おのにち

おのにちはいつかみたにっち

忙しさの被膜

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 絶賛、忙し中でございます。

ブログを読む時間も書く時間も、Twitterで遊ぶ時間もなかなか取れませんが元気です。生きてます。

年度末で仕事が忙しいのと、春に定年を迎える方の送別会の準備と、中学生になる息子の謝恩会準備が重なって日々ワタワタしています。
更に細かく言うと、送別会で踊るダンシングヒーローと謝恩会で踊るダンシングヒーローの練習に、毎週駆り出されています。
同じダンシングヒーローなのに振付がまるで違うから、はわわ、頭が爆発しそうだよう…とクラクラ。正直今は踊りの振りしか頭に入りません。
空き時間には本やブログを読むのですが、頭の隅に振りが居座っているせいか、感動も笑いも悲しみも、ダイレクトに伝わってきません。どこか他人ごと、みたいな。

 私はこんな風に心が上の空になることを被膜モード、と呼んでいます。

大事な人を亡くした時、私は上手く泣けなかったりします。
悲しみやショックがあまりにも強すぎて、自分の意識がどこかへふっ飛んでしまうのです。 部屋の上の方、監視カメラのような位置から世界を眺めている、みたいな。
そうするとすべてが他人ごとのように感じられて、ぼんやりしたまま葬儀が終わってしまいます。 心理学的にいうと現実感の喪失、みたいな感じでしょうか。

忙しすぎるときにもこんな風に現実感が無くなってしまうので、やばいぞ地に足、と無駄にジャンプしたり、ハーブティーを飲んだりして、幽体離脱した自分を取り戻す努力をしています。サウナと水風呂で自立神経がシャッキリ、はこんな時にも効くのかなぁ。

 

忙しすぎる時のヤバい私、にはもう一個バージョンがあって、自分しか見えなくなるパターンもあります。 幽体離脱するか、視野が極めて狭くなるか。
要するに私は、忙しすぎると社会に関わるのが面倒くさくなってしまうのでしょう。

 幽体より視野が狭い方が周りには迷惑です。
私だけが大変、私だけが頑張ってる、みたいな恩着せがましいことを考え出したら視野が狭くなってる合図。 口を開くと愚痴や愚痴とか愚痴しか出てこないのでとっとと寝るかファンタジーでも読んで現実から逃げています。

SNSに在中する、私の生き方だけが正義だマンとか、私の言葉はすべて正しいのだマンも、忙しすぎるのかなぁと時々心配になります。

明らかに視野が狭くなってるからとっとと寝ろ、そして言葉に和らぎメンマをつけろ。
正しすぎる、白すぎる言葉はハイターみたいに劇薬だよね。
みんなそれぞれの事情を抱えて、それでもやれる範囲で頑張ってるんだと思うから、あなたの思う正解にたどり着かなくてもいいじゃん。
キツイ正義を吐きたいときは「気持ちは分かるけど」とか「自分の場合は」とかちょっと相手に配慮した、和らぎ言葉をつければ伝わり方は違うと思うのよね。

例えば「いまどき仮想通貨買わない奴はバカ」ダメ絶対!
「仮想通貨買ってよかった5つのメリット」でオナシャス。
しかしこんな風に他人の正義に口を出す私も同じように疲れて同じように視野が狭くなっているのでしょう…正義の堂々巡りキケン。早く寝よう。

 

とりあえず今日は短いけどこんな感じでとっとと寝ます。
絶賛忙し中なのですが、実は忙しいの要因、ダンス練習がいい気分転換になってくれてたりするから、世の中矛盾してますね。

正直踊る意味とは?くらいの気持ちだったんですが実際やってみるとそれなりに楽しい。 でも定年する人や、子どもの先生に踊りを見せる意味はやっぱり分かりません。 喜び組?それとも神への捧げもの?

まぁとりあえず、今夜もDo you wanna ダンスなう。

 

  

ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)

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