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歌野晶午「ディレクターズ・カット」感想-作り物の事件、作り物の死

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歌野晶午さんの「ディレクターズ・カット」を読み終わった。
相変わらずどんでん返しが冴えていて、面白い。

 

ディレクターズ・カット

 

冒頭は著者お得意の口が悪く乱暴で、サイコパスじみた若者たちの無軌道なお遊びから。

コインランドリーで水着姿になり動画配信、洗濯物を取りに来た無関係の学生をボコる。打ち上げのファミレスでは店員を脅しつけ、挙句に店長を呼び出し、土下座しろとはやし立てる。やんちゃで粗暴、眉をひそめたくなるDQNそのもの。

 

物語が動き出すのは打ち上げ後にグループのリーダー、虎太郎が駐車場で刺されるシーンからだ。

かろうじて命は助かるものの、犯人は取り逃がしてしまう。
すぐに警察、救急車を呼ばなくてはいけない事態だが、虎太郎はなぜか先輩に連絡する。

命が懸かるような事態に、なぜか?

 

それは彼が引き受けている『アルバイト』のせいだった。
依頼者は虎太郎の学生時代の先輩で、制作会社のディレクター長谷見。

実は虎太郎たちの動画配信はすべて長谷見の仕込みだった。
若者たちがやんちゃをする様子を『たまたま』目撃したディレクターが声を掛け、その様子を突撃撮影するという、やらせ映像。

そんな『やらせ』にいつも付き合わされていた虎太郎は、自分が刺されたのも長谷見の仕込みだと思ってしまったのだった。

しかしいくらモラルのない長谷見でも、やらせで人を刺すまではしない。
虎太郎の事件は本当の通り魔だった。

犯人の手がかりを見つけた長谷見と虎太郎は、警察よりも早く犯人を見つけることで大スクープをモノにしようと考える。

犯人の自宅を訪れ、職場へ行き、彼のTwitterまで突き止める。
死体まで発見し、視聴率はウナギ登りだったが、行き過ぎた取材が仇となり長谷見は謹慎処分に。

荒れる長谷見は無謀なやらせを仕込み、それが更なる事件を招いてしまうことになる…物語のあらすじはこんな感じ。

過激化していく動画投稿、TV番組のヤラセ疑惑。
イマドキのモチーフが上手く取り込まれていて面白かった。

Twitterと犯行声明

 

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物語の犯人はTwitterをやっている、という設定になっている。
誰もフォローしていない、自分の呟きを書き込むためだけのアカウント。
フォロワーはBOTしかいない、静かなタイムラインに犯人は匿名で犯行前の苛立ち、犯行後の達成感をリアルタイムで書きこんでゆく。

だけど誰も読んでいないと思うのは自分だけで、鍵垢にでもしていない限りそこはみんなが通り過ぎる場所だ。駅の掲示板に犯行声明を書こうなんて思わないのに、なぜかネットに放流するときには誰も気がつかない、なんて思ってしまう。

この心境にはほんの少し、心当たりがある。
ブログを始めたばかりで一日のPVが2とか3だったころ、広大な銀河に蛍を放っているような心許ない気持ちになったことを覚えている。

それでも、小さな蛍でも。
自分の日記帳に書き込むよりは、ほんの少し顕示欲が満たされたような気持ちになるのだ。

実際の事件でも、犯人のTwitterがニュースに晒されたりしているのを見ることがある。
だから犯行声明がSNSに書き込まれている、そしてその犯人のフォロワーが一夜にして数万を超える…なんて話はいまやよくあること、なんだろうなぁと思った。

 

「ディレクターズ・カット」は歌野晶午らしい、少し乾いたミステリである。
犯人も登場人物たちも身勝手でどこか狂っていて、私たちとは違う人間なのだ、お話の中のサイコパスなのだ、と思いたくなる。

だけど虎太郎の姉、ネネは長谷見から依頼を受けた『お仕事』の前にこんな台詞を言う。

 

「あたしは11時であがるよ。いちおう主婦ってことで」

 

ファミレスで店長を土下座させるのも、コインライドリーの洗濯機で遊ぶのも、彼らにとっては依頼された小さなバイトに過ぎない。

家に帰れば普通の暮らしがあり、本業が忙しければ「ヤラセのお仕事」を休むこともある。

虎太郎もネネも、職場や学校、家庭ではごく普通の『優しい人』なのかも知れない、と思うとゾクッとした。

私達は公共の場で暴言や暴力的な態度を取る人のことをこの人は異常なのだ、いつもこうなのだと割り切りたい、自分と切り離したい。

殺人犯の異常な横顔ばかりが強調されて報じられるのも、きっと罪と距離をおきたいと願う私たちの無意識が反映されているのだと思う。

でもこの小説みたいに。
電車の中で激しく怒りを露わにし、誰かに唾を吐きかけた人も、電車の扉が閉まり背を向けた瞬間に、出番が終わった後の静かな顔になるとしたら。

そうしてそのまま静かな顔で家路に着くのだとしたら、お土産を買って笑顔で家のドアを開けるのだと思ったら。

 

怖いよね...13日の金曜日のジェイソンは怖い。でもジェイソンの正体がお隣の優しいご婦人だった方が、きっともっと怖い。


でもそんな風に感じる私も、主婦や会社員やブロガーや、何かしらの役割を毎日演じていて。誰もが日常の間に、人格が入れ替わるような一瞬を挟み込みながら生きているとしたら。

『普通』が一番怖いのかも知れないな、そんな風に思ったのでした...。

 

ディレクターズ・カット

ディレクターズ・カット