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近藤史恵『インフルエンス』感想-私たちの絆の話

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 大阪郊外の巨大団地で育った小学生の友梨(ゆり)はある時、かつての親友・里子(さとこ)が無邪気に語っていた言葉の意味に気付き、衝撃を受ける。
胸に重いものを抱えたまま中学生になった友梨。
憧れの存在だった真帆(まほ)と友達になれて喜んだのも束の間、暴漢に襲われそうになった真帆を助けようとして男をナイフで刺してしまう。
だが、翌日、警察に逮捕されたのは何故か里子だった――

幼い頃のわずかな違和感が、次第に人生を侵食し、かたちを決めていく。
深い孤独に陥らざるをえなかった女性が、二十年後に決断したこととは何だったのか?

近藤史恵さんの『インフルエンス』を読み終えた。

明るく優しいコージーミステリからシリアスなサスペンス小説まで、幅広い作風を持つ作家さんである。

『インフルエンス』は緻密な心理描写にやられそうになるシリアスなミステリだったが(傑作ロードレースミステリ・サクリファイスを思い出す)、物語の緊迫感に追われるようにイッキ読みしてしまった。

 

インフルエンス

 

『インフルエンス』あらすじ

 

これは4人の女性たちの物語である。
ヒロイン友梨から「私たちの三十年にわたる関係を書いて下さい」と、思わぬうちわけ話を聞かされる羽目になる作家の『私』。
子どもの頃、幼馴染の里子が発したSOSに気がつけなかったことが心の傷となっているヒロイン友梨。そんな友梨の親友となる美少女真帆。そしてかつての親友、友梨を庇う里子。

女たちの不思議な絆が罪の連鎖へと繋がっていく。
私と『私たち』の境界の曖昧さに眩暈を覚えながらも引き込まれてしまう、そんな物語だ。

 

「女の友情は脆い」だなんて、良く言われがちである。
親密そうに見える仲ほど、些細な出来事であっさりと切れてしまうから。

でも脆い絆を『友情』という言葉で表すのは違う気がする。
女同士の友情は同一性を大切にすることが多い。
お揃いの服や持ち物で結ばれる絆、それから言葉で共有感を深めてゆく。
「私も」「私たち」「だよね」「そう思う」。

男同士の友情は互いを認め合って結ぶものが多い気がする。
勿論女同士だって、異なる人間として尊敬しあうのが友情の基本である。

でもごく稀に、私ととても良く似た「女の子」に出会う時がある。
服の好みも、背格好も、考え方もみんな同じ。
いつも気があって、いつでも一緒にいたい。
朝から晩まで一緒にいても気を使わないから疲れない。
家に帰った後もLINEや電話でずっと繋がっていたい。

そういう相手に出会うことは本当に奇跡で、幸運で、そして不幸せだ。

私と限りなく同じ『私』が私を肯定してくれる、好きになってくれる。
なんて素晴らしい自己肯定感。

でも私と同じ私が違う一面を見せた途端、愛は憎しみに変わる。
あなたは『私』であるはずなのに私を裏切る、キライキライキライ。

どんなに似て見えても、自分と同一の人間なんてこの世にはいないから、私たち同士の縁はそうやって切れてしまう。

自他の境界を見失った縁。それはとても脆くはかない。
二人が親密であればあるほど絆は切れやすく、傍から見ていた人たちには理解しがたいだろう。

でもそれを本当に友情と呼んでいいのか、私には分からない。
私が私を好きになって、認めてくれる。
それはとても甘やかで、ねっとりした濃い絆。

 「インフルエンス」で描かれる友情はそんな感じだ。甘くて、怖い。

 

私のリカちゃん

 

この本を読み終えて、私は小一の時の友達、リカちゃん(仮称、リカちゃん人形のような小さな顔だったから)を思い出した。

近所に住んでいて、一人っ子で寂しがりなのに人見知りで、いつも二人だけで遊びたがった「リカちゃん」。
幼いころから引越し続きで、いつも他所から来た子扱いされていた私は、小学校で初めて自分を頼ってくれる友達を手に入れた。

その子はお人形のように可愛らしくて、大きなお家にいつも一人ぼっちで寂しそうだった。

私はリカちゃんの事を秘密の花園のメアリーみたいだと思った。
それからは少し我がままで気分屋の彼女に尽くすのが私の日課になった。
よく学校を休む彼女にプリントを届けるのは必ず私の役目だった。
それはすごく誇らしくて、甘やかな名誉だった。

リカちゃんの家は今思うと少し歪だった。
リカちゃんのお母さんは昼も夜もいないことが多かった。代わりにお婆さんの家政婦さんがいつも家にいたけれど、遊びに行くと陰から見張られているようで少し怖かった。お父さんも時々しか家に来ないと言っていた。そしてお父さんにはもう一つの家があるのだ、とも。

リカちゃんの親は決して学校に来なかった。だからリカちゃんは、運動会も発表会も授業参観も、親が参加する行事のある時は必ず休んだ。

リカちゃんと付き合うのはやめなさいと親に言われた、と別の友達が言ったとき、私は自分が誇らしくてたまらなかった。本当のリカちゃんが分かるのは私だけだと。誰に何を言われてもリカちゃんを守るのだと。

今になって思えば、七歳の私に何ができたと言うのだろう。
それでも思い出すのは甘やかな記憶ばかりだ。
プリントに忍ばせた手紙、休みがちな彼女との大事な絆だった交換日記。
ドールハウスで二人で遊んだこと。

人形遊びの時の彼女の家族設定はいつも少し不思議だった。
二軒の家を持つお父さん、ケンはお母さんのボーイフレンド。
「本当のお父さんはおじいちゃんだから、学校に来てほしくないの」。

当時は分からないことばかりだった。
リカちゃんはいつも不思議な顔をした私にオトナには内緒だよ、と言った。
そんな小さな秘密さえ宝石のように輝いて見えた。

 

リカちゃんは二年生になる前に大きなお家から引っ越していってしまった。
ケンとおじいちゃんがケンカをして、リカちゃんのママはケンと結婚するのだと言う。若いパパが出来て嬉しい、と言いながらリカちゃんは少し不安そうだった。
新しい住所は友達に教えちゃダメなんだって、と彼女は悲しそうだった。

多分引越し先を内緒にしたかったのだろう。
彼女の家の前で小学生に声を掛けるおじいさんがいるから気をつけなさい、なんて話が朝礼で流れて、そのうち消えた。

みんなリカちゃんを忘れた。
そして私も。

 

二年生になり、新しい友達がたくさん出来た。
私はグループで遊ぶ楽しさを覚えた。
誰かと二人きりで、家で静かに遊ぶことはもう無かった。

TVのこと、ラジオの話。
自分達だけの秘密ではなく、他者と共有できる話題で皆と繋がれるようになった。

古タイヤを飛び越えて遊んでいるときに、ふと一人の友達が言った。
一年生の時も仲良くしたかったけど、声がかけられなかった。いつもリカちゃんと一緒だから、横入りできなかったと。

 

私とリカちゃんの世界は閉じていたのだ。その時始めて気がついた。
同じクラスに、こんなに気が合う楽しい友達がたくさんいたのに、声を掛けたいと思ってくれていたのに、私にはリカちゃんしか見えていなかった。
外部から見る自分、という視点を手に入れたのはその時だったと思う。

 

私は今でも、誰かと二人きりで会うのは少し苦手だ。特に女性とは。
私は自分が誰かと同調しやすい、寄り添ってしまいがちな人間だと分かっているから。

私とリカちゃんの絆は多分間違いだった。
でもあの頃の空気は今でもチョコレートのように濃く甘やかで、私の胸を締め付ける。

 

『インフルエンス』という物語の中で、少女たちは自分の特別な絆を証明するかのように人を殺めてしまう。

私とあなたは違う人間で、全ては分かり合えないのだ。
自他の境界を保つことが大切なのだ、私達は生まれた時から一人なのだ、と私も本当は分かっている。

それでも時折思ってしまう。
遠い空の下を思い浮かべて。
どんな諍いが起きても、きっとあなたなら私のことをわかってくれる、と。

『インフルエンス』のテーマは人の絆。
自分自身の過去の記憶が呼び起こされる物語でした。

この本を読んだあなたはどんなことを思い出すのでしょう?
いつかそっと聞かせて下さいね。

 

インフルエンス

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