おのにち

おのにちはいつかみたにっち

選択肢が多すぎる

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昔、トラピスト修道院に憧れたことがある。

トラピストクッキーは尼僧が焼いていると思い込んでいて、子どもが自立して旦那と死に別れて、それでも足腰が元気だったら修道院に行って私利私欲を無くし規則正しい生活を送りたい、と夢見ていた。

実際にはトラピスト修道院は男性修道士の祈りの場で、女人禁制であると函館で知って夢破れたのだけれど。

トラピスト修道院には申し訳ないことに、私は敬虔なる教徒ではない。
本当は尼寺でも、刑務所でもいい。
何も決めなくていい世界に行きたい、という後ろ向きな欲求がある。

決まった時間に起きて、お仕着せの服を着て、言われた仕事をこなしてみんなと同じ食事を食べる。

思えば私の夢見る生活は学校に似ている。
決められた登校時間、お仕着せの制服、定められた授業、規則を守りみんなと同じ生活をする。
あの枠の中にいた時はものすごく息苦しくて、お仕着せが嫌で、逃げ出したくて仕方なかったのに。

なぜか今は決められた生活に憧れていたりする。
理由はただ一つ。

選択肢が多すぎるんだ…。

 

子どもがいると、買わなくてはいけないものが急に増える。
我が家は子ども二人なので、自分の物×3。
洋服も事務用品も、自分の物は数年使えるけれどすぐサイズが大きくなる&消耗が激しい子どもの物はそうはいかない。

シーズンごとに20cmの靴、23㎝の靴、同じく20cm23cmの靴下、130cmと150cmの下着、同じく130cmの洋服150cmの洋服と15マスの国語のノートと5mmの方眼ノートと…
うわああああああ!

スーパーに行っても、ドラッグストアに行っても選択肢は続く。
季節関係なしに揃う豊富な肉魚野菜たち、100種類くらいありそうなシャンプー。

シャンプーを買っても戦いは続く。
トリートメントにするか、リンスにするか。
トリートメントはジャータイプかチューブ型か。
乾かすときはオイルがいいかクリームがいいかジェルがいいか…

うわああああああ!出家してやる!!全剃りしてやる!!!

 

洋服も化粧品も嫌いではない、好きなはず。
なのに秋の新色30ブランド全300色大公開!なんて雑誌の見出しを見ると黙ってランキングサイトを開き、万人に似合う第三位、なんて無難なモノを楽天で買い求めてしまう。

万人に似合う色は確かに似あうしイマドキに見える。
でも駅前のファンシーショップで、たった5色しかない色付きリップを真剣に選んでいたあの頃のほうが楽しかったなと今は思ったりする。

どんな田舎でも、簡単に雑誌に載っているものが買えるようになって。
便利になったけれど、駅前のファンシーショップは潰れてしまった。

学生の頃はとにかく自由が欲しかった。
赤いヘアゴム一本でも、没収されたがんじがらめのあの頃。

それからずっと自由を求めて歩いてきたはずなのに、贅沢な私は今ここにあるたっぷりの自由に少し飽きている。なにこの皮肉。

 

ネットの世界でスマホやバッテリー、映画や本のランキングなど、ほぼ全ての商品情報がランキング化されているのって、それだけ多くの人が選ぶ時間や手間を減らしたいと思っているからだと思う。

 田舎者の私、高校生の時初めて行った池袋のロフトは本当に楽しかった。
あんなにたくさん文房具や画材があって選び放題で、ここに住みたいとまで思ったのに。

現在の私はAmazonでなんだって買えるというのに、結局人気の商品から無難な物ばかり選んでいる。

じっくり商品情報を眺めたら、たとえ評価が低くても私には使い勝手のいい商品が見つかるかも知れない。それでも選ぶ気力が湧かないのは手にとれないからか、それとも時間がないせいか。

昔ミヒャエル・エンデの『モモ』を読んで、時間に追われる大人にだけはなりたくないと願った。

今、明らかに時間泥棒に時を盗まれた私がいる。
選択肢のせいだろうか?斜めに口を歪めて笑うしかない。

さてさてそんな訳で、今の私は選択肢の少ない、限られた世界に旅立つ夢を見ている。
でも実際にそこで暮らしたら?そこに慣れてしまったら?

今日の晩ごはんはメザシだけどカレー食べたい!とか自由を求めだす私がいるんだろうなぁ、と目に浮かんだりもするんだよな…。

かくも己はわがままで、自分勝手で。
何を追い求めているのやら?それすら過剰な選択肢の罠?というお話でした。

 

トラピストクッキー 24包入 [その他]

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