おのにち

おのにちはいつかみたにっち

大人を超えて、上手に老成したいですシロクマ先生。

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シロクマ先生のブログが好きで、よく読んでいる。

先生の新著が『「若者」をやめて「大人」を始める』というタイトルだからか、今興味の向いているテーマがそこなのか、最近は『大人』をテーマに書かれた記事が続いている。

 

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

 

 

大人とはなんなのか、なぜ現代は大人になり難い時代なのか。
そんなモラトリアム期間の延長が現在のシロクマ先生のテーマなのだろう…と思うのだけれど、どうも私にはその話題が上手く共有できない。

 

大人になるとはどういうことか?

 

私は『おらあおらでひとりいぐも』と本心から思えるようになったら大人だ、と思っている。現実的な話をすれば、経済的に自立する、自分の生計を自分で立てられるようになったら、年齢に関わらず大人と呼べるのではないか。

私はかつて、早く自立したくてたまらない子どもだった。
実家にいた頃は母親が営む自営業の手伝い、この季節はいつも年末調整の書類作成と、無給の搾取が続いていた。私は75年生まれなのだけれど、我が家においては未だに戦前社会の丁稚奉公システムが生きていた、ということになる。

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

早く社会に出て正当な対価を得たい、と思った私は、出来るだけ家賃の安いエリアで、出来るだけ給料の高い仕事、という夢もへったくれもない職業の選び方をして生きてきた。

おかげでモラトリアムにも、『本当の自分』なんて悩みとも無縁で、サクサク生き延びることが出来た。

モラトリアムは経済的に恵まれた者だけに許された楽園だ…なんて言ってしまったら、貧乏人の僻みが強すぎるだろうか。

 

職業と天賦の才

 

私は自分のやりたい事を考えず、立地と給与だけで職業を選び、それでもそれなりにステップアップして、現在まで働き続けている。

適職なんて深くは考えなかったし、今でもよく分からない。
どちらかというとコミュニケーションを必要とされる仕事が得意だけれど、コツコツ入力作業を続けるような地味で静かな仕事も好きだ。身体を動かす仕事は疲れるけれどダイエット要らずなので有難いと思っている。

中高時代、とにかく時給優先でアルバイトをしてきた経験が今の私の職業選びに結びついていると思う。

ドライブイン、旅館の仲居、葬儀屋、建設業…。
毎年様々な業種を体験してきた。
そこで学んだのは、どんな仕事でも一つくらいは面白さを見出せるし、最高に楽しい職場でも時には飽きるしうんざりする、ってことだ。

どんなに悩んで、自分の天職を見つけたとしても、趣味ではなく正当な報酬を貰える仕事をしているなら、毎日が楽しい、全てがやりがいに満ちているなんて人はいないと思う。

何かしら面倒くさいことはあるし、時には飽きる日もある。
それでも対価を貰うってそういう事だと思うから、お給料を貰ったら何をしよう、何を買おう…という妄想だけで充分乗り切れる。

私にとって仕事ってそういうものだ。
そういえば一つだけ仕事を決める際のルールがあった。

本当に好きなことだけは仕事にしない、だ。
本や、お酒に結びついていることだけは仕事にしないようにしよう、と心がけてきた。
仕事にした途端、純粋に楽しめなくなることだけは深く理解していたから。

それでも定年後はボランティアでいいから図書館を手伝いたい、みたいな細やかな願望はあるんだけど。ボランティアのスナックママもいいな…。多分お金が結びつかないなら純粋に楽しめる気がする。

 

さて、こうやって杜撰に職を選びながらも、心を病まずに済んだのは私に『天賦の才』が無かったから、だと思う。

少年マンガやRPGに出てくる、主人公だけが持つ特殊なスキル。
みんな一度はああいう『特別な才能』に憧れるけれど、アレって逆に言えば潰しの効かない、選ばれた庭園でしか咲けない希少なバラみたいなもんなのでは。

私は例えるならばどこででも咲いているオオイヌノフグリで。
でも地味なモブながら自分の繁殖力や適応力の高さ、小器用さには感謝しています。

私は資格も学歴も無くて、正直産休時にはこんな私が次の仕事を見つけることが出来るのか…とワナワナしていたのだけれど、なんでも好きになれてどんな職場にも自然と馴染めるモブスキル、小柄で優しそうに見える外見と親切に聞こえる声色があれば中身はともかく面接くらいは余裕で欺いていけるよな、と思ってます。
実際ガンガン日々欺いてますしありがとう!神に感謝を!

 

私の結石

 

優しそうな外見(美人とかそういうことじゃなくてミシュランマン的なモフモフさ)と優しそうな声色。

そんなスキルで生き抜いてきた私ですが、子どもと年寄りに優しい私のスペックは現代社会においては侮りやすさに繋がります。

私の大っ嫌いな、ボランティアと仕事の区別がきちんとついていない職場に誤って勤めてしまうと本当に最悪です。

勿論残業代もきちんと払わないような職場は一か月で見切りをつけるんだけど、そういう職場に限って(そういう職場だから?)なかなか辞めさせてくれません。

きちんとした対価も支払わないくせに、お客様とか社会のため、会社のみんなのために…なんて善意に訴えかけてきて、そんな気持ちが分からないあなたは人としてどーのこーの、なんてこっちを責めてきます。
せめて正当な対価と言う義務をこなしてから善意なんて言葉を口にしろやアホンダラ!

こういう職場に捕まると、だいだい旦那に愚痴ってしまいます。
そのとき夫がいつも言ってくれるのは『大丈夫?俺から言おうか?』という言葉。

 

…私だって分かっているのです、『私』だから侮られてゴネられるのだろうな、と言うことは。身長175cmでシベハス顔のダンナを脇に携えて、『辞めます』と言えば最初から揉めずに済むのでしょう。

でもね、それでもやっぱり嫌なんです、そうやって誰かの威を借りることは。

私は私の侮りやすさを自覚して、作為的に生きている。
だったらその作為が所以で起きたトラブルは自分でなんとかせにゃならん。
てめえのケツは自分で拭かなきゃ。

そういうのが大人だ、と思っているから言わなくちゃいけない時は本気でガッツンガッツン行きます。

私は私の嫌だ!を飲み込まないし、揉めようがなんだろうが戦う時は戦う。
そういう胡桃のような堅固なコアは、多分子どもの頃からありました。
今はどんどん大きくなって、私を支える芯になっています。

 

堅固を解きほぐすには?

 

はてさて、そんな訳で。
なんとかいち早くオトナになれたつもりで生きている私ですが、40過ぎて次のステップに悩んでいます。

自分は自分に与えられた義務をきちんと果たすことが出来る、と思うから私の中のコアは形成されて行きました。でも人は変わるじゃん?年は取るし、老化するじゃん?

今はまだ大丈夫ですけれど、ほんの少し体力が落ちた、物覚えが悪くなった、という自覚はあります。

だんだん老獪を覚えて、人に上手く甘えたり、頼ることが出来るようにならなくちゃいけないんじゃないか、と思うんですが…
私の中の堅固たるコアが邪魔をするんですよ!なんなんこの巨大な尿路結石!

若い頃の、つけ込み易い私を守るためには必要だった結石ですが、本当に人に甘えないと生きていけなくなる未来を思えば、今度はちょっとずつ溶かしていかないといけないのではないか…と悩んでいます。

何も出来ないのに意識だけは誰よりも高いお年寄り…なんて本当に扱い難いじゃないですか。敬遠されまくりじゃないっすか!

とはいえあまりにも早い時期にライナスの毛布を手放してしまった私、イマイチ人に上手く甘える、頼るということが分からない。

このままで行くと、いつか未亡人になり、領地争いで悩む私の元を訪れた謎の騎士が語る『領地も君も俺が守るよ…』と言う言葉を信じられないじゃないっすか!素直にその太い腕に抱かれ…るどころかアッパーカットっすよ!

晴れて未亡人になった暁にはロマンス小説の世界をたっぷり甘受したい私。
『老成円熟』は現在の人生のメインテーマです。

なので多分私よりほんの少し年上、人生の先を行くシロクマ先生には、是非正しい老成円熟のお手本を見せて欲しい、なんて期待してしまいます。

大人になるために築いてきたものを、いかに軽やかに脱ぎ捨てることができるのか?
人って子どもから大人になって、また子どもに戻っていく生き物だと思うんですよ。
それとも子どもと年寄りの無邪気さは違うものなのか?
築いてきたものを抱えたままでも、上手く現実に適応できる方策はあるのか?

…そもそも100年時代を迎える現代で、年を取ったから子どもに戻る、なんて甘えが許されるものなのでしょうか?大人になるのが遅くなった分、死ぬまで大人でいることを強いられるのでは?
そう考えたら、『大人になるのが遅くなった帳尻』はきちんと合っているような気がしてきました…。

 

シロクマ先生にも私にも、まだちょっと『老齢の境地』は早い。
けれど、大人を超えて老人を生きる人の言葉を、この先読めたら面白いし役に立つなー、と期待しています。

好き勝手言ってごめんなさい!
単なる私の願望なのですが、それではまた。