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おのにち

おのにちはいつかみたにっち

1人暮らしでも取れる!簡単野菜350g

料理

野菜、足りてますか?

はてな理論で言うと、1日350gの野菜をとらないと発狂するらしいです。
運動瞑想野菜の人が1番発狂してる気もしますが野菜は大切。
とりあえず野菜喰うべし!のメッセージを込めて、私が1人ごはんの時によく作るテキトー飯を紹介します。

料理とは言えないレベルで手抜きですが、何もしたくない、でも野菜を食べたい人にオススメ。

ポイントとしては
『手間を最少に』

取っ手の取れるティファールを使用しているので、1人の時はフライパンごと食卓にのせて食べます。洗い物は減るし、冷めなくてGOOD。

『一汁三菜にこだわらない』

家族で食べる時はご飯、味噌汁、おかずを準備しますが、私は基本夜はご飯を食べません。デスクワークなので、お昼に買った弁当や定食、ラーメンなんかを食べるだけで炭水化物量は充分。
毎食栄養バランスを完璧に!なんて思うと疲れちゃうので、朝は果物と乳製品、昼は炭水化物、夜はタンパク質とたっぷりの野菜(プラス350MLのビール)と1日で帳尻を合わせるようにしています。

時には焼肉ビールご飯がっつり、なんて日もありますが…そういう時は1週間単位で考える!普段は質素にして、飲み会の時は自分を許す、くらいがストレス溜まらなくていいかもです。

『簡単手軽』

1人の時はこれが1番大事!電子レンジやタイマーまかせで、そばに付いている必要のない料理が基本。煮える間に着替えたりできると最高ですね。

では、そんな感じの簡単料理の紹介です。

 

アボカド

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半分に割って、真ん中にポン酢や好きなドレッシングをかけるだけ。
レモン汁や卵の黄身でもいい。食物繊維とビタミンを取れる便利野菜。
野菜が足りないと思ったら切ればいいだけなのはポイント高い。

 

レンチン肉野菜

 

タイトル通り。野菜炒め用の、もやしやキャベツなどのミックス野菜(1袋250グラム位)をさっと水洗いして耐熱皿に盛り、上に適当な薄切り肉をのせてチンするだけ。
ポン酢なんかで食べる。安い簡単まいうー。

 

一人鍋

 

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昆布入れて日本酒入れて水入れて、鍋用のセット野菜(300グラム位?)と豆腐と適当な肉か魚入れて、ポン酢で食べればまいうー。

牡蠣が安い時期は、牡蠣と豆腐とネギで幸せ。
牡蠣はフライパンに昆布敷いてその上に牡蠣のせて、日本酒少しで軽く蒸し焼きも良い。

カセットコンロで一人鍋は楽すぎて、冬は毎日これにしたくなる罠。
私はマヨラーならぬポンズラーなので、基本ポン酢があれば異存は無い。

 

タラポテ

 

チンとか鍋だけじゃアレなので、多少料理っぽいものを。

塩たらの切り身をビニール袋に入れ、薄力粉を少しまぶす。ジャガイモは薄切りにしてレンチン。固めに火を通しておく。

フライパンに少し油を敷いて、タラと芋を並べハーブ塩を少々。蓋をして弱火で2,3分。焼き目がついたらひっくり返し、蓋を外してカリっとするまで焼いたら出来上がり。ジャガイモがタラの旨味を吸い込んでめっちゃうまい。最高のコンビだと思う。

 

熱々オイルサーディンぶっかけ玉ねぎ


オイルサーディン缶を温めて醤油、と言う最強だけど罪悪感漂うメニューを、スライスして水にさらしたタマネギにジュジュっとぶっかけることによって「やったね!野菜も摂れるよ♪」とごまかすために生まれた一品。

でもほんとに玉ねぎ美味しくなるんでオススメ。
それでも消えない罪悪感は、青魚にはDHA!と言う言葉でごまかしておいてください。

 

白菜と鶏肉の炊いたん

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ざく切りした白菜の上に鶏モモ、鶏がらスープの素、日本酒を少しかけて蓋をして弱火でコトコト煮るだけ。白菜から水分が出てきて、鶏が煮えたら出来上がり。
ごま油と塩をかけて食べるとうまい。

 

まるかじり


大昔のマーガレットかフレンドに、転校してきたばかりの元気系ヒロインがレタス(もしくはキャベツ)を校舎裏で洗って丸ごとかぶりつく、それが弁当、と言う少女漫画が載っていて今でも忘れられない。

多分ヒロインの個性とか、爽やかさの演出だと思うのだが、学校の靴洗い場で洗ったレタス(もしくはキャベツ)をぼっちで食べる、と言うわびしさよ。
もう一度読みたいけれどタイトルがわかりません。ご存知の方は情報お待ちしております。

さてさて、ネタがなくなり漫画の話になったところで今日は終わり。
あなたの野菜バッチリ手抜きメニューはなんですか?

もしよかったら聞かせてくださいね。

 

少年は荒野をめざすのか?『少年Nの長い長い旅』感想

読書 読書-小説

石川宏千花さんの『少年Nの長い長い旅』、二巻まで読了。

YA向けで、小学生の子ども達がとある事件をきっかけに別世界に飛ばされる、というよくあるファンタジーなのだが設定が面白かった。

まず異世界が一つではなく、いくつもの宇宙が存在する世界でバラバラに飛ばされた仲間たちを探すという構成が面白い。

主人公野依は最初に助けてくれた大人、サットを頼って彼とともに宇宙の便利屋になる。その設定も宇宙船サジタリウスを思い出してワクワクする。

1、2巻の時点ではICOのような不思議な塔のある世界、宇宙船の話だけだが、これからどんどん偏った世界が出てきそうで楽しみ。

 

キャラクターの魅力

少年Nの長い長い旅 01 (YA! ENTERTAINMENT)

 

この物語は、何より主人公野依の造形が良い。

曲がったことが嫌いで、弱い者いじめや不正なことをしている人間を見ると我慢ができずつい手が出てしまう、という暴力的衝動を抱えている少年。

これが少年漫画なら、主人公は弱きを助けるヒーローであり、自分の正しさに迷わないのだが、野依は小6にしてきっちりすぎるくらいに現実を生きている。

例えば横断歩道で車椅子をふざけて蹴り倒した高校生の自転車を追いかけ、逆に自転車を蹴り倒し睨みつける。
まさにヒーローなのだが、野依自身は後から車椅子の人を助けた方が良かった、と自分の行動を悔いている。また、自分がそういう行動を取ってしまうことで、母に迷惑や心配をかけてしまうことを気に病んでいる。

担任教師はそんな彼を隠れたヒーロー呼ばわりし、先生は本当の君を知っているよ、と扱うのだが、野依自身も、彼の友人たちも、その教師を世間知らず扱いをするところが面白い。

現実社会の中で、野依の抱える衝動はヒーローの資質ではなく危険な負債だ。
高校生の自転車を蹴り倒した時も、たまたま一部始終を見ていた警察官に救われただけで、下手をすればそのままリンチを受け命を落とす危険もあった。

野依が酷い負債だと感じている衝動は、別世界に落ちた野依を救ったり、荒ぶらせたりする。

様々な世界の中で、かつては野依によく似た子供だったというサットとの日々の中で、彼はどうやって自分の感情との付き合い方を学んでいくんだろう。
この先に期待している。

 

ファンタジーの中の親

 

主人公野依はこれ以上暴れたら両親から見放されて、祖父母の住む田舎に送られてしまう、と言う絶望を抱えて生きている。

アパレル会社のデザイナー兼社長の父親、自分の息子をきみ、と呼ぶかわいい母親。
一見明るくおしゃれで理想的な両親の、これ以上問題行動を起こしたら田舎送り、という対処方法には少しぞわぞわする。

野依の苛立ちは身勝手な人間の行動や、慌ただしい日々の中で生まれていると思うので、確かに静かな田舎に送れば沈静化するだろう。

しかし小学生の子どもを手放して、田舎の祖父母に任せると言う選択肢が親として最良なのか?とつい同じ親として考えたくなってしまう。

野依の両親は子供の自由を尊重し、友達のようにさっぱりと扱ってくれる。
小説や漫画ならではの、理想的な親だ。

私の親はとにかく子供の言い分を聞いてくれない絶対的君主だったので、ずっと友達的な親に憧れていた。

ただ実際、自分が親になってみると、子供と言うのはなかなか危うい生き物だと気付く。
子供の意思を尊重すること、自由を認めることはもちろん大事なのだけれど、自分と他人の心身を危険にさらすような恐れのある事は嫌われようが刺されようが、止めなくてはいけないのだと思う。

親には子供の命と、彼らの行動に責任がある。

…などと思ってしまったのだけれど。
読書家としては、ファンタジーに親目線を持ちこむとは、つまらない大人に成り下がってしまったのう、的後悔が。

子供の頃はファンタジーに親なんて不要だと思っていたのに。
いろいろな視点で物語を眺められるのは面白いけれど、FTはやっぱり子供目線で読むのが一番なのかもしれない。

 

さて、この物語は面白い展開の仕方をしている。
全体像としては現実世界で事件が起き、様々な別世界に飛ばされた7人の子供たちの物語である。

「少年Nの長い長い旅」は失踪直後から物語が始まり、タイトル通り野依が別世界で友達を探す長い旅を描いている。

タイガから発売されている「少年Nのいない世界」は失踪から5年後の物語。
こちらは未読なのだが、やはりタイトル通り、野依とはぐれた仲間達はどう生き抜いて来たのか、と言う話らしい。

5年たっても、野依は仲間に会えなかったの!?と思うとかなり暗い気持ちになってしまうけれど、どうやら5年後の世界で本格的な仲間探しが始まるらしい。

長い旅といない世界、二つの時間軸の物語がどうやって終結するのか、この先が楽しみだ。

 

主人公野依は、仲間を何より信頼して、大切に思っている。
「少年Nの長い長い旅」は野依の視点の物語だから、周囲から見た彼の姿が分からない。「いない世界」の仲間たちから、野依が同じようにかけがえのない友達だと思われているといいな、と思う。

そんなふうに一人の少年に肩入れして、応援したくなるファンタジー。
なかなか、オススメですよ。

 

少年Nの長い長い旅 01 (YA! ENTERTAINMENT)

少年Nの長い長い旅 01 (YA! ENTERTAINMENT)

 

 

少年Nのいない世界 01 (講談社タイガ)

少年Nのいない世界 01 (講談社タイガ)

 

 

王子さまの帰還-帰ってきた小沢健二

生活

小沢くんが帰ってきた。

昔の私を救ってくれたのは彼だったのだと、今は思う。
今日はそんな思い出話。

 

LIFE

 

 

私の高校時代はそれなりに暗黒だった。

中学時代、転校生として周囲にコテンパンに叩きのめされ、すっかり自信を無くした少女はストレスと思春期で自分史上最大級に肥え太っていた(ガチで妊婦最ピーク時より重かった)。

そんな彼女はもちろん高校でも負け組。

それでも好きな本や絵の世界から、少しづつ繋がれる友達も増え、なんとか楽しい日々を送れるようにはなったのだけれど、相変わらず容姿的には最底辺まっしぐら。

高校は容姿で厳しいカースト制度が引かれていたから、最貧民としてキラキラ眩い女子たちを這いつくばって崇めるばかりの日々だった。

そこまで卑屈になってくると、努力しよう、少しでも自分を可愛く見せよう、なんて気力も無くなってくる。

むしろ、私がかわいく見せようなんておこがましいわ!罪!スカート下にはジャージ!
醜いものは見せてはならぬのです…そして私が女のコスプレをするなどありえんこってすばってんどすこーい!

…思春期を間違った方向に拗らせるとこのように認識が歪み、女性であるにも関わらず『女性の恰好をするのが罪』みたいな発想になってしまうのです。
いや、ガチで。

それでも高校の時は制服だったのでまだよかった。
問題は卒業して私服になってから。

高校を卒業して一年程で私はスルスル痩せて(よく動く仕事だったのと、ホルモンバランスが整う時期だったんだと思う)中学生の時くらいの体重に戻った。
今考えたら普通体系なんだけど、なぜかそれが上手く認識出来ていなくて。

相変わらず「私が女子の恰好なんてコスプレですわwww」みたいな歪みっぷり。
メガネ姿で、髪は短くて前髪は長くて、体重がまた戻ってもいいように大き目サイズの服ばかり。

太めのペインターパンツやオーバーオール、トレーナーにコンバースのスニーカー、キャップ。

カジュアルと言えば聞こえはいいが、色も紺や黒の地味な感じ。
塗装店のおっさんか、モノクロのスーパーマリオみたいなファッションで出歩いてました。

泣く。あの頃の私の写真を見ると全私が泣くんで、マジでやめて欲しい。

 

当時は高校の時のカースト差別の影響で男の子が怖くて、女子とばかり遊んでいました。女の子の可愛さを崇めるのが好きで、女の子と居るほうが幸せだと思ってた。

 


小沢健二 - ラブリー

 

そんな私に現れた憧れの人が小沢くん。

「犬は吠えるがキャラバンは進む」という面白いタイトルに惹かれてアルバムを買い、すぐにハマってライブのビデオを買った。

ちょうどDVDとビデオが入れ替わる時代で、あれは私が買った最初で最後のビデオテープである。もう見られないのだけれど、引越しの時捨ててしまったことが惜しまれる。

 

私は小沢くんが好きとか、小沢くんと付き合いたいとは思わなかった。
ただ小沢くんみたいになりたかった。小沢くんになれたら、可愛い女の子の隣で自信を持って座っていられるのかな、と思った。

だから小沢くんの歌を歌って、小沢くんみたいな服を着た。
ボーダーの長T、小さめのTシャツや白シャツ、きれいめのパンツ。

相変わらずボーイッシュだったけれど、おっさん系から少年系になった。
ラインがすこしだけ細身になった。

自分の身体のサイズにあった、明るい色の服を着るようになっただけで、身も心も軽くなった気がした。

それまでのサイズの合わない服は、みんなデカく重くて、ゴワゴワしていた。
私は自分に自信がないから、鎧みたいな服ばかりを選んで着ていたんだと思う。

私をぶっといペインターパンツの中から、救い出してくれたのは小沢くんだった。

小沢くんみたいになりたくて、小沢くんのかわいい!を真似ているうちに、私はようやく自分にかわいいを許してあげられるようになった。

私は背が低く、凹凸のある女性体型だったから、小沢くんの真似をしても結局彼のようにボーイッシュにはなれなかった。

それでも、白シャツも、チビTも、着ているうちに私なりにかわいいな、と思えるようになった。

そこからなぜかオリーブ女子を通り越し、ROXYやらボルコムやら頭にハイビスカスを咲かせちゃったり(その頃の写真も死ぬ…死ねる…)色々迷走を繰り返し今に至る。

 

今は膝丈スカートにヒールの靴を履く。
鏡の前で口紅を引く私は、あの頃毛嫌いしていた女のコスプレそのものだ。

でもあの頃の違和感はもう感じない。
紺色の鎧を着ていたあの頃の私も、かわいかったな、と今は思える。
(ただし写真はダメだ。思い出を形に残すのは廃止すべきだ)

 

スーパーでカレー粉を探しながら、私はあの頃の歌を口ずさむ。

LOVELY LOVELY WAY CAN’T YOU SEE THE WAY? IT'A

ラブリーは恋愛の歌だけれど、あの頃の私にとっては「自分を好きになる」ための歌だった。

 

恋を世界を、自分を好きになることを教えてくれた王子さまは、おっさんになってもやっぱりキラキラとかわいらしかった。

私のファッションは未だ模索だらけで、自分史上最高の私はなかなか見つからない。
これからも私は迷うと思う。

40代からの私、50代からの私。
巣鴨ファッション?ゲートボールモテコーデ?
戦いはいつまでも続くのだろう。

だけど大丈夫。夜がどんなに深く長くても。
私が私を好きでいられるなら、愛すべき日々がきっと待ってるから。

 私は今日も歌を口ずさむ。

LOVELY LOVELY WAY 息を切らす

 

流動体について

流動体について

 

 

 

恋愛に論はいるのか?論

恋愛

青二才さんのこの記事を読んで、いろいろ考えてしまった。

www.tm2501.com


ご自身の『迷い』がストレートに出た記事だと思うし、家族と言う複雑な関係の辛さ、しがらみは本人にしかわからない。

ただ青二才さんの中に「結婚してこそ一人前」と言う旧来の考え方が残っていて、だからこそ苦しいのではないか、とは思った。

ご本人も書いていたけれど、友達がいて楽しいならばそれで良いではないか、と思う。
結婚したから健康で長生きできる、結婚したから大人として認められる、はイコールではない。1人できちんとした生活習慣を保てる人もいるし、若いうちから大人の考え方を身に付けている人もいる。

大体他人に結婚しているか、恋人がいるかなんて個人的なことを質問する、仕事の場で個人じゃなく家族として評価する、と言う意識がもうオワコンなのだと思う。

40過ぎて独身のやつはヤバい、なんて言う人がたまにいるけれど、結婚してようがしてまいが、ヤバい奴はヤバい。

結婚や恋人を便利な資格扱いしてないで、その人がヤバいかヤバくないか、あなたが決めればいい話なのだ。
私は私だし、誰かの妻だなんて付属品扱いされるのはまっぴらだ。

 

と、自分の見解が出てしまったが、あの記事は青二才さん自身の人生のエントリ。

自分の居心地の良い場所は自分にしかわからない。
迷いながらも5年後10年後、いつか自分なりの答えが出たらそれは同じように悩む人の指針になると思う。


引っかかりを感じてしまったのは、青二才さんが「女性の気質論」みたいなものを挙げて、そういうところが苦手で、だから上手くいかないのだと結論づけてしまっていたところ。
女性はこう!と言われるとなんか辛い。
もちろんそうじゃない女性がいることが知っている、と言うエクスキューズは書かれていたけれど、そうじゃない枠に入っていてもあんまりうれしくない。
男性はこう!と言う全体像の記事があって、もちろんこういう男性は違いますよ、と丁寧に配慮されていたとしても、やっぱりもやっとしないですか…?

 

「というもの」とは付き合わない、という表明


男と言う概念、女と言う概念を書いて、彼らはこうだから自分は彼らとは上手くいかない、と言葉にするのはとても容易い。

ネットにはそんな「私が異性と付き合わない理由」が溢れている。

でもあなたは、叩かれている「男というもの」の概念の中に、本当の自分がいると思った事はあるだろうか?
叩かれている「女というもの」の概念の中に、本当のあなたはいる?
結局本当の自分なんてネットの中にはいないのだ。


それを知っているのに異性に対しては「というもの」というつまらない型枠を嵌めてしまう。

男なんてそんなもの、女なんてそんなもの、と知った気になるのは簡単だ。
でもあなたは『そんなもの』の中に住んでいますか?

自分が違うなら、相手だって違うかもしれない。
小さな想像力を持つだけで、世界の見方はガラッと変わる。

男子校育ちだったり女子校育ちだったり、異性に距離があると近づくのも怖い、という気持ちは分かる。

でも異性と言う森を遠くから眺めて、あんな場所!と毛嫌いするのはどうだろう。

森の中には大きさも、枝ぶりも、品種だって異なる木がたくさん生えている。
1つとして同じ木は無いのに、森だけを見て木を眺めないでどうする。

私は森に分け入って、たった1本、自分によく似た木を探したい。
そしてできたら、手を取り合って平原に歩いていきたい。

 

たった1つの木の選び方

 

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私は年も価値観も雰囲気も、よく似た人の隣にいるのが一番心地いいと感じる。
でも相手に過剰な夢や理想を追い求めてしまう人もいる。


森の中でも1番目立つ、華やかな木ばかり追い求めてしまう人。
そうして森の中に入る前にどうせ理想の木は手に入らないから、と諦めてしまう。

そういう人たちは、自分が思い描く理想の自分と、現実の自分とのギャップが大きいんじゃないかと思う。
だからすごく大きくて立派で、華やかな木を手に入れたら、人生に大逆転が起きるんじゃないか、本当の自分になれるんじゃないかと考えている。

 

私は恋愛も結婚も、人生を一発逆転させる宝くじじゃなくて、もともとある幸せをほんの少し上乗せしてくれる、小さな底上げみたいなもんだと思う。

自分をちゃんと好きになって、日々の暮らしが幸せだと思えるようになったら、身の回りにいる自分と同じ価値観を持つ人、見栄を張らずにそのままの自分でいられる相手を、自然と好きになれると思う。(身の回りに本気で相手がいないパターンもよくありますが…)

 

実は私は、恋愛も結婚もあんまりフェアじゃない、と思っている。

私は相手に快適でいてほしいとか、喜んで欲しいと尽くしてしまうし(そうすると家事は均等割じゃなくなる)向こうも何でも半分、と言いながら私の苦手なことを知らない間にやってくれたりする。

私たちはお互いに自分の方が損をしている、でもこの人だから仕方ないか、とほんのちょっとの特別扱い(結局それを愛と呼ぶのかな?)を認めながら暮らしてるんじゃないか、と思う。

誰かと共に暮らすと言う事は、自分の心なり時間なりを、わたあめみたいにちぎって差し出してあげることだ。

わたあめを同じサイズ、同じグラム数で均等割り!なんてギチギチに測っていたら縮んでしまうし、誰かに分け与える余裕のないサイズなら、まずは自分の心を満たすことが一番だと思う。

一緒に並んで花火を見たくて、大きいほうのわたあめを躊躇せずに差し出してあげられる人。その人はきっと男とか女じゃなくて、私にとって特別な名前を持っている。

 

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まずは自分を好きになること

 

私の知っている一番素敵な独身女性は、保育所の所長先生をやっている。
子供だけではなく、お母さんのいいところまでたくさん見つけて、いつも褒めて愛しまくってくれる、素晴らしい先生だ。

みんなの愛に包まれすぎて、たった1人に絞れなかったのよ。
そうやって笑う彼女のことを、独身だから不完全だ、なんて誰が貶すだろう。

『お母さん、今日も笑顔が素敵!』『颯爽としてかっこいい!』
所長先生は、朝の玄関でいつも子供たちより、私たちを褒めてくれた。

もういい大人なのに先生に褒められるとなんだか嬉しくて、慌ただしい中でも笑顔で子供とバイバイが出来たことを思い出す。

先生は私たちに、毎朝ひとかけらのわたあめをちぎってくれたのだ。

 

私たちは、実はみんなすごく頑張ってるんだと思う。
でもネットのおかげで、世界が見えすぎるくらいに可視化されちゃって(それも上位数%が大多数みたいに見える偏った世界が)結果が得られないから、評価されないから不幸だと思うようになってしまった。

確かに、恋愛で承認欲求を満たすこともできるだろう。寂しいとき隣にいてくれる誰かが欲しい気持ちもよくわかる。

でもその前に、もっと自分の「すごーい!」を認めてあげても良いのではないだろうか?
恋愛は生クリームみたいなもの。
自分の土台がしっかりしていなければ、崩れ落ちてしまう。
私が『私』を好きじゃないなら、どうして誰かに自分を好きになって、と言えるの?

 

自分を一番幸せにできるのは、結局自分自身だと私は思う。
異性にたくさんモテる人より、自分で自分を適切に認めてあげて、自分の幸せを周りにふわふわまき散らかせる人が一番素敵。

 

私にとってのわたあめばら撒き系ブロガーは加藤はいねさん! (なにあの盆と正月がいっぺんに来たかのような更新の喜び!?)

d.hatena.ne.jp

あの域にはどうやって…?しかもはいねさんもしかして年下…? 

 

「怖い」はどこからやってくる?忌み、穢れと言う感覚の不思議

読書

最近「スーパーセンスーヒトは生まれつき超科学的な心を持っている」と言う本を読んだ。


少し古い本(2011年刊)だが、殺人鬼のカーディガンを着たくないと思うのは何故か? 殺人現場となった家に住みたくないのはなぜか?という忌み、穢れの感覚から始まって、なぜ人は超科学(いわゆる擬似科学)的なものを信じてしまうのか?を語る、面白い命題だった。

お化けなんてないさ、と思っていても、殺人現場となった部屋は借りたくない。
きちんとクリーニングされ、新品同様の状態であっても「これは連続殺人犯のお気に入りのカ―ディガン」なんて説明されたら着れない。

そんなふうに、忌避する心はどこから生まれてくるのだろう?
いろいろ考えさせられる1冊だった。

 

穢れと言う感覚の不思議

 

スーパーセンスーーヒトは生まれつき超科学的な心を持っている

スーパーセンスーーヒトは生まれつき超科学的な心を持っている

 

 


忌まわしい!と言う直感から1歩距離をおいて考えてみれば、猟奇的殺人犯が暮らしていたとしても家は家。

しかしアメリカではそうした家は売れないどころか全て綺麗に取り壊し、床下の石まで剥がして埋め立ててしまうのだと言う。
自分の家の木材が元は殺人犯の家のもの、とか敷石を再利用、なんて言われたらやっぱり嫌だ。

本の中で著者、ブルース・M・フードはサンタクロースや幽霊の話、様々な絵本やテレビの影響で素直な子供の心にスーパーセンス=超科学を信じる心が生まれる、と書いていた。

 

『ヴィレッジ』という映画をご存じだろうか。

 

ヴィレッジ [DVD]

ヴィレッジ [DVD]

 

 

かなり有名な作品なので、みんな見ているという前提でネタバレさせてもらう。
あの映画はアーミッシュのように厳格に隔離された世界の話を描いていた。

もし超科学的なもの-ファンタジックなアニメや童話、お化けの話や祭りまで-が全て排除された現実村で育ったら、その子は暗闇を怖がらないのだろうか?


この本の中では、世界中に創生神話があるのは人間の脳がそうした物語のパターンを好むからだ、つまり私たちの脳は超自然現象を生まれつき受け入れるように出来ているのだ、と語られていた。


この本を読む前に『文化人類学入門』(ただしこの本も古い… 私が読んだのは1994年の改訂版)を読んで、神話が海を渡って広く伝播していく「文化伝播」という言葉を知っていたので、人の脳がそういう形の物語を好むからその手の話が世界中にある?というような説明に???となった。

脳がこういうかたちを好むので世界中に同じような話があるんですよ、という進化論的な話より、有名な話が伝播していって、その土地にあった形に姿を変えていきました、という文化伝播論の方があり得そうな気がするのだが、どうだろう。

 

文化人類学入門 (中公新書 (560))

文化人類学入門 (中公新書 (560))

 

 

科学本のジレンマ

 

今日紹介した2冊の本は、どちらも図書館から借りたものである。

そして感想を書いておきながらアレですが、実は『スーパーセンス』はあまりオススメできないかも…。もちろん面白かったから感想を書いたのだが、残念なことにさすがに情報が古い。

祖父江孝男教授の『文化人類学入門』は、タイトル通り初心者にはピッタリの分かりやすい名著。それでも何度も加筆・修正されている。

学問は進化し続けるモノ、鮮度が命。
今年は小説ばかりでなく、勉強になるような本を読みたい!と思った時、最初に気になったのが発行年だった。

なるべく新刊がいいんだろうな、と思って書店に足を運んだのだが、初めて手を出すジャンルゆえ目利きがキツイ。
小説ならいままで読んできた経験則から、作家名や出版社で大体の傾向や内容が分かる。ところが科学は未開の大地。表紙だけではその本がトンデモ本なのか、堅実な内容なのか、分からないのである。

じっくり立ち読みできる時間もなく、手当たり次第買いまくれる財源もない。
とりあえず近場の図書館で借りて、基礎知識をつけようか…と思ったのだが、ここにも落とし穴が。

私の町だけなのかもしれないけど、購入図書に思いっきり偏りが。
文芸のベストセラーは同じものが何冊も並んでいるのに、ノンフィクションの新刊本スペースは激セマ。そしてその殆どが、ブックオフで叩き売りされていそうな芸能人のもの。科学や学術系は月に数冊入ればいい方なのである。

今まで文芸しか読んでこなかったから、こうしたジャンルの偏りに気がつかなかった。
町の図書館の使命は、予算の範囲内で町民が必要としている本を提供すること、なので需要が少ないジャンルは購入しない、と言うことなんでしょうが…。

 

という訳で現在、科学本のおすすめ記事を書いているブロガーさんを探してます!
ちゃんと最後まで読んでいて、自分なりの感想があるとありがたい。
自ブログで書いてます!とかこのブログがオススメ!なんて情報があったらぜひ教えてくださいませ。

とりあえず今はこちらのリストがすごく良かったのでここから何冊か買う予定です。

科学の面白さ・楽しさを伝える100冊 「科学道100冊」: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる


この間お勧めした「明日、機械がヒトになる」もこちら経由!

 

yutoma233.hatenablog.com

 


この本がすごく面白かったので、しばらくは脳科学関連の本を読んでいこうと思っています。
では、なんだかごちゃごちゃしてしまいましたが、今日はここまでー。

 

【けもの考察】世界の終わりとけもの☆ワンダーランド

アニメ

注:これはけものフレンズが好きな一部のお友達にしか分からない身勝手な考察+夢小説です。更に村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」をちょっとだけ基にしています。
『世界の終わり』パートがジャパリパーク、『ハードボイルドワンダーランド』が今回描いた妄想小説、といったところでしょうか。

しかしこんな悲しい終わりは嫌なので、ジャパリパークよ永遠に…なのです。

 

*****

 

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 お父さん、お母さん、お兄ちゃんが死んじゃって、どれくらいになるかなぁ。
今はかおもはっきり思い出せないのに、それでもなきたくなるんだよ、ふしぎだね。

私はまだ子どもだからよく分からないけど、せかいはせんそうのはてにすべての生きものをころすウイルスにおおわれたんだって。

でも女の子たちはもともとそのウイルスに少しだけつよくて、それからわたしたちのすむしまがサンドスターっていうふしぎな砂にまもられていたから、ほんの少しの女の子と、それからロボットたちが生きのびたんだよ。

 

でもしあわせは長くはつづかなかったの。
生きのびた私たちも、大人になったら死んでしまうんだよ。

ロボットたちは、未来にのぞみをたくして、私たちをなおすくすりがかいはつされるとおい未来まで、わたしたちをコールドスリープさせることにした。

 

体はとうけつされるけれど、こころまでこおりつかせてしまったら私たちはおきられなくなってしまうんだって。

だから私たちは長い長い夢のせかいで、おとなになるためのべんきょうをすることになったよ。

わたしのくらす夢のせかいはどうぶつえんみたいなばしょなんだ。
さまざまなどうぶつやガイドに生まれかわって、たのしくくらせるんだって。

私はしょくぎょうのだいいちきぼうに「パークガイド」って書いたよ。

まだかぞくが生きていたころ、みんなでどうぶつえんにいったの。
お父さんはたくさんどうぶつの名まえを知っていて、いろんなことをおしえてくれたんだ。

わたしもいつか、お父さんみたいにみんなに色んなことを教えてあげられる人になれたらなぁ、って。

 

今はつめたいきかいの中だよ。

ねむるまえに、お父さんがくれたどうぶつずかんをみたの。
金いろの目をしたサーバルキャットがかわいくて、大好きなんだ。

こんな子とお友だちになれたらうれしいなぁ。

 

 

 お姉さんたちはすこしむずかしいはなしをしていたよ。
私たちはもう『手おくれ』かもしれないんだって。

ウイルスがちんせいかしたころ、ねむらせておいたたまごであたらしい子どもを作ったほうがはやい、って。

 けどたまごの数はかぎられているし、ちゃんと大きくなれるかわからないから一個ずつめざめさせるんだって。

 

でもね、そうしたらその子は世界でたった一人のにんげんになってしまうから、その子のためにどうぶつえんみたいながくしゅうしせつをつくって、そこで友だちを作ったりべんきょうをするんだってさ。

 私たちの心は、その子のためのエーアイがわりなんだって。
エーアイ?ってなんだろうね?

よくわからないけど、私はパークガイドになれないかも知れないときいて少しざんねん。

こたいすうがたりないから、みんなちがうどうぶつに生まれ変わって、その子に世界を教えるんだって。

 

いつか、未来の子どもと、なかよくなれたらいいなぁ。
いつもおちつきがなくて、しっぱいばかりの私だけど、きびんなどうぶつに生まれ変わったら少しはみんなのやくにたてるかな?

 そしたら私、その子のお手伝いをしてあげたいんだ。誰かのためになることをする、世界のあんないをする。

まるでパークガイドのおしごとじゃない?
そしてそれはお父さんのようなオトナにいっぽ近づくこと、だと思うんだよ。

 

楽しみだなぁ。
きっと会えるよね、私のお友だち。

 

 

長い時が経って、サーバルは草原の中で生まれたばかりのフレンズを見つける。

『こんにちは!あなたは何のフレンズ?』

 

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フレンズたちはサンドスターの謎のチカラで擬人化したのですが、もしサンドスターなしでケモナーを作るとしたら『ザ・フライ』みたいな感じなのかなぁ…と思って書きました。でもケモノの中に人なんていないしノケモノもいないんだからね!

とにかく次回が楽しみすぎるおのにちです。 

 

けものフレンズBD付オフィシャルガイドブック (1)

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年齢や体重が気になる!-数字で判断したい私たち

社会

同僚が、30歳になったら急に合コンのお呼びが掛からなくなった、もう年だと言われているようでショック…と嘆いていた。

晩婚化の時代、30歳はさすがに早くないか!?と思ったのだが、地方は未だに結婚が早い。そういうこともあるのかもしれない。

私にとっての『30歳』はちょうど子供を産んだ歳で、モテコーデよりママ友好感コーデ選びに余念がなかったので合コン事情はよく分からない。
しかし、確かに歳をとったと言う実感は浅かった。

30代なら、まだまだ20代の時と体力もスペックも変わった気がしないのが普通ではないだろうか。

よく「見かけは変わらなくても卵子は劣化する!」と言われるが、当時かかっていた医者の言うことには、1年ごとに数字が変わるのは出産適齢期の前後数年くらいで、後は年齢より個体差が大きいのだと言う。

美容体重より健康体重で、脂肪より筋肉が多く、ストレスをためない規則正しい生活をしている人がいい、らしい。

具体的には?と聞いたら、遊牧民が栄養バランスの良い食事をとれば最高だよね、と言われた。

遊牧民、ウィズ野菜。


現代人がスムーズに身ごもるためには、まず放牧から始めねばならんのだ!
つまり婚活で本当に聞くべき事は年齢ではなく所持羊頭数。

大体お前ら本当にそんなに子供が欲しいのか?
正直に言ったらいいのに。若い方が得した気がする、と。


数字と言う目に見える基準

 

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しかしながら、婚活女子も『年収』という目に見える数字に弱いのでお互い様だと思う。そして、年収も個人差があります、の世界だよなぁと思う。

例えば年収一千万だがバツ2、養育費で給料の半分は飛んで行きます!と言う人と、年収500万だけど資産家の一人息子、と言う人なら後者の方が安全パイに見える気がする。ただしバツ2はものすごく魅力的な人なのかもしれないし、結局すべては自分次第。

ところが年収一千万以下はアウト!なんてつまらない基準を作ってしまうと、世界が狭まる。

さすがに今時いっせんまーん♪なんて無邪気に言えるフレンズはいないと思うけれど、いくらだって同じこと。
年収500万だけど忙しすぎて週末しか帰れない人、年収300万だけど定時に上がれて家事育児に参加できる人。
500万と結婚して育児に専念がいいのか、300万と結婚して自分が200万稼ぐ方が楽か。
やっぱり人それぞれ、自分次第なのでは?


けれどそうやって細かく比較検証していくのは、時間もかかるし面倒くさい。
パッと見たときの分かりやすさに弱いのが人間なんだろう。

私自身、体重と言う数字に弱い。ものすごーく弱い。

ずっと50kgならOK、52Kgならダイエット!という基準で生きてきた。
洋服のサイズならMが入ればOK、Lサイズなら要減量。

同じ体重でも、筋肉が多いか脂肪が多いかでボディラインはがらっと変わる。
体重計だけを気にするのは危険だ。

洋服のサイズも同じことで、MサイズだろうがLサイズだろうが、サイズタグをぶら下げて歩いているわけじゃない。

身長の違いもあるし、全体のバランスが整っていればそれで良いのでは?…と自分でも分かってはいるのだが、私は己を見る目に自信がない。

他人の事は客観的に見られるのに、自分には厳しくなってしまう。
サイズと言う数字がオーケーなら安心。

Sサイズ、Mサイズ信奉とはそーゆー気持ちから生まれるのかなあ、と思っている。

同じMでもユニクロMと若向きブランドのMじゃ全然実寸が違うので、サイズじゃなく自分の身幅に合うものが1番だ、とはわかっているのだけれど。

ついMサイズでいいや、とネット購入してしまって、大きかったり小さかったり。
失敗ばかりしている私はいまだに自分の体を正しく捉えられていないんだろう。

自分の重さ、というのは不思議なもので、1キロ増えても体重計に乗らなければ気がつけない。

1キロの荷物を持っていることを忘れるか、と言ったらそんな事はありえないのに。
もっとちゃんと、自分のことを把握しなきゃいけない歳だよな、と思う。

とりあえず風呂場でボディーラインを認識するところから始めるべきか。
認めたくないものだな、自分自身の脂肪というあやまちは…。