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他人に上手く助けを求められる人~ノックができる大人になるために

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 fujiponさんが人に助けを求められる人間である方が人生は生きやすい、という話を書いていました。そしてそうした練習を子どものうちにしておいた方が良いのではないか、とも。

上の子ども(もうじき中学生になります)が小学校に入学したばかりの頃、ちょうどそんなことを考えて色々わが家なりに取り組んでいたことを思い出しました。

今日は子どもたちを他人に上手く助けが求められる、自分の状況を周りに伝えられる大人に育てるためにした小さな練習について、書いていきたいと思います。

 

fujipon.hatenablog.com

 

我が家は両親2人、子ども2人の核家族。

5歳差の次男が生まれるまで長男は一人っ子で、結果大人と接する時間の長い子供でした。また初めての子育てと言うこともあり、私も夫も丁寧に接していたと思います。

 

後から気がついたのですが、彼は実に育てやすい「いい子」でした。

1歳を過ぎた頃から「お菓子は一日1個」という言葉を理解し、スーパーでワガママを言う事もありませんでした。

当時の私には「子供だってきちんと言い聞かせればわかるのに、スーパーで寝転がるような子供は親の常識が無いのでは」なんて甘っちょろい意識があったものです。(そんな甘ちゃん思想は後にスーパーの床を転がって移動しながら買ってアピールに余念がない次男の登場で無残に打ち砕かれましたが)


おとなしく、本を読むことやミニカーや怪獣を整然と並べることが好きだった長男。
女の子と遊ぶことが多いのが少し気がかりでしたが、大人の話をきちんと聞けるので保育所の先生からの評価は高く、劇の主役や卒業生代表もきちんとこなしていたので小学校に行っても何とかなるだろう、と思っていました。

小学校に上がってからも勉強は難なくこなし、友達は少ないけれどいじめに遭っている様子はなく、大人しいながらも人前での発表はきちんとこなせる、といった様子で我が家に小1クライシスはない、と胸を撫で下ろしていました。

 

破綻が訪れたのは初めての授業参観の時。

その日の授業は体育で、彼の得意なフリスビーをドッチボールのようにぶつけ合うドッチビーという競技。

運動が少し苦手だった息子、今日は得意科目でかっこいい姿を見せられると思ったらしく、はりきって出かけていきました。

しかし実際の授業では早速異変が。

息子のクラスは秋冬生まれの子が多く、小1といってもまだまだ小柄で見た目は保育園児のようです。担任の先生は30代の女性で、子供達はお母さんの様に甘えきっている様子、なんだか空気がだらけています。

まずくじ引きで外野を引いた男の子が外野は嫌だ!と転がって駄々をこねだしました。これでは授業になりません。

先生は私の息子ともう1人背の高い女の子を招き、外野を頼みました。
慣れた様子で2人は承諾、ゲームが始まりました。

しばらくして上手く友達に当てた息子。ところが今度は当てられた子が外野に移動しようとしません。当たったことを認めず徹底抗戦の構えです。

結局先生はアウトなしの特別ルールでゲームを再開しました。

ぶつけても誰もアウトにならないつまらないゲーム。
キャーキャー楽しそうに内野を駆け回る友人たちをよそに、息子ともう1人の女の子は死んだ魚のような目でフリスビーを投げ続けていました。

先生にその場で言いたいことは山ほどあったけれど、私はぐっとこらえて息子の手を握り、家に帰りました。

帰り道、息子は堪え切れない様子で静かに泣き出しました。
「僕も内野やりたかったな」うん、と私は静かに肯定しました。
「いつも僕ばっかり外野なんだよ」
そうだね、と肯定しながら私は息子に話しました。


お母さんは君がフリスビーが大好きで、内野をやりたかったのを知っている。
でも先生は君のことをよく知らない。
君が自分から『僕は内野をやりたいです』と言わなければ、ずっと外野でも文句はないんだな、と思ってしまうかもしれないよと。

でも、言っても…と息子はうつむきました。
誰もやりたがらないし、先生の言う事は断れないんだよ、と。

声を上げても世界は変わらないし、自分だけが我慢していればいい。

それはかつて子供だった私も考えていたことです。
そしてノックするのが苦手な人たちが考えていることだと思います。

でも私は息子に言いました。
それでも言ってみようよ。言葉でうまく伝えられないなら手紙でもいいよ。
いちど先生に思っていることを話してみようよ、と。

 

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次の日、手紙を携えて学校に行った息子は満面の笑顔で帰ってきました。

「今日の体育は教頭先生も一緒にやったんだよ。ちゃんと正式ルールで遊べたよ。僕もたくさん当てたし避けたよ」

私は手紙を書いたおかげだね!よかったじゃん!と大喜びしました。

 

実は授業参観の際、周りの大人たちの間でも冷ややかな空気が流れていました。

だって駄々をこねる子どもの言う通りにするだなんて、保育園でもそんな甘やかしはしません。これは苦情が殺到しただろう、と思いながら私は担任の先生にこっそり電話しました。

そして息子が泣きながら言った話、そのことについて書いた手紙を持って明日学校に行くので受け取ってあげて下さいとお願いしました。

やはり電話がじゃんじゃん来たようで先生は弱りはてているようでした。
なかなか言うことを聞かない生徒が多いので、ついしっかりしている息子をあてにしてしまって…と言う話でした。

結局クラスはその後補助教員を2人追加し、何とか持ち直しました。
元気でやんちゃ、じっとしているのが苦手な(後に次男坊がやんちゃ代表になるとは予測もつきませんでしたが)男子児童が多いクラスで、先生1人では収拾がつかなかったようです。

当時は心配しましたが、今になって思い返すと息子が乗り越えたトラブルは『適切な壁』だった気がします。

授業中、私が手を挙げて「甘すぎるのではないですか」と意見するのは簡単です。
他の親たちも賛同することでしょう。

でも、それをしてしまったら子供たちは先生のことを完全に舐めきってしまいます。
息子も困った時は親を頼ればいいと思ってしまう。

社会に出ればこんなふうに不公平なドッチビーが毎日繰り広げられている。
常に助けてあげられる訳ではないのです。

本当は頼りになる先生に安心して子どもをお願いできる学校が理想です。
でも先生だって同じ人間、未熟な時もある、自分の問題を抱えていたり体調が優れない時もあるでしょう。

職場でも、理想の上司とはなかなか出会えません。
完璧ではない先生とどう付き合っていくか?というのは子どもにとって後の社会に繋がる良い勉強になるのでは、と思っています。

 

『声を上げても何も変わらない』と思い込んでいた息子が、手紙を書いてすぐに結果を得られた事は最高の成功体験になりました。

それからも怒られることを怖がって忘れ物をしたことを言い出せなかったり、友達に悪口を言われたことを抱え込んでしまったり、様々なトラブルがありました。

それでもマンガ『柔道部物語』を読んで柔道を始めたことで度胸がついたり、口が達者な弟が生まれて負けないように自己主張が強くなったり、今ではすっかり逞しく成長してくれました。

 

練習はいつでもできるから

 

さて、これは私の息子のたまたま上手く行った成功体験の話です。

こんな風にしてくれる親はいなかった、とか子育て自慢をするな、とか思われるかもしれません。
しかしそもそも私が子育てが下手だったから、息子は怒られることを怖がる子に育ってしまったのだろうな、と今は反省しています。

私は長男を一人の人間として、公平に扱おうと思って育てました。
彼は人の話をきちんと聞ける子だし、話せば分かると思ったのです。
ただ一方で彼の気持ちを尊重しすぎた、彼の望まないことをやらせないで育ててしまった、という後悔があります。

もっと色々、失敗してもいいからトライさせる。
たまにはできないことをやらせて不条理でも怒る。

失敗すること、怒られることは怖くないんだよ、ということを小さな頃からもっともっと教えておけば良かったなと今は感じています。

それが出来なかったのは子どもに嫌われたくない、という当時の私の弱さからだったと思います。

今私は下の息子をガンガン怒っています。
怒らざるを得ないのです、怒らないと死んでしまうようなことを平気でやる子ですから。ガンガン怒る中で気がついたのは、どんなに怒っても子どもは親のことを嫌いにはならないのだな、という真実です。

長男の時は、子どもよりも私が臆病だったようです。

 

でも、大人しい、気が弱いけれど優しい長男も私は好きでした。
もしも担任の先生がそんな子どもの意をきちんと汲んでくれる人で、もしも柔道を始めなくて、もしも弟が生まれなかったら長男はそのまま優しい草食系で育ったことでしょう。

それならそれでも、なんとかなったのでは?と私は思います。

 

それはかつての私自身も、大人しくて先生や大人のいう事に逆らえない、困ったことがあっても人に聞けない「ノックの下手な子ども」だったからです。

 

私が声を上げられるようになったのは軽いブラック企業に就職してからです。

黙って言うとおりにしていたら14日間休みなしなんて無理なローテーションを組まれてしまう。サービス残業は当たり前、ひどい先輩になると私に任せて勝手に早退し、タイムカードは定時に押しといて、なんて無理を言う。

そんなブラック企業でブチ切れた私はもう辞めてやる!という覚悟で好き勝手を言い、労基に相談し、先輩たちの悪事もすべてぶちまけました。

当時は世間知らずの子どもだったから、かなり怖かったのです。
労基や先輩の悪口なんて持ち出したら、もう地元で働けないかも知れない。

どこか遠い町で住み込みの仲居をやる覚悟で、私はドアをノックしたのです。

 

そうして実際に声を上げてみると周囲が前より優しくなりました。
会社は無理難題を言わなくなったし、踏み倒された残業代も少しは帰ってきました。

世の中には見ていてくれたり、助けてくれる人もいるもので、結局私は前よりいい条件で、似たような職種の会社に拾ってもらい、楽しく働けるようになりました。

 

息子も「内野がやりたかった」と泣いたあの日のように、いつか堰が壊れる日が来れば否が応でもノックせざるを得なくなる。

一度誰かに助けを求めてみれば、それはそんなに難しい事でも、恥ずかしい事でも、迷惑をかけるような事でもないんだ、って気がつくはずです。

でも心が壊れるまで我慢してしまう人もいるので(私自身も円形ハゲが出来ましたし)、そんな風にギリギリまで待つんじゃなくて少しづつ練習してみるのもいいかも知れませんね。

 

私が子どもたちによく言うのは「周りにエスパーはいません」という言葉です。
親は子どものしたい事、望む事をつい察して先回りしてしまいます。

でも本当はお母さんも先生も、周りの人はみんなエスパーじゃないんです。
あなたが抱え込んでいる悩みも不満も問題も、適切な言葉で伝えてくれなくちゃ届かない。「察してちゃん」のままじゃ、誰にも助けて貰えません。

だからこの世にエスパーはいません。(伊東よごめん)
でも「困ったな…」と小さな声で呟いたら振り返ってくれる人はいるかも知れませんよね。たとえ伊東がゴム手袋を上手く割れなくても、世界には手を差し伸べてくれる人がいるかも知れませんよね。

 そしてたぶんそれって、伊東の成功確率よりは高い気がしています。