おのにち

おのにちはいつかみたにっち

Kindleアンリミテッドで全巻読めるマンガ『テンプリズム』

Kindleアンリミテッド、スタート時は流行ったけど最近は記事を見ない。
私は休んだり、また加入したりを繰り返しながら実はそこそこ継続している。

ラインナップが定期的に入れ替わるので、読みたい本がなくなったらやめて、しばらくして読みたい本を見かけたら加入、と言う感じ。

月980円だけど、この間借りた「すべての男は消耗品である」全話(村上龍。懐かしい!)は1冊1,250円だから、読まない期間や忙しい時期は1ヵ月休む、を忘れなければ元を取るのは簡単だと思う。

 

すべての男は消耗品である。VOL.1?VOL.13: 1984年8月?2013年9月 連載30周年記念・完全版

すべての男は消耗品である。VOL.1?VOL.13: 1984年8月?2013年9月 連載30周年記念・完全版

 

 

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清野とおる『ゴハンスキー』を読んで憧れる北区赤羽

赤羽行きたい。

憧れのきっかけは清野とおるさんの「ゴハンスキー」である。

 

ゴハンスキー 1

 

絵は綺麗じゃないし(というか時折怖い)食べ物もあまり美味しそうじゃない(なぜか隅に座ると気分が悪くなるお好み焼き屋の話もある。もはやグルメですらない)。
100円ローソンで売ってるホタルイカをライターで炙って食べるの最高!みたいなチープな話が載っている。

でもそれがいい、そういうのが大好き。

現代はインスタやTwitterに、美味しそうな食べ物の写真が溢れている。
ボリューミーだったり、カラフルだったり。

でもな、でもさ。
写真映えとおいしいは、実はちょっと違うんじゃないかなぁと小声で思ったり…

大盛ローストビーフどーん!とか、デカ盛りラーメンとか。
いや、そういうのも好きなのよ?食べたいのよ?

でもでも、最近食が細くなってドカ―ン!と食べると胃もたれして晩御飯が食べられないんだよう!(食が細くなったのに太るのはどういうわけなのまったくもう)

一点豪華主義でいいじゃん、と思われるかもしれませんが、私は意地汚いから外食するならいろんなもの、いろんな味をちょっとずつ食べたいんです。

家では予算もあるし食材を無駄にしたくないから、肉と魚、豊富な食材!って訳にはいかないし。キャベツ1個買うと、毎食何かしらキャベツ入ってますよね?
家のゴハンってそんな感じじゃない?


その点、この漫画に出てくる立ち飲み日高屋とかもう最強な!
チクワ揚げとビールと玉子焼き、もう一杯飲んでも千円で間に合うコスパ。
ご注文はタッチペンで、店員のタイミングを見計らわなくてもいい心の余裕が。
時には隣の人が注文用のタッチペンを貸してくれたりする、素敵な交流。良い…。

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閉じた世界を切り拓く?気持ちの簡単リセット方法

最近子どもたちがスポーツに勉強に、いろいろ頑張っている。
子どもが頑張っているのだから、親も頑張らなくてはいけない。

週末は大会の応援、練習の送り迎え。
平日は地区委員会、別の夜は学童の委員会。そのまた別の夜はPTA委員会。
子どもの応援は楽しいからいいのだが、子ども関係の委員会は重なりすぎて少し辛い。

しかもなぜか、役職は全部会計である。
なぜみんな会計なのか。私は会計ヅラなのか。いろいろ悩ましい。

 

こんなふうに忙しい日々を送っていると、精神面がヤバい感じになってくる。
まず、外部や他者に興味が持てなくなる。

髪切った?とかそのジャケット素敵だね、とか今まで当たり前に気がついていたことを見逃してしまう。
花が咲いたり、風が心地良いことにも気がつけない。
街で顔見知りを見かけても、回れ右してしまう。

挨拶したり、話しかけたりするエネルギーが足りないのである。
周囲の変化に気がつけないのも、同じくエネルギー不足が原因だと思う。

「自分」が大変すぎて、視野が自分と家族、と言う極めて狭い範囲だけになってしまう。私はこんな心境を「心の被膜が厚くなる」状態、略して『被膜モード』と呼んでいる。

 

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ロコンドで靴を買ってみた話。

こんにちは!好きな靴はズックです、おのにちです。
毎日ぺったんこです(乳の話ではない)。

職場ではカウンターでお客様から見えないのをいいことに健康サンダル、通勤はスニーカー。休日も子供を言い訳にスニーカー。たまの出張は冠婚葬祭兼用楽々黒パンプス。

楽に流されて、気がつけば顔だけではなく足までも、平たい族になりつつある今日この頃…(足って、楽な靴ばかり履いていると横に伸びていきませんか?)

こんな私ですが、ふと血迷ってみました。

安西先生…春色パンプスが欲しいです…!


きっかけはGWに靴を洗い、下駄箱の掃除をしたことから。
下駄箱の奥底から出てきたのはウエッジソールの華奢な黒サンダル。

10年前、購入してすぐに妊娠、高いヒールは危ないから…と箱に入れて仕舞っておいたことをすっかり忘れてました。10年経ってますが、デザイン的にはまだいけそう。

新品同様だし履けるかな…?と試してみたらかわいい!
己の足まで…我ながらかわいい!逞しさだけが取り柄のゾウ足に足首が!
腰の位置も高く見える!これはいいぞう…と思ったのですが、何しろヒールブランク10年。この華奢サンダルではさすがに怖くて出歩けない。

10年前の私スゲーわ、この靴で出歩けたんだから。さすが女子(といっても当時30歳)!と昔の自分に感銘を受けました。
象足からの脱却(靴履いてる時だけ、だけど)を一度目にすると、やっぱりヒールいいな、と久々に物欲が湧いてきました。

華奢サンダルは無理だけど、時々履くパンプスなら行けるかも。
雑誌を見ると春はベージュが合わせやすくて、しかも脚長効果大らしい。
むむむ…春色ベージュパンプス、欲しいーー!

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ずっと真珠を探してた

最近たくさんの女子高生と会う機会があって、その眩さに目を細めたくなった。
みんなキラキラ輝いていてとても可愛らしい。

若いということはそれだけで綺麗だし、かわいらしいのだ、としみじみと感じた。
髪も肌も輝いていて、真新しかった。

かつての私によく似た、メガネでぽっちゃりで少し垢抜けない、前髪で世界を遮断しているような女の子もいた。でもそんな姿も純朴に見えてかわいらしい。

 

高校という小さな輪の中にいた時は、自分がどうしようもなく浮いてしまっている、みっともないと思われている…と卑下してばかりいたけれど。

輪の外に出て長い時間が経ってみると、かつての自分によく似た女の子は純朴な女子高生で、かわいらしいとしか思えなかった。

大人っぽい子、幼く見える子。よく目を凝らせば様々な差異が見つかるのだけれど、離れた場所から、異なる立場から眺める彼女達は「女子高生」という大きなグループにしか見えない。

輪の中にいた頃、外から眺める輪。
立つ位置で世界はガラッと違って見えるから、長生きして良かったと思う。

 

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最近話題のMastodon(マストドン)を遊んでみた感想。

タイトル通り、話題のマストドンを少し遊んでみました。
きっかけははてなブロガーで、いつも顔色の悪いelve姐さんのこの記事。

elve.hateblo.jp


これを読んで、アカウント作ってログインすれば姐さんのシマに行けるのかな…鉄分を送りたい! と思って最初に行ったのが最大手mstdn.jp。

わーい、文字が高速で流れていくよ♪ (凄まじい勢いで流れていくTwitterのタイムラインを想像してくれ!)

なんだこれは⁉私はどこにいるの⁉迷子!私が迷子ーーー!!

…都会の中央分離帯に置き去りにされたような、心許ない気分を味わいました。
お友達を見つけてすがりついてはみたものの、@で話してるだけじゃTwitterとの違いがわからない。

そのうちマスヲ氏から田舎者がこんな都会に来るもんじゃありません!と別のインスタンスに強制連行。

 

www.nekotodon.com


こちらははてなブログで書いていらっしゃるdk4130523氏が開設している『ネコトドン』というインスタンス。

詳しくはこちらの記事をどうぞ。

dk4130523.hatenablog.com


初日はアク(灰汁)みたいなおっさん2人に絡まれましたが、まだ少人数なので初心者には話しやすい感じ♪とっても居心地よかったです。
猫画像もいっぱいあってかわいいよ、ねこねこ!


たった二日遊んだだけの素人のざっくりした感想ですが、マストドンが地球だとするとその上に大きな大陸サイズのインスタンスがあり、更にその周りに個人が運営する島のような小さなインスタンスがたくさんある…って感じなんでしょうか?

各陸地間は連合というパイプで繋がっている場合もあるのですが、そこの島の人間になるためにはそれぞれの場所で専用のアカウントを作らなくちゃいけない。
それから各島々へログインしなきゃいけない。

このログイン切り替えが結構面倒な感じなので、便利なアプリ探さなくちゃな…といろいろ模索中です。


@のトークが流れる「ホーム」、島の人全部の発言が流れる「ローカル」や他連合の発言も混ざった「連合」の3画面があり、パソコンならすべての流れが見られるので今のところパソコンのほうが見やすい感じです。

マストドンはTwitterみたいに通知をちょこちょこ確認する…じゃなくて時間がある時や作業中パソコン画面の隅に開いておいて、雑談が盛り上がってきたら参加するくらいのゆったりとした楽しみ方が良い気もするので、パソコンでいいのかな?
パソコンなら島の切り替えも簡単だし。


少人数で、仲の良いみんなでワイワイおしゃべりすると賑やかで面白いのかな?と思いました。
Twitterでも複数で話せますが@(個人名)を入れると文字数が埋まっちゃうからね。
一度大勢で集まったら文章が入れられなくなってなんだこれ!?となったことがありますwそんな時は仲の良いグループで心地よい島を作るといいのかもしれないですね。

他にも趣味や属性で集まったり。
盛り上がる時間帯が自分に合うコミュニティを探すのもいいかも。

居心地の良い場所が見つかったら定住するのもいいし、平日はこの島、休日はここへ、なんて切り替えるのも楽しいかも?

下の一覧でタイムラインをチラ見できるので、試しに覗いてみたら岩とゾンビが戦っているところもありました。
最高にロックです。

日本のマストドンインスタンスの一覧

 

Twitterとマストドンの違い

 

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Twitterはもちろん大活用してますし、よく話すお友達も増えてきました。
でも最近業者?的な人が増えてきて(フォローしたらDMでセミナーの勧誘されるとか)フォロバに疲れてきた…。

純粋に話そうよ!と思ってくれてる人もいると思うんですけど、プロっぽい人が多すぎて紛れちゃうんですよー!そのせいで最近あまりフォロバしてませんすいません。

話そうよ!って人はフォローとか気にせずに話しかけていただけたら。
何回か話してお友達になったら、この人フォローしてなかった!ごめんなさい!と気がつきますから...。失礼なスタンスでごめんね。でもほんとにDM勧誘めんどくさいんだよーー!


Twitterは基本楽しい、でもこういうことで少し疲れ気味…のあなたや私に、まだ業者の少ないマストドンは優しいかもしれません。
フォロー機能は一応ありますけど、同じ島にいる人同士ならフォローフォロバ気にせず気楽に会話できますし。

今のところ私の周囲では『1ヵ月で10万PV達成!セミナーもやってます!』みたいな人は存在しないので快適です(セミナーがみんな悪いわけじゃなく、勧誘がなければ気にしませんが)。

でもすでに大きな島ではそういう人が存在したりして?
人数が増えたり趣味が変わったら島を変えるしかないのかな?
そうしたときにアカウントを削除できないのが少し不安に感じます。


また個人で鯖を借りて運営する管理人さんも、役割がいろいろ大変だろうなぁ、と。
運営側に許可されている権限なんかはよくわからないのですが、ここは何人までしか入れないよ、とか友達の友達しかダメよ、みたいな制限はあるのでしょうか?
荒らしが出たら発言を禁止するとか。

あれば便利な気もしましたが、『自治を認める』と言う意味では無い方が正しいのかもしれませんね。マストドンは(今の所)広告のない自由な場。


さて、そーゆーわけでマストドン2日目、超初心者のざっくりとした所感でした。
こんな解釈で本当に大丈夫か?ちゃんとわかってるのかな?
違うよ!と思った方は是非是非教えてくださいませ。

まだまだディープな楽しみ方が分からないので、こうやって遊んでるよー、とかここが盛り上がってますよ!的情報も大歓迎です。

果たしてマストドンは定着するのでしょうか?
それは各コミュニティの盛り上がりにかかってるような気がします。

それでは皆さん、GWは楽しい丼ライフを♡(外出ようぜ!?)

社会の「息苦しさ」を変えていくのは誰?

最近立て続けに辛い話を見かけた。

一つは消防団の方達が大会帰りにうどん店に立ち寄ったらメールで咎められた、という話。
もう一つは教職課程雑誌に載せられた座談会の話が酷すぎる、という訴え。

 

www.buzzfeed.com

 

 

 

 

消防に関する話は、私の街でも聞いたことがある。
救急隊員が遠くの病院に救急搬送した帰り道、長時間休息なし、食事も取っていないので救急車でコンビニに立ち寄ったら、勤務中にコンビニなどけしからん!と言う正義のお叱りがあり、買い物できなくなってしまったという。
今は病院でこっそり買い物するけれど、時間によっては購買が空いていないから辛い…と言う話だった。

24時間休みなしで頑張ってくれてるんだから、コンビニでコーヒーぐらい飲ませてあげてよ、と思うけれど、それが仕事!勤務時間中!と正論を言われると悲しい。

雑誌の保護者座談会の話は更に酷い。
こんなふうに若い先生に滅私奉公を求める親は、話題作りのための創作だと信じたい。
もしこんな親が実在するんだとしたら、あなたのお子さんがそんな風に我が身を投げ打って指導してくれる先生に憧れて、教師を目指したらどうするの?と聞きたい。

プライベートを投げ打ってでも仕事をなさい、それが教師の使命です、と我が子にも言えるんだろうな?と問いたい。

大学を出たばかりの先生たちは、私より息子の年齢に近い。
皆等しく、誰かの子どもなのだ。
自分の子に、早く帰りなさい、たまには休んで、疲れたときには休憩するんだよ、って願うような優しい気持ちを、なぜ教師には、消防士には持てないのだろう?

教師らしくあるべき、公務員らしきあるべき。
そんなべきべき、まっぴらだと思う。

確かにどんな職種においても理想はあると思う。
なかでも教師は指導者として『理想の大人』像が求められてしまう。

でも教職免許を取っても教師の魂はついてこない。
そういうのは仕事をしながら、他の先生方を見て学んでいくもんじゃないだろうか。
それには周りを見回す余裕が必要で、座談会のお母さんが言うような滅私奉公の日々を詰め込んだら実務に振り回されて消耗しきってしまう。
そこに『心』が育つ余裕はあると思う?

べきべきべき!を追求して、自分が心地良い正しさを他人に押し付けて。
「おもてなし」を受ける側でいられるときには、確かに心地いいもんでしょうね。
でもあなたの求める『正しさ』を演じるのは、いずれあなたの子供の、甥の、孫の役割になるかもしれない。そんなふうに少し先のことを考えたら、他人に優しくできるのかも。


消防士さんだって、人間には交感神経と副交感神経があるんだから、勤務時間中ずっと気を張ってなさい、いついかなる時も完璧でいなさい…はさすがに無理じゃない?
ロボコップやターミネーターみたいな理想を求める気持ちもわかるけれど、中の人は私たちと同じ人間ですからね。いくら鍛えたって機械にはなれない。

いざ!に備える人たちはみんな休めるときにしっかりおいしいご飯を食べて、体力を蓄えておいてほしい。
そうしないと実際に『いざ!』が来たとき交感神経バリバリで活躍できないじゃないですか。

私はちゃんとご飯を食べて、適切な力を出せる人に助けて欲しい。
子供を教える先生にも、休日はしっかり休んで、ストレスのないクリアな頭で教壇に立って欲しい。

人に優しくすることは、甘やかしたり社会の秩序を乱すことじゃない。
最高のサービスを受けたいんだったら、厳しさより優しさが必要なこともあると思うのよね。

 

社会には、北風よりも太陽を。

 

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冷たい言葉も温かい言葉も、循環するものだと私は思います。
私が人に優しい言葉をかけるのは、そういう言葉が好きだからです。
暖かいこと、誰かを褒める言葉を呟くと同じように優しい言葉が返ってきます。
そうすると嬉しくて、また誰かの素敵なところを探したくなる。
誰かのすごい!が素直に認められる人のところには、すごい!頑張ってるね!がちゃんと帰ってくると思うのです。


消防団がポンプ車で食事をとっているところをわざわざ写メして送った人は、ただ正しくないことが許せなかっただけなのでしょうか?

イライラカリカリ、ちくしょう仕事中にサボりやがって…と思う前に、せっかくの日曜日、午前中は消防団の行事、午後は地域行事お疲れ様です、地域のためにありがとう!という気持ちは微塵もわかなかったのかなぁ。

あなたの住む地域だよ?初期消火に来てくれるのは消防団だよ?

好きでやってる…人はいまどき少ないと思う。
みんな休日はちゃんと休みたいけど、なり手がいないから仕方なく引き受けてくれてるんじゃないかと。

PTAとかでも、総会で書類の小さなてにをはのミスを逐一追求する人がいる。
どうしても気になる…とか、そういうの得意だから参加して直したい、ならいい。
一緒にやっていこう、という意識があるなら全然問題ない。

敵対意識で向かってくる人、お客様意識の人はなんでなの。

あなたは外部にいるんじゃねーんだよ、お客様じゃねーんだよ。
あなたの地域、私たちのPTA。
わたしたちはみんな同じ社会という輪の中にいるんだよ。


そう考えたら糾弾の言葉の前に「ありがとう」の一言が出てくるはずなのに。
そしてその言葉は巡り巡って、あなたを生きやすくしてくれるんだよ。

 

『あるべき』世界を変えるのは

 

世界は正しくあるべきで、正しいことを正しいと言って何が悪い?と思う人たちはいつの時代も、一定数存在するのだと思う。

彼らの言葉を止めることは出来ない。
道徳の線引きは時代によって曖昧だから、意見を寄せること、議論を交わすことは大切だと思う。

もう少し自由でいいんじゃない?とは思うものの、さすがに昭和の、消防団がお昼に車でビールを飲むような時代を認めるのはどうなの…と躊躇してしまう思いはあるし。
こうした『行き過ぎた自由』へのストッパーとして、時には厳しい意見も必要なのかも知れない。

だからと言ってコメント欄にあったように、こうした意見に屈してしまう側が悪い、という意見にも同意できない。
正論だとは思うんだけど、悪いと責めるのはちょっと酷すぎる。

誰かに正論で責められて、謝罪すれば今度は謝ったことを責められて。
八方ふさがりじゃない?味方はどこにいるの?

そして誰も悪くないんだとすれば、どうやって社会を変えていけばいいの?

 

私はその答えがみんなのコメントやツイートなんじゃないか?と思った。

先生も休んでよ。消防車でうどん、別にいいのでは。
そんな声がたくさんあった。

市井の私たちの小さな声も、まとまれば『世論』になる。

えー⁉と思うことがあったならコメントしてみる、リツイートしてみる。
そういう小さな意思表示が世論になり、当たり前になれば、コンビニに救急車が停まっていても誰も気にしない明日が来るのかもしれないよね。

 

誰かにちゃんと休んでね、と言うことは、あなたの首を絞めることではない。
あなたの未来を自由にするための行為だと、私は思う。

先生がちゃんと休めて、ポンプ車でうどんを食べても怒られない社会になったら。
お昼休みに社名入りの車で昼寝していても、タクシーの運転手さんが休憩中ハンドルに足を乗っけていても。何一つ、おかしくないよね?

そしてそういう社会はきっと、働けない人にも優しい。

昭和の雑多さと、平成の几帳面さを生き抜いてきた私たちなら、議論の中でちょうど良い『生きやすさ』を見つけられるんじゃないのかな、と思うのです。
そしてそれは誰もが簡単に意見を述べられる、今なんじゃないのかな、と。