おのにち

おのにちはいつかみたにっち

実録・やれたかも委員会

職場の後輩たちと2次会に行った。
ピザが美味いのだが、店内が薄暗すぎて何を食べているのか分からなくなる、そんなスナックである。

スナックなのになぜかオッサンが一人しかいなくて、綺麗なお姉ちゃんの代わりにオッサンの趣味の漫画がたくさん置いてある。マンガ読んだりカラオケしたり、勝手にヒマをつぶせ、という友達んちみたいなスタンスがなんか好きな店だ。あと安い。

ただマンガを読むには暗いので、学習机みたいなスタンドライトをつけなくてはいけない。これがいつもまぶしすぎて目が眩むのと、ライト前に座ってマンガを読む姿が取り調べを受ける犯人にしか見えないのが難点である。

この店、ぜんぜんスナックじゃないと思うので間接照明やめて普通に電気つけてほしい、と願うのは私だけか?

さて、今日の議題は店の薄暗さではない。
店長に勧められたマンガと、それに触発された30代男女(私の後輩)のやれたかも?話がなんかおかしい、という案件である。

やれたかも…で察しの良い方は既にお気づきだと思う。
店長が差し出したマンガは「やれたかも委員会」。
紙の本出てたんですね、知らなかった。

やれたかも委員会 1巻

やれたかも委員会 1巻

 

 

何それしらない、という方はケイクスの連載を読んで欲しい。
要は自分の過去の『やれたかも知れない話』を審査員に語り、ジャッジしてもらう、というマンガ。今回は珍しく全員『やれた』会です。

cakes.mu

 

既婚者がやれたかも、な話を語ると生々しいので、独身の男女二人にやれたかも話を語ってもらった。

まずは細身のスーツが似合う色白男子A君。
姉妹に囲まれて育ったせいか女性の扱いに手慣れているモテ男。
新年会の出し物(自主参加)は女装。それからずっと、デスクトップの壁紙を自分の女装写真にしている。

彼のやれたかも、は大学の時ずっと好きだった憧れの女の子が終電を逃したので家に泊めた話、だった。

家に泊めた時点でそれは『やれた』ではないのか…と顔を見合わせる汚れた大人たち。

「いや彼女はそういう子じゃないんですって!なんつーか清らかなんですから!寝ると言ったら睡眠なんです!10時過ぎたら寝かせてあげなきゃお肌が荒れちゃうんです!」

よくわからないのだがその彼女は彼の中では夜10時に眠りにつく、清らか女子設定になっていた。いねーだろそんな女子大生。

とにかくその女の子にベッドを貸し、自分は床で寝た…と語るA。
しかしやれたかもチャンスはその後も訪れる。

「一人で寝るのさびしい…腕枕してほしいなー」とねだった彼女。
Aはそんな彼女を腕枕し、その寝顔を見ながら朝を迎えたという。

 

「あの夜を思い出すと、もしかしたらやれたのかな…って思うんですよね…」

 

いや、やれよ!

 

ちょっと良い話風に締められてビビった。
私が審査員だったら『やれた!』札でぶん殴りたくなると思う。

こんな話を聞くとA君がいかにも純情DT風に聞こえるがそんな筈はない。
高校時代、中学時代。彼はお口にもお股にもチャックがついていない男なので生々しい話は山ほど聞かされてきた。

中学生の時にOLと車で致していたら親に見つかった男が何を言っているのだ!?
「車ってゆっさゆっさするんですよねー、いやぁまいったまいった」じゃねえよ!

しかし彼は遠い目をして語る。
「彼女はそういう子じゃないんですよね…なんて言うか…ナウシカ?」

ナウシカ。夜10時には床につくナウシカ。

 

彼曰く、この世には3種類の人種がいるらしい。まずは男、それからねーちゃんや妹みたいな普通の女、そして聖女。

ねーちゃんや妹のようなガサツな女は、男と変わらないので普通にやっちゃっていいのだそうである。そんなに特別なことじゃないし、穴があれば入れますよね、とのこと。

しかし汚れを知らない、例えば『えっマドラーってストローじゃないんですね?間違って吸っちゃったテへ♡』みたいな女の子が現れると(それただのバカだろ)崇め奉りたくなってしまう、手を出せなくなってしまう、らしい。

…姉や妹に色んなものを踏みにじられてきたんだろうなぁ…と同じくガサツなお姉ちゃんである私はそっと涙を拭った。私がかつて弟たちを口喧嘩でコテンパンにのしてきた過去を思い出すと、彼らが今も独身なのはもしや…と背筋が冷える。

 

なお、その夜はもう一人、30代女子からも「やれたかも」話を聞かせてもらった。

『うーん、やりたいな、って思ったらすぐ股間さわっちゃうんですよねー。で、たってたらやるし、ダメだったら諦めるし。だから「やれたかも」な相手は、はたってなかった人って事になるんですけど…そういう話じゃないっすよね?』

 

うん、そういう話じゃねぇな…。
その後はマンガ版のナウシカは聖女じゃなくてむしろ股間触る系なんじゃないか、という話で盛り上がり、みんなでもくもくとナウシカを読んで終わった。

ナウシカいいよね、お値段もお手頃だし。一家に一箱ナウシカ買おうぜ。

 

ワイド判 風の谷のナウシカ 全7巻函入りセット 「トルメキア戦役バージョン」 (アニメージュ・コミックス・ワイド版)

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ではでは今日は、飲み会の席でやれたかも委員会をやると面白いよ、というお話でした!

 

なお私はやれたよりその手前の、微妙な空気が好きだったりします。
手や股間は、握らない方が記憶に残りますよね?

 

yutoma233.hatenablog.com

 

追憶の上の王様

昔昔その昔、指輪をお断りしたことがある。

場所はスキー場のリフトの上だった。
行き場を無くした指輪は送り主の手によって崖下へ投げ捨てられ、白い雪が積もって見えなくなってしまった。

思いがけない出来事の記憶というのは忘れられないもので、風が冷たくなるとあの指輪のことを思い出したりする。

 

あれはまだ十代の、免許取りたての頃。
当時ブームだったスノーボードにハマっていたのだけれど、まだ車の運転に自信がなく、高校時代の友人に同乗させてもらうことが多かった。

そうやって乗せてもらううちに、自然と男女混合のスノボグループみたいなものが出来上がってくる。指輪をくれた彼はそのメンバーの中の一人だった。

しかし何度も同じ車に乗り、何度も一緒に滑ったのに、実は彼とはほとんど話した記憶がない。 席が離れていることが多かったし、こちらから声をかけても返ってくる返事はハイかイイエくらい。 無口なのか、あるいは私のことが苦手なのかも知れない、と思って少し距離を取っていた人だった。

ところが突然、女友達と乗るはずだった2人乗りのリフトに割り込まれ、戸惑っていると山の中腹でいきなり指輪を差し出され「付き合ってください」と言われた。

名前や素性は知っているものの、ほとんど口を聞いたことのない人間からの交際申し込み、しかも高そうな物品つき。

彼のことは好きでも嫌いでもなかったけれど、あまりにもハードルが高すぎる。
当然断ったら気まずい沈黙が数分続き、リフトを降りる間際彼はケースに入った指輪を崖下の木立に勢いよく投げ捨て、そのまま滑り去って行った。

それから、彼とは二度と顔をあわせなかった。どうやらその日は一人バスで帰ったらしい。後日人づてで、「断るくらいなら気のある態度を見せないで欲しかった」という言葉を聞いた。

当時は話もしないで気があるもクソもあるかい、バカちんがぁ!と思っていたけれど、今は少し分かる。

 

高校時代の私もそうだったけれど、異性に免疫のない人は段階をすっ飛ばしてしまいがちな所がある。

相手に、私はあなたに好感を抱いていますよ/もっと好きになってもいいですか?的サインを送らないまま、自分の中で想いを募らせて、それが満タンになった時点でいきなりガッ!と告白してしまうのだ。

徐々に段階を踏んでいけば答えは違ったかも知れない。千里の道も友達から、である。

 

追憶の上の王様

 

セトクラフト 不思議の国のアリス アクセサリーボックス(ハンプティ) SR-0640

 

話は現代に戻る。

今の私はあの銀の指輪を思い出して、それが時の経過の中で『私の指輪』になっていることに恐れ慄いている。 あの時の私の指輪、何処に行ったでせうね、的な。

投げ捨てた彼にとっては「俺の指輪を捨てた記憶」だろうに。
受け取らなかったものを自分のものにしている己の記憶の貪欲さにちょっと引く。いや、かなり引く。

気がつけば、かつて貰ったものや小さな賛美や、そうした些細なものたちを足の下に敷いて、自分の自信にすり替えている私がいる。

雪の下の指輪、貰った花束やバック、細やかな誉め言葉。
それらが私のほんの少しの上げ底、心のシークレットインソールになっている気がする。なんて高慢ちきで厭らしい、私の自信。

まるで追憶の上に乗っかった、哀れな道化の王様だ。

 

若かりし頃を思い出す。

あの頃は『かつての栄光』を振りかざして誇らしげな大人が嫌いだった。
なぜ失ったものの追憶だけでそんなに自信満々に、偉そうにしていられるのだろうと疑問だった。

あの頃の大人に、私はなっているのかも知れない。

 

でも今の私はしょうがないじゃないだって人間だもの、なんて思ったりする。 
記憶力も体力も、美しさだって若者には敵わない。
でも彼らを妬んだり憎んだりせずに、愛おしく見守るためには『私もかつてはそうだった』という記憶が大切だと思うから。

あの頃を通り過ぎてきた自分が幸せなら、過去に嫉妬を焼かずに済む気がする。
だから幸せを引っ張り出して来て、足の下に敷こうとするのだ。
もちろん恋愛絡みだけじゃなく、仕事や成績の評価だって良い。

かつての私で、今の私は出来ている。
『かつて』があるから、その頃にいる彼らを愛おしく思えたりする。

私の『好き』は『知ること』と繋がっている気がする。
だから通り過ぎてきた時を生きる人たちを愛おしく思えるのだろう。

お断りした彼だって、私が少しは知る努力をしていれば何かが違ったのかも知れない。

 

年をとるのは嫉妬に塗れることだと、昔の私は思っていた。
その頃の私の周りには、そんな大人しかいなかったから。

今の私は、今の自分を好きでいれば、世界を知る努力を辞めなければ、きっともっと好きなものが増える、と信じている。

身体はどんどん年を取る、不自由になっていく。
でもたとえ追憶でも、小さな幸せを積み重ねて、世界の全てをNGなしに愛せるようになっていたら。

腰が痛くても、歩くのが遅くても。それはきっと幸せなことだと思うのだ。
いつか私は、かつて嘲笑った追憶の上の王様になりたい。

全てを失っても、全てを愛して、ただ小さく笑っていたい。

 

夏の日、君のつむじ

夏なので、今日は夏休みの思い出話を。

 

高校の夏休み、休み明けの文化祭の準備のために、クラスメイト達と一緒に高校近くの工場まで、木材を貰いに行ったことがある。

2m近くある長い木材を、二人で運んだ。
重量があるため、女子二人ではキツイ。自然と男女ペアの組み合わせになった。

私はたまたま最後尾、友達が好きだと言っている男の子との組み合わせになってしまったので、少し気まずかった。

学校まではそれなりに距離があり、横断歩道も通るので、前の列とは自然と距離が出来てしまう。

時刻は夕暮れ。
日中の暑さがまだ強く残っている。

だんだん雲が濃くなってきた…と思っていたら、突然叩きつけるような雨が降ってきた。

慌てて木陰へ逃げ込んだ。
高校へ続く道は、森の中にあったから、雨宿りの場所には困らなかった。
乾いて、熱くなっていたアスファルトが、雨に冷やされて白い湯気を上げる。
雨に濡れて勢いを取り戻した木々から、強い香りがした。

「あのさぁ!」

雨の音が凄くて、声がよく聞こえなかった。
突然呼ばれて、私は驚いて振り向く。

「もし良かったら、今度の祭り一緒に行かねぇ?」

ごめん、もう友達と約束してるから…と私は断った。

彼は友達が好きな男の子、という意識があり、距離を置きたかったのだ。
まだ自分と友達の、境界線が曖昧だったあの頃。
恋よりも友情の方が大切だった。

「まじかーー!つか、断るの早すぎない!?」

そんな風に冗談めかして言った彼は、その場でしゃがみ込み、あーあ、と少し項垂れた。

そうやって下を向いた頭の、つむじがなんだか可愛らしかった。
黒い髪が雨に濡れて、湿気のせいか少し立ち上がり、揺れていた。

私はなぜだか手を伸ばして、その髪をクシャクシャにしてやりたい、と思った。

そういうのは男子の願望だと思っていたけれど、私の中にもあるんだ、と少し驚いた。
愛おしさとか、慰めたいとか、色んなものが入り混じった感情。

木材で両手が塞がっていたから、結局何もしなかったけれど。
あの時手を伸ばしていたら、何かが変わったんだろうか?と時折考える。

そんな日は人生に無数にある。
彼の髪、前を歩く人の白いシャツの裾、隣にあった大きな手。

掴まなかったものたちが、私にもう一つの世界を想像させてくれる。
だからきっとそれでいいのだ。

伸ばさなかった手、躊躇った世界。
掴まなかったその先は、いまでも鬱蒼とした森の奥でキラキラと光っている。

 

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雨が止んで、やがて私達は歩き出した。

前を行く私に、彼は前後を交代しよう、と提案した。
理由の説明が無かったので訝しく思ったが、前を歩く彼のシャツを見て理解した。
雨でシャツが張り付いて、背中が透けてしまっている。

つまり、私の背中も。
見ないようにしてくれた優しさに、相当胸がときめいた。
なぜあの時恋に落ちなかったのか、本当に理解できない。

高校生にもなって、「友達の好きな人」は禁忌、という『星の瞳のシルエット』的価値観が捨てられなかったのだ。

でもあの頃の自分の頑なさ、純粋さが、今は割と愛おしい。

 

辺りには薄闇が迫っていた。
闇を含んで、雨に濡れて、蒼く光る木立の暴力的なまでの美しさ。

私は今でも、夜の手前の蒼い緑の色が好きだ。


それは昼の清々しさとも夜の危うさとも違う、境目の色だ。
硬質に光る夕闇の色。
夏の夕べには、時折あの夕立を思い出す。
蒼い光の中にいた、私たちのことを。

 

愛してるよ、さえ明日になれば

長いトンネルの中でハンドルを握りながら、昔似たような長い長いトンネルの中で別れ話をしたことを思い出した。

トンネルは不思議だ、光が消え景色が見えなくなって、音さえも籠もりだす。
ここはどこなのか、いまはいつなのか。

長い長いトンネルは、ハンドルを握る私をあの頃に引き戻す。

 

それはとてもよくある話で、少し距離のある街に住む彼が、私と会えない一度の週末に浮気をしてそれを打ち明け、許せずに別れた、たったそれだけの事。

鮮やかな夏の光の中、湖畔沿いの道を笑いながら走っていたのに、暗いトンネルの中で思わぬ話をされて、トンネルを抜ける前に別れを決めた。
光溢れる湖畔と薄暗いトンネルのコントラストがあまりに強烈すぎて、今でも覚えている。

傷ついたのは別れたことよりも、そのことに対する友人たちの反応だったかも知れない。

たった一度のあやまちで別れるなんて勿体無い。
お互い若いんだし、よくある話。ただの生理現象なんだから。
正直に言ってくれただけいいじゃない。

みんな、女には男を許す寛容さが必要だ、という論調だった。
私もなんとなく、そんなものなのかな、と思うようになった。

生理中だから、と行為を断った私がいけなかったのだ。
そしてその次の週、彼よりも友達の結婚式を優先したのがいけなかった。
なにより彼の生理現象を許せない私の心の狭さが悪いのだ、と。

それでも彼を許す気にはなれなくて、なんとなくモヤモヤした物を抱えていた頃、現在の旦那と出会った。

旦那を含めたたくさんの友人で飲んでいた時、離婚したばかりで欠席した一人の話題になった。

夫に浮気をされた彼女は、二人の小さな子どもを抱えていた。
みんな、ああ…みたいな空気だった。

最初は夫を責める意見が多かった。
小さな子どもがいるのに浮気をするなんて。

でも徐々に、まだ子どもが小さいんだから少しは我慢をしても…とか、誰にでも起こりうることなんだから、みたいな話になってきた。
カラダだけの浮気は浮気には入らないんだ、みたいな。

私はモヤモヤしながらも、世の中そういうものなのかな?と納得しようとしていた。
どうしようもない生理現象に目くじら立てても仕方がない、大人になって、現実を見ようと。実際浮気や不倫なんて、四人に一人は経験済みだと統計も言うし。

それでもお腹の中は、冷たい石を飲み込んだみたいにずっしりと重たかった。

 

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そんなとききっぱりと「俺は嫌だ」と言い放ったのは旦那だった。

みんながしている、よくある話だなんて関係ない。
俺は家族を裏切るのが嫌だ。

静かだけど、力強い口調だった。
真面目じゃん、と冷やかす人もいたし、そんなこと言ったって結局は…と茶化す人もいた。
でも彼は意に介さず、淡々と飲んでいた。
その力強い「俺は嫌」という言葉に私は救われた。

何かを嫌だと言うことは誰かを傷つけることだと思っていた。
だけど旦那の「嫌」は私にとって、差し込む光のようだった。

みんなに合わせなくては、波風を立てないようにしなくては。
そうやって長いものに巻かれて生きるのは容易い。
納得のいかない事でも、みんなが容認しているから…と何となく飲み込んでしまっていた。
でもそうやって胃の中に押し込んだ冷たくて暗い石は、いつか私自身をも曖昧な、灰色のモヤの向こうへ連れ去ってしまうようで、それでも「嫌」を言えなくて迷っていて。

旦那の嫌、に私は曇りを晴らされたような気分になった。
ああ、生理現象だから、誰にでもあやまちはあるから、なんて諦めなくていいんだ、飲みこまなくていいんだ。

もう少しだけきっぱりと生きてもいいのだ、と思った。
自分の『嫌』をちゃんと認めてもいいのだ。

「愛してるよ」なんて重たい言葉さえ、明日になれば嘘になってしまう世の中なのかも知れない。
でもたとえ、人体がそうなるように出来ていようと、社会がそうなっていようと、私が許せないなら許さなくていいし、憤ったっていいのだ。

色んな言葉が手ぐすねを引いて、私を『仕方がない』という諦めの沼に引きずりこもうとする。

でも『愛してるよ』さえ嘘になるなら、誰を信じていけばいいのか。
絶対のない世界で、信じることはオロカなのか?

 

浮気や不倫経験のある友人はたくさんいる。
彼女たちのことを切って捨てたい訳じゃない。
世の中にはどうしようもない感情があることもちゃんと理解している。

でも、周りのことは許せるけれど、自分はそうしたくない。
「私は嫌」と線引きをすることは、灰色のモヤに取り込まれないために、冷たい石に心を凍らせないために、必要なことだったのだ。

かつて浮気をされて、自分が悪いと思い込もうとした私も、復縁をうながした友人たちも、今思えば色んなものに踏みにじられていて涙が出る。
私たちはどれだけ世間に踏みつけられて、それを当たり前だと思って生きてきたのだろう?

 

愛してるよさえ、明日になれば。
たとえそんな世界でも、私は信じていたいし、信じさせて欲しい。
勿論私も裏切らないから。

色んな声が私を揺さぶって、永遠なんてないと嘯くけれど。
信じさせていてね、どうか死ぬまで。

 

…せめて死後なら、位牌をデコピンくらいで許してあげるから。

 

なおタイトルは街角で聞いた米津玄師の歌詞から取りました。

ただ私は聞き間違えていて、「愛してるよさえ明日になれば」どうなるんだろう?と思っていたのに実際は「愛してるよビビ明日になれば」というビビちゃん?に捧げる歌でした…。聞き間違えの方が好きなので聞き間違えたまま採用。

 


米津玄師 MV『vivi』

 

恋愛に論はいるのか?論

青二才さんのこの記事を読んで、いろいろ考えてしまった。

www.tm2501.com


ご自身の『迷い』がストレートに出た記事だと思うし、家族と言う複雑な関係の辛さ、しがらみは本人にしかわからない。

ただ青二才さんの中に「結婚してこそ一人前」と言う旧来の考え方が残っていて、だからこそ苦しいのではないか、とは思った。

ご本人も書いていたけれど、友達がいて楽しいならばそれで良いではないか、と思う。
結婚したから健康で長生きできる、結婚したから大人として認められる、はイコールではない。1人できちんとした生活習慣を保てる人もいるし、若いうちから大人の考え方を身に付けている人もいる。

大体他人に結婚しているか、恋人がいるかなんて個人的なことを質問する、仕事の場で個人じゃなく家族として評価する、と言う意識がもうオワコンなのだと思う。

40過ぎて独身のやつはヤバい、なんて言う人がたまにいるけれど、結婚してようがしてまいが、ヤバい奴はヤバい。

結婚や恋人を便利な資格扱いしてないで、その人がヤバいかヤバくないか、あなたが決めればいい話なのだ。
私は私だし、誰かの妻だなんて付属品扱いされるのはまっぴらだ。

 

と、自分の見解が出てしまったが、あの記事は青二才さん自身の人生のエントリ。

自分の居心地の良い場所は自分にしかわからない。
迷いながらも5年後10年後、いつか自分なりの答えが出たらそれは同じように悩む人の指針になると思う。


引っかかりを感じてしまったのは、青二才さんが「女性の気質論」みたいなものを挙げて、そういうところが苦手で、だから上手くいかないのだと結論づけてしまっていたところ。
女性はこう!と言われるとなんか辛い。
もちろんそうじゃない女性がいることが知っている、と言うエクスキューズは書かれていたけれど、そうじゃない枠に入っていてもあんまりうれしくない。
男性はこう!と言う全体像の記事があって、もちろんこういう男性は違いますよ、と丁寧に配慮されていたとしても、やっぱりもやっとしないですか…?

 

「というもの」とは付き合わない、という表明


男と言う概念、女と言う概念を書いて、彼らはこうだから自分は彼らとは上手くいかない、と言葉にするのはとても容易い。

ネットにはそんな「私が異性と付き合わない理由」が溢れている。

でもあなたは、叩かれている「男というもの」の概念の中に、本当の自分がいると思った事はあるだろうか?
叩かれている「女というもの」の概念の中に、本当のあなたはいる?
結局本当の自分なんてネットの中にはいないのだ。


それを知っているのに異性に対しては「というもの」というつまらない型枠を嵌めてしまう。

男なんてそんなもの、女なんてそんなもの、と知った気になるのは簡単だ。
でもあなたは『そんなもの』の中に住んでいますか?

自分が違うなら、相手だって違うかもしれない。
小さな想像力を持つだけで、世界の見方はガラッと変わる。

男子校育ちだったり女子校育ちだったり、異性に距離があると近づくのも怖い、という気持ちは分かる。

でも異性と言う森を遠くから眺めて、あんな場所!と毛嫌いするのはどうだろう。

森の中には大きさも、枝ぶりも、品種だって異なる木がたくさん生えている。
1つとして同じ木は無いのに、森だけを見て木を眺めないでどうする。

私は森に分け入って、たった1本、自分によく似た木を探したい。
そしてできたら、手を取り合って平原に歩いていきたい。

 

たった1つの木の選び方

 

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私は年も価値観も雰囲気も、よく似た人の隣にいるのが一番心地いいと感じる。
でも相手に過剰な夢や理想を追い求めてしまう人もいる。


森の中でも1番目立つ、華やかな木ばかり追い求めてしまう人。
そうして森の中に入る前にどうせ理想の木は手に入らないから、と諦めてしまう。

そういう人たちは、自分が思い描く理想の自分と、現実の自分とのギャップが大きいんじゃないかと思う。
だからすごく大きくて立派で、華やかな木を手に入れたら、人生に大逆転が起きるんじゃないか、本当の自分になれるんじゃないかと考えている。

 

私は恋愛も結婚も、人生を一発逆転させる宝くじじゃなくて、もともとある幸せをほんの少し上乗せしてくれる、小さな底上げみたいなもんだと思う。

自分をちゃんと好きになって、日々の暮らしが幸せだと思えるようになったら、身の回りにいる自分と同じ価値観を持つ人、見栄を張らずにそのままの自分でいられる相手を、自然と好きになれると思う。(身の回りに本気で相手がいないパターンもよくありますが…)

 

実は私は、恋愛も結婚もあんまりフェアじゃない、と思っている。

私は相手に快適でいてほしいとか、喜んで欲しいと尽くしてしまうし(そうすると家事は均等割じゃなくなる)向こうも何でも半分、と言いながら私の苦手なことを知らない間にやってくれたりする。

私たちはお互いに自分の方が損をしている、でもこの人だから仕方ないか、とほんのちょっとの特別扱い(結局それを愛と呼ぶのかな?)を認めながら暮らしてるんじゃないか、と思う。

誰かと共に暮らすと言う事は、自分の心なり時間なりを、わたあめみたいにちぎって差し出してあげることだ。

わたあめを同じサイズ、同じグラム数で均等割り!なんてギチギチに測っていたら縮んでしまうし、誰かに分け与える余裕のないサイズなら、まずは自分の心を満たすことが一番だと思う。

一緒に並んで花火を見たくて、大きいほうのわたあめを躊躇せずに差し出してあげられる人。その人はきっと男とか女じゃなくて、私にとって特別な名前を持っている。

 

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まずは自分を好きになること

 

私の知っている一番素敵な独身女性は、保育所の所長先生をやっている。
子供だけではなく、お母さんのいいところまでたくさん見つけて、いつも褒めて愛しまくってくれる、素晴らしい先生だ。

みんなの愛に包まれすぎて、たった1人に絞れなかったのよ。
そうやって笑う彼女のことを、独身だから不完全だ、なんて誰が貶すだろう。

『お母さん、今日も笑顔が素敵!』『颯爽としてかっこいい!』
所長先生は、朝の玄関でいつも子供たちより、私たちを褒めてくれた。

もういい大人なのに先生に褒められるとなんだか嬉しくて、慌ただしい中でも笑顔で子供とバイバイが出来たことを思い出す。

先生は私たちに、毎朝ひとかけらのわたあめをちぎってくれたのだ。

 

私たちは、実はみんなすごく頑張ってるんだと思う。
でもネットのおかげで、世界が見えすぎるくらいに可視化されちゃって(それも上位数%が大多数みたいに見える偏った世界が)結果が得られないから、評価されないから不幸だと思うようになってしまった。

確かに、恋愛で承認欲求を満たすこともできるだろう。寂しいとき隣にいてくれる誰かが欲しい気持ちもよくわかる。

でもその前に、もっと自分の「すごーい!」を認めてあげても良いのではないだろうか?
恋愛は生クリームみたいなもの。
自分の土台がしっかりしていなければ、崩れ落ちてしまう。
私が『私』を好きじゃないなら、どうして誰かに自分を好きになって、と言えるの?

 

自分を一番幸せにできるのは、結局自分自身だと私は思う。
異性にたくさんモテる人より、自分で自分を適切に認めてあげて、自分の幸せを周りにふわふわまき散らかせる人が一番素敵。

 

私にとってのわたあめばら撒き系ブロガーは加藤はいねさん! (なにあの盆と正月がいっぺんに来たかのような更新の喜び!?)

d.hatena.ne.jp

あの域にはどうやって…?しかもはいねさんもしかして年下…? 

 

二村ヒトシと恋愛工学の違い~恋愛の基本はコミュニケーションにあり?

今日、こんな記事を読んだ。(cakesなのでそのうち有料記事になるかも。読むならお早くどうぞ)

 

cakes.mu


「モテたい」が人をオトナにしてしまう、というコミュニケーションに関わるお話。

 

記事の中で二村ヒトシと恋愛工学の違い、と言う話があって面白かった。

恋愛工学は一時期流行していたから大筋は知っている。恋愛論と言うよりナンパテクニックみたいだなぁ、としか思えなかった。

二村ヒトシさんの文章はよくネットで読んでいる。
「すべてはモテるためである」も読んだ。

こちらは恋愛工学と対極で、哲学みたいだと思った。

結局恋愛はコミュニケーションであり、誰かに愛されるためにはまず自分を肯定するしかないんだ、という自己肯定力、人間としての根底の話が何度も出てくる。

 

下の、二村ヒトシさんと藤沢数希さんの対談を読むと二人の違いが分かりやすい。

cakes.mu

 

二村にとっての恋愛は「自分とはなにか」「愛とはなにか」考えるものである、ということ。対して藤沢は「お腹が空いたら食べ物を探しに行くようなもの」だと語る。

藤沢にとっての恋愛は、いい女とセックスできたらうれしい。
それだけのことだ、と彼は言う。

 最初の「モテたい教」の記事の中で、「たくさんのレベルの高い女性とセックスできる」ようになる、という恋愛工学について、

 

それが男性の「モテ」ですよね。女性の多くは「一人の素敵な男性に深く愛されたい」が「モテ」なんですよ。 

 

という意見があってなるほどな、と思った。
そして女性はだいたい二村派だと思う、という言葉にも納得。

誰だってゴハン扱いされるより、人間扱いしてほしいじゃないか。

 

二つの恋愛論を男性向けのマーケティング論として考えるなら、顧客(つまり女性)の好む手法を取り入れたほうが顧客満足度は上がると思うけれど、恋愛は商売じゃない。

 

恋愛工学は口説かれ慣れてない女性には効く、という話もあったので、効果が出た人もいたのかも知れない。

 

gendai.ismedia.jp


ただどっちの本の内容も、恋愛工学の手法も、既に女性に知れ渡ってしまった。

今本に書いてあることをそのまま取り入れると女性に(恋愛工学野郎…)とか(お前は二村ヒトシか?)と突っ込まれるので注意してほしい。

 

 ぼくのかんがえた恋愛必勝法?

 

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)


さて、いろいろな人が語っている恋愛論だけど、正直私が論じるには経験が足りなすぎる。つか、一般の人が語る恋愛術なんて、結局みんな個人の話なんじゃない?


そんな前提の上で、あくまでも「自分の場合の話」を少しだけ語ってみたい。

 

若い頃の私は(今もだけど)地味で大人しそうな外見だった。
そうすると「こいつなら俺にも何とかなりそう」と侮った感情を口や態度に出す男ばかりが寄ってきた。

私個人が好きなのではなく、「こいつなら何でも言うこと聞きそう」とか「自分好みに染められそう」なんて、女性の何かのパーツか付属品のように思っている輩。

当時は友人達から、性格に合わせて髪を真っ赤に染めろ!と言われた。
(結構本気で。昔は激辛カレーみたいな性格でした。今はリンゴとハチミツ入ってます)

でも私は目立たない格好が好きだし、落ち着くし、男性にどう思われるかで見た目を変えるなんてアホらしい、と思うくらいには頑固だった。

結果合コンに行くたびに『お前俺のこと好きなんだろ?目を見りゃわかるぜ男の歌』、『初対面で明日俺んち弁当もってこい男の歌』など数々のヒットチャートをゲットした。大ヒットナンバーを女子会で公開した後、私は虚無感に襲われた。


このままではやばい。
ネタリリックには事欠かず、女子会ヒットチャートの女王の名を我がものにしていたがそもそもそんな称号はいらない。

 

ちなみに初対面で明日俺んちに弁当持ってこい、と真顔で言った男には、弁当発言が出るまでは好感を持っていた。

古典SF好きらしく、現代アニメの元ネタはこのSF!論なんて話が面白かったのだ。


彼の男友達いわく、悪気があって「俺んち弁当」発言が出てきたのではない、ということだった。

デートでお金を使いたくない=自宅、料理上手な彼女が理想=弁当、だったらしい。

相手の何に重きを置くかは人それぞれで、彼は「料理の上手い女性」が理想だったんだろう。デートで男性だけが金を払うのはアンフェアだと私も思う。

だけど初対面、居酒屋で1, 2時間しゃべっただけの間柄で「明日俺んちに弁当持ってこい!」は得を取りすぎと言うか、相手への配慮に欠ける発言では無いだろうか?

 

恋愛論、なんて言うとハードルが高く感じるけれど、基本は人と人のコミュ二ケーションなんだと思う。

俺弁発言は相手が自分より年下の女の子だから(3つくらい年上の人だった)、と侮っているように聞こえる。
自分と対等な立場にある人間、嫌われたくない相手(例えば親友とか)に同じ言葉を言えるか、を基準にしてみたらわかりやすいかと。

まぁ向こうは向こうで、お前ごときをなぜ対等に口説かなきゃいけないんだブサイク、自分の手法で釣れないなら次へ行くぜ、と思ってたのかもしれませんが。

そういう人を侮る気持ち、バカにした空気は上手く隠したつもりでも伝わってきちゃうものだよ、とだけ言っとく。

 

さて、女子会ヒットチャート女王からの脱却はどうしたのか、というと。

ファッションも性格も変えることなく、自分が好きだな、付き合いたいなと思う人には自分からアタックするようにしました。

脱・やまとなでしこ。
それだけで変な誘いは少なくなり、好きな人とうまく行くようになりましたとさ。


考えてみたら、女子会ヒットチャートを飛ばしてた頃は控えめ女子がモテる、みたいな恋愛理論を信じてたのかも。

もちろん本当に大人しい人が素でやるならアリだけど、欺瞞じゃ上手くいく訳ないし、地味容姿で控えめ演じてたらマウント男が寄ってくるのも当然。(ただ地味で大人しそうな年下女子だから何を言っても良い、という考え方は絶対におかしいと思いますけど)

そもそもの戦略が間違ってたんですね。

結局二村ヒトシさんも、恋愛工学も、あまたの雑誌に載ってる恋愛テクも一般論でしかない。

自分はどんな人間で、どんな人と付き合いたいか。
なにより誰が好きなのか?


そこを見極めていけば、自分だけの恋愛工学が見つかる気がします。

 

肉食系女子が当たり前になった現代、いつか王子様が、なんて夢見ている人はさすがに絶滅危惧種だと思う。

王子様の誘いを待つよりも、王子の首はワイが討ち取ったる!くらいの勢いがある人の方が私は好きです。プロゴルファー猿系女子…?ウッキー。

 

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 

 

いつまでも恋愛市場にいなきゃだめですか?~『結婚できない2.0 百鳥ユウカの婚活日記』

cakesで連載中の『結婚できない2.0〜百鳥ユウカの婚活日記』というエッセイが面白い。
ジャンルはエッセイだけど、百鳥ユウカという女性について、過去に彼女と関わった人たちが語る小説のような形式。
語られる言葉ひとつひとつが生々しくて痛い。

 

cakes.mu

 

cakesの連載は面白いものが多いけど、公開後しばらく経つと有料になってしまうのがめんどくさい。といっても有料でも週150円。
更新時なら無料で読めるから、気になる連載がある人はメール登録しておくと良いかもしれない。

 ※月額プランだと500円で1週間無料になるそうです。
登録は面倒ですが、お試し期間中に停止すれば無料で読めます。

 

 あらすじ紹介

 

 肝心の内容はこんな感じ。

 仕事もできる、容姿もいい、昔からかなりモテてきた丸の内のOL百鳥ユウカ(34)。結婚願望は強いのに、なぜか彼女の恋は上手くいかない。
妥協を知らない彼女が、最後にどんな男と結婚をするのか?

元彼、知人たちが語る『百鳥ユウカ』という人の物語。


この話を読んでいると少し不安になってくる。

美人で仕事も出来る百鳥さん。なのに恋愛にはどこか必死で全力で。
そんな彼女を周りはどこか痛々しい気持ちで眺めている。

そもそも百鳥さんは歴代彼氏の内の誰かを本気で好きになったんだろうか?

「相手の行動を否定しない」ことが愛情だと思っている百鳥さん。だから彼にも自分が選ぶ行動を尊重してほしい、と思っている。

尊重することが愛情、という言葉は一見美しく聞こえる。
でもお互いに口出ししないようにしましょう、ってことだよね?

そこまで干渉しあわない関係なら、別に結婚しなくてもいいよね?

本当に百鳥さんは婚活で幸せになれるのか、私には分からない。
美人で料理上手、男性にモテまくりの百鳥さん。

彼女が欲しいのは「自分のルールに則って」自分を尊重し、愛してくれるひと。

いつも自分基準の彼女は、恋愛市場には不向きかも知れないけど深く知り合わなければ周りに好感を持たれるタイプの女性。

どうして恋愛しなくちゃいけないの?
何となく彼女は一人のほうが幸せなのかもしれない、と思っている。

 

モテるはすべての基準じゃない

 

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もう40代、既婚で子供も2人いて、恋愛市場からは遠ざかったと思っている私にも「ガウチョはモテないよ」なんて上から目線でアドバイスしてくる人がいることに時折愕然とする。

いつまで私たちはモテなくてはいけないのだ?

女性にも男性にも自分の「好みのタイプ」がいるのはもちろんわかる。

私自身寡黙で優しい山男にキュンとする。木切れで火おこしできたら惚れるし、100円ライターで瓶ビールの線を抜く姿を見たらカッケー!一生ついていきます!ってなる。(私のダンナの話。だからこれは惚気)

だから合コンなど出会いの場でモテを気にするのはまだわかる。


問題は職場とか、PTAとか、趣味の集まりとか、既婚者しかいないような場で突然モテについて語り出す人たち。
他人の奥さんがモテようなモテまいが、あなたにはまるで関係のない話では無いのか?

もちろん、自分の伴侶の目は気にした方が良いだろう。
でも私の夫は家ではパンツ1丁の人だし、私にも楽な格好でいいじゃん、と言ってくれる。私がトロフィーワイフを目指したら不自然だと言うだろう。

夫は私の面白いところが好きだから、みかけはどうでもいいと言う。

夫がいいと言っている事について、なぜよく知りもしない男性からこうしたらいい、ああしたらいい、なんて言われなくちゃならないのだろう?

服装について、女性からもとやかく言われるならば私の格好が時代遅れなのだな、とわかるがそんなことはない。
基本シンプルなシャツやパンツスタイルが多い。
職場でも恥ずかしくない、露出度少なめな格好。


恋愛脳が世の中の多数派なら、私は生存脳なんだと思う。

できれば脆弱な服より機能を追求したい。
レースやリボンより防水防湿機能がついていたほうがうれしい。

ヒールは確かに素敵だけれど、土砂崩れで道路が閉鎖されても(奥会津結構あります)歩いて帰れるスニーカーが良い。

こういう趣味だから残念だ、って言われるんだろうけどモテは廃業しますからほっといてください。
大体「〇〇したらモテるのにもったいない」って言い方は何なの?褒めてるの?もったいない呼ばわりされて嬉しい人がいると思う?


こんな言い方をする人は女性にもいる。

私の知人も「〇〇さんはあそこを直せばモテるのにもったいない」とよく言う。知人も、〇〇さんも既婚なのに。

モテるメリットがよくわからない。
もったいないと言う人は自分の周りの人間を全て魅力的なモテオ、モテ子にしたいんだろうか?

そもそも彼らの言うモテるの定義はなんだろう?個人的な好み?一般論?

好みだとしたら、私は周りの男性に「100円ライターでビールの栓を抜いたらモテるよ!」と布教して歩かなくてはいけないことになる。

 

さすがにそれはちょっと躊躇する。だいたい瓶ビールには栓抜きがセットだし。

オンリーワンだから私の旦那はかっこいいのだ。
大好きな人はたった1人いればいい。

周りの人はタイプではないけど面白かったり、興味の湧くような人だと嬉しい。
ストライクゾーンから外れた人とは友人として付き合えればいいと思う。

 

いくつになっても、男性は男性らしく女性は女性らしく、異性にとって魅力的であるべきなんだろうか?

私はその戦線からは離脱したつもりだし、とっとと白旗をあげたい。


男女、既婚未婚問わず、モテなくてもいいから『自分らしくいたい』人はきっとたくさんいると思う。
強がっているわけじゃなく、好きな服を着たいし好きに生きたいし、それでモテから遠ざかるならそれも結構、と感じてる人達。

「モテたい」は本能なのかもしれないし、雑誌のモテコーデも多分なくならないけど、生存率が上がるコーデも認められるような世の中になるといいね。

どこか生き辛そうな、百鳥さんを見ながら思いました。