言い切りが強い分、反響も大きかった。

ただ異論反論を恐れすぎて、自分の考えは正しい!と固執しすぎて、自論自論自論!ばかりになってしまっているなぁ、と。

自分で書いてみて分かったことは、強すぎる言葉は自分が傷つけられることへの勇気なんじゃなく、己の『正しい正しい正しさ!』の理論武装なんじゃないかと。

今は少し考えが変わってきていて、もうちょっとふわっと緩く、他者に寄り添って書いた方がいいんじゃないのかなぁ、と思ってます。

その緩さに付け込まれたり、反響を得られないとしても、誰かを傷つけるよりはいいよね?

 

 

 黒でも白でもないことを、はあちゅうさんはクサしていましたが…。
とりあえず今の私はグレーで、灰色に書いて行きたいかなぁ。

別にはあちゅうさんやイケハヤさんに、恨みや妬みがある訳じゃありません。
ただ私の考えは違うよ、っていう、これは小さな議論です。

言い切らないで、灰色のままで書いて行きたいと願う私のスタンスは甘いっすかねぇ?
でも私は、そんな風な時代の波を確かに感じているのです…。

 

坂のある町が好き

孤独のグルメseason6、長崎飯店の話を見た。
渋谷の、長崎料理のお店。

長崎ちゃんぽん、皿うどん!
皿うどん、大好き。パリパリのカタ麺、お酢ドバドバ、辛子もたっぷり。
ただしアレはビール無しでは食べられない。
私にとって皿うどんは最高の酒のツマミなのだ。

分かりますよね?あのパリパリの、スナック感。ツマミよツマミ。

 

リンガーハット 長崎皿うどん 4食入り

リンガーハット 長崎皿うどん 4食入り

 

 


さて、私のツマミ感はさておき、長崎皿うどんを見ていたらかつて旅した長崎を思い出した。
一度しか行ったことがないけれど、いいよね長崎!
あの町の地形や景観大好き、夜景最高。

 

ずっと憧れていた軍艦島のある場所、と言う特別感をさっぴいても素敵な町だった。
もう一回行きたいです…。もちろん軍艦島も。

 

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長崎と夜景や街の形状が似ていて、こちらも素敵素敵!と思った街が函館。
夜景も建物も最高の町。
ご飯もめっちゃ美味しかったし。

 

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長崎、函館。
坂のある町に、私は弱いみたい。
実際暮らすには大変なのかも知れないけど、町の全てを見下ろせる感はいいよなぁ。


夏休みなので、今日は好きな場所の、旅の思い出話でした。
こんな風な夜景の見える町、やっぱ好きやなぁ。
他にもあったら、ぜひ教えてくださいね♡
それではまたー。

人が恋に落ちる瞬間を見た-売野機子『ルポルタージュ』

お久しぶりです、おのにちです。
来週締め切りの仕事が忙しくて、正直日々うわの空の昨今。

でもあんまりブログを休むと、書きかたを忘れそう…ってことで、今回は大好きだけどまだ感想が定まっていないマンガに感じたことをツラツラと。

まだ一巻しか出ていないけれど、なんかすごいぞ、これは『今』だぞ、リアルだぞ…って思わせてくれるマンガが、売野機子さんの『ルポルタージュ』であります。

 

ルポルタージュ (1) (バーズコミックス)

ルポルタージュ (1) (バーズコミックス)

 

 

簡単あらすじ

 

物語の舞台は近未来の日本。
テロが増え、治安は悪くなりつつある。
自由恋愛は既に終わりを告げ、誰もが『恋愛』にこだわらなくなった、そんな時代。

結婚はWEBで手軽にマッチング。
恋なんてしなくてもいい。恋愛を『飛ばして結婚』、という新しい価値観の訪れ。
恋愛へのプレッシャーは消え、少子化の歯止めも掛かる、恋愛が苦手な世代にも生きやすい時代がやってきた…、と、飛ばし婚推奨派、主人公の理茗はそう思っている。

なのに新世代『非恋愛コミュ』へのテロは起きた。
恋愛から疎外されていると感じる若者のための、恋愛を飛ばして価値観の合う相手を探すためのシェアハウスを襲った、無差別テロ事件。

犯人はなぜ彼らを襲ったのか?そして命を落とした被害者たちに、家族や友人は何を思うのか?

事件を調べる記者、絵野沢理茗は、ルポルタージュを書くうちに取材対象との恋に落ちた先輩、聖のことが気になってたまらない。


恋を知らない理茗が願うのは、価値観の合う相手と長く続く幸せな家庭を築くこと。
恋なんてめんどくさい、それが今時の価値観。
でも憧れの先輩、聖が恋に落ちる瞬間を見た理茗の心は揺れる。


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お互いのことをよく知らないのに、なぜ人を好きだなんて言えるのだろう?
恋なんて、億劫じゃないの?

理茗にはまだ、恋が分からない。
それが必要なのか、不要なのかさえ。

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 恋とは目線に宿るもの

 

 物語はまだ序盤、ストーリーはまだまだこれから…なのにこの作品に惹きつけられてしまうのは、恋に落ちるヒロイン聖、それから相手役、葉の目線にあります。

少し重たい瞼で、可愛らしい語り手、理茗に比べれば地味にも見える聖の造形。
でもそんな聖が、葉にはどうしようもなく輝いて見える、目が離せなくなる。
聖にとっての葉も同じ。彼の髪に触れてみたい、手を伸ばしたい。

マンガから恋の始まりの気配が伝わってきてドキドキします。


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その一方で、理茗の願う『合理的な結婚』も現代らしさなんじゃないか、と思ったり。2033年の近未来を描くこの漫画は、正に今の私達、今の時代の行く先を描いているのです。

恋愛が苦手で、独身男女の恋愛未経験者が70%という近未来。恋愛を飛ばして条件の合う相手と結婚することで、穏やかな関係が築ける、少子化問題も解決する。

昔ながらの見合い結婚、みたいな感じでしょうか?
確かに見合いが当たり前の時代は、ほとんどの人が結婚していたので、少子化対策としては有効な気はしますが…。

 

でもそんな安定志向をぶち壊すような聖と葉の目線がスゴイ。
これから二人はどうなっていくのか?
理茗は『恋』をどう思うようになるのか?
そして犯人の思惑は?

今一番続きが気になるマンガです。
なお、コミックスの続きは掲載誌コミックバーズで!
kindle読み放題対象なので、かなりお得だと思っております…。

 

コミックバーズ 2017年08月号 [雑誌] (バーズコミックス)

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  • 作者: 青野春秋,船戸明里,天乃咲哉,草野紅壱,冬目景,榎本ナリコ,天堂きりん,斎藤岬,水谷フーカ,杉崎ゆきる,いけだたかし,雪子,売野機子,杉作,美川べるの,久住昌之,魚乃目三太,逢坂八代,つばな,くるねこ大和,月子,森博嗣,スズキユカ,石川チカ,木々,Rootport,三ツ矢彰
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎コミックス
  • 発売日: 2017/07/10
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ルポルタージュ (1) (バーズコミックス)

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方言とマイノリティー

方言をいじる事はイジメでは無いのか、とelveさんが記事で問いかけていた。
いろいろ考えさせられたので、今日は方言とマイノリティーについて、私なりに考えたことを書いてみたいと思う。

elve.hateblo.jp

 

絶滅する方言


elveさんは自分が嫌な思いをした経験として、北海道訛りがいじられる話を書いていた。

No.1291 方言のこと - ダメシ添加大戦


elveさんの場合いじるのは同居人だけど、同じように東京の大学や職場で訛りをいじられるのが不快で標準語に直した、と言う人は多いと思う。

私の場合は逆で、会津の田舎に引っ越したら訛っていない、という理由で苛められた。
ただあの頃のイジメも、イジメと捉えているのは私だけで、周りはただいじっているだけ、という認識だったのかも知れない。

でも大多数から『お前は違う、お前はおかしい』と言われるのはやっぱりキツイ。
東京に行った地方出身者が次第に方言を忘れるのは、違う言葉で話すと浮く、恥ずかしい…と言った思いがあるからなのかも知れない。
そしてそれは周りからの『イジリ』が多分に影響しているんだろうな、と。

実は最近の会津の子どもはあまり訛っていない。
他の地方の子もそうなんじゃないか、と思う。
核家族化が進み方言で話す年寄りと接する機会が減り、TVやYouTubeから影響を受けて話す子ども達は会津弁を理解できない。
学校の授業も標準語だし、職場でも公の場は標準語、という認識を持つ人が増えてきた。

多分会津弁も、他の地方の方言も、そのうち死滅してしまう言葉なんじゃないか、と私は危機感を抱いている。

みんなが標準語になれば、訛りをいじる、いじられるなんて不快な事はなくなる。
でも本当にそれでいいのか。世界は画一化しないとダメなのか?

 

『私』はどこに属しているの?


初めて会ったとき、カンドーさんは私を少し訛っていると言った。
しかし実は私は中学から会津在住なので、生まれも育ちも会津の友人からは発音が少し違う、あなたは会津弁ネイティブではない、と言われている。

はてさて、私はどこに属したらいいのか。
東京とも、会津ともちょっと違うのかもしれない私の発音。
東京で育ち、北海道に移り住んだ時も言葉が違うと言われた。
どこででも、少し違う私。

でも、誰だってマイノリティになる可能性はあると思うのだ。
生まれた町に住み、生まれた町で死ねる人は今や希少だ。

たとえ標準語でも、バリバリの地方に行けばおかしいと言われることもある。
世界が変われば、私やあなたの『当たり前』は『おかしい』になる。
でもそれは本当に『オカシイ』の?
周囲が世界の多様性を知らないだけの話じゃないの?

そもそも違う事はダメなのか?
「違う」「オカシイ」って言葉は世界が均一であるように、矯正されてるみたいで少し気持ち悪い。

小学校では持ち物や服装が他の子と違うとイジメに繋がりやすいから気を付けろ、とよく言われる。周りと違うモノをあげつらいたくなる、排除したくなるのは人間の本能なのかも知れない。

でも小学生ならともかく、排除されて大人になった、人と違うことの痛みを知る私たちがいつまでも『自分と違う誰か』をあげつらうのはそれこそオカシイと思う。

修正できる言葉ならまだいい、その人の生き方や暮らし方にまで違う違うあなたは違う、とダメだしせずには居られない人には目を伏せたくなる。

清潔で、真面目で、身の程にあった、きちんとした暮らし方が正しいとは私も思う。
でも今日は忙しいからブロッコリー丸ごと一本ドーンよ!みたいなレミりたい日も時にはあるじゃん。丸ごと茹でるほうが大変なのは分かってるけど、あくまで例えとして。

ダメダメダメ、こんなんダメ―!ってきっちりきっぱり正しさだけで区切ってしまうと自分の逃げ道も失ってしまう気がする。
誰かに迷惑を掛けたり、間違ったやり方を布教しようとしてる人を諫めるのは必要だと思う。
でも私はこんな暮らし方をしています、と書くだけでも周りが寄ってきて『正しさ』を布教していくのはなんか違う。

世界ってこんなに一本道だった?
自分の正しさを押しつける人は、昔ながらのRPGをやっているのかも知れない。
誰もが敵を倒さなくてもいいじゃん。
世界の終りまで、道草を食う放浪者でいるのもゲームの楽しみ方だよね。

だから私はハルオサンが広告を貼らないのもそういう生き方なんだ、と思います。
そりゃあれだけのPVがあるブログ、貼ればウッハウッハでしょうけど。
ここでは稼がない、っていう選択肢を選ぶのは自由だよね。

だいだい自分だけのこだわりやプライドが無ければ、毎回こんなにクソ長い文章書き綴ってらんないっすわ。

 

カンドーさんに思うこと

さて、そんな訳で。
私は方言や生活、人の個性も含めて『違う』ってあげつらうことはあんまり好きじゃありません。

でもカンドーさんはなんか違うんだよな。
それは友達補正だけじゃなくて、彼女は私を通じて会津弁に興味を持ってくれて、色々調べてわざわざ書いてくれてるじゃない?
まぁ、ニワカだけどさ。色々間違ってるけどさ。
明日会津に来てください、本当の会津弁をお見せしますよ、だけどさ。

たとえイジリでも、阻害するんではなく興味を持って一歩踏み込んでくれる人は無下にできないよ。

あと、elveさんもカンドーさんも主語が間違ってるから。
オマエラ目の付け所おかしいだろ?

会津弁であえがされることが問題じゃない、会津弁であえがされることが問題だろうが!方言イジリの前に、セクハラを問題にしろよ!

大体なんで私はカンドーのドリームエロ小説にレギュラー出演しているのだ。
斧は二次元キャラか。同人誌かよ。三日目の東館でやれよ!

それからはてなの奴らは私に言及しすぎなんだよ。そんなに使い勝手が良いのか。
いい加減使用料取るぞ。オマエラいつか会ったときに、ビール一杯奢ってよね!(カンドーは三杯な)

そんな訳で、私たちはみんなどこかヘン。
だから違うことをいちいちあげつらうのは失礼。

でも気になることを見て見ぬフリをする、突っ込まないのも失礼な時もあるのでは?と思うから人間関係って難しいよね。


とりあえず私はelveさんが初めてのスカイプで下着姿だったことを一生忘れないし、定期的に突っ込むと思うわ…いや、お尻可愛いからいいんだけど。
この場合の可愛いはelveさんにとって侮辱?許せるライン?
判定求む!

 

 

歌合戦、参戦します!

この記事を読んで、『会津弁ひまわりの約束』に呼ばれた気がしたのでノリで歌ってみました(いいかげんこのノリの良さをなんとかしたい40歳)。

 

www.kandosaori.com

 

カラオケボックス行くの面倒だったので、自宅パソコンに入ってたボイスレコーダーアプリにアカペラで録音、サウンドクラウドにはじめてアップしました。
これで多分聞けるはず。あっ、素人のカラオケだからごにょごにょごにょごにょ言うの禁止な!音痴!?うっせえばーかばーかばーか!(言われる前に言い返しておくスタンス)

では、チルド先生の参戦お待ちしてます!
もちろん他の方も大歓迎です!みんなでひまわり女子になりましょう♪

 

soundcloud.com

 

歌詞:

どうして君が泣くのまだ僕も泣いていないのに

(著作権上一部省略)

ガラクタだったはずの今日が二人なら宝物になる

ソバの花くさいよ!?

きみのためにニシン炊くよ 魚は貴重

イカ人参作るときは笑っていてほしくて

姫さゆりのような真っすぐなその優しさも花粉落ちない…

守ってあげたい君のことだから

こづゆある幸せに気づいたから

 

一番心を込めた部分は「ソバの花くさいよ!?」です。会津のリアル…。

『誰にでも分け隔てなく』は難しい

チルド某氏がひまわりのような女の子なんて存在しないよ、といじけてらっしゃった。

 

cild.hatenablog.com

 

ただブコメにもあったように、ひまわりは全方向ではなく光がさす方へ、その顔を向けて咲く花である。
だからひまわりのような女の子は、その優しさや温もりを自分の大切な、太陽のような人にだけ向けるのではないだろうか?

もし本当にチルドさんの周りにはドクダミのような女の子しかいないと言うのなら、それってつまり彼が日陰…

 

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さっ、話題を変えよう(ひまわりのような優しさ)。

よく人によって態度を変える奴は最悪だ、なんて言う人がいる。
例えばそれが誰もが同じサービスを受けられるはずの場所なら、その通りだと私も思う。

公共の場所なら、1週間風呂に入っていない人でも、きれいでいい匂いのする人でも、同じ料金を支払えば同じサービスを受けられるのが当たり前の権利である。
だけどそれはあくまでも「公」の話。
「私」はどうなのか?

私の職場には、稀にお風呂に一週間入っていないような方がいらっしゃる。

冬はさほど気にならないのだが、夏場はさすがに近づいてくる気配でわかる位臭う。
でも仕事なので、臭いは顔に出せない、出さない。

目がチカチカしたり、鼻がしばらく効かなくなるような時もあるがもう慣れた。
ただこれはあくまでも「仕事だから出来ること」だ。
(なお、麻痺鼻にはハッカ油を染み込ませたハンカチが効く)

 

北見ハッカ通商 ハッカ油ビン 10ml スプレー

北見ハッカ通商 ハッカ油ビン 10ml スプレー

 

 


だから、そういう方に「ここはみんな優しいなー!バスで俺が隣に座った若い姉ちゃんなんて露骨に臭い顔して降りてったぞ!全く、今時の若いモンは…」なんて言われるとさすがにモヤッとする。

他人の臭いを顔に出さないのは、道徳の時間に習う基本的なマナーではある。
でも毎日お風呂に入ったり、自分の臭いを気にするのも同じく道徳で習う基本的なマナーのはず。

お風呂に入らない、というのは病と結びついている場合が多いので、必ず入れ!入らない奴はクソ、なんて言えない。

でも自分が他人に臭いと思われていることが分かるなら(多分本当に自分が激臭である、ってことはマヒしちゃって気がつかないんだろうけど)避けられても仕方ないと思って欲しいなぁ…とは思った。

 

それから男友達と女友達の扱いも難しい。
若い頃の話になるけれど、友達だから…と男性に女友達と同じレベルで親切にしていると告白されてしまい、断ったら縁が切れるパターンが多かった。

ずっと友達で居たい人には女友達とは違う、一線を引いた付き合い方をしないといけないのだなぁ、と悟った若かりし日。

誰にでも、分け隔てなく優しく…はプライベートでは難しいんじゃないのかなぁ、と思いましたとさ。

なお、誰にでもひまわりのような優しさの女の子、私はエホ◯か創◯学会には居るんじゃないのかな、と思います。
なのでチルド氏の体験レビュー、待ってます♡(はてなブログにひまわりなど咲かぬ)

 

ではでは、今日は取り急ぎこんな感じでー。

最近Twitterやマストドンで冷たい、と言われてるようですが7月は本気で仕事忙しいのですいませんー!8月になったら遊んでください。
なおこれはツンではないのですよ…だからデレもねぇ!以上!

 

おまけ:ひまわり女子の歌ってみた動画はこちら。