おのにち

おのにちはいつかみたにっち

西尾維新『悲終伝』感想‐伝説の終わりにようやく。

遂に、ついに西尾維新の伝説シリーズを読み終えた…っ!
第一巻『悲鳴伝』の発売から6年。

悲鳴伝、悲痛伝、悲惨伝、悲報伝、非業伝、悲録伝、悲亡伝、悲衛伝、悲球伝、悲終伝…と全十巻。すべて500ページ越えの大巨編。
長かった…そして重かった。

 

一冊一冊が物理的に重すぎて(いわゆる撲殺に手頃なサイズ感)、最終巻『悲球伝』『悲終伝』では心折れそうになっていたけれど、とにかく最後まで辿り着けて良かった。

最終巻はほぼイッキ読みでした。
ただイッキ読みに10時間ほどかかりましたが…!
全巻イッキは本気で死ねるからやめとけ。
読書の合間には適切な運動睡眠野菜を推奨。

 

悲終伝 (講談社ノベルス)

 

物語の主人公は空々空(そらからくう)という人間離れした名前の少年。
その存在自体も人間からかけ離れた少年は、特性がヒーローむきだ、という理由から英雄への道を歩む羽目になる。

そして立ちはだかる人類最後の敵はなんと地球!

自然破壊や環境汚染。
人類にさんざん踏みにじられてきた地球はとうとう『悲鳴』を上げる。

その悲鳴が、物理的に人間の三分の二を即死させた…という規模の大きすぎる厄災から始まった物語は、少年の初恋の終わりから動き出し、大切なひとの声で終わった。

 

打倒地球!のために集められたエリート『地球撲滅軍』だの、四国の対地球組織『絶対平和リーグ』(科学技術の粋を凝らして作り上げた魔法少女組織。もちろん衣装はフリフリ系)だの、入国希望者は国王との面接が必要な『人間王国』だの、天才のための救助船『リーダーシップ』だの。

奇矯な人間ばかり集めた、いつもどおり冗長すぎる会話劇は、全体を振り返ってみると非常にシンプルな少年の成長譚でした。

最後に残るのは人と会って話す事の大切さ、人であることの素晴しさ。
ちょっとクサい台詞だけれど、私たちは愛したり憎んだり笑ったり怒ったり、相反していられるからこそ人間で、そこに価値があるのでしょう。

 

第一巻『悲鳴伝』の勢いと最終巻『悲終伝』の暖かさが好きですが、『悲痛伝』から始まる四国魔法少女デス・ゲーム編も迫力があって好き(四国ネタは一つも分からないが)。

なにをしていても自然に見えるという地味な魔法『自然体』の使い手、魔法少女パンプキン所属杵槻鋼矢(きねつきこうや)さんが好きなので、彼女が大活躍する『悲球伝』もなかなかいいぞ。各国の組織に調査に行った「悲業、悲録、悲亡伝」編は…ゴメン正直記憶が飛んでるので時間があったら読み返します…。

 

ではでは今日は伝説シリーズをようやく読み終えたぞっ!というご報告でありました。第一巻『悲鳴伝』は長いけど読み始めると引っ張られる物語なので、もしよろしければ手にとってみて下さい。ただ血しぶき多めなので苦手な人は注意!
私は未読だけどマンガ版もあるらしいで!

 

悲鳴伝 (講談社ノベルス)

悲鳴伝 (講談社ノベルス)

 

 

悲鳴伝(1) (ヤングマガジンコミックス)

悲鳴伝(1) (ヤングマガジンコミックス)

 

 

心ここにあらず日記

4月である。

子どもが一人、中学生になったら生活パターンが色々変わって、子どもはもちろん私自身が順応に苦労している。

部活の朝練があるので6時には家を出る息子のために、毎朝5時起きで朝食を作る生活。たけのこの様な勢いで伸びる育ち盛り、むろん朝からしっかり食べる。

納豆ごはんにお味噌汁、卵焼きにウインナーに焼き鮭、かぼちゃの煮物、きゅうりとキャベツの浅漬け。

全部手作り…と言いたいところだが、煮物は真空パック、納豆はむろん出来合いである。ありがとうセブン&アイホールディングス、ありがとうおかめ。
おかめ納豆があれば私、生きていける気がするの。

 

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それにしても中学生の生活は慌ただしい。
朝練、授業、部活の後は山盛りの宿題。

入学式で、中学生になったら平日にゲームやインターネットで遊ぶ時間は無いと覚悟してください、という話があったがまさに、である。

まだ4月だと言うのに部活の新人戦、陸上の地区大会、初めての英検と予定がぎゅうぎゅう詰めの息子、全て本人の選択ではあるけど大丈夫か…!とこちらが心配になってくる。

荷物もクッソ重い。

教科書をギッシリ詰めた学校指定のリュックを背負い、制服フルセット(朝練の時はジャージ登校OKだが始業前に着替えなくてはいけない)、柔道着一式の詰まった登山リュックを自転車の前かごに突っ込んで起伏の激しい峠を毎日越えている。

せめて電動機付き自転車を…と思ったら息子に『ダサい』と言われた。
万能の利器にダサいってなんだ。
そして購入したのはごくごく普通のママチャリ。

中学生のダサいはよく分からん。
『みんなと同じ』が大切な年頃なんだろうなぁ、と言う通りにしたけれど。

 

それでも子どもの順応力は凄い。
こんな装備で大丈夫か…と心配する親を置き去りに、日々山道を越えてごはんをたくさん食べて、身長も体重も一か月単位でどんどん増えていく。

大人がこれだけスケジュールを詰め込まれたらパンクしそうな気がするけど。
思い返せば私の中学時代も週末まで部活がギッシリで、自由時間はほぼ無かったなぁ、なんて昔を懐かしんでいる。

さてさて、そんな訳で息子の順応は今のところ大丈夫らしいけど(それでも燃え尽きが怖いのでGWには休息を取らせねば、とは思ってます)問題はアラフォーの私!
毎日5時起き、朝ごはんをガッツリ作り、日によっては弁当や晩ごはんまで作ってから出勤する暮らしに未だ慣れません。朝だけでチカラ尽きてますがなにか…。

だから今日は私の心がここにあらずだよ、というお話でございました。
早く本を読んで感想を書ける、普通の暮らしに戻りたいものです。
最近は本を開けば即寝落ちです。

ギブミー体力、ギブミー睡眠!

 

一日はコーヒーのかほり

さて、私はいわゆる粗忽者である。
ドジな私、てへぺろ♡なんてかわゆさで押し流せる時は過ぎさった。

今は粗忽。単に粗雑。

 

そんな訳で金曜日も給湯室でインスタントコーヒーを一杯分、お湯を入れる前に床と自分にぶちまけた。

そこまではOK、よくあることなのさベイベー。私は余裕のよっちゃんで片付けた。
何事もなかった、そんな顔をしていられた。

月曜日の朝が来るまでは…。

 

週が明けて、いつも通りプラスチック製のネームプレートを引き出しから取り出し、首から下げようとした私は戦慄した。

ネームプレートの裏面が!黒いカビのようなもので覆われているではないか!
なぜプラスチックにカビが、と涙目でカードを取り出し除菌シートで拭こうとした私は更に戦慄することとなる。

 

賢明な諸君なら既にお気づきであろう。
カードを取り出すとザラザラこぼれる黒い粒。

インスタントコーヒーやんけ…

 

自分にざっばーんとコーヒーをぶちまけた際に、首から下げたネームプレート内部に奴らが侵入していた模様。ケース前面、上部がカードの出し入れ口になっていたことが災いしていたと思われる。

そういえば、と私は思い出す。
金曜日のオフィスがいつもよりコーヒーの香りに満たされていたことを。
今日はみんなコーヒー日和なのかな?忙しいからなぁ…なんて思っていたことを。

 

匂ってるのはあなたの首ですからぁ!

 

もしもタイムマシンがあったなら、金曜日の私を斬りに行きたい。
今日はそんな月曜日です、残念!

 

ネスカフェ ゴールドブレンド?120g

ネスカフェ ゴールドブレンド?120g

 

 

ブログと献立

今日は私が好きなブログを3つ、紹介したいと思う。

一つは映画メイン(小説も素敵)のブログ、もう一つはケーキメイン。
最後の一つは文章が素敵で、どれもよく読ませて頂いている。

 

mujina.hatenablog.com

 

kato.hatenadiary.com

 

d.hatena.ne.jp

 

私はもともと日々のなんでもない話を綴った、普通の日記みたいなブログを読むのが好きなのだけれど、この3つはその中でも選りすぐりのお気に入りで、いつもひっそり(時折コメントを送らせて頂きながら)楽しんで読んでいる。

彼らの日々はとっても普通、なのだけれどいつも少しのこだわりが感じられる。
『ぼくと、むじなと、ラフカディオ』のべるさんは、夕食に手作りのサラダを作る。t_katoさんはケーキと飲み物の組み合わせかたがいつも素敵。晩ごはんも美味しそうだ。gustav5さんの料理は手間暇がかかっている感じがして、いつも唾を垂らして読んでいる。

 

…ここまで読んで、要するにコイツはただの食いしん坊なんじゃないか?と思ったアナタ、とっても鋭い。
確かに私は食い意地が張っていて、美味しそうなブログを読むのが大好きだ。

でもこの3つのブログの楽しみポイントはちょっと違う。
あくまでも私の勝手なイメージなのだけれど、べるさんもt_katoさんもgustav5さんもその日の食べたいものがちゃんと定まっている、ように見えるのだ。そこが好き、そこが素敵。

 

午後3時くらいに今日の晩御飯は何を作ろう、とちゃんと献立が決められる。
帰り道はスーパーに寄って必要な材料を買って、ちゃっちゃと拵えのんびり夕食を迎えられる。当たり前に見える普通の暮らし、でもそれってすごく豊かなことだ。

結局のところブログに描かれているのは他人に話せる表面のことでしかないから、その人の水面下にある本当の苦しみや悲しみは、私には分からない。

実際は残業続きの日々で、手料理?なにそれふざけんな、なのかも知れない。

それでも彼らのブログからは、今日何食べたい!と心がスパッと定まって、料理が上手くいったときの満ちたりた気持ちが伝わってくる。
お腹よりも、心が満腹になるようなあの感覚。

彼らは私が愛おしく思う日々の当たり前のことを、ちゃんと慈しんでいる人たちのように見える。

その日の献立を決めるって、地味に難しい事柄だ。

私は今日何が食べたいのか?
その日の気温や湿度、朝ごはんや昼ごはん、前日に食べたもの。
自分の体との意思疎通がきちんと取れていないと上手くいかない気がする。
孤独のグルメの、今日の俺は何腹だ?ってやつ。

私はそこんところの機能がどうもポンコツで、揚げたてのトンカツを一口食べた瞬間に『しまった今日はシメサバだった!』と気が付いてしまったりする。
そんな感じだから食べたいものがスパッと作れた日はとてもスッキリ、心地いい。


今回紹介した3つのブログに対して、私はいつも勝手に、そんな心地よさを感じているのです…。

身勝手な思い込みで本当にごめんなさい。
書いたものがどう読まれるか、ってどれだけ記事を書いても実は未だに分からない。
突然思いがけない一文から、コメント欄でオッサン大喜利が始まったりする不思議。

t_katoさんのブログはもしかしたらケーキの商品名に乗せたロシアへの暗号文なのかも知れないし、べるさんの小説は実は本当に見たことを描いた日記なのかも知れない。gustav5さんは自分のブログを『裸』で検索する人がいるから、とご親切にも3サイズを記載していた。

 たった一人の、ただ一つの日記。
それでも読む人の数だけ、たくさんの世界が広がっているのだろう。
私は彼らのブログに、なぜか晩ごはんの献立を思い浮かべてしまった。

 

人生は色々、上手くいかない。
それでもその日の晩ごはんの献立が定まっているだけでも、私たちはちゃんと幸せになれる。

上手く言えないのだけれど、この3人のブログを読むとき、私はそんな風に満たされた気持ちになるのです。

あなたが癒されるブログはなんですか?そのブログを好きなポイントは?
もし良かったら、聞かせてください。

 

たけのこを食べる祭り

週末にたけのこを丸ごと茹でて食べたので、そのログです。いあ、いあ!

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①たけのこが均一価格だったので、欲張って一番大きなたけのこを買ってしまう。

 

 

②鍋に入らないと言う絶望。

 

 

③皮を剥いても、切って茹でてもオッケーらしいので無理やり詰め込む。

 

④色々作っても減らないと言う絶望。

 

 

⑤たけのこ祭りセカンドシーズン。
姫皮とホタテのサラダ、スペアリブとタケノコのオーブン焼き、やみつきたけのこ、たけのこの唐揚げ。なおやみつきたけのこと唐揚げはどんぶり一杯分あります。


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⑥月曜日。まだ残っているという、三度目の絶望。

 

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今年のたけのこ祭りは以上です。
来年はもう少し小さいのを買おうと思います…それでは、くとぅるー・ふたぐん!

 

棘のある新卒

もう4月も半ば。
新しい学校、新しい職場。
まだドキドキの人もきっと多いはず。

私の近くの席にも新採用者がやって来たので、こちらまでワクワクです。
さて新卒といえば、数年前昔の職場で出会った青年を思い出します。
せっかくの新卒カードを棒に振って、半年程度で退職してしまった彼。

都会の町で、今も元気に暮らしているでしょうか?
彼の今の幸せと、彼のように少し不器用な人の幸せを願って、今日はちょっぴりおせっかいな話を書いていきたいと思います。

 

別の課の新卒である彼と話すようになったきっかけは封筒の宛名シートでした。
あまり字が上手ではなく、クソなんて悪態をつきながら書き損じた封筒を共用のゴミ箱に捨てている彼の姿を見た私は、ついおばちゃんの気安さで「宛名シート使ったら?」なんて話しかけてしまいました。

私はその当時総務課の備品係だったので、印刷封筒一枚何円すると思ってるねん!?と血が騒いでしまったのですね。
宛名シートの置き場所、使い方。その他便利な備品は総務課にもあるから取りに来ていいんだよ、みたいな話をしました。

それからちょこちょこ、分からないことについて聞かれるようになりました。
私は総務課、彼は営業にいましたが、そもそも営業はあまり新人を育てるには向かない場でした。

30代の働き盛り、仕事出来るぜ!俺は俺が俺の出番!みたいな自分三段フル活用の自信家男性が多く、常に自分の仕事のことで頭が一杯。進んで他人の面倒をみるような優しい先輩は少数でした。

それでもコミュニケーション上手な新卒は、上手く相手を立てて先輩意識をくすぐったり、親切な人間に甘えたりしながら仕事への知識を補って前に進んでいきます。

しかしウニの棘のように堅い黒髪のツンツン頭、黒ぶち眼鏡と見た目からも堅い彼は真面目だけれど不器用で人に頼るのが下手くそ、その上プライドが高いから余計人に聞けない…と、どんどん『分からない』を拗らせていきました。

また彼の上司が彼に輪をかけてごすのきかねぇジローで(気の利かないおにいちゃんの意)仕事を与えるけれど事細かに説明はしない、そのくせ締め切りだけは厳しくて教えもせずに催促ばかりする、人前で叱る態度だけはいっちょまえ、という体たらくでした。

私くらいの年の人間なら、この使えねージローが態度ばっかりいっちょまえでぇ!とケンカしながらやっていけるのですが、新卒の彼には難しい話です。

結局態度の悪い上司には聞けず、忙しそうな周りにも聞けず。

締め切りギリギリになって部署の違う私に職場内メールで助けを求める、というかなり辛い進行状況でした。

 

私も他部署の業務までは分からず、そこの課の面倒見の良い先輩にヘルプをお願いしたのですが、その方も私生活でトラブルを抱えていてその後すぐに休職。

教えてくれる人がいなくなって営業はゴタゴタに。
結局新卒にきちんと教えない姿勢が祟り、前年度に異動した新卒が処理の間に合わなかった請求書をシュレッダーに掛けていたことが発覚。

危うく裁判ざたになりかけ、後始末で残業続きの日々となり現在の新卒には更に手が回らなくなりました。

ウニ頭の新人君は結局誰にも指導してもらえないまま、使えないという酷い評価を受けて心を病んで休職、元気になった後は都会へ転職してしまったのです…。

 

このゴタゴタがあった当時、私は上司の責任だ、と少し憤っていました。
直属の上司には彼を指導する、教える義務があるはずだ、と。
右も左も分からない若者を荒野にほっぽりだすのは余りにも無責任な話です。

でもその後、その上司と飲み会の席で話したら、なんだかよく分からなくなりました。

 

彼の指導責任者である係長は、飲み会で会ったときには大人しく、気弱にも見える人でした。そしてその年、ウニ頭君を上手く指導出来なかったことは彼の心にも悔いとして残っていました。

なぜそんな人がウニ君に対して上から目線で、人前で叱責したりしたのか?
私は疑問をぶつけてみました。
何故彼とは上手くいかなかったのですか?原因はなんだったのでしょう?とあくまでも柔らかに、優しく。

 

…彼の質問が鋭すぎたのだ、と係長は言いました。

係長自身も営業は2年目。
周りに聞きづらい風土のせいで、曖昧なまま乗り切っている部分も多々ありました。
ウニ君はそのグレーの部分、よく分かっていない部分ばかり突っ込んでくると。

分からないことを正直に認めて、周りに聞けば良い話だったのに、係長自身も周りに頼ることが下手くそで、近くに信頼できる人間も居なくて。

それからウニ君へのコンプレックスもあったのだそうです。
自分よりいい大学を出ていて、真面目そうで厳しそうで。
いつも真顔なウニ君に質問されると、分からないことを責められているような、見下されているような気分になったのだ、と。
その反動もあって、つい偉そうに振舞ってしまったと。 

叱っている時もウニ君は無表情で何を考えているか分からず、自分が馬鹿にされているのでは、という被害妄想から彼の扱い方が分からなくなってしまい、結果放置してしまった、と。

 

もちろん一番悪いのは、新卒を営業に突っ込んでダメにした会社です。
それから指導者としての認識が甘かった係長です。
こんなクソな会社はとっとと見限って正解だったと思います。

 

…でも結局世の中って、不完全な会社だらけで、不完全な上司だらけで。
絵に描いたような理想の職場、理想の上司と巡り合う確率はどのくらいなんでしょう?

 

私は今まで、様々な人から色んな打ち明け話を聞いてきました。
その経験から語らせてもらうと、結局本当に自信に満ち溢れて他人を見下しているような人間って、全体の2割程度しかいない気がするんです。

あとの8割はどんなに偉そうに見えても実は自信が無くて、それぞれに悩みや不安を抱えた人ばかり。

だから無表情という鏡のような仮面のむこうに、自分の不安を勝手に投影して、一番怖いもの、本当はそこに無いものをみてしまうんじゃないか。
そんな風に思ったりします。

 

私自身、かつて上の息子を本当に大切なことで強く叱責した時に、彼の無表情に不安を感じて(きちんと伝わっているのか分からなくて)更に強く叱ってしまったことがあります。

結果としては私の珍しいガチ怒りに責任を感じすぎてしまっての真顔だったことが、夜泣きする息子の様子で分かったのですけれど。

後悔しながらも、怒られた時の真顔は更に火に油を注ぐのかも知れないと危惧して、怒る時褒める時、必ず思ったことをきちんと言葉にして言いなさい、と伝えるようにしています。私たちはエスパーじゃないんだから、気持ちはきちんと言葉にしないと伝わらないよ、と。

ウニ君と係長も、互いに無表情と言うトゲを少し和らげたなら、思ったことを素直に言葉に出来たなら、もうちょっと上手く行ったのかも知れません。

 

今の彼がちゃんと良い上司と出逢って、上手く弱音を吐いたり、愚痴を言えていますように。みんなの前で、正直にクソったれとぼやいていますように。

誰だって最初は出来なくて当たり前。
勤めはじめたばかりの頃は周りの人間がみんな完璧に見えて、情けない所を見せたら軽蔑されるかも知れない、なんて緊張するかもしれません。

でもあなたの隙に安心する、親近感を覚える人間はきっといるはず。
あんまり完璧を求めすぎないで、凹んだことやしくじったことも時折顔に出していきましょうよ。

欠点も時には親しみやすさに繋がったりするよね。
ウニ君のガチで汚かった文字を愛おしみながら、そんなことを思い出しました。

 

遠いあなたの夢を見る-山白朝子『私の頭が正常であったなら』

山白朝子さん(いまだに乙一、と呟いてしまう)の短編集「私の頭が正常であったなら」を読みました。

喪われた人を想う短編集、と言ったらいいのでしょうか。
読みながらずっと、死と私を隔てるものについて考えていました。

 

私の頭が正常であったなら (幽BOOKS)

 

冒頭の『世界で一番短い小説』は、ある日突然見知らぬ幽霊を見るようになってしまった夫婦の物語。

唐突に姿を見せる、見知らぬ中年男の幽霊。
理系の夫妻は彼の出現パターンを調べ、心霊現象の再発防止を図るのだが…。
あらすじはこんな感じ。

お祓いや神頼みではなく表計算ソフトで幽霊の出現パターンをリスト化、自分達の行動と照らし合わせて幽霊に取り憑かれたのはいつか?と調査していく過程がコミカルで面白い。

そうしてラストにふっと紛れ込む、喪われた者を愛おしむ気持ち。

魂はどこに宿るのか?私たちがお墓参りをしたり、死者を悼んだりするのは、喪われた人たちに側にいて欲しい、見ていてほしいという願いが込められているのかもしれないな、なんて思ったのです…。

 

突然定期的に幽霊が現れるようになる…というあらすじから、最近読み終えた宮内悠介さんの『ディレイ・エフェクト』を思い出したりもして。
こちらは現代の東京に、75年前の東京の景色が映り込むようになってしまう、というスケールの大きな不思議な話でした。規模は大きいんだけど、悩みの答えはとても近くにあって。そんなところも好きな物語です。

 

ディレイ・エフェクト

ディレイ・エフェクト

 

 

他にも「私の頭が正常であったなら」には、『幻夢コレクション メアリー・スーを殺して』(中田永一、山白朝子他、乙一別名義の作品集)に収録されていた「トランシーバー」という相当切ない短編も再録されています。
これヤバいのです、相当泣けます。私は二回目なのにやっぱりダメでした。
なんで言葉を覚え始めたばかりの子どもはうんちとおっぱいにハマるんだろう…。

なお『幻夢コレクション メアリー・スーを殺して』は創作経験のある人間にはかなり突き刺さる物語でしたので、何かを創っている人に絶対オススメ!

 

メアリー・スーを殺して 幻夢コレクション

メアリー・スーを殺して 幻夢コレクション

 

 

最後の書きおろし、『おやすみなさい子どもたち』も終幕にぴったりの物語で、とても素敵でした。

思わぬ事故で命を落としてしまった少女が、天国の映画館に迷い込む。

私にも貴方にも、喜びと悲しみに満ちた自分だけの物語があるのでしょう。
自分には何にもない、なんて虚無や孤独に満ちた人生でさえも、天使が愛を込めて物語に仕立て上げてくれる。

私は私の人生を生きることしか出来ない。幽霊を見たこともない。
それでも物語は奇跡を創り出して、心が癒える瞬間を優しい言葉で切りとっていく。

物語を読むって、つまりはそういう事なんでしょうね。
ではでは、今日はそんな感じです。

 

私の頭が正常であったなら (幽BOOKS)

私の頭が正常であったなら (幽BOOKS)