今日紹介するのはゼロ年代ベストSFと評される、伊藤計劃さんの「虐殺器官」。
ベストSF2007の第一位に選ばれている作品。
ハヤカワ文庫新版の解説では大森望さんに『2で始まる西暦の最初の10年間を代表する日本SF』とまで言われています。
...お恥ずかしい話、実は最近読みました。
作者の名前や作品のタイトル、評論などからばりばりのサイバーパンク系SFかと勝手に思い込んでいて。
ギブスンやフィリップ・K・ディックも好きだけれど時間と体力に欠けた昨今、サイバーパンクは少しハードルが高かったのです。
書店で手に取ったきっかけは三作品を連続で公開するという劇場アニメ化企画が面白そうだったから。
とりあえずデビュー作、「虐殺器官」から読んでみました。
死から始まる物語
手に取るまでのハードルは高かったのですが、実際読んでみると侵入鞘(イントルード・ポッド)だの、フライングシーウィードだの、サイバーウェアやギミックがばんばん出てくるもののストーリー自体はシンプルで登場人物も少なく、思ったより理解しやすい物語でした。
あらすじはこんな感じ。
サラエボで発生した核爆弾テロがきっかけとなり世界中で戦争・テロが激化。
アメリカを始めとする先進諸国は徹底的な管理体制でテロの脅威に対抗していた。
十数年後、先進諸国からはテロの脅威が除かれたが、後進国では内紛、大量虐殺が続いていた。
事態を重く見たアメリカは新たに情報軍を創設し、各国の情報収集と戦争犯罪人の暗殺を行うようになる。
アメリカ情報軍に所属するクラヴィス・シェパードは、混乱や虐殺の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールの暗殺を命令される。
クラヴィスは、ジョン・ポールの情報を得るために彼と交際関係にあったルツィア・シュクロウプを内偵するが、次第に彼女に好意を抱くようになる。
ある日、クラヴィスはルツィアにクラブに誘われ、その帰路にジョン・ポールと彼に賛同する者達に襲撃され拘束されてしまう。
拘束されたクラヴィスはジョン・ポールと対面し、彼から「人間には虐殺を司る器官が存在し、器官を活性化させる虐殺文法が存在する」と聞かされる。
クラヴィスは仲間によって救出されるが、ジョン・ポールとルツィアは行方不明になってしまう。
クラヴィスはジョン・ポールを追う任務に就き、ルツィアを探すのだが…
主人公クラヴィスは、情報軍に所属し暗殺や少年兵を殺すことも厭わない屈強な軍人ですが、どこか未成熟で繊細な所を持つ男です。
彼ら特殊検索群i分遣隊は、戦場でためらうことや心理的ダメージを負うことがないようにカウンセリングと薬物投与を組み合わせた感情操作を受け、痛覚マスキングという特殊な技術で痛覚を認識しながら痛いと感じない状態で戦うことが出来ます。
そうした彼らの心と体を守る鎧がクラヴィスの心を脆くさせているのかも。
戦場ではためらわずに少年兵を殺す彼ですが、自分の母の延命措置を終了させ、母親を死に追いやったことが忘れられずにいます。
彼はよく死の国の夢を見る。
戦場で死んだ、自分が殺した者たちが死んだ母と一列になって歩く夢。
死んだ自分も共に、死者の行進を歩くのが彼にとっての安らぎです。
ここは死後の世界なの?と聞く彼に母親が言います。
「いいえ、ここはいつもの世界よ。あなたが、私達が暮らしてきた世界。私達の営みと地続きになっているいつもの世界」
その言葉が彼の救いでした。
クラヴィスと母親、ルツィアの関係性
クラヴィスは母親にいつも見られていた、と感じています。
父親は自殺し、母はいつも自分を見張っていた。目の前から息子が消えてしまうのではないか、という恐れを持って。
クラヴィスは母の視線をいつも感じ、それを負担に感じていますが現実で母親の言葉が語られることはありません。
母が言葉を発し、彼を救い糾弾するのはいつも彼の夢の中です。
そして、彼が読んだ母の記録の中には息子の姿はありませんでした。
圧倒的に死んだ父の姿だけ。
クラヴィスが感じていた見られている、という感覚はなんだったのでしょう。
夢の中で彼は母に手を引かれ、最初に学校に行った頃を思い出し懐かしさに涙を流しています。
クラヴィスとルツィアの関係も曖昧です。
クラヴィスとルツィアが交わすのは言語についての会話。
クラヴィスは彼女の知性と瞳に惹かれていますが手を繋ぐこともありません。
ルツィアは彼に好意を持っているようですがあくまでも好意、に見えます。
でも彼女は何回か会った話の合う教室の生徒である彼に、自分の過去の恋人、それにまつわる罪の話をします。
クラヴィスはその返礼として自分が抱いている母を殺した事への罪悪感を告白します。自分の事を語るタイプの人間には思えませんから、それが彼にとっての誠実な愛の告白だったのでしょう。
クラヴィスは母に確執を持っていますが本当の母親は曖昧です。
同じようにクラヴィスが好意を抱くルツィアの本心も分かりません。
彼女はクラヴィスに唐突に打ち明け話をするものの、かつての浮気相手ともう一度会いたいとも願っているのです。
そしてクラヴィスがスパイであった、と知っても戸惑うばかりで彼の命乞いをし、かつて別れた男と共に消える。
クラヴィスは彼女に固執し涙を流しますが一方で彼女の事を僕の事を罰し赦してくれる唯一の存在、と呼びます。
彼は母親ではなく、その目線の先にあると感じていた自分を見ていたのでしょう。
同じようにルツィアではなく彼女に赦され罰せられる自分を見ている。
この物語はクラヴィスから見た世界の話なのかも。
映画化について
「 虐殺器官」は、現在公開中の「屍者の帝国」の後、11月13日から全国公開されます。少し心配なのは「屍者の帝国」「ハーモニー」に比べるとストーリーに起伏、華やかさが乏しいのではないか、ということ。
プラハ、インド、アフリカを股に掛けますが舞台は殆どが戦場で、登場人物も限られていますし。
ジョン・ポールの「虐殺文法」も、映像では伝わりにくい気がします。
でもパワードスーツやイントルード・ポッドで降下する様子、痛覚がマスキングされた状態での戦闘は著者が好きだったゲーム「メタルギアソリッド」の世界を彷彿とさせますね。
武骨な男達の戦場の物語…でありながら実は繊細で閉ざされた一人の青年の物語。
原作は主人公の心理描写中心なので、アニメではどんな風に描かれるのか楽しみです。
最後に(ネタバレあり、注意!)
不思議な読後感の小説でした。粗い部分もありましたが、これから先の地平を感じさせる。2009年、34歳と言う若さで亡くなられたのでもう彼の新しい本は読めないんですね。なぜこんなに惜しまれているのか、分かった気がします。
そしてちょっとネタバレになっちゃうかも知れませんが、ラストについて!
自国以外を救うため背負う、と主人公は言ってますがこれは結局冒頭彼が夢で見た死と現実が繋がっている世界を実現させたかっただけなのでは?
そして自国以外は平和、と言ってますが作中で「英語はいまや覇権言語」と…!
カウチソファでピザを食べ、窓の外では銃撃の音。
掲示板で見かけた「戦争になればいいのに」って呟きはこんな世界を夢見ていたのかも。
窓の外で幸せな声が響くなか一人部屋に籠るくらいなら、世界を混乱に満ち溢れさせ一人部屋で安全に過ごす、という幻想に浸りたい。
わかるけど、君は変わらず一人なのにね?