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王とサーカス、それからジャーナリズムについて考えたこと

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 米澤穂信さんの、「王とサーカス」を読みました。

 

主人公太刀洗万智は新聞記者を辞めフリージャーナリストとしてスタートしたばかり。雑誌の海外旅行特集の仕事を受け、事前取材としてネパールを訪れる。

現地少年のガイドを頼み、穏やかな時間を過ごそうとしていた矢先王宮で王族殺害事件が起こる。

ジャーナリストとして取材を始めた万智だったが、何のために書くのか、なぜ伝えるのかを問われて…。

 

※今回は本の内容について深く触れてしまっている箇所があります。未読の方は本を読んでから読まれるよう推奨いたします。

 

王とサーカス

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 この本を読んで、3.11の時に私の身に降りかかったこと、そしてつい先日の関東東北大洪水の被害を受けた町で働く友人の話が重なって胸が痛くなりました。

 

王とサーカスのヒロイン、万智が取材した軍人は外国人の記者にこの国の恥を晒す必要はない、とつっぱねます。

 

お前は何者で、何のために伝えようとしているのか。お前が伝えることでこの国になんの益があるというのだ?

 

本の内容、私が経験した事、それから友人の事が自分の中で混ざり合って。

上手く伝えられるか分かりませんが、ニュースの重要性と、その裏側にあるドロドロした物について書いてみます。

 

3.11 小さな会津の窓口で

 

 3.11の震災が起きた時、私は福島県会津地方の小さな支所の臨時職員として働きだしたばかりでした。

私の住む町では死者や負傷者は出ず、一時交通網が遮断されましたが電気や水道が止まる事もなくいつも通りの日常が続いていました。

福島の震災が他の町と一つだけ違っていたのは放射線、という目に見えない恐怖があったこと。

ニュースや、特にネットでは放射線の危険性が描かれ、私の住む町では外出に関する注意報が発令されなかったにも関わらず、学校や保育所では窓が締め切られ外遊びを自粛するような日々が続きました。

ネットでは「子供の命や健康を金や土地と引き換えにするな」と言う意見が多く語られ私の周囲でも県外へ自主避難する人が多数。

 

私もとても迷いました。その頃子供たちは小学校入学前、私も臨時職員として働きだしたばかりの気軽な身分でした。一時的に他県に逃れようと思えば出来ないことは無かったのです。

 

私が気がかりだったのは夫の事。夫は医療関係の仕事に従事しており毎日被害が甚大だった浜通りへと駆り出されていました。

救いようのない多数の死に囲まれて、彼が日々消耗していくのが分かりました。

消耗して行く彼や健康な子供たちを、死や見えない不安とは無縁な場所へと引っ張って行くのが私の仕事だったのかも知れません。

でも私には出来ませんでした。

彼が傷つきながらも自分にしか出来ない事に魂を燃やしているのが分かったからです。

そして私達家族が側にいること、ご飯や暖かい家や、賑やかな子供たちが彼の支えになっていることを感じていました。

私は愛情を、夫を守るために子供たちの健やかな未来をその時投げだしました。

 

結果的に私の住む町の放射線量は低く、その後子供たちの健康診断にも問題は出ませんでした。

 

でもあの頃の私がこうするしかない、と思いながらも言いようのない不安、自分への自分からの非難に苛まれていたのは確かです。

 

私がテレビ局のレポーター、Aさんから電話を受けるようになったのも丁度その頃、まだ震災から間もなく心がぐらぐら揺れていた頃でした。

 

私は勤め始めたばかりの小さな支所で、住民対応の仕事をしていました。震災当時はとにかく電話での問い合わせが相次ぎ、覚束ないながらも必死で問い合わせに答えていました。

Aさんは、テレビ局のレポーターをしている、大学を出たばかりの若い女性の方でした。

最初は普通の問い合わせでした。そちらの状況はどうですか。

慣れない私の話し方にどこか取り付く隙があったのでしょう。彼女は日に何度も何度も、電話を掛けてくるようになりました。時には私を指名して。

私に言えることは毎日A4用紙一枚で渡される、何月何日現在の当町の状況、だけです。

しかし彼女は自分の考えを滔々と述べ、同意を求めるのです。

これが近くの喫茶店でのインタビューで、○○町Bさんのご意見、としてなら私は素直に自分の不安を語ったのかも知れません。

その時私は臨時とはいえ市の窓口にいました。私の個人的な意見は市の見解になってしまいます。

決まった答えを繰り返す私に彼女は自分の言葉を繰り返し浴びせました。

同じ福島県で、不安を抱えているのにこの街に問題はない、でいいのですか。

子供たちの安全や未来をきちんとお考えですか。会津だけ、問題なしで本当にいいのですか。

 

今考えると彼女は彼女の不安に苛まれていたのでは、と思うのです。せっかくレポーターになり、震災と言う活躍するべき舞台を与えられたのに自分の担当地域は注目されていない。不安を、心配をほじくり返してニュースにしなくては。彼女は彼女で必死だったのです。

そんな彼女の底の浅さ、一方的な見解に今は呆れますし同情します。

 

しかし心が覚束なかったあの頃はそんな彼女の不安を煽る言葉が辛くて泣きそうでした。

最終的に周りが見かねて私の担当するデスクを変え、彼女からの電話は取り継がないようにしてくれました。

私の代わりに職員の方が機械的に対応するようになり、その内震災関連のニュースも減り彼女からの電話も無くなりました。

 

この事件が起きる前は私は所謂お役所的な、上からの物言いを嫌っていました。特に私の代わりに電話に出てくれた職員の方などは裏では優しい方なのに電話や窓口ではいつも冷たいのは何故、と。

事件の後に気が付いたのはそうした態度は公式見解以上の情報を与えないため、私情を出さないための物なのかも知れないと。誰を相手にしても公平に接しなくてはいけないのですから。

同じように敬語も、純粋に敬意を払うためじゃなく、自分の真意を何層ものオブラートに包んで見えなくするため、という側面もあるのかもと。

 

そうやって、人を遠ざけ距離を置くような態度を取らざるを得ない時が人生にはあるのだと、私は一本の電話で学びました。

 

関東東北大洪水への電話

 

結局自分には適性が無いのだ、と気が付き私は役所の仕事を辞めて今は別の仕事をしています。

 

昔の事を思い出したのはつい最近の関東東北大洪水のニュース。

それから被害の大きかった町に住む友人と電話で話した事がきっかけでした。

 

私の友人はその街で、住民窓口の仕事に就いています。街の被害が甚大だったので心配してメッセージを送った私に彼女は電話をくれました。

幸い彼女の周辺には直接的な被害は無く、無事に過ごせているということ。

 

ただ無邪気な電話が多いことが、彼女の心を傷つけるのだということ。

 

今も報道関係者からの電話は絶えないそうですが、実際赴き現場の状況を知っている問い合わせが多く、必要な事項だけ答えればいいので時間も掛からずスムーズに済むのだそうです。

 

手を煩わせる、時間がかかるのは『インターネットで配信をしている』普通の人達からの問い合わせ。

 

今どんな感じなんですか?と極めて曖昧な言葉で問い合わせる彼らは地理も、ホームページに記載されている情報すら知らず1から10まで彼女に聞くのだそうです。

 

『インターネット配信』がどれほどの重要性を持つのかは知らないけれど、電話の通じない家族の安否を心配している人達からの問い合わせが彼らの好奇心に邪魔されていることを想像できないくらい子供なのだろうか、そして自分がこんな一方的な電話に時間を費やしていることが辛い、と言います。

 

仕事なのだから、お客様は神様なのだから黙って電話に答えていればいいのだ、と言われてしまうのでしょうか。ただ行政の仕事はその町の住人、そしてその人達の利便性のためにあると思うのです。

TVやラジオの取材に答えるのはそれが町民や彼らの家族の目に触れ安心をもたらしてくれるからだ、と彼女は言います。

 

対してネット配信は?

災害のニュースを配信しているような番組を私は良く知りません。

一般人がブログで稼げる時代ですから1万人、もしかしたら10万人のリスナーのいる番組もあるのかも知れません。

TVやラジオと比べ公共性が低い、とは言い切れません。

しかし本名も名乗らず番組名で問い合わせをするのなら、ジャーナリストとしてある程度の下調べをしてから電話を掛けるのが最低限のマナーではないでしょうか?

 

 衝撃のニュースはとっておきのイベント

 

「王とサーカス」の物語の中で、ヒロイン万智の取材を受けた軍人ラジェスワルはこう言います。

 

「自分に降りかかることのない惨劇はこの上もなく刺激的な娯楽だ。意表をつくものであれば、なお申し分ない。恐ろしい映像を見たり、記事を読んだりした者は言うだろう。考えさせられた、と。そういう娯楽なのだ」

 

 先日の大洪水の中電柱に捕まっていた男性の姿が浮かびました。彼は助けてくれないけれど近くで飛びつつける報道のヘリにどんな気持ちを抱いたのでしょう。

心強かった、それとも苛立った?結局当人にしか分かりません。こうして考えることも、結局小さな娯楽の一つなのでしょう。

ヒロイン万智は悩みながらも結局書き続けることを選びます。

 

「ここがどういう場所なのか、わたしがいるのはどういう場所なのか明らかにしたい」

BBCが伝え、CNNが伝え、NHKが伝えてなお、わたしが書く意味はそこにある。

 

私は3.11の後自分の心のグラグラを鎮めるために客観的な事実を知ろう、と考えました。

そして一年間、食物や水をモニタリングする業務に就きました。

自分でやってみて、今は確実にここに住んでいても安全なんだと思えるようになりました。

でもこれは私が手に入れた私の真実です。私がどう言おうと、毎週福島県の新聞にモニタリング結果が公表されていても、届かない、信じない人はいるのだと思います。

 

今でもたまにTwitterやブログで根拠のない不安を煽る記事を見かけます。

この間は東会津の放射線量は未だ高い、と書かれた記事を読みました。

私は会津に住んでいますが東会津、という地名は聞いたことがありませんし通称でも言いません。知りもしない人が風評で書いているのでは、と心が冷たくなりました。

 

結局私にできるのは見なくて済むようにブロックするだけです。ヘタレ、と思われるかもしれません。

 

けれど私もブログで一方的な意見を書いています。ワイドショーも見るし、様々なニュースも見ます。炎上しているブログも読みます。

 

私は「王とサーカス」で描かれているサーカスを無邪気に楽しむ観客そのものです。

観客は出し物に文句は言いません。ただ黙って立ち去るしかないのです。

 

物語のラストで万智はこう言います。

「苦しみを生まないよう、できるだけ気をつける」

誰かの言葉に傷つけられた少年に、それでも自分は書く、そして気をつける、と言った彼女。決して苦しみを生まない、とは誰にも言い切れません。

誰かの心中が全てわかるような、万能な人間にはなれないけれど、できるだけ気をつける。

 

今日私が書いたことも、もしかしたら自主避難を選んだ人、放射線量に怯える人、ニュースのネット配信をしている人達を傷つける事になるのかな、と思いました。

でもそれでも、これは書かずにいられなかった話なのでUPします。

 

今の私に出来るだけの気遣いを入れて。