今日はネット上で「炎上しない」「伝えたいことが伝わる」文章とは?
というお話。
炎上にも色々あります。
あえて刺激的なタイトルを付けて、最初から炎上狙いで書く人もいるし、普通に書いたつもりなのに目線の違いから「鼻につく」と叩かれてしまう人もいる。
今日は、伝えたい思いを書いただけなのに図らずとも炎上してしまう、非難のコメントばかりが寄せられてしまう…。
そうした怖い目にあったことのある人、そういう目に遭いたくない人のための初心者向け文章術です。
燃やされやすいあなた?
悲しい事にごく普通の日常を書いているだけでも、「若い女性である」というだけで妙なコメントを寄せられてしまうこともあります。
それはあなたの側の非ではないし、どうしようもありません。
気にしない、相手にしない、しかありません。周りもあなたに非があるなんて思いませんから。
絡まれたくなかったら性を偽れ、女子っぽいアイコンを使うな、なんていう人もいますが、二次絵だろうが尻が揺れていようが法に触れない限りは個人の自由。気にせずに楽しい事を書いて下さい。
人間性を非難されてしまう…という悲しいブログも見かけます。
ごく普通の日常を描いているだけなのに、コテンパンなブコメが。
この人が嫌い、と思われるのは一番きつい。
でも生理的な好き嫌いはどうしても生まれてくる感情。
嫌われているからと言って自分の個性や変態性を薄めたらそれは自分のブログではなくなってしまう。
そのままの自分を応援してくれる人達に向き合っていくしかないです。
私もエロババアキモイ、的なヘイトを向けられたことがありますが事実なので仕方がない。そういう人が好きだと言ってくれる人達のために書いていきます。
一番問題なのは、伝えたいことがあって真摯に書いているつもりなのにヘイトのコメントばかりが寄せられてしまう「自分の気持ちが上手く伝わっていない」ブログ。
本当はブログなんて規約に則っていれば、何を書いてもいいはずなんです。
なのにコメント欄に余りにもヘイトが多すぎる。
こういう目に合うと、自然に書きたいことを書いたつもりだった人は書く勇気を無くしてしまうのではないでしょうか?
どうしてあなたの記事は炎上してしまうのか?
どうすれば炎上なしに上手く自分の主張が伝えられるのか?
私が書いた「軽く炎上した記事」と、「炎上なしで上手く主張が伝えられたと思う記事」を題材にして書いていきます。
「言いたいこと」しかなかった記事
最初は燃えた記事です。
ネット上では燃えた内にも入らないかも知れませんが、いくつも反論がきました。
反論は悪口とは違います。
反論が多く来る、というのはそれだけ私の記事に欠点が多かったということ。
私は「独身であることを責められたりバカにされたりするのはおかしいのではないか」という事が書きたかった。
そして「こんな旧時代な考え方は私達の世代で辞めようよ」と訴えたかった。
そこで飲み会でみたイヤな風景、という一つの例を挙げる。
ところが私は「いじめられる若者側」に極端に肩入れしてしまった。
片側の意見だけで、既婚者側からの目線に乏しい。
それから『偏った感じの悪いヒト』を既婚者側代表のような扱いをしてしまった。
その結果、若者側からは賛同を、既婚者側からは反発を得ます。
「一方の側だけから見た偏った視点」で、「一人の迷惑な人」を既婚者全体のように叩く。こういう書き方は少数派に思い入れて書けば書くほど強烈な賛同と多数のヘイトが得られるでしょう。
私自身が少数派の気持ちになって、傷ついた!やめろ!周りなんてばかやろうだ!と書く。ばかやろう呼ばわりされた周りは怒りますし、少数派は私の気持ちを分かってくれた、と肩入れする。
これは一部の信者を集めようとする人達がやる書き方です。
大多数に嫌な思いをさせて、少しの熱い声を貰う。
街宣車と一緒です。
あの時は熱だけで書いてしまったけれど、賛同する意見も集まったからこそ怖いと感じました。
反論のおかげで目が覚めて、本当に良かった。
この記事のもう一つの問題点は、嫌な目に合う若い人は『実際にどのくらいいるのか?』という数字やデータが欠けていたこと。
社会に関する問題なのに、こうなんじゃないの?と一人の嫌な声と自分の推察だけで書いてしまった。
論拠が弱すぎるのです。
自分の気持ちを書くのはとても簡単です。
普通の日記、それから単なる心情を書くのなら自分の目線だけで書いてもいいと思う。
でも自分とは違う立場の人間、それから社会全体のことを書きたいなら公平なデータを挙げて、その上で私がどう思うかを書かなくてはいけなかった。
こういう書き方では自分や自分の側の一部の人がスッキリするだけ。
既婚者側への「こういうのは私達の世代で辞めようよ」という気持ちはちっとも届いていなかった。
以上、炎上しやすい社会派記事のわかりやすいサンプルでした。
手紙をイメージした批判記事
逆に、自分の気持ちが正しく伝わった、と思えた記事を。
これは反論が怖くてUPするまで何度も読み返した記事です。
有名人とは言え、誰かを名指しで批判するのは初めてだったので。
この記事で私が一番書きたかったことは「イケハヤさんに自分の弟子や信者への責任を持ってほしい」ということです。
本人まで届くかは分かりませんが、最後まで読み進めてもらうために強烈な批判や悪口は避けました。
下品な言い方をしてしまえば、『美味しい誘い文句で他人の人生たぶらかして逃げんじゃねぇぞ!』という話ですが、そんな喧嘩腰では読んでもらえません。
手紙を書くように、丁寧に自分の一番言いたい事が伝わるように書きました。
想定する読み手はイケハヤ氏、伝えたい事は一つだけとテーマが絞られていたのが良かったのかも知れません。
最後に書いた一番伝えたかった言葉を好きだ、と言ってくれる人が多くてきちんと伝わったのだな、と嬉しかったです。
ただ冗長すぎたり、締めがちきりんだったり…。
改善すべき点は山ほどあります。
私の記事は読み違えられている?
書いたことがきちんと伝わっていない。
内容と違う論旨で反論が来る。
そんなこともあります。
悲しいけれど、書いている側が思う程読者は熱心には読んでくれません。
Amazonの本のレビュー欄には、「この話をこう読んだの?」という誤読レビューが溢れています。
自分が読み飛ばしてしまった伏線には気がつかず、本の重大な瑕疵であるかのように言いつのる悲しさよ。人気作家の本でさえこんな扱いなのです。
ましてや素人の書くブログ記事なんて長すぎたらはしょられて当たり前。
私も自分のブログのコメント欄で趣旨を読み違えたと思われるコメントをよく見かけます。
最初は読者側の問題だと思っていましたが、今は「一番伝えたい事」「話の趣旨」を分かり易く書かなかった自分の側の責任だと思うようになりました。
一番伝えたい事が伝わるように。
この記事のまとめは、
炎上しない記事を書くためには
・自分の側の意見だけを言い捨てない
・誰かをむやみに叩こうとしない
・本当に伝えたい言葉は何か?そのためにはどう書けばいいかを考える
と言うこと。
最近だと『メディアクリエイターかっこいい!サラリーマンは死んだ魚の目!』は典型的な炎上記事ですね。
死んだ魚の目が強烈すぎて彼が本当に伝えたかった言葉が伝わってこない。
それでも拡散されればいい、というのならばそれは書く側の自由なのですが。
最後に。
どれだけ周囲に気を使って、丁寧に優しい言葉で書いてもマイノリティの言葉には反論が来てしまうものなのかもしれません。
そこまで細やかに気を使っても炎上してしまうのならば、炎上しても届けたい言葉があなたにあるならば。
あなたは書くべきです。
インターネットは規則さえ守れば「誰もが書ける場所」なのです、だからこそ大切なのです。
炎上しない文章術、なんて偉そうに書いている私自身もこの記事が偉そうだ!間違いだらけだ!と炎上しないかと内心はビクビクです。
それでも私が書いたのは「炎上しやすいマイノリティのあなた」の記事が読みたいからです、あなたに書くことを怖がってもらいたくないからです。
インターネットには様々な情報が溢れています。
でも、みんなに叩かれてしまうような特別な主張を持つ人はごくわずか。
そういう人にこそ救われる人は画面の向うにきっといます。
だから、書いてね。
あなたと同じ悩みを抱える人のために。
その思いはきっと届くと信じています。