「八月の六日間」北村薫 感想
北村さんの久々の新作。一人で山に登る、40代の女性編集者の話です。
日記風に描かれていて、登山中の景色、行程や山小屋の様子など、とてもリアル。
読んでいると自分でも登ってみたくなります。
インドア派で登山経験は僅かな私でさえ、そんな風に感じられるのは、作者の山への愛情が伝わってくるからでしょうね。
特に前日にザックへ詰める本やおやつの描写が楽しい。
旅の準備、って面倒だけど楽しいよなあ、と思い出しました。
近しい人のお葬式を終えて、疲れ切って癒されたいと思って開いたこの本。
たまたま物語の中で、主人公の早くに亡くなってしまった友人の話があって。
最初は彼女の死によって喪失したと思ったものが、時間が経つにつれて主人公の中で変わっていく所に励まされました。
「一人になった」のではなく、まだ私がいるのだから。
生活の間にあの人は蘇ってくる。
朝卵焼きを焼いたら、あの人のは塩味だったと思い出しました。
主人公が気が付いたのはきっとそういうこと。
田舎の葬儀実態。
田舎のお葬式は長期戦。通夜と葬儀だけでなく、亡くなった日から葬儀の翌日まで家族、親族、近所の人まで集まります。
家でお葬式をやっていた名残なのでしょうが、今は葬祭場で大概のことは済みますし、会席もお店で済ますのに。
とりあえず「昔からの伝統」でみんな集まり、とくにやることがあるわけでもないのに有給を取り長時間拘束され。
家の人は葬式が済むまで炊事をやってはいけない、というルールがあるらしく、近所の女性も手伝いに来て、3食作ってくれます。
ただ作った彼女たちももちろん食べるので量が多く、食材代も結構かさむ。
近所の女性陣はわざわざ有給使って一日拘束され、手伝ってもらう家の方は、家族親戚だけなら最悪コンビニでも間に合うし安く済むのに、とお互いジレンマ。
家族は炊事に振り回されず、ゆっくり悲しんでほしい、という風習だと思うんですが、昔ほど家事に時間が掛からず、便利なお店も増えた現代には必要ない気が…。
昔からの風習、地域の付き合い。美しいと思うか面倒だと思うか。とりあえず互いの負担になるような事は少し合理化してもいいんじゃないの?と思いました。
とはいえ、急に改革を進めると家具屋さんの親子喧嘩になりかねないし。結局世代交代を待つしかないんでしょうね。
とりあえず私は、近所の人が銀たらを買ってきた、なんで安いサンマか鮭にしないんだ、とかいう揉め事に巻き込まれずに故人を悼みたかったよ。