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子育てシェアハウスから学ぶ、新しい家族の暮らし方

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phaさんのビルを建てよう、という記事を読んだ。

pha.hateblo.jp

 

巨大なシェアハウスビル。実際に出来上がったら入居費はそこそこ高額になりそうだけど、かなり面白い暮らし方だと思った。

シェアハウス、という言葉が定着しつつある今、若い世代向け、もしくは貧困層向けだったシェアハウスもこんな風に進化・細分化していくのだろう。

国の政策で老人ホームが増えなくなった今、代わりに高齢者向けの介護付きシェアハウスが増えているという話も聞いた。

シェアハウスは限られた土地で暮らす私たちの、新しい時代の流れなのだろうか。

 

『子育てシェアハウス』に寄せられた思わぬ反論

 

様々な形のシェアハウス、という言葉で思い出すのが最近記事で読んだ『子育てシェアハウス』という形態である。

7LDKの家をシェアハウスとして11人で住み、みんなで子育てをしているという記事に思わぬ反論があり日本のしんどさを感じた…というこの話。

withnews.jp

 

ただ苦情が寄せられた、という記事のタイトルが『出産してもシェアハウス、夫婦で社会実験中 ぶっちゃけ大丈夫?』といかにも非難を狙っているような雰囲気で、何を言わんや…と思う節もあるのですが。

出産してもシェアハウス、夫婦で社会実験中 ぶっちゃけ大丈夫? - withnews(ウィズニュース)

 

シェアハウス、という言葉が生まれてからもう10余年。
若い頃シェアハウスで暮らした世代が親になり、また新たなシェアハウスを探す、そう考えれば子育て型シェアハウスが出来るのは自然な流れである、と感じる。

しかし実際に運営されている子育て型シェアハウスに寄せられた批判は「事故があった時の責任は?」「自分たちだけで育児ができないなら子どもを作るなと思う」という否定的な内容が多かった、とのこと。

 

 

確かに小さな子どもには思いがけない事故が起こり得る。
そういう時の責任者たる自覚を持って、子どもは親が育てるべき、という責任論は大切だ。

実は私自身、子どもが小さいときは、責任を持てる親が夫婦だけで子どもを育てるべき、と思っていた。

そう思ったきっかけは、最初の子どもが1歳の時、私が病院に行くために実家に預けた経験からだ。

もう1歳、実家には親同伴で何度も遊びに来ている。
診察はたったの数時間だし、ちょうど午後のお昼寝時間。
寝かしつけてから行けば大丈夫だろう…と軽い気持ちで、母に頼んで出かけた。

ところが数時間後、帰ってきた私が見たのは玄関前で一人、石を拾って遊ぶ息子の姿だった。
家の前には大型トラックの通る大きな国道、裏には線路。
新聞でよく見かける、子どもの事故のニュースを思い出し、私は腰が抜けそうになった。

家に入ると、子どもを寝かせた布団の脇で母が昼寝をしていた。
一度起きてしまった子どもを再度寝かしつけるため、隣で添い寝をしているうちに自分が寝入ってしまった…ということらしい。

いびきをかいて眠る50代の母に怒りよりも老いを感じ、ただただ辛い気持ちになった。
もしも本当に取り返しのつかない事態が起きていたら、私は自分自身も母も、一生許せなかっただろう。

結局その事件がトラウマとなり、実家には頼らないまま、親だけの子育てで乗り切ってしまった。それが正しいのだ、と信じつつ。

 

一人では育てられない『子ども』という存在

 

そんな価値観が覆されたのは子どもが小学生になってからだ。
活動範囲が急に広がる小学校。

親だけの手では絶対に足りなくなる。
他の親との助け合い、ご近所の扶助が必要になってくる。

まずは登下校。
私の町では小学生になると集団で、自分たちの足で登校しなくてはいけなくなる。
近所のお兄さんお姉さんが一緒、と言っても昨日まで車で送り迎えされていた保育園児たち、不安はつきない。

最初の一か月は近隣の小学生の保護者たちが交代で子どもを送っていく。
帰り道は先生と、地区の老人会の方たちが協力して送ってくれる。

一か月間、片道20分の道のりを親だけで送迎しようと思ったら失業してしまう。
みんなで助け合うから、一か月にたった一度、20分の道のりを送っていく程度の負担でなんとか乗り切れるのである。

夏休み、子どもたちが夢中になって通うプールも、教員と保護者の監視によって事故なく運営されている。
プール一つとっても、自分だけで自分の子どもを守ろう、と思ったら夏休み中毎日付き添わなくてはいけない。みんなで交代で監視員を請け負うことで、月に一度、たった半日の負担で済むのである。


家の中の事だけならば、親だけでも対処できる。
でも子どもの行動範囲はどんどん広がっていく。
そんな時、子育てしながら仕事もしたい、と思うなら必ず助け合いが必要になる。

今は各家庭と地域がシェアすることで、子どもを大きく育てることが出来るのだ、と実感している。

 

『子育てシェアハウス』とはそんな地域のコミュニティを更に小さく、身近にしたものではないのか。
リビングに行ったら、すぐご近所さんに、同じ立場の仲間に出会える場所。

私は一人の時間も必要だ、と思うタイプなので他者と近すぎる環境は合わないかも知れない。

でも小さな子どもたちからしたら、年の違うたくさんの子どもがいるシェアハウスは毎日親戚の家に遊びに行ったみたいで楽しいだろうな、と思う。
お盆に実家に帰っても沢山のいとこと遊べるとは限らない、現代だからなおさら。

 

PTAや学校と言った団体が支えてくれる地域での奉仕作業に比べて、シェアハウスという小さな集団にはいざという時の責任、という問題は付きまとう。

それでも、どんなに注意していても避けようのない『思いがけない事態』は私たちが生きている以上起こり得るのだ。

 怖いことを想像しすぎるより、メリットを考えた方がいい。

 

子育てシェアハウスという賑やかな場は、かつての町屋や団地、それから3世代同居のように、今は珍しくなった共同体での生活を取り戻そうとしているのかも知れない、と下記事の動画を見て感じました。

結局暮らす人たちが楽しければ、それでいいと思うんだけどな。
あなたはどう思いますか?子育てシェアハウス。

 

bansosha.striking

 

 

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