おのにち

おのにちはいつかみたにっち

何をどこまで信じたらいいか、という話

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今日はちょっとゆるっともやっと、はてなブログのお話を。
こういう内輪話は一部の人にしか面白くないかなー、と書かないようにしていたのですが、たまに私的な話を。公開するのをためらっていたので、話が少し古いです…。

 

私の好きな女性ブロガーさんが、昔からファンで大好きで憧れている、と言っていたブロガーさんに向けて手紙のような記事を書いていました。

私は彼女が昔からその人に憧れていたのを知っていて(私もその人の文章のファンです。怖いくらい切りつけるのに、雪のように綺麗なんです)、真摯に書いたんだろうなぁ、私もこんな手紙が欲しいなぁ、と思っていました。

ところが事態は急転してしまって。

 

憧れのブロガーさんが怒った理由、はネットに詳細に書かれていて。
それを読むと確かに私には見えていなかった世界が見えてきて(だって、誰かが誰かのコメントにスターを付けたとか、そこまで普通ウオッチするもんなの?)よく分からなくなりました。

私に見えていた世界と、違う世界があるのかな?
誰かが誰かを貶めたり、マウントしあっているのかな?

私は昔から人の内心を読むのが下手で、そこがコンプレックスで。
嫌味を言われてるのに気が付かなくて、ありがとうございます、なんて馬鹿正直にお礼言っちゃって、あげく相手に怒られたこと何度もあります。

思い出すと今でも情けなくなります。

 

でもね、やっぱり私はそんな風にバカだから、世界を自分の知ってることと結びつけてしか考えられないんです。

 

若い頃、奥さんと愛人さんが一緒に仕事をする、地獄のような事務所の事務員として短期間働いていたことがあります。

3人でいると空気が物凄く重いんですが、私と二人のときは奥様も、愛人さんも、それぞれすごく優しいんです。

そして自分がどんな風に虐げられているか、相手がどんな風に酷いか。
そんな風な話を教えてくれます。

片方の声だけを聞いたときはそれは確かに酷い、と同情したくなる。

でも、もう片方の声を聞くと愕然とするんです。
同じ局面の話のはずなのに、見え方がまるで違う。

それぞれの話は、どういう訳か二つとも正しく聞こえるんです(普通に考えたら愛人が悪い、となりそうだけど愛人さんの側にも昔から結婚を誓い合っていたけど持参金の額で負けた、というビアンカのような理由があったり)。

 

その昼ドラな事務所は、さすがに神経を病みそうだったので見習い期間で辞めました。
お給料も勤務時間も良いのに、マメに求人募集が出ているから怪しい…とは思っていましたが、まさかこんな理由だったとは。

今考えると二人とも、私を味方につけたかったんだと思います。

そして奥様も、愛人さんも『嘘を付いている』と言う意識は無くて、ただ真実が自分の中で都合のいいように歪んでいって食い違うのだろうなぁ…と思いました。

 


人の言う事なんて、もしかしたら全ては藪の中なのかも知れない、と思います。
事実を全て公平に捉えることは、結局人間には無理なんじゃないでしょうか?

公平なはずの裁判だって、裁く人によって違う判決が出たりしますし。

結局私はお友達本人の、自分は関わっていない、というコメントにスターを付けました。

 

私は自分の見たい物しか、見ていないのかも知れない。

でもそれでもいいや、って思います。
福島の片田舎からは、全ての人と直接交流できる訳じゃないし。

誰かにとっては悪い人でも、誰かには優しく接するのかも知れない。
それぞれにそれぞれの言い分があって、現実世界の「藪の中」は、小説よりも難しい。

私は判事じゃないし、裁判官でもない。
裁くのはやめて、自分の好きな人を信じていこうと思います。

甘いって言うかも知れない。
でも私は、こうやって仲良くしていても生きる道はそれぞれ別だと思っています。
私とあなたの人生は決して交差しない。

だからせめて優しい言葉くらい、いいじゃない?
私にあなたの人生の責任は取れない。救ってあげることもできない。
言うとおりにしてくれれば責任持ってトラブルを解決してあげるよ、なんて絶対に言わない。

でもまぁやっぱ、なんでか分からないけどあなたが好きです。
また飲んでよね、さおりたん。