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おのにちはいつかみたにっち

ラスト・デイ

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はてなブログは昔はてなダイアリー、という名前だった。
ふとしたきっかけで誰かさんのはてなダイアリーを、昔の日記を覗くような感じで読み漁っていたら、私もブログ記事じゃなくて日記が描きたいな、と思った。

構成を決めず、思いついたことを書いていくだけの、やわやわしたうどんのような消化のいい話を。博多のうどんは柔らかくて甘い…と言う話を読んだので甘い話が書きたかったのに、今日思いつくのは死の気配のする事柄ばっかりだった。

渡部優さんの「自由なサメと人間たちの夢」最初の短編「ラスト・デイ」を読みながら書いているせいかも知れない。

その話はこんなセリフから始まる。


さて、私は死にたい。本当に死にたい。心の底から死にたい。

 

自由なサメと人間たちの夢

 

 今Tシャツの上に羽織っているのは、10年前に買ったユニクロのフリースの上着だ。

もう色あせてクタクタで、よく捨てろと言われるのだが捨てられない。
軽くて柔らかくて肩が凝らなくて、部屋着としては最高なのだ(コンビニにすらいけないレベルのボロさだけれど)。

この上着がまだ真新しくてきれいなパステルブルーだったころ、病院の同室の人が「綺麗な色ねぇ」と言ってくれた。
あれは誰だったか。

 

10年前、婦人科に一週間検査入院したことがある。不妊治療の準備のためだった。
今は不妊専門の病院や外来なんてものがあるらしいけれど、当時私の通っていた病院にはまだ不妊治療の患者は少なくて、妊婦さんの間を肩身の狭い思いで通っていたことを思い出す。ソファの上に無造作に赤ちゃんを置いてトイレに行くお母さんの背中を見つめて、さらってしまうぞと本気で思った日もあった。

子宮の腹腔鏡検査について、ちょっと切るだけ、ちょっと全身麻酔するだけ…と甘く考えていた私は、一晩身動きしてはならないという地獄の一夜を過ごした。
看護婦さんからとにかく一晩動くな傷が開くと言われ、寝返り防止に軽く拘束され(トイレはカテーテル)眠ることもできず、動けない、何も出来ないというのは立派な拷問なのだな…と思い知った。

先日父が腹腔鏡手術をした後、今は血栓の予防のため術後すぐにトイレに歩かされる…という話を聞いて絶望した。私の地獄の8時間は、どうやら本気でただの拷問だったようである。しかし8時間戦えることは分かったのでそうやすやすとは自供しねぇぞ、といつか来るさらわれる日を楽しみに待っている(嘘です即自供します)。

 

地獄の一晩を終えて朝が来て、同室の人達の顔を見た。
私の部屋は4人部屋で、妊婦さんはいなかったけれど3人とも少し長く入院している人たちだった。

「あなた若いのに子宮取っちゃったの?」
むかいの、すこしズケズケとした物言いをする女性にそう言われて驚いた。
その部屋の人達は全員子宮筋腫で、子宮を取る手術を既に終えていたのだ。

ズケズケさんはどうやら良性で、他の二人はがんのようだった。
彼女はとにかく大きな声で人を励ましたり、病状を言ってしまうので全てが丸聞こえなのだ。

ズケズケさんが診察のために部屋を出ると、隣の人が「ごめんなさいね、悪い人じゃないんだけど」とフォローしてくれた。40過ぎの、とても綺麗な女性だった。バツイチで小学生の男の子がいる。

優しく穏やかな人だったが、ズケズケさんが子どものために元ダンナとよりを戻しなさいよ、と勧めたときは本気で憤っていた。
「そうするくらいなら死んだ方がマシです」
普段は穏やかなその人の怒りっぷりに驚いたズケズケさんが席を外した後、隣の人はこう言った。

「縁起でもないこと言ってごめんね。絶対復縁はしないけど、でも私絶対に死ねないし死なないわ。だって子どもがいるんだもの」

死ねない、とあの人は窓の外に顔を向けて言った。
光に照らされた、凛とした横顔を思い出す。

 

ズケズケさんの隣には、彼女と同じくらいの年の(50代くらい)女性がいた。
彼女が一番古株のようで、よくズケズケさんのことをたしなめていた。

彼女はベットから動けなくて、一番病状が重いようだった。
寝ている時間が長く、食欲も無いようだったけれど、起きている時間はいつも編み物をしていた。ふんわりと、穏やかな印象の人だった。

彼女は子どもがいなかった。年若い旦那さんが毎日のようにお見舞いに来ていた。
お見舞いというより、旦那さんは寝たきりの彼女にお見舞いに貰った果物やお菓子を貰ったり仕事の愚痴を聞いて貰ったり、構って貰いに来ているようだった。
旦那さんは大きな子どもみたいだ、と私は感じていた。

旦那さんは時折、保険屋さんを病室に呼んで話していた。
病室に呼ばれた保険屋さんはいつも堅苦しい表情ですぐに外に退出して、病室前のロビーで旦那さんと長話をしていた。

ズケズケさんが、編み物さんは保険に入っていなかったので旦那さんがなんとか今からは入れる保険を探しているらしいと言った。

それも、死亡時の保険金の高いやつを。さすがのズケズケさんも、その言葉を言う時は声を潜めていた。

病院内のコンビニに行った帰り道、旦那さんと保険屋さんの話を聞いてしまったことがある。
若い保険屋さんは明らかに怒っていた。亡くなった後のことを考えるより、奥様のために、今できることをしてあげて下さいと。私もそう思った。

病気の奥さんを見世物のようにして、同情を引いて。保険屋さんにこういう可哀想な人間を救えないのはおかしいだろうと、法の不備を突くような言い方をするのは卑怯だといつも思っていた。

 

でもその時、旦那さんは怒鳴った。「お前に何が分かる!」

 

時が過ぎて、私にも分かるようになった。
人を喪う時の不安、そこには愛という綺麗ごとじゃなく経済的な不安も伴うものだ。
私が誰かに依存しきった生活をしていて、その人が突然逝ってしまうかも知れない、と思ったら。私が彼のような真似をしないで済むためには経済的に自立して、自分の足で生きていくしかない。それでももし、私のことを子どものように甘やかしてそれでいいんだよ、と言ってくれる人が現れたなら?そしてその人が急に去ってしまったら?

 

誰の不安も、悩みも、本当には私には分からない。
だから私の思う正義を誰かに押しつけるのはおかしいんだ、と時が過ぎて少しは分かるようになった。

編み物さんは病室で、いつもセーターを編んでいた。
アイボリーで、凝ったアラン編みの素敵なセーター。

時折消灯時間を過ぎても編んでいて、看護婦さんに根を詰め過ぎだ、とたしなめられていた。

「でも私にはこれくらいしか残せないから…!」
カーテンの向うで、編み物さんが切実に漏らした声を、私は忘れられない。
ズケズケさんでさえも、何も言えなかった。静かな静かな夜だった。

 

数年が過ぎて、私は妊娠してまたその病院に通うようになった。

待合室で、大きなお腹を抱えていると一人の女性に声を掛けられた。
隣のベットにいた、綺麗な女性だった。あれから経過は良好で、再発もないのだと言う。

私のお腹を見て「私達、なんとか乗り切れたのね」と笑った。

死ねない、と彼女が言ったあの日の横顔が浮かんできて、私はバカみたいにボロボロと泣いてしまった。泣かないでよ、と言った彼女も泣いていて、私達は待合室で他の人が引くくらい、思いっきり泣いて笑った。
涙は暖かくて、生きていて良かった、と思った。

 

 

冒頭に上げた小説「ラスト・デイ」のヒロインは、死に憧れている。
死は余りにも素敵で甘やかで美しく、でも人は一度しか死ねないから勿体なくて逆に死ねない。

私も時折何もかもが面倒くさくて嫌になって、どうせ死ぬならいつ死んだっていいんじゃないか、みたいな気分になることがある。死の甘やかさは少し分かる。

 

 でもやっぱり、死にたくないし死ねない。
ごちゃごちゃとめんどくさい世の中で、アラン編みみたいにうねうねと迂回しながら、矛盾を抱えながらも、それでも私は生きていくんだろうと思う。ほんの時折訪れる、奇跡のような瞬間にまた出会いたいから。

 

名前は忘れたけれど、あの時の4人部屋の人たちのことを時折思い出す。
10年が過ぎて。人は皆、いつかは死ぬものだけれど。
それでもまたいつかどこかで、と。

  

自由なサメと人間たちの夢

自由なサメと人間たちの夢