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映画「おおかみこどもの雨と雪」が嫌いな人こそ読んでほしい!原作本のススメ。

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「バケモノの子」のDVDを借りに行ったら全部貸し出し中だった。

なぜか細田監督の作品の中でどうしても解せない「おおかみこどもの雨と雪」を借りて帰った。ついでに映画原作にして細田守初の小説、と書かれた同タイトルの本も買う。

本を読んで、もう一度映画を見たら、少しだけ「解せなかった」部分の意味が分かった気がした。


今日は「おおかみこどもの雨と雪」映画と、小説の感想。

かなりネタバレあり。映画を見た方向けのレビューです。

 

私が「おおかみこども」を嫌いだった訳

 

おおかみこどもの雨と雪(本編1枚+特典ディスクDVD1枚)

 

このアニメを最初観たとき、正直失敗作だと思った。

娘の雪が語る、母のおとぎ話。
淡い語り口なのに、大学を休学し、相次ぐ妊娠出産、夫婦二人で自然分娩、医療機関には頼れず行政には追い詰められ、と相当ハード。

しっかりしているように見える花はあまりにも周りを頼らない。
ご近所、行政とのトラブルも逃げて謝って目を伏せるだけ。

優しく、健気で、いつも笑顔。彼氏に深夜まで待たされても笑う。
本を読んで独学で良い母になろうとする。

学生なのに妊娠、自然分娩の様子には正直ゾッとしたし、病院に連れていけない様子もきつかった。
夫は余りにもあっけなく死んでしまうし、冷たい都会、暖かい田舎、という描き方もテンプレートすぎる気がした。

でも小説を読んで。
私が抱いたモヤモヤの理由が解った。

花は「色々間違っている」子だったのだ。
だからイラつく、モヤッとする。

それで良かったのだ。

多分この物語は、畑で初めての収穫を得るまでは、間違ったルートを辿る、間違った女の子の話だったのだ。

 

小説で初めてわかる花のバックグラウンド

 


雪が語る花の物語は断片的だ。特に花が恋をする前の話はあまり語られない。

 

小説の中で、花は受験の年に父を亡くしている。

父子家庭の彼女は病の父のベッドの脇で看病しながら受験勉強をする。
父子の写真は登場するが母の描写はない。

娘と父の二人三脚の日々が目に浮かぶ。

葬儀の際に笑った花に対して「不謹慎だ」と親類が怒った話から、あまり親戚にも頼らず二人で生きてきたんだろうな、と伺わせる。
花の性格を知っている人なら、「こんな時には泣いてもいいんだよ」と言うだろうから。

 

父は辛いときにもとりあえず笑っていろ、そうすれば乗り越えられる、と教える。それはいい言葉だけれど、少しだけ美徳めいて聞こえる。

花にはちゃんと叔父や叔母がいて、援助を申し出てくれる。
部屋が空いているから一緒に住もう、学費を負担してもよい、と。

でも彼女はそれを断って、たった一人でギリギリの苦学生活を始める。
(貯金は入学金と前期の授業分で尽きてしまい、アルバイトを掛け持ちし奨学金に望みを繋いでいる。妊娠しなくても、卒業できるか危うい大学生活だったのだ)

彼女が断ったのは、葬儀の時に感じた親類との距離のせいではないだろうか。

父は周りに頼らず娘を育てた。
その結果、誰かに甘えたり頼ることが出来ない娘に育ってしまったのではないだろうか?

つらいときには笑うだけじゃなくて、誰かを頼っていいんだよ、と教えても良かった。
そして死ぬ前に叔父や叔母たちに、きちんと娘を頼んでから逝っても良かった。

 

前半の花が一人で、周りを頼らないのは子供がおおかみだからだけではなく、生い立ちのせいなのかもしれない。

 

花が家庭を欲した理由

 

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こうして、人への頼り方を知らない少女は一人になった。

国立大学の裕福な学生たちには距離を感じ、自分が何者かも分からず将来も曖昧で。
遅くまでバイトをこなし、部屋に帰って一人で食事を済ませて眠る孤独な日々。


そんなある日出会った「彼」と恋に落ち、妊娠して大学も休学する。
余りにも考えが浅いように見える。
でも将来が見えず綱渡りの大学生活に疲れていたのかも知れない。

「家があったら、いいだろうな。ただいまって言う。靴を脱いで、顔と手を洗って、椅子に深く腰掛ける」

彼の夢は、花の夢と同じものだった。
だから彼女は

「じゃあ、私がおかえりって言ってあげるよ」

と返す。

 

その後、来ない彼を花は深夜まで待ち続ける。
本当は怒るべきシーンなのに、彼女は精一杯笑う。

花には、彼しかいなかったから。

彼女はおおかみおとこと同じくらい、孤独だったのだ。

そしてその孤独を埋めるために、彼と子どもたちが必要だったんだと思う。

 

おおかみおとこが死んだ理由

 

   
映画の中で「おおかみおとこの父親」はあっけなく死んでしまう。

余りにも無責任だ、と憤った。

でも小説では花の妊娠中彼が朝早くから深夜まで働く様子が書かれている。

将来に備えて、貯金を増やしておこうと。

実際彼の貯金はそれからの花たちの暮らしを支えてくれる。

狼の寿命はどの位なんだろうか、と思って調べてみた。

野生で5~6年。飼育下で15年。

狼として生きることを選んだ雨は一晩で花を抱いて歩けるぐらい大きな体の狼に成長する。
人間とおおかみおとこの時間は違うのかも知れない。

だから父は身重の妻と幼い子を置いて必死に働いたのではないか、と思った。

 

それから、つわりで何も食べられない時に花が喜んで食べたのはキジのうどん。

彼が死んだのは花が雨を産んだ次の日。
死んだ狼の側にあったキジの羽は、ささやかなお祝いのためだったのかも知れない。

 

冷たいのは都会なのか?

 

おおかみこどもの雨と雪 ARTBOOK

  

それから花は、周囲に頼らず一人で隠れるようにして子どもを育てる。

もちろんおおかみにんげんだ、なんて周りに言えなかったのかもしれないが、自分は受け入れることのできた奇跡を彼女は誰にも伝えない。
子育てに困るたび大量の本を読む。

時折は彼に子どもの頃の事を聞いておけばよかった、と後悔するのだけれど自分の父親に聞いておけば良かった、とは思わない。半分は人間の子なのに。
つわりが原因で、突然バイトを辞めたことでバイト先の店主も心配するけれど理由は言わない。

都会は冷たい、という話なのかと思ったけれど、本当に冷たいのは周囲を拒絶した花だったのかも知れない。

逃げるように、隠れるように。
周りの人が皆、責めているように感じる。

それは花自身のこんな子育てでいいのだろうか、という迷いから生まれているような気がする。
閉じきって、誰にも頼れない子育て。

そんな無理のある暮らしはとうとう行き詰まり、花は彼のふるさとの山へ向かう。

 

田舎暮らしと野菜作り

 

田舎に引っ越して、広い場所で自由になっても花は相変わらず孤独なままだ。

子どもを隠し、こっそりと暮らす。
野菜作りで失敗しても誰にも聞かない。

本だけを頼りに、何度もやり直す。

笑うことしかできない花に、村の老人韮崎は言う。

「笑ってたらなんもできんぞ」


それは花の父親が残した言葉とは対極だ。
笑っていればなんとかなる、というどこか無責任な言葉と、笑っていては何もできない、とそうやって90近くまで生きてきた人の言葉。

多分それはそれまでの花の生き方を否定する言葉だ。
そして花は自分が「何もしらないこと」に気がつく。

彼女が持っているものは本の知識だけ。

彼にもっと聞いておけばよかった。話しておけばよかった。

 

花は韮崎に教わりながら自分の力でもう一度畑を耕し直し、家族では食べきれない量のじゃがいもを植える。
物語の中では初めて、本の知識ではない、人から教わったことをする。

それからは、色んな人が花の家を訪れるようになる。
野菜の育て方を教えてくれたり、肥料をくれたり。

親戚が増えたような、にぎやかで暖かい日々。

助け合って行かにゃ、という言葉は花の胸に響く。

それは今までの花にはなかった意識だ。

花はいつも家族だけで暮らしてきた。
誰にも迷惑を掛けないように。
野菜も、食べる分だけ育てればいいと思っていた。

それは慎ましやかな美徳に聞こえる。
でも誰にも迷惑をかけない暮らしは、一方で誰も助けられない。

自分達だけで生きていく、という言葉は裏返せば自分達だけが良ければいい、になってしまうのかも知れない。

大量に実ったじゃがいもを配り、お返しに大根や米を貰って、花は助けあうことを知る。

食べる分だけじゃダメ。実った野菜は、里のみんなのものなのだ。

 

子育ては一人じゃできないから

  

UDF(ウルトラディテールフィギュア)「スタジオ地図」作品 雪[おおかみこどもの雨と雪] ノンスケール PVC製塗装済み完成品

花は「おおかみだから」子どもたちを隠す。
「おおかみの」子育てが分からない、と悩む。

それはもしかしたらシンプルに人と違う子どもの話なのかもしれない。

どんな子どもにも、親とは違う個性があって、どうやって接していいか分からない、と思うことがある。

雨は山の動物たちから学んでいくし、雪は学校の友達から学んでいく。

花は独り立ちする雨に「何もしてあげてない」と言う。

きっとそれでいいのだ。

母親一人では教えられなかったことを、子どもたちは自ら学んで大きくなっていく。

雨を手放せなかった花も、最後には子どもの自由を尊重した。

子どもは親の思い通りになんかならない。

子どもに押しつけすぎない事、色んな人と触れ合わせること。

何もしてあげてない、じゃなくて母一人で何もかも、は出来なかったからこそ子どもたちは自立できたのだと思う。

 

雨と雪の違い

 

 

花が雨を追いかけ、雪を迎えに行かなかったシーンを見て、雪を見捨てた、という書き込みを見かけたことがある。

でもそれは違うと思う。

雪にとって学校は「安全な場所」だ。だから花は雪をおいて雨を追いかけた。

それに、花が迎えに行っても雪は帰れなかっただろう。  草平が残っていたから。

 

花の夢の中で、夫は「雪も雨も立派に育った」という。
二人の子どもはもう親離れしたのだ。

 

雨の子離れは雪が駐車場で伸ばした手を引っ込めたあの瞬間だ。

雪の子離れは、草平と一緒に学校に行く朝。

 

男児の子離れはドラマチックに、女児は淡々と描かれる。

これは愛情の深さの違いではなくて、手のかかることの多い男の子に、本当に大丈夫だろうかと不安になるせいかも知れない。

女の子は割と早く自立するけれど、子どもを産み自分以外の命を預かるようになるとキャパオーバーに陥る事もある。

そんな時また手を繋いで助けてあげられるように、雪の自立は緩やかに描かれているのだと思う。

 

この物語は誰のため?

 

【劇場限定】 おおかみこどもの雨と雪  ぬいぐるみマスコット〈雨〉

さて、小説を読むと理解しやすいこの物語は、なぜ映画ではストレートに伝わってこなかったんだろう?

伝わり難い、人の心の機微の物語だった、ということもある。

それから小説では三人称なのに、映画では雪が花から聞いた話を語っている、ということも大きい。

 

なぜ語り手は雪なのか。そしてこれは何歳の雪なのか?

 

作中で花は何度も「お父さんに聞いておけば良かった」という。

 

これは、妊娠したか、子を産んだ雪のために、花が語った「おかあさんの子育て」の話なのではないだろうか?

 

戸惑う娘のための、こんな母でもあなたたちはちゃんと育ったよ、だから「だいじょうぶ、だいじょうぶ」の物語。

 

だからこの映画は間違っていて、優しく甘いのだ。

 

私は原作の方が好きだけれど、たぶん次の金曜ロードショーでこの映画を見るときには素直に泣ける気がする。

 

おおかみこどもの雨と雪 (角川文庫)

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映画「おおかみこどもの雨と雪」主題歌 「おかあさんの唄」

映画「おおかみこどもの雨と雪」主題歌 「おかあさんの唄」