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おのにち

おのにちはいつかみたにっち

狼の母羊の娘~ADHDの母の話

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私は昔から思いもよらない行動を取ってしまう自分、というのが嫌いだ。

たとえば大事な約束があるのに好きな人に会いに行ってしまう。
居ないなら諦めてとっとと帰ればいいのに、雨に濡れながら玄関前にうずくまってしまう。

漫画によくあるシチュエーションで、登場人物たちは駆け寄って抱き合ったりするけれどご近所さんに迷惑だ。
まずは電話かメールしろよ、と思ってしまう。

こんな風に不合理で整合性のない感情が自分の中で生まれてくるのが嫌い。
恋はもう結婚して落ち着いたからいいけれど、妊娠中の脳内お花畑状態はきつかった。

生理前のイライラも嫌い。
怒る理由も無いのに、誰かに当たり散らしたくなる不条理さ。

更年期を過ぎた人が「心がいつも凪のようで楽」と言っていて、早くその極致に辿り着きたいと願っている。

どうしてこんな風に理不尽な感情に振り回されることを嫌うのか。

それは感情と思いつきと勢いで生きる、嵐のような母に育てられたからだと思う。

 

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私の母は会う人皆に「変わったお母さんだよね」と称されるような人だった。
落ち着きが無く、思いついたことはすぐにやらないと気が済まない性分で、料理中でも平気で違うことを始めるので家のごはんはよく焦げた味がした。
てんぷら鍋を炎上させること3回。

おかげで私は固く絞ったタオルを鍋に被せ空気を遮断し消火するテクを身につけた。
実家を出てからは一回も使ったことは無いのだけれど。

色彩センスが独特でいつも派手な服装。協調性が無く人と話が合わせられない。
空気を読まないので、授業参観の時などは子どもの様子そっちのけで授業に没頭してしまい「そうだったのか!」などと大きな声で呟いて先生に注意されていた。

小学生の頃から私は「困った母の保護者役」だった。
思ったことをすぐに口に出してしまうので、学校は殺風景、義務教育なんていらない、人の髪形や服装に「ありえない」なんて聞こえるように言ってしまうこともあった。

長女の私はいつも母をたしなめる。「そういうこと言わないの」、人をけなした時には「お母さんにだけは言われたくないと思うよ」と茶化した。

そうやってしっかり者の娘を演じている内に真面目できちんと、と言う性分は私の中に染みついてしまった。

だから逸脱が怖い、逸脱が嫌い。

型にはまる事を選んだ私は型からはみ出し続ける母が理解できなくて、よくぶつかった。

母はバイトでもパートでも、集団で働くことが出来なかった。
専業主婦でもいいのだけれど、家で大人しくしていることも苦手。

思いつきで色んな事を始めた。
陶芸、飲食店、小売業。

その度に家をほったらかし修行に行き、家事は娘に任せた。

最初の集中力は凄いのだけれど、飽きるのも早いから元手が回収できない内に辞めてしまうこともあった。赤字三昧。

最後には父が「母さんの仕事は趣味だと思いなさい」と言った。

ずっと理解できなかった母が分かったのは、更年期に鬱病を患い、入院した時に主治医が言った「お母さんには注意欠陥・多動性障害(ADHD)の傾向が見られる」という言葉だった。

「もう大人で、本人や周りがこういう性格だと受け入れていて苦痛がないのならば治療の必要は無い。好きなことしかやらなかったり、我慢することが苦手なようですが、そういう性分なのだ、とこれからも受け入れてあげて下さい」と言われた。


私は思春期に様々なストレスを抱え激太りした。
母は思ったことを思ったままに言う人だから、そんな私に「デブ」「私に似ず不細工」「そんなに太っていてよく出歩ける」などとさんざん言葉で突き刺した。

でも本当は私の方が母を傷つけていた。
私は母をよく責めた。

思いつきで物を言う前によく考えて。
どうして他人に合わせられないの。
パートも出来ないなんて恥ずかしい。

母はその度に子どものように笑って答えた。

「だって言っちゃうんだも―ん」
「合わせて生きて面白いの?」
「パートなんてみんなで集まって誰かの悪口言ってるだけ。あんな集団に混ざりたくないもん」

私は母がふざけていると思い込み、怒ってばかりいた。

 

お医者さんの話を聞いた今は少し解る。

混ざりたくない、なんて言う母はきっといつも輪に混ぜて貰えない側、悪口を言われる側の人間だったのだろう。

私は自分が当たり前に出来ることが母には出来ないなんて思いもしなかった。
本はたくさん読んでいたくせに、そんな想像力も無かった。

母は実力があるのに、さぼって怠けてやらない人だと思い込んでいたのだ。
自分の母だから、実物より大きく見えていたんだと思う。

母も、普段は子どものような人の癖に私がそうした母の欠陥を責める時にはいつも飄々と逃げて弱音一つ吐かなかった。

ずっと私が母の保護者だと思っていたけれど、母は母なりに親であろうとしてくれたのかも知れない。

いつも明るく笑って無邪気でいてくれたこと。

母としての責務、娘としての責務。
堅物な私は「もっともっとちゃんとしてよ!」と求め続けていたけれど、四面楚歌な日々の中で、ただ笑って明るく居るだけでも彼女にとっては激務だったのかも知れない、と今は思う。

 

私に見える世界、母に見える世界はきっと違う。

母子なのに、同じくらいの身長なのに、私達はまるで違う物を見ている。
私は母にはなれないし、母も私にはなれない。

そんな当たり前のことに今頃気が付いた。

本ばっかり読んで、ませていて、空気を読むのに長けた子どもだった私は周囲の「困ったお母さんね」という圧力に負けて「母がいつもご迷惑をお掛けしています」という看板を掲げてしまった。周囲に同調してしまった。

もう少し母の側に立ってあげれば良かった。
母には母を激愛し、なんでも許す父がいるのだけれど。

自分の娘が自分と正反対のタイプで、きっちりきっちり!を求められたら辛いと思う。嫌われていてもおかしくなかった。

それでも母は相変わらず子供のように無邪気なままで、仕事中に突然電話をしてきて驚かせてくれる。
父が検査入院中だったので、なにかあったのか!と慌てて電話に出ると「高知東生の奥さんって誰だっけ?」と聞かれた。

お母さん、あなたが電話してきたそれは楽々スマホではないのですか。検索と言う機能の意味は。

 

さて、母のいつも飄々として、世界を嘲笑うような態度の根底には本当は悲しみがあるのかも知れないと私は気が付いてしまった。
でも直視したり、いままでの態度を謝ったりなどしてやるものか。

私はこれからも母の事を「私よりも出来る癖にやる気のない困った人」だと思って生きよう。母が弱音を吐かない気持ちが解るから。

私だって、真面目できちんとしていない、道理の通らない私を誰かに見せるのはまっぴらごめん。
今まで「母がすいません」という態度で生きてきたのだ。
それが本当は意に沿わない同調圧力に負けた結果だったとしても、今や母と違う人であることが私のアイデンティティ。
そうやって頼られて生きて来たのだから、もし私の内に母のような理不尽な感情があったとしても火葬場まで持っていってやる。


性格も外見もまるで違う「似てない母子」の私達。でもお腹の底に飲み込んだ黒い石はきっと同じ。
自分の奥底にある本当の悲しみや渇望なんて、自分以外の誰に覗かせてやるものか。

こんなにも違うのに、意固地な所だけ似てしまった。


遠い記憶の中の母は、秋桜畑で笑っている。
子どもの私が貰った花束を「自分の方が似合う」と言う理由で取り上げた彼女は、やっぱり理不尽だ。
でも長い髪を揺らし白地に大きな花の咲いた艶やかなワンピース姿の彼女は、やっぱり綺麗で。

スカートを翻し、軽やかに駆けていく母を黒髪のおかっぱ頭の少女の私が追いかける。
「お母さん転ぶよ!」と大人みたいな口調でたしなめながら。


これからもずっと、はらはらしながら見守って行くだろう。
彼女が生きる自由で危なっかしい世界の道程を。

地にしっかり、足の着いた場所から。
ほんの少し憧れたとしても、それは黒い石の中のお話。

きっちり仕舞いこんで、いつか物語になればいい。

それとも火葬場まで持っていこうか?
貞子みたいに、怨念が這い出すのも素敵だと思っている。