おのにち

おのにちはいつかみたにっち

都会の結婚、田舎の結婚

最近『貧乏と恋愛』というphaさんの記事が話題になっていた。

貧乏と恋愛 - phaの日記

内容には完全に同意だが、私にはどうしても実感の湧かない部分もある。

コメント欄にあった「お金のある男性としか付き合わない女性」はどこに生息しているのか?という問題である。

また、phaさんの記事を受けてニャートさんが書かれた記事にも色々と考えてしまった。

お金の打算をしないで恋愛できる女性が少ない理由 - ニャート

 

私の周りにも独身の女性たちがいるのだが、彼女たちはそんなに年収年収言わないし、婚活もしていない。
同級生や同僚、身の回りから相手を見つけて結婚し、その後も普通に出社してくる。
つまり私の周囲には、婚活も玉の輿も結婚退職も存在しない。
みんな生活の延長線上で結婚し、子供を産み、短い産休を経て復職してくる。

確かに専業農家の同級生は結婚が遅かったが、それでも今は妻子に恵まれ、看護婦の奥さんの方が収入が多くて頭が上がらない、と幸せな愚痴を言っている。

 ところがネットを見ていると、結婚には婚活が常識で、最初に聞くのは年収、それが現代のリアル!みたいな気分になってくる。
この乖離はどこから生まれてくるのか?

 

田舎は共産主義?

 

そもそも私の住むド田舎では、年収一千万クラスタが存在しないため夢を見ようがない、という現実がある。
年収を聞くまでもなく、20代のお給料なんてみんな似たり寄ったり。
初デートが和民でガックリだと?和民すらねぇこの限界集落を見よ。
それでも田舎の若者たちはお互いに奢り合い、お金がなくても楽しそうにデートしている。

若い頃、友達とよくテレビドラマの話をした。
ヒロインの華やかな暮らしやファッションに憧れながらも「ドラマだからね~」とサクッと流した。

今も職場の友人達と『VERY』を眺めて「これ素敵!」と言いながらお値段を見てがっくりしている。「おらが町ファッションはやっぱりしまむらよね」「雑誌を見てユニクロで買う。これが私たちのリアル!」なんて言い合って笑う。

ドラマも雑誌も、あくまでも作り事。
私はそんな風に受け取っていた。

同じように、TV画面の向うで『年収500万以上じゃないと無理!』なんて臆面もなく言う婚活女子もフェイクにしか感じられない。
本当に、都会にはこんな女性が生息しているのでしょうか?

 

田舎者だからお金の価値が分からないのね、高級ブランドも買えなくて可哀想…と思う人もいるのかも知れない。

しかし私の周囲はみんなユニクロ。洋服選びも気楽で良い。
ジムに行く人も、エステに行く人もいない。
そもそもお金を使う場所がない。
まるで共産主義者のような暮らし。


こんなペレストロイカ前の生活が100%素晴しい、とは言えない。
競争心は失われるし、刺激は無いし職も無い。
若者はどんどん都会に出ていき、人口は減少、衰退の一方だ。
子供のためにも自分のためにも、博物館や美術館がもっと近くにあったらいいな、と思うし、水泳教室まで車で1時間かかる現状も辛い。

それでも、そんなマイナスをさっぴいて。
見栄も背伸びもしなくていい、田舎暮らしが私は楽しい。

私の周りの若い女性たちがそんなに金金言わないのも、みんな実家住まいで、ブランド品を買う必要も無く、自分達の稼ぎだけで充分やっていけるからだと思う。

 

一人暮らしで都会の高い家賃を払い、毎月やっと生活している…という人なら、他人に奢るのも苦しいし、恋愛の前にお金、という気持ちになってしまう気持ちも分かる。

ただその貧困を、結婚でひっくり返そう!と婚活勝負に出る女性がいる…というのはやっぱり実感が湧かない。

 結婚というのは現実の延長線上にあるものだと思っていたから。
夢や理想が乏しい田舎では、みんな地に足を着けて堅実に生きている。

私たちにとって六本木ヒルズは遊びに行く所で、住む所じゃない。
野心には欠けるかも知れないけど、たとえ王侯貴族になれなくても、夫婦二人、健康で働いて暮らしていけたら、それだけでも充分幸せじゃないですか?

 

目に入れないことも大切

 

もちろん田舎には田舎なりの、陰湿な部分も存在している。
産休を取っていた頃は、公園に行くたびよく知らないお年寄り集団からご近所観察日記☆を聞かされるのが苦痛だった。

だれんちは晴れているのに布団干さないだの、どこんちは除雪に出てくるのが遅いだの、そんな噂話のオンパレード。
知らんわ!そんなのどうでもいいだろ、これだから田舎は…と思っていた。

ところが仕事に出るようになって気がついた。
彼らの愚痴、本当にどうでもいい。

あの人たちは平日の空いている公園で堂々と悪口を言うのがメイン業務であり、人の多い休日には出かけてこない。つまり、仕事をしている分には遭遇しないし噂も聞こえてこないのである。我が家も色々言われているのかも知れないが、聞こえなければなんの実害もない。

ヒマな年寄りの憂さ晴らし。
そう割り切ってしまえば一つも気にならなくなった。
合わない、と思うクラスタとは距離を置けばいいだけの話だったのである。

 

都会は色んな人と会えることが利点だけれど、「出会えすぎる」のは逆にマイナスなのかも、と思うことがある。

田舎だと身の周りの人と結婚するのが当たり前だけど、都会に住んでいれば『年収一千万以上の人が集まる婚活パーティ』みたいな凄いものにも参加できる。

大学の同級生がお医者さんと結婚したら、私にもチャンスが…と思ってしまうかも知れない。たとえそれが100人の中の1人でも。

人は、より良いものばかりが目についてしまう生き物なんだろう。
物凄いお金持ち、物凄い美女。
だけど周りを見回せば、その理想はやっぱり理想に過ぎない、TVドラマの中のお話だった…と気がつくかも。

『素晴しく特別な話』とは、少し距離を置くのも大切だと思う。
ただ田舎はそうした夢との適切な距離が物理的にあるけど、都会は身近に大手企業が立ち並んでいる。夢と現実の境は難しい。

 


さてさて、という訳で私は高望み婚活女子は本当にいるのか?と疑っている。
結局私は身の周りのことしか知らない田舎者なので、「年収差別女子は実在するんだ!現に俺は年収が原因でフラれた!」と言われたらグウの音も出ない。
すごいぞラピュタは本当にあったんだ、である。

 でもそういう人が多数派、そんな女の子しかいない社会…はやっぱり信じられない。

あなたの身近な女性が本当にそんな人ばっかり、だったらどうしようもない。田舎においでよ、と言うしかない。
でももしも、ネットで見た!噂を聞いた!という話だったら、まずは好きな人をちゃんと見つける所から始めた方がいいと思う。

あなたの好きな人はA子でもB夫でもない。
知恵袋に聞いても、発言小町に聞いても、あなたの好きな人の本当はわからない。
恋する相手はネットのむこうの幻獣じゃない。

情報に振り回されて「年収が低いから…」「しまむら着てる女子なんて…」と踏み出す前から尻込みしてもしょうがない。

そもそもあなたが好きになる相手が金しか見てない女子だなんて、服しか見てない男子だなんて、そんな風に自分を卑下するのはやめようよ。

 

田舎に住む女性たちは、自分の人生を引っ張っていくのは自分だって、ちゃんと分かってます。だから結婚しても働くし、産後もすぐ仕事に戻るし、我慢できなくなったらサクッと離婚します。

 夢のない話かも知れないけど、結婚で人生はバラ色になったりしないと思う。
それでも支え合う人がいると気持ちは楽になるし、よほどの浪費家と結婚しない限り、家計も多少は楽になるはず。

自分の人生を幸せにするのは夫でも子どもでもない、たった一人の自分自身。
そのことを理解していれば、打算に惑わされずに恋が出来るのではと思います。

ちょっと目をつぶって。
あなたにとって何が本当に大切かを、小町じゃなくて自分に聞いて。
女の人生は厳しいんです。
その手を自分から握りたくなるような人、和民でも楽しく盛り上がれる人の為じゃなきゃ、家事と仕事と育児を全部なんて、こなせないと思わないですか?

 

 こちらは性欲的な意味で色々拗らせていて面白いマンガ。素直になるって、大事なのよね。

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トイレットペーパーを換えない人にイラッとする問題

ちっちゃいけれどイラッとすることー(することー)。
トイレに行ったらトイレットペーパーが切れていることー(ことー)。
こんにちは、ちっちゃいことを気にします(わかちこわかちこ)、おのにち姉妹です。

昨日は午前と午後、一日に二回も職場のトイレットペーパーを換えるハメになったんですよ(すよー)。
朝、家でも換えてきたので、一日三回。
私はトイレットペーパーを換える人なの?換えるために生まれてきたの!?わからないまま終わる、そんなのは嫌だ!とさすがにイラッとしました(イラッと)。

午前は、まだいい。
カラカラ、くらいの紙が残っていたから。

トイレットペーパーの必要量は人それぞれだけど、カラカラカラ、最低三巻き分ぐらいは必要じゃないかと思う。

私も紙が微妙に残っているときはエコ的な考えで取り替えないからこれはセーフ。
中には早めに取り替えて、微妙に紙の残った芯をトイレのタンク上に載せておく人もいるが、あれは何のためなのか。たまに使い半端が満載になっているトイレもある。宗教的儀式か。お供え物か。
未練がましさに切なくなるので、換えるならついでに捨てて欲しい。


午後は許すまじ (マジー!)。
用を足し終わって、気がついたら茶色の芯しかなかった。

タンク上に置いてあったからいいけれど、手を伸ばして取り、包み紙を剥がしてセットして…と言う作業はできればパンツを履いてから行いたい。
無防備ノーパンスースー状態でフラフラして(いや座ってるけど)、外敵に襲われたらどうしろというのだ!?

トイレットペーパー交換は、用を足し終わってちゃんとパンツを履いた人(つまり紙を使い切ったやつ)が心の余裕を持って帰るべき(べきべきベッキー)。

私はトイレットペーパーは使い切った人が換えましょう、というルールだと思っていたのだけれど、よく考えたらあまり明文化されていない。

道徳の時間にやろう。ACジャパンのCMでやろう。
そこでこんなCMを考えてみた。

 

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カラカラカラ、とトイレットペーパーを使い切った男性。
そのまま流して、急いでトイレを出る。
後には茶色の芯だけが残されている。


その後、男の子がトイレに入ってくる。
用を足した後、紙がないことに気がつく男の子。
後ろを振り返るが、トイレットペーパーは少し離れた棚の上。
座ったままでは手が届かず、男の子は頭を抱えるのであった…。

ここで画面切り替え。

急いでトイレを出ようとした男性、足を止めトイレットペーパーを取り替えてから外に出る。
すれ違いにトイレに入る男の子。
ありがとう、と心の声。

ラストはトイレから外へ出る男性と男の子のカット。
なぜかズボン上に長いトイレットペーパーが挟まっている。
端と端はお互いのズボン、二人は一つの紙で繋がっているのだ。

トイレットペーパーの上に文字。
『あなたと私、トイレットペーパーがつなぐ縁』


どすか?

なぜ二人のトイレットペーパーが繋がっているのか、私にも分からないのですが、CMだからさ、ってことでおひとつ。

なお、今日は姉妹なので所々サラウンドでお送りしました(したー)。
特に意味は(ない)。終盤は飽きた(きた)。
イラッと、のおすそ分けです?(ひどい)

 

スコッティ フラワーパック 3倍長持ち 75m×4ロール ダブル

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ジョイナーとサーバルちゃん、どっちが足が速いのか問題

4月3日、先週の月曜日の朝の話を今更。
その日は年度始め。

心を入れ替えて、いつもよりきちんとした服装、早めの時間に職場に着きました。
コーヒーでも入れようか、なんて優雅な気持ちでマイカップを取り出したとたん、思い出したのです。

今日から駐車場のスペースが1つ右に移動になったことを。

私の職場は社屋、庭園、駐車場と田舎らしく無駄に敷地にゆとりがある作りになっています。時間に余裕があるときは庭のツツジや桜、藤棚なんかを眺めつつのんびり歩けますが、雪の日雨の日急ぎの日は最悪。

飾りのはずの丘、無駄に勾配つけすぎ。距離長すぎ。
車社会向けのドアトゥー玄関構造にしろや!
そんな悪態をつきつつ、さっき歩いてきた道を逆戻り。
久しぶりにダッシュしました。
なぜ朝から逆送?と言う同僚たちの怪訝な顔が痛かった…。

さて、他人の駐車スペースに止めてしまった問題はチキチキマシン猛ダッシュで何とかセフセフ、だったわけですが、基本私は走るのが苦手です。

 

思い出すのもおぞましい、小学校のマラソン大会。
熱を出すために前日冷水シャワーを浴びるくらい、休みたかったあの頃。

結果6年間欠かさず参加してましたが。
あの無駄な努力は何だったんだろう、修行か?

中肉中背なのに、なぜかいつもほぼビリだった私。
高学年になるにつれて少し順位はあがりましたが、努力の成果じゃありません。
大きくなるとマラソン本気で走るのかっこ悪ーい、と歩く不良が増えるからです。
私は死ぬ気で走っているはずなのに、徒歩に抜かれる悲しいドンベでした。

練習しろよ…と言われるかもしれませんが、一応努力はしました。
しかし毎日走っても、5分もすると目の前が白黒してくるのです。
汗をかいて暑くなるどころか、血の気が引いて手足が冷たくなってくる始末。

 

中学生になって判明したのですが、私は要精密検査のド貧血でした。
ヘモグロビンが明らかに足りない、赤血球の形もおかしい。

酸素を運んでくれる赤血球が不足しているので、有酸素運動をすると酸欠になり目の前は白黒、唇は真っ青の藤木くん状態だったわけです。
たった2キロのマラソンも、私にとっては無酸素高地登山状態。

そりゃ苦しいっすわ…。

誰か気づいてくれよ!って感じですが、あの頃の体育は根性論がメインでしたから。
顔が真っ青だろうと、フラフラしてようとひたすらガンバレー。
私自身も、自分の努力や頑張りが足りないんだと信じ込んでいました。

だって、他の人がマラソンをしたときに感じる苦しさ、なんて数値化できないもの。
こんなに苦しいのにみんなは偉いなぁ、私は根性が足りないんだろうなぁ…と己を責めていた小学生の頃の私。
我ながらけなげ。あの頃の自分をいい子いい子してあげたい。

こんな状況ですもん、運動嫌いに育ちますわ。

大人になった今は貧血も完治、献血も有酸素運動もバッチコーイ、なんですがいまだにマラソンは苦手。
もう潜在意識に「走るのは苦手」と書き込まれてしまったのだと思います。

 

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さて、そんな私ですがオリンピックや駅伝をテレビ観戦するのは好きです。

自分の足が遅いので、風のように走る人たちを見ると美しい…とうっとりしてしまうのです。

しかしながら、ぐぬぬ…と拳を握りしめたくなる時も。
忘れもしない、私の心に憎しみを呼び起こした女神。

彼女の名はフローレンス・グリフィス・ジョイナー。

 

私は足が遅く、練習も苦しくてできないため、それでも精一杯の努力を…と、どんなに寒くても常に半袖短パンで走っていました。つまり軽量化対策。

ところがジョイナーが現れて、殺意を覚えました。
彼女の長いつけ爪…!


当時はスポーツマンシップがどうの、マナーがどうのと、いろいろ言われてましたがそんなの関係ねぇ。

私がむかついたのはただ1点…
空気抵抗を気にしないのかてめえは!?

それなのにそれなのに、私のささやかな努力を嘲笑うかのように早いジョイナー。
憎い。
あんな邪魔なモノをつけて、笑顔で走れる余裕が憎い。

その後も謎の鎖をチャラチャラさせたり、世界新記録なのにテレビ目線でガッツポーズ決める男とか、様々な世界最速が私の心を踏みにじって行きました。
ちくしょう、優秀な赤血球どもめっ!ヘモグロビンが憎いっ!

 

生まれ変わったらサーバルちゃんになって、ジョイナーを追い抜きたいおのにちです。しかしサーバルちゃんとジョイナー、どっちが早いんでしょう…?

 

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チアシードとフラフープで痩せたい!「腸内デブ菌」本を読む。

健康は、好きですかっ…!
色々せっぱ詰まっています、おのにちです。

最近お見舞いに行く機会が多くて。
気がついたのは、ガンは本当に身近な病なんだなぁ、ということ。

今や日本は三人に一人がガンで亡くなる「ガン大国」。
勿論見た目の美しさも大事ですし、気になりますけど、だんだん「健康」のためにダイエットを考えなくちゃいけない年なのかなぁ、と思うようになりました。

肥満は様々な病気の要因にもなりますし。痩せたい…しかも、健康的に。

そんなこんなで色々本を読み漁っていて、いいなぁ、と思ったのがこの本であります。

 

 

『ヤセたければ腸内「デブ菌」を減らしなさい!』

なかなか挑発的なタイトル。
私、実はこの手のタイトルの本嫌いなんですよ…○○しなさい!とか『デブ菌』とか、いかにもキャッチ―な言葉を使っちゃうところ。

胡散臭くね?

先生そこまで痩せてないし…

 

だったらなぜ読んだんだ…と思われるかも知れないですが、職場の同僚がこれいいよ、と貸してくれたので。

本は胡散臭いが彼女のいいよ、は結構当てにしているのです。
そんな訳で半信半疑読み始めたんですが…。

思ってたのと違った!これはなかなか役立ちそう。

著者は東京医科歯科大学名誉教授の藤田紘一郎氏。
専門は寄生虫学、熱帯医学、感染免疫学。

腸に関する健康本を何冊か出されている様子。
この本も食べないのに太る人、食べても痩せている人がいるのは腸内細菌による現象なのである…という持論に基づいて、腸内環境を良くして「ヤセ菌」を増やそう!という一冊。

 

この本はまずデブ菌、ヤセ菌の話から始まるのですが、そこらへんは飛ばします。
「デブ菌」「ヤセ菌」というキャッチーな言葉が余り好きじゃないからです。
腸内環境が大切なことは分かってますし、悪玉菌を増やさない方がいいのも分かりますが、その例えが『「デブ菌」は菓子パンが大好き』って。
そんなの、菌を持ち出すまでもなくカロリー表示みたら分かるわ…。

 

この手の本は隅から隅まで本気で読まないのが吉です。
たくさん読み流して、多くの本に共通していることを、自分でいいな、と思ったことだけを取り入れてみましょう。

合う、合わないは人それぞれなんで。
どれだけ本に「これが素晴らしい!」と書かれていてもあなたがイマイチだと思ったら合わないんです。健康法なんて山ほどある。

次行きましょう、次!

 

私にとってこの本のどこが良かったか、というと腸内環境にいい食品をたくさん取り上げていた所。それからそれらの食品を必ず毎日食べなくてもいい、という所。

たくさんのおすすめの中から2~3種類、気にいったものを食べればOK。

1種類じゃなく、たくさんの食品があり、その日の気分で変えてもいい気楽さが素敵。
著者、藤田先生はこう言っています。

「どんなに優れた食品であっても万能ではない」。
一つの食材で全ての栄養素は賄えない。
これだけ食べていれば痩せる、はまやかしである、と。


これホントにそう!
納豆とか、テレビで健康にいいと言われた食材はスーパーで品切れしたりしますが、いくら体に良くても三食食べたら逆効果ですよね。

飽きないように、さまざまな体にいい食材を取る。
それだけ食べていれば痩せる、ではない。
体に悪い食材を食べてしまえば効果は激減。

つまりカロリーが低く健康にいい食材を多種類食べ、高カロリー食材は控える…というごく当たり前のダイエット本なのです。

当たり前、が私は一番好き。
だって当たり前に効果が出るんですもの。
(だったらなぜ太るのだ…とは聞かないでくれたまへ)

 

さてさて、私はこの本を読んで、生キャベツに玉ねぎのマリネ、冷凍キノコ(キノコを冷凍すると旨味や栄養が増すらしい)、焼き梅干しを作りました。

おすすめ食材は他にも色々ありますが、どれも手近な食材で簡単に作れるのがいい。

炭水化物はなるべく控えて、生キャベツで食欲を抑えたり冷凍キノコを数種類ミックスして具だくさんの味噌汁にしたり、メインは鶏むねにして玉ねぎのマリネを添えたり。

あまりダイエット感のない、体にいいゴハン!という雰囲気が気に入りました。
小学生の子どもがいるので、一緒に食べられると助かるんですよね。
この献立なら、子どもには鶏ムネをモモ肉に変えればOKなのがありがたい。

 

たくさんのオススメの中から、お金を出して買ってしまったのはチアシード。

最近スーパーでチアシード入りのドリンクをよく見ますが、カエルの卵みたいでちょっと敬遠してたのです…。あれはお腹を膨らませたり、食物繊維的な効果だと思っていたのですが、本の中でオメガ3脂肪酸やカルシウム、カリウム、マグネシウムなど現代人に不足しがちな栄養素が取れるオススメ食材、とあったので。

ただしこれも食べ過ぎは厳禁。
乾燥状態のものを一日10g、生では食べず10倍以上の水に浸してから食べる事。
生の状態の種子には発芽毒という物質があり細胞内のミトコンドリアを傷つける恐れがあるのだそう。

 

今回購入したのはコレ。1㎏入りもあったのですが、続くか分からないのでとりあえずお試しサイズで。

nichie チアシード 300g 10ccスプーン付 UB

nichie チアシード 300g 10ccスプーン付 UB

 

 

もちろん食事だけじゃ痩せません。
藤田先生は時間のある時はジムに行き、プールで体を動かしているそうです。

私もウォーキングを30分くらいやっていたのですが、残念なことに日々同じ田舎道。
先日はキジが戦っていました。そんな光景…
さすがに見飽きました。

ダイエットの敵は飽き…同じ食材、同じ運動はキツイのです。
という訳で気分転換に、ずいぶん昔に漫画で読んで気になっていたフラフープを取り入れてみることに。

これなら録画ドラマを消費しながら出来そうです。

 

  

46歳人生で一番ナイスバディになりました (バンブーエッセイセレクション)

46歳人生で一番ナイスバディになりました (バンブーエッセイセレクション)

 

 

さて、唐突ですが『チアシード・フラフープダイエット』って、なんか可愛くないですか?みんなやろうぜー!?

実はチアシードもフラフープも、月曜日に届く予定なのでこれからなのですがっ…!
こうしてブログに書けば、ダイエット仲間が増えれば少しは続くだろう、という浅はかな目論見です。

ミンナデマワソウフラフープ…チアフラダイエットヲハヤラセヨウ…
と洗脳しつつ今日は終わりっ。

フラフープは小学生の時以来なんですが…ちゃんと回るのだろうか…?

 

恩田陸「終りなき夜に生れつく」を読んで「夜の底」に戻る。

今日はタイトルどおりの内容。

恩田陸さんの短編集「終りなき夜に生れつく」を読んで、とても面白かったのだけれどもう一回上下巻の長編「夜の底は柔らかな幻」を読み返さねば!という気分に。
週末は恩田陸ウィークになりそうですよ…というお話。

 

終りなき夜に生れつく

 

「終りなき夜に~」は「夜の底は柔らかな幻」に登場するキャラクターたちの過去が語られるスピンオフ短編集。

私は帯を読まなかったので、スピンオフだと気がつかず、でも在色者という設定、勇司という名前に思いっきり既視感が。
あれ?この本もう読んだんだっけ?でも発行日2月末だし…と不安に駆られてしまいました。

全4編、第1話「砂の夜」は『夜の底~』に登場した軍勇司と須藤みつきがアフリカ北部の難民キャンプで医療ボランティアをしていた頃の話。

第2話「夜のふたつの貌」は更に時間が遡り、勇司が医学生だった頃の話。
後に入国管理官として登場する葛城晃と、勇司の出会いのエピソードが描かれている。

第3話「夜間飛行」は葛城晃が在学中に途鎖入国管理局からスカウトを受け、適正調査のためのキャンプに参加することになる。

そして最終話「終りなき夜に生れつく」で前作のテロリスト、神山倖秀が登場する。
妻(このセリフのない妻が本編のヒロイン実邦)と二人、静かな生活を送っていたはずの神山が夜の世界を生きていこう、と決心した日の物語。

それから14ヶ月、彼は最初のテロ事件を起こす。
そしてキャラクター達は「夜の底~」で途鎖に集結する…。

 

こういう構成で、物語の特殊な設定についても理解が深まる内容になってますんで、スピンオフと言いながらも「夜の底~」未読の方でも楽しめるかと思います。
私はこの記事を書きながら「夜の底~」を読み直してますが、思い出せなかったチョイ役も、こんな性格だったのか!と新しい発見があって楽しい。

既読でしたが前作は2013年発行ですから…すっかり忘れてるんだよ…。

 

この本を読むと、「在色者」という設定についてよく分かってきます。

イロ、と呼ばれる超能力のようなものをもつ人間のことを在色者、と呼ぶ。
「イロ」は成長の過程で人体に苦痛を与え、力を使うと深刻な反動が起き、精神疾患の要因にもなるため、世界的には「均質化」と呼ばれる外科治療と薬物投与が一般的である。

在色者の存在の多寡は場所によって違う、多い地域と少ない地域がある。
能力も幅広くムラがある。日本の中にありながら鎖国を貫く「途鎖」は世界的に見ても在色者の多い特殊な場所。

途鎖では優秀な入国管理官が国境を見張っているのでよそからの侵害を決して許さない。ここで育った人間が外に出るためにも厳しい審査があり最低2年はかかるということ。

「終りなき夜に生れつく」は『在色者』と呼ばれる不思議な力を持つ人たちの短編集。
しかし単なるサイキックモノでは終わらず、アクションや学園ミステリ要素もありシンプルに楽しめる。

本編「夜の底は柔らかな幻」は、恩田陸さんが『地獄の黙示録』をやりたかった、と語っているとおり、電車内での銃撃戦から始まり、バタバタ人が粛清されていくハードなストーリー。

hon.bunshun.jp

 

上の記事を読んで、地獄の黙示録の原作、コンラッドの「闇の奥」が読みたくなってしまった。調べたらkindle読み放題対象本なのでとりあえずダウンロード。

 これも今週末読めたらいいのだけれど。

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

 

 

恩田陸さんは、「夜の底は柔らかな幻」についてこんな風に語っている。

 

『夜の底は柔らかな幻』の構想は、元々は私の初期の短編「イサオ・オサリヴァンを捜して」まで遡る。これはベトナム戦争をテーマにした短編であったが、そもそもは世界各地のジャングルの奥に異質な生命体が埋もれており、それらが人類に接触して覚醒と進化を促し、文明の基を作らせたり、いわゆる超能力を持った新人類を誕生させたという設定であった。

 

世界各地のジャングルの奥に埋もれた異質生命体!
「終りなき夜に生れつく」でも、在色者の分布は地域によって違う、と書かれていた。また『山』が立ち入り禁止の場所として恐れられているので、日本編としてジャングル=山に変換されたのかも知れない。

「終りなき夜に生れつく」は単独でも充分楽しんで読めるミステリ。
 でも「夜の底~」で補完すればさらに深く、物語世界が楽しめそうです。

恩田陸さんらしく、2作読んでも補完できない空白は残るのですが。
そこは己の脳内補完で埋めあわせるしかないのでしょう…。

 

終りなき夜に生れつく

終りなき夜に生れつく

 

 

夜の底は柔らかな幻 上 (文春文庫)

夜の底は柔らかな幻 上 (文春文庫)

 

 

夜の底は柔らかな幻 下 (文春文庫)

夜の底は柔らかな幻 下 (文春文庫)

 

 

 

神様は希望の味?-恒川光太郎「無貌の神」

恒川光太郎さんの「無貌の神」を読みました。

6編の物語が詰まった、短編集。
帯には大人のための暗黒童話、というキャッチコピーが。

童話というより、神話や伝承を思い出す、不思議な味わいの短編集でした。

 

無貌の神

 

表題作「無貌の神」はタイトル通り、顔のない神が住む村の話。
戦火の渦から逃げるうちに、霧のむこうの集落にたどり着いた主人公。

村はかやぶき屋根の、粗末な家が数軒あるだけの場所。
仕事はなく義務もなく、人々はただ獣のように川の水を飲み、魚や山菜を食べて、生き延びているだけ。お互いに無関心で無気力で、争いすら怒らない世界。

村の古寺にはのっぺらぼうの神が坐していて、暖かな光を放っている。
神は病や傷を癒す力を持っていて、傷を負った獣や人は神のそばで休むのだった。

子どもの頃にこの村に迷い込み、アンナという女性に育てられた主人公にとって、見知った世界はここだけ。

村から外に出ていくためには、深い谷にかかった赤い橋を渡るしかない。
村を出て、もといた場所に帰れ、というアンナの言葉が主人公には届かない。

雨露をしのぐ屋根があり、命を繋ぐ食べ物がある、病や怪我で死ぬこともない場所をなぜ離れたくてはいけないのだ、と思ってしまう。

しかし後にアンナが神を殺し、新しい神に生まれ変わったことで主人公の心情は少しずつ変わって行く。村の『神』の正体は人間だったのだ。

神を殺したものが新しい神になる。
死んだ神の肉は、光る餅のようでたまらなく美味しそうだ。
思わず手を伸ばして食べてしまった主人公は涙を流す。

神の肉は、慈愛の味、希望と優しさに満ちた味がしたから。

 

生まれ変わった神は、最初は村人の怪我を癒してくれる存在だ。
だが、しばらくすると周期的に人を喰らうようになる。

そうするとまた新たな村人が神に挑み、倒し、神になりかわる。
村人は神の死肉を喰らい、いっときの幸せに浸る。

 

恒川光太郎さんの長編「金色機械」を思い出した。
金色機械は江戸時代を舞台にしながらもSF、という不思議な世界観の物語。
『金色機械』はタイトル通り機械でもあり、菩薩でもある。
私たちの道理を超えた機械は、神のように崇められる。
「無貌の神」でもそうだ。主人公の優しい母だった筈のアンナは、道理の通じない光輝く『神』になってしまった。いずれ人を喰らう、時間制限つきの神様に。

 

神話や伝説の中の神様は時に優しく慈悲深く、時に冷たく無慈悲に見える。
彼らは私たちの思う道理や摂理を超えて、もっと永い悠久のスパンで世界を見ているのではないか、そこでは人の命の価値なんて虚しいものなのではないか、と思った。

なぜ神を追放しないのか。村に迷い込んできた若者が、主人公に問う。
彼らは神の肉を食べてしまったことで村に閉じ込められてしまった。
もう二人の目に赤い橋は見えない。

若者は神から解放される方法を思いつくのだけれど、村人たちは反対する。

「理不尽なことでもな、長く従っていると、それが当たり前になって、従わんとならんような気がしてくるもんなんだろうな。いつのまにかそれが決まりになってしまってな。変えようなんてもう、怖いし、面倒だし、これまでの自分を否定してしまうし、で、却下だ」

 

さて、主人公たちは虚無感で埋め尽くされた村を出て、もといた世界に帰れるのだろうか?続きは是非本を読んで欲しい。

 

他にも12歳の時に神隠しに会い、家に帰るために七十七人の人を斬らねばいけない少女フジの半生を描いた「死神と旅する女」、巨大な塀に囲まれた町に閉じ込められ、記憶もおぼろな中で逃げ惑う「十二月の悪魔」も面白かった。

一番印象的だったのはラストの「カイムルとラートリー」。

人の言葉を話せる黒い虎の子カイムルと、先見の力を持つ皇女ラートリーの物語。
物語の語り口は童話のように優しいけれど、二人を取り巻く世界は残酷で恐ろしい。

それでも二人はいつも共に、風のように駆けていく。

自由になりなさい。

それはカイムルの夢の中で、カイムルの母が言う言葉。
飼いならされて、見世物としての暮らしを続ける中でも、カイムルの胸には自由に駆け回りたい、という憧れがあった。

カイムルの母の言葉は「無貌の神」アンナの言葉とも重なる。
吊橋を渡っていけ。その先にあるのは自由だから。

 理不尽な神が統べる世界で、それでも前を向いて生きていこうとあがく人達の物語。
ハッピーエンドばかりじゃないけれど、希望が残る後味は『神様の肉』に似ているのかな、と思いました。

 

無貌の神

無貌の神

 

 

怒りの虎を飼い馴らす日

異動転勤の季節です。
行く人来る人、人事異動の名簿を眺めていたら遠い昔、遠い街に去っていった人を思い出しました。

あの人は元気にしているでしょうか?
今日は遠い日の思い出話をひとつ。

 

若い頃花屋に勤めていました。
金曜日の閉店間際、仕事帰りのスーツ姿で、アレンジメントを買いに来る男の人がいました。

背が高く、少し太っていて穏やかな話し方で、ムーミンパパに似ていると思いました。パパは既婚者で、奥さんが入院しているのでお見舞い用にアレンジメントが欲しいというのです。

そして窓の外を指差し、あそこに入院しているので、神経に触らないように全部似た色の、穏やかなアレンジメントにして欲しい、と言いました。
指の先にあるのは精神科の入院病棟でした。


それから毎週金曜の夜に、パパはお見舞いの花を買いに来るようになりました。
注文は、いつも同じ色の小さな花かご。
今日は黄色の花、今日はピンクの花だけで。

淡い、全て似た色のアレンジメントが出来上がるのを待つ間、パパはちょっとずつ自分の話をしてくれました。

奥さんが入院したのは自分が退院した後だったこと…つまり自分の方が先に病んだのだ、妻は病の自分に引っ張られてしまったのかも、ということ。

昔は出世頭で、同期の中で一番先に役職をもらって、異動の度に偉くなったということ。

そうこうしているうちに、どんどんどんどん、頭の回転が速くなる。
仕事が進むし、周りもよく見えるようになった。

ところが自分ができるようになるにつれ、他人の間違いや怠慢が許せなくなった。
特に部下ができてからは、部下の失態が自分のもののように思えて腹立たしい。
自分と相手は違う人間、それはわかっているはずなのに、自分が気がつくことを相手が見落とす事が信じられない。出来ない人間が一人でも側にいるとイライラして仕方がなかった。

そのうち激しい怒りが抑えられなくなり、人前で部下を異常なほど叱責してしまうように。ついには怒りで夜も眠れなくなり、とうとう倒れた。

一年間休職し、元の仕事に戻ったが出世街道からは外れてしまった。
未だに薬が手放せないので昔より太り、思考速度も遅くなった。

妻も同僚も、これが普通だ、これでいいんだと言うけれど。
しかし自分では、本当にこれで良かったのか、が分からない。
今の自分が情けなくて仕方ないのです、と薄く笑って言いました。

 

私は彼の話を聞いて、山月記を思い出しました。

李徴は他者から認められず、自尊心と羞恥心を持て余しついには虎になった。
ムーミンパパさんは周囲から認められていたはずなのに、己の感情を抑えきれず虎になってしまった。そうしてまた人として生きるために牙を抜き、虎をやめた。

 

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今日、退職者の受け取る色とりどりの花束を見て、パパさんのことを思い出しました。

あの頃の彼は35歳くらい?
働き盛りだったと思います。今は50過ぎでしょうか。

彼の好きな、全部同じ色のアレンジメントが、私は少し不安でした。
漠然としていて、どこに焦点を合わせたらいいか分からなくなる。
同じ色ばかりの、優しく穏やかなアレンジメント。


あの花かごが本当に欲しかったのは、あの世界に住みたかったのは、あの頃のパパだったと思うのです。

歳月は、彼の切れすぎる頭を上手く損なってくれたのでしょうか?
薬を飲まなくても、ゆっくりぼんやり、スローな回路に変わったでしょうか?
思わぬ失敗や見落としをするようになったでしょうか?

そして他者の失敗を、許せるようになったのでしょうか?

色とりどり、華やかな花束を受け取る人の笑顔を見ていたら、そんなことを考えたのです。