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おのにち

おのにちはいつかみたにっち

昨日の記事への言及と、ブコメに考えたこと。

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昨日書いた記事に、「ネットの海の渚にて」ドボン会会長さまから、言及を頂きました。自分の中に蓄えられたものがあるからこそ書ける言葉だと思いました。
深く考えさせられました。

その上でもう一回、自分の考えを書いてみたいと思います。

 

 

dobonkai.hatenablog.com

 

まず、ドボン会会長さんの言葉から。

大元のはあちゅう氏の記事では人生観について言及しているので、今回は旅に出て人生観が変わるのか?ということについて考えてみたい。

まずここは私が読み間違ってました。
はあちゅうさんの記事を読み返すと、

「感動」はするけれど
人生観がそこまで変わったりはしません。

 と書かれていて、はあちゅうさんが言っているのは人生の「根底」の話なのだ、ということが分かります。

 

私が「旅で人は変わる」と思ったのは、「世界の多様性を知って拡がる意識」です。

 

それはいわば樹の枝葉のようなもので、旅や書物の影響によって、どんどん広げていけれど、根っこの部分、つまり樹の根底にある「人生観」はそう簡単に覆らないよ、ということをはあちゅうさんやドボン会会長さんは言いたかったのだと思います。

 

人生観を簡単に覆しちゃダメなのか?

 

その上で、思いました。

 

私自身はもう守るべきもののある樹で、根っこは大きく肥大してしまったし、新しい刺激を受けても枝葉は少ししか伸びません。

 

でも何もかもこれからの若い人が、ぐんと視界が変わったらどう感じるでしょう?
たとえば、小学校に入学したばかりの子と、卒業生では50cmも視界が変わったりするんです。

そんな経験を、1ヶ月の旅で得られたとしたら、人生観が変わった、と感じるんではないでしょうか。

ただそれは『人生観』ではなくて『価値感』の変化なのかも知れませんが。

若いうちに旅をしたら大きな影響を受ける。
だけどそれくらいの経験で生きていく指針である「人生観」が180度変わってしまうようだと、今後もことあるごとにコロコロ変わってしまって人生の迷路に迷い込んでしまいそうで心配だ。
本来の「人生観」とはもっとどっしりしたものだと私は思っている。

 

「人生観」はどっしりしたものであってほしい、と私も思います。

でももしかしたら、そもそも生える場所を間違ってしまった樹もあるかもしれません。

そんなとき、自分を引っこ抜いて『俺間違ってたわ~人生観変わったわ』とフットワーク軽く歩いていく生き方も、ありだと思うんです。

身軽な人しか出来ない生き方だと思うし、浅はかで薄い人生、と言われるのかもしれないけれど。

きちんと根っこを据えて、実直に生きていくことが大切。
会長さんが言いたい事はそういうことなのかな、と思います。

それは勿論大切なこと。

 

旅に出て「人生観が変わった」と言う奴は「人生観」という言葉のもつ意味を真剣に考えていない。

そうなのかも知れません。

でも私は、軽はずみでも浅はかでも、そんな風に思ったことを素直に口に出して、コロコロ自分の主義を変えて、迷いながらでも進んでいく人は素敵だと思います。

だからやっぱり、「旅に出て世界観が変わった!」はアリだと思うんです。

大人になって振り返ったら、「あれ?そこまでじゃなかった?」って気がつく日もあるかもしれないけど。

いつかどっしりした、自分自身の人生観を手に入れる日まで。

新しいことに出会うたび180度意識を変えて、迷い道ばかりの日々でも、いいんじゃないのかな、と私は思っています。

 

こうやって、言及からもう一度改めて考えるって、とても面白い経験でした。

自分自身まだ思い及んでいない、きちんと読み込めていない部分があった事に気づかされました。はあちゅうさんの記事も、言葉は過激だけれど本当に書きたかったのは一時期ブームになった一人旅、自己啓発への警鐘なのかも知れません。
ドボン会会長さん、ありがとうございました。

 

追伸:ブコメに沢山あった、「炎上芸はスルー」ホントにその通りだと思います。
いつもは達観してるんですけど、でもたまには燃料をくべるバカになる日があっても…やっぱりダメな気がしてきたな。

まぁ書いちゃったからいいやー!(スク水な人生観ですから。日々反省…)

 追伸2:はあちゅうさんの記事を改めて読み返したら、「世界一周を売り文句にしてる人って大体中身ゼロだよ」から自著への紹介までの流れってある意味高度な自虐ネタだな、と尊敬致しました…。