物語の始まりは1本の電話だった。
「はい、〇〇社です」
「あのね、そちらに行きたいんですけど。右?左?どっちに行ったらいいの?」
右?左?
お前は何を言っているのだ?
彼はセクシーなのキュートなのどっちが好きなの?くらい難しい質問だ(なお平成の正解はガッキー)と淹れたばかりのコーヒーを飲んで現実から逃避していたら怒られた。
「ちょっと!右なの? 左なの?早くしてよ!」
「…お客様今どちらにいらっしゃいますか?」
「それが分からないから電話してるんでしょ!カーナビは右って言うんだけどね、『東北自動車道』って書いてあるのよ、これでいいの? 」
それは高速道路ですお客様。
最寄りの駅前から右か、左か、と言う話かと思っていたらお前は一体どこにいるのだお客様。
「右に行くと高速ですね…左はなんと書いてありますか?」
「右は高速?高速なんて乗りたくないわ!じゃあ左ね、ありがとう!」
電話は切れた。
世の中には奇妙なこともあるものね、あらあらうふふ、なんて職場に話題を流布し、後は職務に専念した。時は師走、まだまだまだまだ、入力しなくてはいけない書類がたくさんあるのである。
しかし1時間後、また鳴る電話。
ディスプレイには先程と同じ番号が表示されている。
無視しようとしても、みんなが生暖かい目で「あなた宛ですよ…」と見守っているくそったれ。
私はさっき個人情報を風説してしまったことを後悔していた。
報告連絡相談が裏目に出る時もある、特に師走には。
「…はい、〇〇社です」
「さっき左って言った方?あのね、セブンイレブンまで来たんだけどまた道が分かれてるの!右左、どっちに行ったらいい?」
…左と言った覚えはないのだが。どうも責任をなすりつけてくるタイプらしい。用心してかからねば。
「いまどちらにいらっしゃいますか?」
「だから!セブンイレブンよ!」
「…看板に、店名が入っていませんかお客様?」
「ああ!それね!早く言ってよ!セブンイレブン〇〇店よ!」
もしここに金属バットがあったらフルスイングしたいな、と私は思った。
しかし店名が分かれば話は早い。
彼女は2つ隣の町にいるようだった。車で一時間ほど。
国道を真っすぐ、あとはこの町に入ってから信号を二つほど曲がるだけ。
案外分かりやすい、と私は胸を撫でおろした。
「そちらからですと、〇〇線を北、〇〇町方面に真っすぐ向かって頂ければ…」
「だから!それは右なの?左なの?」
コンビニで聞けBBA!と思ったが架空のペンに架空のババアを刺すことでやり過ごす。
PBAP。語呂イマイチ。
このババアお客様をコンビニに向かわせることは更なる社会悪。
私がここで引き受けよう。だがババアお客様、お前の頭はどっちを向いているのだ。
「右側の道には何が見えますか?」
「ホームセンターがあるわよ」
「左は?」
「歯医者」
ここで私はお客様の背後に自分のスタンドを飛ばした…と言っても残念なことに私はスタンド使いではないのであくまでイメージである。
神の目線で、お客様の頭上から覗く感じで。
現在地はここで、右にホムセン、左に歯医者が見える場所。
そしてマップを重ね合わせれば…。
「…お客様、右でも左でもなく、後ろの道を真っすぐです」
「嘘!後ろから来たのよ?カーナビもこっちって言ってたのに」
おめーのカーナビは一体どうなっているのだ、目的地ちゃんと確認してみろオラ!と思ったが今度はカーナビの操作方法を説明しろ、と言われそうなのでやめた。
そのボタンは右にあるの?左にあるの?と言われたら息絶える。
「後ろの国道〇号線をしばらく直進していただければ当町に着きますので…」
「本当ね!さっき左って言ったの、間違いだったんじゃない?」
だーかーらー。
「お待ちしております♡」と私は電話をガチャ切りした。
お客様はかなりクソだったが、脳内で地図を描くとき、スタンドを飛ばしてイメージしたときは少し面白かった。
これってRPGだ。神(プレイヤー)の目線で、キャラクターの背後から視界に何が映るかを探す。ダンジョンはどこだろう?お城はどこにある?
現実世界でキャラクターを動かしているみたいで(たとえそれが右と左しか知らないお客様であっても)ちょっとだけ、楽しい。
目的地周辺まであと1時間ほど。ちょうど昼時だ。
お昼は外で取ろう…と私は思った(面白くても、会いたくはない人もいる)。
しかし30分後、また電話が。
どうしたんだお客様!直進だと言ったのに。
「あのね、今セブンイレブン〇〇店にいるんだけど、この辺で美味しいランチが食べられるお店知らない?」
お客様貴様!城への道はまだ半ばだというのに、寄り道する気か!
セブンイレブンの店名を言うあたり少しはレベルアップしたようだが、寄り道脇道など10年早いわ!
「えーっと、そのすぐ近くのラーメン屋さんが食べログで☆が付いてるみたいですよ?」
後で調べたら一つ星だった。嘘は言っていない。
その後お客様からの電話は途絶えた。
ラーメンが不味かったのか、それとももう当店に来店し、用を済ませて帰ったのか。
そんな風に考えていた2時間後、また電話が。
「ラーメン食べてくつろいでたら遅くなっちゃった。また今度、ゆっくり来るわねー!」
また今度だとお客様⁉︎残り30分なのに⁉︎ラーメン2時間食べてんじゃねぇお客様!
セーブ、いやせめてナビの地点登録を!
「お客様?いちいちいらっしゃるのはガソリン代も大変ですし、郵便や最寄りの支店でもお手続き頂けるかも知れませんが…?」
もう来んな、の意を込めて私が尋ねると帰ってきたのは思いがけない答えだった。
「郵便?直接見なくちゃ意味ないじゃない!」
「…失礼ですが、お客様はどちらに向かう予定だったのですか?」
彼女が口にしたのは当店から30分ほどの資料館の名前だった。
「そこに行こうと思ったら迷っちゃって!携帯みたらおたくの電話番号が入ってたのよ。確か近くだったでしょ?」
私は資料館の電話番号を伝え、当店から資料館はそこそこ離れてるので直接電話しろ、とそれなりに心優しく教えた。
その後、私は彼女の電話番号を職場の電話に登録した。
名前は冒険者。
私はもう、電話に出ない。