私の家は個人主義だったから、大事な事は自分一人で決めるように育てられた。
だから家庭を持った今も人生に立ち向かう時は一人なんだ、という意識が抜けない。
もちろん一人で大人になったわけじゃないし、今では新しい家族もいる。
でも進路も就職も好きにしなさいという家だったから、自分の道は自分で決めるものだと思っている。
それは私が誰の子供であろうが、妻であろうが、等しく与えられた権利であり義務だ。
中学の時も高校の時も、自分に何ができるか、何がしたいかなんて分からなかった。親がなんでも決めると愚痴る友達が少し羨ましかった。
でも大人になり、親の決めたレールに乗って失敗したと泣く友人を見て気がついた。
誰かのせいで失敗したなんて取り戻しようのないことを嘆いて、無駄に時間を費やしたくない。
どの道がその人にとって成功かなんて、結果は誰にもわからない。
それならたとえ迷っても失敗しても、自分で選択する方がいい。
人を責めるより自分を責めるほうが楽だ。あの時はこの道を行きたかったんだから仕方がない、と諦めがつく。
失敗の中にも良かったことを見つけられる。
もちろん先行者の意見に従ったほうがいい時もあるだろう。
でもその時も「言われたからそうした」じゃダメだ。
『自分がその意見を選びとったからそうした』と言う意識を持たなきゃ。
だからたとえ100人がオススメしたって自分が腑に落ちない道を選んじゃいけない。
たとえうまくいっても、ふとした瞬間に心をよぎるだろう。
これは自分が望んだ道じゃないと。
みんなの幸せはあなたの幸せじゃない。
幸せはすごく主観的で個人的なものだ。
所得が一千万円を超えているから幸せ、百万以下だから不幸せ、なんて区分で決められるもんじゃない。
だから自分の目で見て自分で選び取るしかない。
もちろん失敗するかもしれない。
でも居酒屋で、誰かのせいで自分の人生はダメになったと管を巻くよりは、失敗だらけだったけど思うように生きた、と思えるほうがきっと楽しい。
同じ安居酒屋だって、涙の味のしないビールの方が美味いに決まってる。
私はそんなふうに生きていこうと決めた。
選ぶのは自分、失敗しても成功しても背負うのは自分だ、と腹を決めてからは迷うこともなくなった。
自分なんて…と必要以上に卑下することも少なくなった。
私の人生の責任を取るのは私だから、勝負の時には最大限の力を出すしかない。
後悔はしたくないから、失敗してもやり切ったと言えるように。
そう思えるようになった今、面接もプレゼンも嫌いじゃない。
立つ時はいつも一人だと思っている。
本当は仲間もいるし家族もいる。たくさんの人に支えられている。
でも立ち向かう時には後ろ盾なんて忘れて、たった一人の気分になる。
そのほうが強くなれる。
大勢の前で一人立つとき、私は私のための孤立無縁のヒーローだ。
にこやかに微笑み、ゆっくりと立ち上がる。カカトは揃えているけれど、心の中では仁王立ちだ。
地面を踏みしめて、心の中ではテーマソングが流れている。
今ならRADWIMPSの前前前世がいい。
漫画の主人公のように、ピンチの時こそ楽しそうに笑う。
勝負を決める時、本当は膝が笑っていても心意気だけは仁王立ちでいたい。
誰かの支えが力になる時もあるけれど、たった一人だと思うことで生まれる強さもある。
今日は顔や性格は変えられないけど、心の持ちようだけは自分で変えられる、と言うお話。
しっかし、プレゼンは慣れたけどネット炎上だけは慣れたくないし起こしたくない。そっちの肝だけはまだまだ据えられない私です…。