おのにち

おのにちはいつかみたにっち

炎上王の住める場所

 宮田レイシープさんが心地よく燃えていた。

www.goodbyebluethursday.com

 

よく燃える人に突っ込んでいったらこっちも燃えた、的な。
延焼・キャンプファイヤー。

私は『さようなら、憂鬱な木曜日』が好きだ。
ブログ名がいいし、好きな本も被るし、記事も読みやすい。何よりアイコンが羊男だ。

ただし明確なデータの含まれない、宮田さんが思った普通の話は割と炎上しがち。
宮田さんは時折、自分の言葉じゃなく誰かの皮を被ってしまう。
はあちゅうのファンだったらどう思うか、とか。これはあんまり頂けない。

かわいそうな架空の誰かのスキンを借りて語るのは、アフリカの子どもたちがかわいそう理論と一緒だ。 飢えて死ぬ子どもの本当の気持ちを私は知らない。
本当には分からない他者の気持ちを、便利な記号みたいに借りて相手を責めるのは不誠実なことじゃないだろうか?

 

ただ私も怒りに我を忘れているときは「安西先生、勝ちたいです」みたいな感じで反則スレスレの手を使うのであんまり人のこと言えない。
正論で逃げ道を塞ぐとか、情に訴えるとか。

いつもより丁寧な言葉で、本気で泣かせにかかったらそれは勝ちたい合図です。
ごめんよイケハヤ。

早く口喧嘩で圧勝したい欲を無くしたい。 負けてこそ真の勝利、みたいな。
非暴力で美女と添い寝するガンジー、みたいな。

 

ゴメン、やっぱあと10年待って…。まだ勝ちたい…。

 

私は宮田さんが狙って炎上していたならいいな、と思う。
頭のいい人だと思うから、逆鱗に触れるならココ、とかちゃんと計算ずくで、ムスカみたいに悪い顔してほくそ笑んで書いていて欲しいと思う。

だってもしも素で、自分の思うことが正義だと思って、書きたいから書いただけで、己の正義を主張するために架空のはあちゅうファン予備軍を引っ張り出して来たんだとしたら。そして何を主張しても毎回どこかずれていて、誰からも同意を得られないのだとしたら。

それはとっても、いたたまれないんだもの。

 

天然素材の炎上王

 

素で炎上する人なんかいない、とよく言われる。
何を言われたら人が怒るかなんて、推察できるでしょう?と。
だから炎上マンは全部仕込みで、踊らされる側が悪いんだ、と。

でも私は素で、自分の怒りを正直に書いただけなのに毎回炎上してしまう人を一人知っています。もちろん怒りは怒りを呼び込みやすいんだけど、それにしたって。

実生活でも生きづらさを抱えている人で、真面目すぎたり正しすぎたりするのだと思う。

ネットだけじゃない、現実世界でも、思うことがみんなとズレている、自分の正義が通用しない人は多いと思う。

 

でも、それは悪い事なのかな。
確かに周りとズレている事を強く主張したなら、反論が相次ぐのは当たり前の事だと思う。
けれどもそれは絶対に修正しなきゃ、周りに合わせなくちゃいけないことなのかな。

子どもを育てていて思うのは、生まれつきの性質って奴は絶対にある、ということだ。たとえ親の思うようにならなくても、折り合う地点を探さなくちゃいけない。
そこを無理やり『世間の正しさ』に合わせてしまったら、心が壊れてしまうと思うから。

鬱になる人が真面目だ、と言われるのはそういうことなんだろうと思います。
真面目で硬質な人なのに、自分の思う『普通』は否定されまくりで、周りに馴染むためには心をひん曲げなくちゃいけないんだとしたら。それは、病むよね。

 

私の知っている炎上王は自分の性質を理解して、主張系の記事をやめました。
それからブログも辞めて、今度は創作を始めました。
すごくいいことだと、私は思いました。

だって創作なら、誰も傷つけずに自分の思うことを表現できる。
その人はちょっと周りとは違うのかも知れない。

でも私は、その人のマンガが好きでした。
少しづつ描かれる物語の続きを、とても楽しみにしていました。

 

…でもね。
定期的に炎上している奴には何を言ってもいい、みたいなことを言う人がいるんです。
芸能人は叩かれて当たり前、みたいな。

けれどそれは叩かれる側が自分のモヤモヤを収めるために使う言葉で、叩く側の方便じゃないよね?

それなのにかつて炎上したことのある、そして人気があって、病んでいた事など自分の弱点を正直に晒す人にはいつまでも黒い蛇がつきまとって、心を絞めつけていきます。
炎上系の記事をやめても、表舞台から姿を消しても、ずっとずっと。

 

傍から見ている私には、炎上王も蛇も、よく似ているように見えました。
同じ苦しみを抱えているように見えました。

けれども王には支えてくれる家族や子どもがいたし、応援してくれるファンもいた。
蛇が王を絞めつけるのは、自分と同じ立場なのに、お前ばかりがもてはやされるのは不公平だ、という行き場のない憎しみのように見えました。

でもそれは、相手にぶつけてもどうしようもない事だよね。
自分の心の中で解決しなきゃいけない事だよね。

蛇がじっと相手を見張って恨みを抱いている間にも、王はコツコツと自分の物語を紡いでいたんですから。

いつか王を絞め殺せたら、目につく相手がいなくなって蛇はスッキリするのでしょうか?けれどもすぐに第二第三の王が現れる。

蛇が王に勝つためには、自分の言葉で、もしくは現実世界で王よりも幸せになるしかないんです。王様も蛇もどっちも不幸せ。そんな争いは哀しいし、不毛すぎます。

 

 

炎上王の物語の続きはいつ読めるのかな、なんて考えていたら炎上が物悲しく思えてきました。燃やすことは悪なんでしょう。テロリスト扱いされても文句は言えないのでしょう。

でも、本当に燃やそうと思って書いた訳じゃなかったとしたら?
自分の正直な気持ちが世界から受け入れられないのだとしたら?
心折れやすい炎上王が、素直に自分の気持ちを書ける場所はどこにあるのかな。

炎上王の居場所も、この世のどこかには残しておいて欲しいと思うのです。

だから頑張れ、宮田レイシ―プさん、そしてチルド氏!
本日は以上です。

 

恋からは100マイル

同じ課の女の子が、今年からなんだかキラッキラ輝いている。
まばゆいまぶしい目がくらむ。

元々素材は良いのに、と周りから言われていた子だった。
かわいらしい顔立ちを隠すメガネ、前髪長めの黒髪、事務員のコスプレみたいな私服。

でも仕事はきっちりしていたし、服装も20代にしては地味だけど白シャツ紺ニットグレーのスカートと、職場では何の申し分もない服装だった。
周りの若者が華やかだったから浮いてしまっているだけのこと。

仕事着なんかより趣味にお金を掛けたいという人は多いと思う。昔の私もそうだった。職場のマナーさえ守っていればそれで別にいいよねぇ、と思っていたけれど…けれども。

 

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唐突に訪れた変化はやっぱり素敵なものだった。

コンタクト、華やかになったメイク、細身だから似合うふわっふわのモヘアニット。
髪型服装メイクだけで、人の印象はこんなに変わるものなのか、と改めて驚かされた。

20代半ば、変化が映える時期なのかも知れない。
大人になるとなかなか変わらない、変えられなくなってしまいがちなので、こんな風に真っすぐ素敵へと進んでいける彼女がまばゆくて、目が眩む―!とゴロンゴロン身悶えしたくなった。

 

さて、まばゆい女子の変化理由は上のフロアの男子と付き合いだしたからだ、と噂になっている。もうイイ大人なので人の恋路をひやかしたりはしないけれど、好きな人が出来て綺麗になる、なんて白すぎてフワフワしていて、「甘ーい!」とやっぱり身悶えしたくなってしまう。

恋に落ちているうら若い女子と言うものは、なんだかフワフワ空を飛んでいるみたいで、私と同じ内臓が詰まっているとは思えない。メレンゲとか、なんだか柔らかくて淡いもので構成されているような気がする。
今の私は紅しょうがにハマっているので、内部が毒々しく赤い気がする。
人体の構成すら違うと思わせる恋、恐るべし。

 

まばゆい女子を見ているのはとても楽しい。
でも自分が恋に落ちたい、とは思えない。

既婚歴17年、愛はあるけどときめきはない…かも知れない。
でも安定と信頼はある、はず。

恋に落ちたばかりのときめきは確かに楽しいけれど、両想いにたどり着くまでの苦しさとか不安感はもういいかな、と思ってしまう。

恋とは一時的な精神病である、みたいなことを誰かが言ってなかったっけ。
片思いの頃の苦しさは震災とか、大事な人を亡くした時に感じる不安に似てるんだよな。先の見えない、けれども進まなくてはいけない真っ暗闇。

それを思うともう一回最初から構築する体力気力が湧いてこない。
配偶者を亡くして、もう一回婚活に挑む人を見ると敬意を抱く。
子育てが終わったら、そういう気持ちになれるものなのでしょうか?

とりあえず今はめんどくさいから長生きしてくれよな、としか思えない。
根拠なく私の方が生き延びそうなので。

 

ドキドキ、ふわっふわの恋からは遠い所まで歩いてきてしまった。
でも今の私には片思いに意識を失えないほど大事なもの、守りたい場所があるってことなのでしょう。夢に溢れた浮島はないけど、どっしりとした領地はある。

そう思うと、なかなか幸せなのかも…と自画自賛。

しかーし、恋が人を変えるチカラとは、熱量に換算するとどのくらいなんでしょう?
恋に落ちたら痩せられるかな?

絶賛ダイエット中の私、痩せられるなら片思いの苦しさもちょっとはいいかな、と思ってしまいました…とりかえず家庭に波風を立てないように、2次元の王子様募集中です!

 

忙しさの被膜

 絶賛、忙し中でございます。

ブログを読む時間も書く時間も、Twitterで遊ぶ時間もなかなか取れませんが元気です。生きてます。

年度末で仕事が忙しいのと、春に定年を迎える方の送別会の準備と、中学生になる息子の謝恩会準備が重なって日々ワタワタしています。
更に細かく言うと、送別会で踊るダンシングヒーローと謝恩会で踊るダンシングヒーローの練習に、毎週駆り出されています。
同じダンシングヒーローなのに振付がまるで違うから、はわわ、頭が爆発しそうだよう…とクラクラ。正直今は踊りの振りしか頭に入りません。
空き時間には本やブログを読むのですが、頭の隅に振りが居座っているせいか、感動も笑いも悲しみも、ダイレクトに伝わってきません。どこか他人ごと、みたいな。

 私はこんな風に心が上の空になることを被膜モード、と呼んでいます。

大事な人を亡くした時、私は上手く泣けなかったりします。
悲しみやショックがあまりにも強すぎて、自分の意識がどこかへふっ飛んでしまうのです。 部屋の上の方、監視カメラのような位置から世界を眺めている、みたいな。
そうするとすべてが他人ごとのように感じられて、ぼんやりしたまま葬儀が終わってしまいます。 心理学的にいうと現実感の喪失、みたいな感じでしょうか。

忙しすぎるときにもこんな風に現実感が無くなってしまうので、やばいぞ地に足、と無駄にジャンプしたり、ハーブティーを飲んだりして、幽体離脱した自分を取り戻す努力をしています。サウナと水風呂で自立神経がシャッキリ、はこんな時にも効くのかなぁ。

 

忙しすぎる時のヤバい私、にはもう一個バージョンがあって、自分しか見えなくなるパターンもあります。 幽体離脱するか、視野が極めて狭くなるか。
要するに私は、忙しすぎると社会に関わるのが面倒くさくなってしまうのでしょう。

 幽体より視野が狭い方が周りには迷惑です。
私だけが大変、私だけが頑張ってる、みたいな恩着せがましいことを考え出したら視野が狭くなってる合図。 口を開くと愚痴や愚痴とか愚痴しか出てこないのでとっとと寝るかファンタジーでも読んで現実から逃げています。

SNSに在中する、私の生き方だけが正義だマンとか、私の言葉はすべて正しいのだマンも、忙しすぎるのかなぁと時々心配になります。

明らかに視野が狭くなってるからとっとと寝ろ、そして言葉に和らぎメンマをつけろ。
正しすぎる、白すぎる言葉はハイターみたいに劇薬だよね。
みんなそれぞれの事情を抱えて、それでもやれる範囲で頑張ってるんだと思うから、あなたの思う正解にたどり着かなくてもいいじゃん。
キツイ正義を吐きたいときは「気持ちは分かるけど」とか「自分の場合は」とかちょっと相手に配慮した、和らぎ言葉をつければ伝わり方は違うと思うのよね。

例えば「いまどき仮想通貨買わない奴はバカ」ダメ絶対!
「仮想通貨買ってよかった5つのメリット」でオナシャス。
しかしこんな風に他人の正義に口を出す私も同じように疲れて同じように視野が狭くなっているのでしょう…正義の堂々巡りキケン。早く寝よう。

 

とりあえず今日は短いけどこんな感じでとっとと寝ます。
絶賛忙し中なのですが、実は忙しいの要因、ダンス練習がいい気分転換になってくれてたりするから、世の中矛盾してますね。

正直踊る意味とは?くらいの気持ちだったんですが実際やってみるとそれなりに楽しい。 でも定年する人や、子どもの先生に踊りを見せる意味はやっぱり分かりません。 喜び組?それとも神への捧げもの?

まぁとりあえず、今夜もDo you wanna ダンスなう。

 

  

ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)

ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)

 

 

濃いファンタジーあります!-乾石智子『炎のタペストリー』

乾石(いぬいし)智子さんの『炎のタペストリー』を読み終えた。
『夜の写本師』というシリーズでデビューして以来、ずっとハイ・ファンタジーを書き続けている作家さんだ。
『炎のタペストリー』は一巻完結の物語なので、彼女の作品を初めて読む方にはちょうど良い導入部になると思う。

 

炎のタペストリー (単行本)

 

ソフトカバー300ページ弱。
程よいボリュームのこの本を読みながら漏れた言葉は「こゆい…」だった。

濃い、とにかく濃いのだ。
1~2時間、ゆっくりでも3時間程で読み終えられる物語の中に、少女の半生がぎゅっと濃縮されている。

 

ヒロインは5歳の時に、強大な魔法の力で山一つ焼きつくしてしまった少女エヤアル。
彼女の強すぎる魔力はその火の中から現れた伝説の鳥によって、持ち去られてしまう。

魔力を失ったあとも自分が滅ぼしたものを思い、贖罪の思いを胸に抱いて大きくなった少女の願いは家族と共に自分の生まれた場所を守っていくことだった。

しかし戦乱の波が家族を襲う。
戦う力のある男達、魔法の力を持ついとこたちは次々に徴兵され、二度とは戻ってこなかった。

魔力を持たないエヤアルも、14になる年に砦へと強制連行されてしまう。
砦のなかで忙しく立ち働くうちに、抜群の記憶力を見出され、歩哨の仕事を手伝うようになった彼女は、やがて王の祐筆となり、様々な言葉や文字を学ぶための旅に出ることになる…

 

物語のあらすじはこんな感じ。

魔法の力を失った少女は丘のある集落で家族と共ににぎやかに暮らし、やがて戦乱の波に飲まれていく。
思いがけぬ徴兵だったが、同じ年頃の少女が働く砦は活気に溢れ、洗濯や食糧庫の管理と慌ただしい日々に馴染んでいくエヤアル。
やがて歩哨として、戦場で見たことを全て報告することを教わり、自分の頭にある記憶を言葉にして伝えることを覚えていく…

と、ここまでの物語がたった50ページほどで語られてしまうのです!
これが『王家の紋章』だったら10巻は掛かりますがな。

その後も王の傍らで祐筆としての仕事を覚え、王弟の従者として長い旅を経て帝国へ、そこで様々な言語を学び、更に優秀な祐筆として育っていく。
しかし帝国にも戦火の波が。

エヤアルはかつて失った力を取り戻すことが出来るのか?
そして強大な力は、本当に彼女が求めるものに繋がっているのだろうか…というお話しである。

正直終盤はページ数が足りるのか⁉とドキドキしながら読み進めていたが、見事な幕引きでした。しかもエピローグまで。

 

これだけ盛りだくさんなファンタジーが1冊で読めてしまうって、かなりお得だと思う。特に壮大なファンタジーはシリーズ物が多いので、なかなか時間が、でも久々にファンタジ―読みたい!という方にはオススメしたい一冊。
多少急ぎ足ではあるけれど、良質な物語がぎゅっと濃縮されて詰まっている。

少女の成長という読みやすい題材、森の向こうの不落の砦、巡礼の旅、魔法の館と言った数々の魅力的な舞台。

何より玉髄(石英の細長い結晶が網目状に集まった鉱物)に例えられるヒロイン、エヤアルがいい。外側は何の変哲もない石ころなのに、中には尖った水晶がびっしりと詰まっている、そんな激しさを内に秘めた少女。

 

ボリューム的に、どうしても駆け足の物語になってしまうので、エヤアル以外のキャラクターの掘り下げ方が足りなかったなとか、魅力的な舞台をもう少しじっくり楽しみたかった、という不満は多少あるのだけれど、人物ではなく物語を描き切る方に舵を切ったと思えばこれはこれでありかと。

何より、こういう勢いのある物語は読んでいて楽しい!
乾石さんは多少癖のある、硬質な文体の作家さんなのだけれど、この本は少女が主人公なので読みやすく、物語もグイグイ進むからページをめくる手が止まらなくなる。

読むのが早い人なら1時間半、短い映画一本分くらいの時間で良質なファンタジー世界にどっぷりと浸かれる。本は自分のペースで読み進められるところがイイのだよな…と駆け足で架空世界を楽しんだ小野でした。

 

炎のタペストリー (単行本)

炎のタペストリー (単行本)

 

 

仮設と虚無で満たされて

仮設を甘く見てはいけない、という増田を読んだ。
なんか分かる、すごく良く分かる。

 

anond.hatelabo.jp

 

何かが壊れた時、間に合わせで手近なホムセンなんかの商品を買うけれどそういう品に限って思いかげず丈夫で、長く付き合う羽目になってしまったりする。

じっくり選んで買う商品は自宅のコンセプトにあったデザイン(色は3色まで、四角いのが好き)にするけれど、仮にはさすがに求めない。ところが思いがけず仮が本妻になってしまったがために、家のデザインが崩れていく。

一度どこかに仮設を導入してしまったらもうダメで、その後はなし崩し状態である。

温かいからいいか、と毛玉のつきやすいモフモフクッションを許し、かわいいからいっか、と無駄な下駄箱上のお土産系置物を許してしまう。

こうして夢のシンプルモダンハウスは実家になる。
許すまじ、仮設。

…でもニトリの抱きまくらいいよね。子どもがゲームする時、いつも下敷きにされてます。果たして我が家は無事脱実家できるのであろうか、モフモフモフ。

 

 

さて、私には仮設の他に仮の姿勢、という悪癖がある。

洗濯機があと5分で止まるから、スマホチェックしちゃおうとか、DSやろうとか、読みかけの本持ってきたりとか。
壁に寄りかかって、立ったまま5分潰した、はずの休日の朝。

…気がつけば立ったまま30分が経過。洗濯物は軽く皺がついている。
こんなときいつも思うのだ、こんなことならちゃんとコーヒーを入れてソファに深く腰掛けて、万全の姿勢でゆっくりと楽しめば良かったと!

 

我が家には快適なソファがあり、ラグが敷かれ、大画面のTVがある。
AmazonプライムビデオもTVで見られるし、映画を見るならそこでじっくり楽しめばいいはずなのだ。

なのに私は、ジップロックに入れた小さなタブレット画面で、風呂場で映画を見てしまう。そしてほんのちょっと、のつもりで最後まで見てしまう。

いつもお湯が冷めきってくしゃみが出た時点ではっ、と気が付き、物悲しい気持ちで風呂から上がる羽目になる。最初から風呂を早めに切り上げ、TVでゆったりと映画を楽しめばよかったのに!

他にも台所の折り畳み三脚に座って文庫本を読み終えたから尻が痛い、とか畳で正座でDSを一時間遊んでしまったから痺れて立てない、とか仮の姿勢が多すぎる。

そこに快適なソファがあるのに!
しかしソファに座ったら座ったで、やらなきゃいけない事を思い出しすぐ立ち上がる羽目になる。その時つい手元にあったスマホなり本なりを持っていって、読みながら済ませよう…なんて思うから仮姿勢はどうどう巡りである。

なんつーか、家事をやるときはちゃんと集中して一気に終わらせて、その後心置きなくダラダラすればいいだけの話なんですけど、それは分かってるんですけど!
実際は30分家事のハーフタイムに15分読書、実質45分かかる、という体たらくです。
ほんのちょっとの空き時間にスマホチェックしよう、と思ったら30分ネットサーフィンとかザラですし。

子どもがYouTubeで虚無動画見続けてるのこわい、みたいな話がありましたけど、その沼いいオトナもやばいっすよね?

我が家の子どもたちはちゃんと時間決めてやらないとホントにずーっと動画見てるし、私自身もそう。さすがに動画は見ませんが、仕事の出勤時間とか家事とか、差し迫ったことがないとスマホやゲームで時間を忘れてしまいます。
家族がいるからちゃんと決まった時間に食事作ったり掃除したりしているけれど、一人暮らしだったら絶対こんなに規則正しく暮らせる気がしません。

こんなに無料の時間潰しアイテムに事欠かない世の中で、一人でも『ちゃんとした生活』を送れている人はそれだけでスゴイと思う。
帰ってきて、ちゃんと着替えてご飯作って、後片付けやお風呂が終わってからゆっくり映画を見る、とか。
着替えの途中でスマホ見ちゃって、気がつけば脱ぎかけのまま30分経過…とかないですか?私の人生そんなんばっかりです…。

 

仮設とか虚無とか、色んなものに人生を食いつぶされてる気がする今日この頃。
この文章もお昼休みの15分だけ書こう、残りの15分は銀行行こう、とか思ってたのにもうすぐ勤務時間!

もうちょっと有意義に生きたい、と思ったけど今の私が時間作ってやりたいことって逆転裁判の古いソフト全部と逆転検事をもう一周したい、なのよね…(6終わったのでついムラムラと)。はたして有意義とは?

 

あーあ。とにかく今は除雪時間を減らしたいおのにちです。
家でも職場でもまずは最初に雪をかたさないと何も出来ない、ってどういう事なの?
肩も足も筋肉痛、そのうち立派な道産子(馬)が出来上がりそうです…。

 

頑張れドサンコ―釧路湿原トレッキング

頑張れドサンコ―釧路湿原トレッキング

 

 

幸福なエッセイ0時代

かつてエッセイとは、小説家とか詩人とか、選ばれしものが綴るものだった訳です、特に昭和の時代には。

銀色夏生とか原田宗典とかさくらももことか、学生の頃はみんな読んでましたっけ。
それから山田エイミーとか、龍の方のムラカミさんとか(当時はそんな風に対で評論されてましたね)、たくさん影響受けました。
今考えたらエイミーの真似してドレッドにしたり刺青入れなくてほんと良かった…少女の憧れは恐ろしい。

三浦しをんさんの腐りっぷりがめっちゃツボ!で、林真理子さんのキラキラバブルがどうも理解できなかったのは生まれた時代の問題なのか、それとも単なる気質の問題なのか。
あとは椎名誠さんとか、群ようこさんとか。
『本の雑誌』が元気だった頃で、目黒孝二さんの『笹塚日記』とかなぜか好きだったんだよなー。

今考えるとハタチそこそこの女の子が、仕事して昼メシ食べて、週末は競馬に行く(そしてひたすら本を読む)オッサンの日記を読んで何が面白いのか…と思うのですが、孤独のグルメみたいに、なぜか癖になる味わいがあったのです。

  

笹塚日記

笹塚日記

 

 

あの頃のエッセイって、名のある人が綴る普通の日記、だったんですよね。
もちろん文章としての楽しさや美しさはたっぷり詰まっていたけれど。

今でもエッセイ読むの好きです、角田光代さんとか、穂村弘さんとか。
穂村さんは下駄箱の上に親が置いた菓子パンをベッドで食べて寝落ちして、寝床をパン屑だらけにするオトナだったのに気がつけば結婚して、皿の裏が洗えない夫に進化していました。エッセイで書き手の成長を知る。それもまた楽しみ方の一つです。

  

君がいない夜のごはん

君がいない夜のごはん

 

 

はてさて、そんな幸福なエッセイ0時代を経て、今はエッセイ2.0時代。

要するにweb2.0と同じような定義です。
かつては送り手から受け手へ、発信の流れは一方的だった。
それが
今や、誰もがウェブサイトを通して自由に発信できる時代。
私もあなたも、誰でも無料で、手軽にエッセイストになれるんです。

 

けれどもそんな時代だからこそ、文章で生きていくことは逆に難しくなった。
phaさんでさえ、そんな話を書いています。

 

note.mu

 

 かつて『きらびやかな作家の暮らし』は子どもの憧れだった訳で。
でも昨今、実際に専業で生きていける作家さんは本当に一握りなのではないかと思います。

書店の棚を見ていても分かるけれど、平台に山積みされているのは賞を取ったり、映像化された一部の話題作だけ。根強いファンを持つ古参の作家以外は、新刊が出ても1、2冊棚に置いてもらえれば上々といった感じでしょう。
マンガや実用書といったジャンルはまだまだ活気がありますが、小説は年々スペースが減らされている気がします、特に地方では。

 

みんなが手軽に書けるようになって、文章は無料で読めて当たり前、の時代がやってきた。それはありがたいことなんだけど、本気で文章で生きていきたい、と願う人にはたまったもんじゃないよね。競争にすらならない。

だからみんな文章に付加価値をつけてなんとかやっていこうとする。
便利で役に立つもの、実用性があるもの。しかもそれらが短時間でスピーディに得られるもの!

検索に引っかかるように2千字以上書け、なんて話もありましたが、だんだんそうした長文伝説は終コンなんじゃないのかなぁ。

最近は1分程度で調理過程が全部分かる「レシピ動画」なんてものが人気ですが、ブログもいずれはそうした動画に食われてしまいそうな気がしています。

私は小説のレビューを書くのが好きなのですが、もともと検索流入の少ないジャンルな上に、タイトルにネタバレ!と書いてあらすじから結末まで、読まないで済むくらい詳細に書いてあるサイトにはもちろん到底かないません。

でもそうしたネタバレサイトも、『1分で分かる〇〇あらすじネタバレあり』なんて動画が出てきたら死滅しますよね。サイトも死ぬし、そんなに簡単に読んだ気になられたら本も死ぬ。このままじゃいずれ文章は焼け野原を迎えるんじゃないの?

 

もちろん、お金にならなくてもいいから趣味で自分の好きな文章を書いて行きたい、と思う人は残ると思います。私自身、正直そんな感じですし。

そりゃあ収益化したいけど、そんなに甘い世界じゃないっすわ。
稼いでる人は地道にコツコツ努力しているか、もしくは稼いでる事をアッピールしてそれを商材化しているか、そのどっちかです。
つまり楽して生きる人生を君に!なんて言ってる子はその本を買ったあなたを養分にして楽して生きてる訳です。

 

…話がズレました。
私が心配なのは、本も、素敵なエッセイも、いずれ動画に飲み込まれて消えてしまうんじゃないかってこと。

幸福な0時代には若くてお金が無かったから、読みたい本が多すぎて悲鳴を上げてました。今思えば、読みたい本が多すぎてお金が足りないなんて、どれだけ贅沢な悩みだったことか。

ようやく少しのお金が出来た今、好きな雑誌はどんどん休刊に追い込まれ、それらで連載されていた軽いエッセイは軒並み死滅状態です。
ネットで無料で読める、素敵なライターさん達のエッセイも、更新は途絶えがちです。そうだよね、みんな生活があるんだもん。

今の私に出来ることは、私だけの笹塚日記を探して、それを応援することだけです。
ブックマークなりSNS拡散なり、コメントなりスターなり。
読んでますよ、あなたの文章が好き!
これは簡単に繋がれる、今の時代だから出来ること。

 

全てが無料で毎日クオリティの高い文章が届けられて当たり前、なんて書き手の善意に甘えていたら、いつか全てが消えてしまいます。

私が大好きな文章を『もっと読んで!』と上手く拡散出来たらな。
本のレビューも基本そんな気持ちで書いています。どうか買って!読んで!
それが続編や、新刊に繋がるんですもん。

ただ個人で静かに運営されている方のブログだと、勝手に拡散しちゃっていいのかな、なんて腰が引ける部分もあるんですが。逆に邪魔になったらどうしよう、と思ってブックマークからTwitter連携を外すこともあります。ここらへんの線引きが難しいんですが、とにかく次回待ってます!が届いたらいいなぁ。

 

もはや『書く人』は神様では無くなってしまった。
儲からないし、SNSではダイレクトに叩かれたりやっかまれたりするし、不遇の時代。
だからこそ、私は読ませてもらった感謝を込めて、自分の好きな作家さんはチヤホヤもてはやしたいなぁ…なんて思うんです。将来の読みしろを確保するためにも、せめて好きな人には生き残ってほしい。私の2.0対策、とりあえずそんな感じです。

 

世界の終わりと増殖するポトス

先日SFチックな短編小説を書いた。壁で分断された世界の物語だ。
日本中、もしくは世界中が謎の壁に囲まれて、隔てられている。

要するにドラマ『アンダー・ザ・ドーム』(町がドームに覆われ、外部から遮断される)のような状況が、世界中で起きたらどうなるか?という話だ。
町や区、あるいは県単位。会社の一部、家一軒と言った小さな壁もあるかも知れない。

私は自分が住む田舎町を舞台に、手紙という形式で書いてみた。
とても短い、思いつきの物語である。

 

yutoma233.hatenablog.com

 

でも手紙を公開したら思いがけない返事が返ってきた。
別の壁に隔たれた町からのメールである。

 

死の壁に覆われた町からの短い手紙 - ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

見えない壁に覆われた町からの手紙 - ダメシ添加大戦

柔らかな壁の中からの手紙 - ダメシ添加大戦

 

言及が来て開いた瞬間、うわぁこちらの町はこうなっているのか、と本当に物語の世界に取り込まれたようで、楽しかった。

ブログは基本一人で書くものだけれど、こうやって誰かとナニカを共有できたような気分になるのも悪くない。私は遠い町に住む誰かと、共作したことがあるんだぜ、って誰かに自慢したくなる。

その後も謎のメーラーアプリの都市伝説や、このメーラーを見た人はメールせずにはいられなくなる、というかわいくて怖い強制文が続き、世界が広がっていって面白い。

 

ユーゴーリム(UGORIM) - ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

メーラー - ダメシ添加大戦

 

これはたった三人の小さなブームだったけれど、トイレの花子さんとか口裂け女みたいな都市伝説も、元は小さな噂で、それを聞いた誰かがもっと怖く語ってみたい、と思ううちに枝葉がついて本当に伝説になってしまったのだろうな、と思う。
物語が伝播して、増殖していく感覚。それは少し怖くて面白い。

 

世界の終わりに何が残る?

 

私も終焉の町の続きか、別の町の物語を書きたかったのだが、実は終焉の町はいずれ本当に終わる、と書いた時から考えていた。

あの小説で描かれているのは終焉の町が上向きはじめた時の話だ。
実際ああいう状況下に置かれたら、出生率は一時上昇するだろう。
町は昔のような賑やかさを一時は取り戻す、かも知れない。しかし人口を増やし続けることは出来ない。それは外部から食料を輸入することが出来ないからだ。

やがて水や食料の限界値から、終焉の町が支えていける人間の数が導き出され、新たな子どもを得るために食料を与えて貰えない高齢者も出てくるだろう。

そうやって適切な人口や、コミュニティを維持するためだけに生きているような生活が長く続いたら、人は生きる意味も子を生す意味も失って、緩やかに滅びてしまうのではないか、と先の話を想像しながらあの物語を書いた。

 

壁に閉ざされ、限界のある終焉の町では生産性を持たない人間は排除され、生まれてきた子どもは未来の生産者としてカウントされる。それは年金支給年齢がどんどん遠くなり、未来の納税者として子どもが手厚く扱われる現代と何が違うのか、という話だけれど。

 

私は生き物が必ず死ぬように、お皿が必ず割れるように、人類はいずれ衰退するのだろう、と常識のように思い込んでいる。この思い込みはどこから来たのか?終末SFの読みすぎか?

何百年か、何千年後か。
とにかく世界から人がいなくなる時は、必ず訪れるのだろうと思う。
そしてその時町に何が残るのか?

 

私は植物だと思っている。
廃墟は必ず、緑に飲み込まれる。

世界で一番繁殖に成功したのは植物なんじゃないか、と毎年庭の草を刈る度に思う。
刈っても毟っても、除草剤をまいても、心地いい雨と光が通り過ぎた後は必ず柔らかな芽が姿を見せる。可憐な花で人の心を許し、気がつけば一面に増殖するあのしたたかさ。

チェルノブイリ周辺の町も、今は森に飲み込まれてしまった。
永い冬が訪れても、一粒の種が残っていれば彼らは増殖し続けるのだろう。

 

ポトス、という日本で一番ポピュラーな観葉植物がある。
あれは伸びた枝を節の下で切って、挿してやるだけで簡単に増えるのである。

ただ不思議なことに、元のポトスは白い模様や淡い色合いだったのに、切りとった枝は濃い緑に原種帰りしてしまうことがよくある。
そして濃い緑の葉は淡いものよりも成長が早く、たくましい。

かつて一つだったとは思えないくらい色の違う二つのポトスを見ながら、物語の伝播もそういうことなのかも知れないな、なんて思う。

いつか全てが緑に覆われる前に。
小さな言葉の種を世界にまき散らしていくのも、そう悪くないあがき方かも。
帰ってきた手紙を見ながら、一人悦に入る終末なのでした。