おのにち

おのにちはいつかみたにっち

歯医者こわい

歯の被せものが取れたので、5年ぶりに歯医者に通っている。

昔通っていた歯科は遠いので、通勤途中にある評判の良い歯科医院にした。
なんつーか、非常に近代的でインスタントな医院である。

予約時間に行けば待ち時間はほぼ0。サクッと座ってテキパキ治療。
料金も良心的、安い早いここは牛丼屋か。

 

しかし怖い。
建物はキレイで助手も先生も優しくて早くて。
なのに怖い、以前通っていた昭和感満載の歯医者の10倍怖いのはどうしたわけなのだ…!

昔通っていたのは当時住んでいた家から近い、という理由だけで選んだぼろっちい歯科医院だった。

予約しても普通に待たされ、待たせたくせに呼ばれた私がトイレに行っていて少し手間取ると年季の入った助手に『先生をお待たせするなどと…!』と前時代的な口調で罵られる。

治療も遅い。
口を開けて、少し削る。
口を閉じて、先生がのんびり器具を変え、また削る。
下手をすると治療の合間に別の患者さんの元へ呼ばれてしまい、椅子の上でぼんやり虚無と向き合う羽目になる。

でも歯科者が苦手な私にはこのくらいのペースがちょうど良かったのかも知れない。
これだけ待たされると怖がりな私でも『何でもいいから削ってくれよ!』と捨て鉢な気分になる。

あとちょこちょこ口を閉じられるのが良い。
口を大きく開けるのが苦手な私(あんまり大きく口を開けると音がする。顎関節症になりやすいタイプ)、開け続けていると顎が痛んできてしまう。

終わったらトイレでゆっくりと口の周りが汚れていないか確認し、喪失した意識を待合室に置かれた週刊女性で取り戻す。
そうして金を支払い、帰宅の途につく…というのがボロ歯科医院のメソッドだった。

 

対して、最近通っている歯科医院はどうか。
扉を開ければすぐ診察台に座らされ、早速治療。
先生は物凄いペースで道具を替え、ハイ次!ハイ次!と口を閉じる暇も与えてくれない。そういえば痛いときは手を上げて、的なことも言われない。

もうちょっとだからね―我慢してねーとなだめすかされながら口を開け続け、よだれを吸われまくられる。

治療が長く続くと、音と痛みで感覚が麻痺してきて、自分の口が開いているのか閉じているのか、舌の位置はどこなのかも分からなくなる。

この身体感覚を失う感じが一番怖い。
私の口は本当に開いているのか?無意識に口や舌を動かしてしまって穴が空いたらどうしよう…

そうやって呆然と診察台から降りるとすでに会計の準備が済んでいる。
トイレでメイク直しをする暇も無く金を払い、次の予約を入れ涙目のまま外に出る。

レ、レイ〇目――!

 

そんな訳で新しい歯医者怖いよ違うとこにしたいよーと愚痴っていたら家人に驚かれた。 何処だって痛いのは同じだし、待たされない方が良いだろうと。

それはそうなんだけど…でもやっぱり納得いかねぇ…ゆっくり話し合う暇も無く、勝手に治療方針決めちゃうし。

 

新しい歯医者に感じる理不尽さを、発言小町風にしてみた。

 

最近彼の家に行くと即ベッドなんです。
いきなり口に突っ込まれ、『我慢して、もうちょっと』ばっかり。
こっちの意思はお構いなし。終わったら財布からお金を抜かれ、メイクを直す暇も無く追い出されます。将来設計も一方的で…別れた方がいいんでしょうか?

 

別れて―!逃げてー!そもそも付き合ってるのこの二人…とまで言いかけて我に帰った。

私は歯医者と付き合ってない。
自ら進んで医院に行ったのにこの被害者意識は何事だっ…!

 

どうやら歯医者に行くと赤ちゃん還りしてしまうようだ。
前掛けをされて、口を開けて、よだれまで吸われて。

バブみ度アップです、バブー。

 

とにかくこの放心赤ちゃん状態のままインスタントな医院に通っていたら要らない治療まで受けてしまいそうだ。
取れた被せものの直しも、歯のクリーニングも終わったので、今後やる予定だった他の被せものを新しいものに変える施術はやらないことにした。

多分もうすぐこれも取れるし、その前にやっちゃいましょう!と言われて頷いてしまったが外すのも結構痛い。

予約はキャンセル、いつか外れてから直すことにした。

つかもう絶対ハイチュウとか食べない!
100円ショップの糸ようじもやめて、ちゃんとワックス付のフロスにする!
歯もしっかり磨く―!

 

そんな訳で今日は歯医者が怖い、というシンプルなお話でした。
え?怖いと言われる歯科医師の気持ちも考えろですって?
バ、バブミィーー…!

 

リーチデンタルフロス ワックス 50M

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ねないこだれだ (いやだいやだの絵本)

ねないこだれだ (いやだいやだの絵本)

 

 

豊満たる女王の物語-『炎と茨の王女』

この週末はレイ・カーソンの『炎と茨の王女』シリーズ三部作を一気読みしていました。ジャンルでいうとYAファンタジーかな?

 

炎と茨の王女 (創元推理文庫)

炎と茨の王女 (創元推理文庫)

 

 

ストーリーは神に選ばれし運命を持つ王女が16歳で他国に嫁ぎ、様々な困難を乗り越えて成長する姿を描く…という王道ファンタジーな訳ですが。

神様に選ばれた主人公、エリサの個性的なキャラクターと、彼女がその身に帯びたゴットストーンという不思議な石の謎が面白くて、グイグイ物語に引っ張られるようにして読み終えました。

 

物語のあらすじ

 

主人公エリサは16歳、とある王国の第2王女です。
いずれ国を継ぐのはエリサの美しく賢い姉。
エリサ自身は自分がいつか他国に嫁がされることを予期しながらも、好きなものを食べ好きな本を読み勉学に励み、穏やかな食っちゃ寝生活を送っている。

神がその使命と共にもたらすという、ゴッドストーンを体に帯びているけれど、自身の使命には今だ自覚がありません。

 

そんな彼女のコンプレックスは姉のように美しく、優れていないこと。
毎年太っていくしていく自分の姿を直視するのが嫌で、鏡まで避けてしまう始末。

また、そんなストレスを紛らわすために更に過食に走り、歩くことさえ辛くなってしまうという悪循環の日々。

 

エリサは120年に一度生まれるという神の石をその身に帯びた特別な人間なのに、まるで自分に自信が持てず、過食に走ってしまうヒロインです。
実際には3か国語を話し、戦術や古代の歴史にも詳しい、非常に賢い女性だと言うのに。

 

実はエリサの家族は、彼女がその身に希少なゴット・ストーンを宿していることを理由に、様々な危機を避けるため宮廷の奥で箱入り娘として育てたのですね。
しかしそんな隠居生活が、国を支える姉の活躍と相まって、彼女の自信のない性格に繋がってしまう。

そうやって、ふくよかな自分の体や美しい姉にコンプレックスを抱きながら育った王女様は、心の準備も出来ないうちに他国のイケメン国王の元に嫁ぐはめになります。

しかしその結婚は謎と欺瞞に満ちていてエリカは命を狙われたり戦に巻き込まれる羽目に…と第一巻からトラブル続き。

なお表紙は、どこが豊満な肉体に悩む王女さまやねん⁉って感じですが過酷すぎる現実が痩身効果をもたらした、ダイエット後の姿です…。

 

食いしん坊のお姫様

 

食いしん坊で自分に自信のない少女だったエリサが、何も知らないまま守られている暮らしはまっぴらだ、と自分の足で歩きだしてどんどん世界を変えていく。

そして自分にとって本当に大切なものは神様のくれた特別な石でも、美しさでもないと気がついていく過程、そして自分が自分を美しいと思えたら、誰の賛美も要らないのだと悟るシーンが好きです。

 

いつだって大切な物はすぐ近くにある。
でもそれを知るために、私たちは生きて歩いて行かなくてはならないのでしょう。

ふとっちょで自信がなくて、でもいつだって周りの人を大切に思っている王女さま。
その気持ちで仲間を増やし、少しずつ『自分が持っているもの』への自信を持つようになって行く過程が素敵なジュブナイルで、面白かったです。

ヒロインの持ち前の頭の良さ、恋をしてもそのために自分の使命を疎かにしない姿勢もいいですね。

王道でありながらどこか現代的な女の子の強さ、逞しさを描いたファンタジィ。ボリュームがありますが、今時な文体の翻訳でとても読みやすい。

秋の夜長にファンタジー、とってもオススメです!

 

炎と茨の王女 (創元推理文庫)

炎と茨の王女 (創元推理文庫)

 

 

白金の王冠 (創元推理文庫)

白金の王冠 (創元推理文庫)

 

 

魔法使いの王国 (創元推理文庫)

魔法使いの王国 (創元推理文庫)

 

 

怒りと痛み

誰にでもこういう人だけは許せない、こういう行為だけは見逃せない、という『生理的な地雷』があるのではないだろうか?

もちろん犯罪行為は別として、身近な誰かや自分自身が痛めつけられている訳でもないのに怒りがこみ上げてしまう、なにかを言わずにはいられないことって、ブログやらブックマークやらTwitterやら、現実とは異なる場所と付き合っている私たちならよくある問題なのではないだろうか?

そして怒りが湧いてくる『地雷地点』をじっくり観察すると、そこが自分の弱みや私的な痛みと結びついていることもあると思う。

少なくとも私はそうだ。

 

私は自分より若いとか女性であるとか、学歴が低いとか所得が低いとかいう理由で『見下せそうな人』、あるいは包容力がありそうとか優しそうとか『甘えられそうな人』、逆に自分より人気があるとか有名であるとか『立場のある人』、とにかくそういう遠い他者になら何を言ってもいいと暴言を吐く、他者に甘える人がこの世で一番大嫌いだ。

こういう人はSNSでも、現実社会でもよく見かける。

相手がキャバ嬢だろうが金を払っていようが、暴言を吐いていい理由にはならない。
酔っぱらっていようがなんだろうが、身勝手な理由で誰かを不条理に貶めて、自分の鬱憤を晴らそうとする人には軽蔑と憐れみしか感じない。

 

しかしよく考えてみると私の怒りこそが、身勝手な義憤なのである。
私自身や私の身近な人間が貶められているのではない限り、私に怒る権利は無い。

甘える側にも甘える側なりの理由はある。彼らは彼らなりに不当に社会に貶められていると思っていて、その不当さを理由に自分の鬱憤を不当に晴らしていいと思っている。

その不当の連鎖が私には本当にムカつくのだけれど、押しつけられる側は実はもっと逞しく、その不当を飯の種に代えたり、不憫だと憐れんだり無視したり、したたかに生き抜いている。

 

他者の痛みを勝手に引き受けて怒ったり、悲しんでしまう事は優しさでも正義でもない。そこに自身の痛みやトラウマがあるからこそ、私は怒るのだ。
それは私の側の問題なのだ。

 

40を過ぎて、未だに過去に囚われている自分が恥ずかしいのだけれど、私には中学生で自立しなければならなかった、という痛みが未だに残っている。

私の母は中学生の私に、もう中学生なのだから制服や学用品以外の私物、自分の下着や私服までお小遣いやお年玉で賄うように言った。

お小遣いは月3千円、お年玉は2万円程度である。長期休みは学校に内緒でバイトしたけれど(中学生のバイトは認められていなかった)、ほとんどは読みたい本に費やしてしまい、私服や下着にまでお金が回らなかった。

また、ちゃんとサイズを測って貰えば良かったのだけれど、そんな勇気も遠出するお金もなく、安さ優先で通販で買った下着ばかりを身につけていた。

勿論サイズはあっておらず、一度体育館裏にスクールカースト上位の女子に呼び出された。あなたの下着は小さくていやらしいと。

買うお金がなくて、サイズもよく分からない、と素直に言えばすぐに解放されたが彼女が呆れたように言った言葉は今も忘れられない。

お母さんに言えばいいでしょう!?と。
彼女の場合はそうなのだな、と心が凍り付いたことを覚えている。

でも母や、両親へ怒りを向けたことは無かった。

今でも悪いのは下着ではなく欲しい本を買ってしまった私、きちんとした下着を買う知識の無かった私だと思っている。

私の弟たちも、後に私物は自分で買うルールにぶつかったが、バイトをする暇がない、したくないなどの理由で親にねだり、きちんと買って貰っていた。

私は私の要領の悪さ、上手く甘えられない姿勢が悪かったのだと思った。

 

今自分が中学生の親になって、中学生の子どもが自分で自分にサイズのあった下着を買うことなど不可能だと思うし、不当だと思う。

でも私はそれをかつての私に置き換えて、甘やかしては考えられない。
私は私に厳しくして人生を乗り切ってきたし、それが正しくないのならば親を恨まなくはいけないからだ。

40過ぎて、今私を一番に頼る子どものような両親を恨むこと、見据えることはとても面倒くさい。できれば生涯目を逸らしていたい。仕方のない人として、しっかり者の長女として自分の子どもより甘やかして生きていきたい。

誰かを育てたり、厳しく向き合うには愛情が必要だ。
私は自分の親に対してその愛情に自信が無い。そしてそんな酷薄な自分と向き合えない。

 

今の私が、誰かに甘える人に強い怒りを覚えるのは、『他者に甘えなかった自分が正しい』と思いこみたいからだ。

そこには私が解きほぐさなくてはいけない自分自身の痛みや歪みがある。

甘える側には甘える側なりの理由があり、その甘えに火のついたような痛みを感じるのは私自身の問題だ。

 

この先も私自身に不当な甘えをぶつけてくる輩には、誰にどう思われようがヒステリックな怒りをぶつけるだろうと思う。

でもなるべく、他者への甘えには目をつぶりたい。
その怒りは正当ではない。義憤を装ったその感情が、私にとっての『他者への甘え』だと気が付いてしまったから。

 

結局のところ人生で一番大切なのは誰に認めてもらうことでも、誰に愛してもらうことでもなく、私自身が私に満足することなのではないか、と思っている。

歳を経て私はちょっとずつ取るに足らない私を、不完全な私を、それでも愛おしいと思えるようになってきた。

そう思えるようになったら、貶めの形をした甘えも少しは許せるようになってきた。

それでも多くの人は私より幸せに見えて、完全な形をしているように見えて、なのになぜ甘えるのよとやっぱり怒りを覚えるのだけれど。

 

世界で一番自分に厳しいのは、きっと自分なのだと思う。
だから誰かに愛されたり、優しくされた記憶だったり、そういう柔らかな暖かさを思い上がりだなんて思わずに、もっと素直に大事にしていいいのだ。

私にとっての私は『取るに足らない存在』ではないのだと気づくことが怒りを抑える一番の処方箋であると、最近ようやく気が付いた。

それでも時には怒りに任せて、自分を粗末に扱ってしまうのだけれど。

 

私はあなたに、もっとあなたを大切にして欲しい。
自分を大切に思えたら、自分を傷つけるような、何かを失うような怒りの発露は少なくなるように思えるから。

 討論はいいけど、そこに自分自身の怒りやトラウマをぶつけるのは違うよねと、私はたくさんの怒れる人たちの顔を思い浮かべながら呟きます。

自分自身、怒りが絡むと身勝手な推論が混じってしまってそこにある事実だけを見据えることは難しいのだけれど。

 

私たちは自分自身の身近な罪を正当に裁くことが出来ない。
だからこそ法や裁判があるのだろうと思います。

怒りを抑えることは自分を大切にすることです。
怒りっぽい私に言い聞かせるように、ここに書き記しておきます。

  

百歳からのハローワーク -高齢化社会の生存戦略

厚生労働省が毎年公表している簡易生命表というものがある。

これは私たちの平均寿命の指針となるデータなのだが、男性は6年連続、女性は5年連続で過去最高を更新したという。つまり私たちの余命は毎年延び続けているのである。

 

www.mhlw.go.jp

 

『人生100年時代』という言葉でベストセラーになったライフ・シフトという本の中では、2007年生まれの子どもの2分の1が107歳まで生きる、なんて話もあった。

 

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

 

 

まさか、と思ったけれど現在日本の最高齢は115歳の女性。
最高齢も平均寿命も更新していく世の中だ、平均寿命100歳はそのうち当たり前の考え方になるのだろう。

 

40代は人生の折り返し地点だなんて考えていた私、大幅に見込みが狂ってしまった。 人生を100年で考えたら、私の三角コーンはあと10年も先にあるのである。

まだまだペースは落とせない、それにどうやら穏やかな老後なんて夢物語は、私たちの未来には待ち受けていないようだ。
小学生の頃は、定年したら退職金で世界遺産巡り、お金が尽きたら老人ホームでポックリ逝きたい、なんて自分勝手な夢を見ていた。

でも80歳の寿命が100まで延びたら年金の受給時期は更に後倒しになるだろうし、だいだい現代の人口比率では若者に任せてのんびり隠居、なんて呑気な話はあり得ない。
生涯現役、働くことで納税義務を果たし、健康な体を維持していかなくてはならない。

増える一方の医療費、足りない介護人材をどうにかするには、健康なお年寄りを増やす、自分自身も病気知らずの健康ババアを目指すしかないのである。

 

高齢者のフレイル予防、健康づくりに重要なのは仕事や地域の活動に参加することだと言われている。仕事と子育て、PTA活動に日々勤しんでいる私、60過ぎても社会貢献かよ…なんてゲンナリするけれど、子ども達の幸せな未来のためには元気で働く年寄りが必須アイテムなので仕方ない。

なにより100年の時間があるなら、寝たきりよりも元気で色々な事が出来たほうが楽しい。 平均寿命と一緒に健康寿命も伸ばしていかなくては、長生きの意味が無いのである。労働、社会貢献が健康と結びついているのなら、生涯社会の歯車暮らしもやむを得まい。

 

超高齢化社会のハローワーク

  

そんな訳で出来るだけ長く働くことが求められている現代社会。

しかし長く働き続けるためには一に健康、そしてスキルが必要らしい。
確かに弁護士、行政書士などの士業、それに医師や大工などの資格職、専門職も長く働いている人が多い。

手に職を持つ人は組織に縛られず長く働ける…のだが今さら資格取るのつらたん!きびしたん!

人生100年時代などと言いながら、このように心折れがちな情けない中高年のために、ぜひ50~60代に向けた『大人のキッザニア(シニアニア?)』を作って欲しい。

例え厚生年金に加入していても、それだけでは心許ない世の中だ。
+αの現金収入、ジムに通わなくとも運動不足の解消が出来る程度の労働があると財政面でも健康面でも有難い。

そんな健康と多少の金銭を求める老人にはコンビニやスーパーなどの立ち仕事が適当だと思われるのだが、高校生なら簡単に覚えられる仕事でも大人の未経験者にはつらたんきびしたん!

しかもいい大人になると物覚えが悪いくせにプライドだけは無駄に高いという余計な困難が立ちふさがる。 高校生に負けましたと泣かされる前に、1週間でも2週間でも、基本的な知識が身につく研修を受けてから現場に立てたら有難い。

コンビニでも介護でも、そうやって研修を受けてみてから実務に入れば思っていた業務内容と違う!という悲劇は防げる。中高年だけじゃなくニートやひきこもりの人の社会復帰にも役立ちそうな気もする。

田舎のハローワークの職業訓練は内容が薄くて、勉強できるのはパソコン基礎や電気設備くらい。
潰れたコンビニやファミレスを買い取って研修、また実際に営業出来たら地域の役にも立ちそうだと思う。ファミレスは子ども食堂にするのもいい。

健康寿命を延ばすため、介護予防のためのデイサービスと銘打って健康な高齢者を集め、料理や農作業をしてもらうのも楽しそうだ。
食品衛生責任者や管理栄養士に衛生や栄養面を監修してもらい、みんなで作った野菜でお弁当を作り一人暮らしの高齢者に届ける。心にも体にも良さそうだし、なにより地域が活性化する。

 

少子高齢化なんて言われると暗い未来が浮かびがちだけど、昨今の寿命の延び具合からすれば現在の70代より、未来の70代の方が絶対に元気なはず。
おばあちゃんになっても演歌も聞かないし水戸黄門も観ない。そんな風に今持っているお年寄りのイメージはどんどん更新されていくはずだ。クラブで踊るおばあちゃんだってもちろんあり得る近未来。

年寄りだから慎めと言われても慎んでいたら社会が回らない。
元気で働いて遊んで、生き抜いていこうぜ超高齢化社会!

 

13歳のハローワーク

13歳のハローワーク

 

 

PS/欲しいものリストからキューライスさんの『ネコノヒー』が届きました!どなたかは分かりませんが本当にありがとうございます。ネコノヒーに負けないくらいSUCCESS!!で暖かい気持ちになった私です、老後も大事だけど明日も頑張ります…!

 

忘却のプレインヨーグルト

インド風のチキンカレーを作りたくなって、スーパーでプレーンヨーグルトを買った。

そういえば梶尾真治さんの本のタイトルで、「地球はプレイン・ヨーグルト」なんてのがあったなぁ、と懐かしく思い出したのち愕然とする。

ドンナ…ナイヨウダッタッケ…

プレインとブレイン(脳みそ)を掛けた、忘却の話だった気もするけどそれを忘れるなんてメタ。

 

地球はプレイン・ヨーグルト (ハヤカワ文庫 JA 114)

地球はプレイン・ヨーグルト (ハヤカワ文庫 JA 114)

 

 

高校生の時、梶尾さんの『美亜へ贈る真珠』という短編が大好きだった。
大好きだったはずなのに、その中身すら忘却の彼方だ。
タイムトラベル物の、切ない短編だった、とは覚えているのだが。

本のページを開いたり、Wikiで概要を見れば思い出せそうな気はする。
ヒントさえあればなんとか!

 

美亜へ贈る真珠 〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

美亜へ贈る真珠 〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

 素晴しくオシャレな表紙になっていた…私が読んだのは確実にこの版じゃない。

 

自分の記憶の余りのおぼろげさに泣きたくなったが、思い返せば梶尾真治さんの本を読んだのは20紆余曲折年前。

四半世紀も経てば忘れる!人間なんてそんなもの!と即開き直った。

 

色んな本を読んできて、色んな本を忘れてきて。
それが本当に身になっているのか、と問われるとううむ、なんて感じなんですが。

多少は私の血肉となって、今こうしてブログを書いたり、言葉を綴る役に立っているはずだ、と思うんですよ信じたいんですよ。

もちろんほんの一時現実を忘れさせてくれるだけでも、物語の価値は充分なんですけどね。

ヨーグルトに漬け込んだチキンカレーをじっくりコトコト煮込みながら、ずっと「地球はプレイン・ヨーグルト」のストーリーを思い出していました。

なぜか途中から樹なつみさんのマンガ『OZ』も混ざってしまって、全世界がボケる中治療薬を求めて旅する科学者の話だった、多分!と確信を得てググったらまるで違う話だった…

 でも、こうやって忘却するからこそ、新しい物語が生み出されていくのかも知れませんよね⁉そう美しくまとめようとして、世界中がボケる(失明だっけ?)話もどっかで読んだような…と不安になりました。

私の脳内は真っ白なプレイン・ヨーグルト満載なのかも知れません。
ダレカチリョウヤクヲ…

 

こどもの地図

5歳~小6まで北海道で過ごした。

今でも父方の祖母や私の弟、親族がたくさん暮らしている場所だ。
同じ東北とはいえ海を挟んだ距離があり、気がつけば疎遠になってしまっていた。

独身の時や新婚時代は顔を見せに行っていたのだが、子どもが小学生になってからは忙しさを言い訳にさっぱりだ。

 先日の地震を受け久々に連絡を取ってみると全員無事で、今だ健在の祖母から死ぬ前にひ孫の顔を見せに来ないと祟るぞ、と脅されてしまった。やぶへびである。

おばあちゃん私が結婚した時も子どもを産んだ時も、もうじき成仏するんだから会いに来ないと祟るぞ、って言ってたよね…

 

元気なのは何よりだが、成仏詐欺もそろそろノンフィクションになりかねないお年頃だ。雪が降る前に行けたらいいのだが。

 

今度ひいおばあちゃんちに遊びに行きたいねー、なんて話をしていたら最近授業で自分の町の地図作りをした息子に、その町の地図を書いてよ、とねだられた。

小学生の頃、暮らしていた町である。
だいぶおぼろげながら小学校と自宅、駅の位置関係くらいは覚えているだろう…と取り掛かったのだが、あまりの記憶の飛び具合に笑った。

細部は詳細すぎるほど、覚えているのである。
職員玄関前に飾られた巨大な木版画の目が怖かったこと。 自転車のカギを落としたグラウンド脇の側溝。 教室の窓から見えるお寺の境内、そこに置かれた白い象の赤い目。 駅の前には通っていたピアノ教室。 暗い階段と、たくさん置かれていた古い週刊マーガレット。

家も学校も駅前も、 印象的な場所やポイントは絵画のように思い出せるのに、それぞれの道が繋がらない。細い裏道、近道ばかりが記憶に残っていて、幹線道路がさっぱりだから全体図が描けないのだ。

小学生の頃は徒歩か自転車移動がデフォだった。
主要道路の記憶がなく、代わりに友達の家や遊んだ場所、好きだった店のことばかり思い出すのは車で走らなかったせいだろう。

 

そういえば授業参観で見た息子の地図もそうだった。

小さな児童公園や、車は通行止めだからサッカーをするのにもってこいの赤い道路(レンガ風の作りだから)など、遊び場は大きく、道は国道町道関係なしに、自分たちが使う道だけが細く世界を繋いでいる。

全ては描かれていないし、縮尺も間違っている。

でもこどもの地図で一番大切なのはキラキラのマーカーで縁取られた『僕らの遊び場』だから、それでいいのだ、多分。

 

自分が小さかったせいか、ほっかいどうはでっかいどうだからなのか(?)当時の事は何もかも大きめに記憶しているようだ。
それにしたって元旅館に住んでいた友達んちの、大広間の先が見えなかった記憶は幻だと思う、さすがに。

襖を全部開けてよーいドンしたら100m走のようで楽しかった記憶があるのだが、いくらでっかいどうとは言え札幌市近隣の、商店街の立地である。
そんな千と千尋みたいな屋敷があるかい!とは思うのだが…

他にも暗黒沼地の先の家や(落ちたら死ぬごっこをしながら遊びに行ったけど、今思えばただ舗装されてなかっただけかも知れない)隧道の向こうの家など(自転車を降りないと頭をぶつける高さ。アレ絶対道じゃない) 友達の家に行くときでさえ冒険に満ちていた日々。危険地帯茱萸の木とか(農業用水路のすぐそばに生えていて欲張りすぎると水路に落ちるデンジャーなグミ。食べ過ぎるとお腹を壊すのでそんな意味でもデンジャー)すごく巨大で、楽しいことに満ち溢れていた町だった気がする、私の記憶の地図の中では。

 

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祖母の家に帰ったら、細い小道をまた探検したいような、したくないような。

大きくなった私が思い出を辿ったら、巨大な町がスケールダウンしてしまう気がしてためらってしまう。

私の中の思い出の地図はずっと歪なままで、でもそのままがいいのだ、きっと。

 

 

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先日、風邪を引いた話を書いたらどなたかからお見舞い?のサラミを頂いてしまいました!人の温かさが身に染みる秋です、ありがとうございました。
それにしても放置しっぱなしの欲しいものリスト、ツマミぐらいしか入ってなくてすいません…!

 

5分後はズレた世界

9・11、アメリカ同時多発テロ事件について、elve姐さんが記事を書いておられた。
姐さんはあの日からなんだかおかしい気がする、と語る。
『飛び出してみたら、ずれた世界』と。

 

elve.hatenadiary.jp

 

私にとっての『あの日』とは?ずれた世界とは?
記憶に残る、強い衝撃を受けたニュースとはなんだったのだろう?

自分に問うてみて、浮かんできたのはイラク戦争でした。
20代後半、たまたま深夜にTVをつけたら、モニターに映っていたのが良く分からない光の点滅だった時のショック。

そして翌朝の新聞やニュースで、あの光の下でたくさんの人が亡くなったのだ、と理解した時の衝撃。 昨日のTVに映っていたのは、まるでゲームの画像のようでしたから。

 

その頃の私は名ばかり店長として仕事に追われていて、更に結婚3年目で不妊治療も始めたばかりでした。職場→自宅→病院の繰り返しの日々の中で、自分のことを産む機械みたいだと自嘲するばかり。

病院の診察って当たり前だけどシステマチックで、どんどん尊厳が剝ぎ取られていくようで辛かったことを覚えています。

働いたり、子を生したり、そうした生産的な価値を失ったら私の意義などないのだろうか。
そんな風に思い悩んでいたころイラク戦争があって、たくさんの人が死んで都市が陥落して。

それでも次の朝も、いつも通りの日常が続いていることが、はじめて感じた『ズレ』だったのかも知れません。

 

さて、elve姐さんの記事に話を戻します。

記事の中で姐さんは『ずれた世界』という言葉を書かれています。
『あの時、おかしくなったんじゃないだろうか』と。

『ずれた世界』って何?
私の頭に浮かんだのは、村上龍さんの『五分後の世界』という小説でした。

 

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

 

 

物語の舞台は世紀末の日本。

箱根でジョギングをしていたはずの主人公小田桐が、第2次世界大戦後もゲリラ戦を繰り広げている、5分時空のずれたもう一つの日本に迷い込む…というストーリーです。

小田桐は暴力的な衝動を抱えていて、現代の日本に息苦しさ、生きづらさを感じている。だから彼の感じていた『ズレ』は、5分後の世界に行くことで解消されていきます。  

 

ではelve姐さんの『ずれた世界』は?

他者の感覚は共有し得ないものですが、20代の私はモニター越しの戦争と、次の朝も変わらずに続く平穏な生活に強い違和感を覚えました。   

 私が死んでも世界は続く。
もしかしたらそんな当たり前のことをはじめて実感したのが、イラク戦争だったのかも知れません。 そしてズレや違和感は、自分自身や自分の身内が罹災しなかった、遠い場所の出来事にこそ強く感じられるような気がしています。

 

『五分後の世界』は、あくまでもよくできた構造の物語です。
だから小田桐が日々感じていた『ズレ』は物語の内に収束される。

では現実を生きる、私たちの中のズレは?

 

…中学生の時に見た、TV版エヴァの最終回を思い出しました。

深夜に一人、 間に合わなかった?気が狂った?なんて思いながら見たあの最終回は本当に怖かった。自宅にパソコンがないのがまだ当たり前の時代だったから、答え合わせも出来なくて。

もしかしたらサブミナル映像が織り込まれていて洗脳されるのかも…なんて怖い妄想まで浮かんできてしまって、その夜は眠れませんでした。

今は動画のコメント欄や、各種SNSを通じて自分の思考の答え合わせが簡単に出来る時代だけど、あの時代はそれぞれがブラウン管を通して庵野VS俺のエヴァを観ていたのですよね。

だからこそ予定調和から大きく外れた物語の終わりが、そしてその異常さを誰とも共有できないことが、とてつもなく怖かったのでしょう。

 

私が感じる『ズレ』と、elve姐さんの感じている『ずれ』は、きっと少し違うのだろうと思います。

SNSや各種コメント欄で、多数派の意見ならいくらでも確認できる時代だけど、自分の感覚全てを言い表すような言葉は、きっとどこにも落ちてはいない。

共有できないズレを抱えたまま生きるのは怖い事だけど、このうすら寒い『ズレ』こそが、私たちを現実に結びつける楔なのではないのかな、なんて無責任に思ったりします。

笑い合うことも、手を繋ぐことも出来る。
それでも振り返れば一人、崖っぷちに立っているのが私たちの生なんじゃないか、そんな風に思うのです。