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きっといつかあなたに会える-辻村深月『かがみの孤城』感想

辻村深月さんの「かがみの孤城」を読んだ。
ポロポロポロポロ、涙が止まらなくなる。
悲しいだけじゃなく清々しい、暖かで柔らかな涙。

あなたは一人じゃない。

そんなメッセージがずっと伝わってきてたまらなかった。
いじめられた経験がある人、現在進行形でいじめに悩んでいる人。

そういう人にこそ、読んで欲しいと思う一冊です。

 

かがみの孤城

 

『かがみの孤城』あらすじ

主人公は中学一年の少女こころ。
とある事件がきっかけで学校に行けなくなってしまった彼女は、外に出ることも出来ず苦しみの真っ最中だ。

そんなある日、彼女の部屋にある大きな姿見が突然輝きだす。
手を触れた鏡の向うにあったのは、大きな城と狼面をつけた謎の少女、それから同じように連れてこられた見知らぬ少年少女たち。

少女は『オオカミさま』と名乗り、不思議な城の物語を語り始める。

この城の奥には願いの叶う『願いの部屋』がある。
ただし入ることが出来るのは七人の中から選ばれし一人のみ。
五月の今日から翌年の三月三〇日まで、彼らは願いの部屋に入るための鍵探しをしなくてはいけない。けれども城が開くのは九時から一七時の間だけ。一七時までに家に帰らない悪い子は狼に食われてしまう…。

不思議な城に集められたのはこころと同じ中学生の子どもばかり。
そして平日の昼間に城にいる彼らはこころと同じように、学校を休んでいるはず。

そう思うけれど、こころにはその話を自分から語りだす勇気はない。
見えない気遣いから互いのことをあまり語り合わないまま、少しづつ距離を縮め、絆を結んでいく七人。

ある日仲間の一人、アキが学校の制服を着たまま城を訪れたことで物語は動き出す。
私は、私達はこの制服を『知っている』。
それは彼女達が通うはずだった雪科第五中学の制服だった。

現実世界でも会おう、みんなで助け合おう。そう言って、学校で会うことを約束する彼ら。しかし現実の中学校には、こころの知る名前の人間はおらず...

ストーリーはこんな感じ。
彼らは無事現実世界で出会うことが出来るのか?
願いを叶える鍵の場所は?
それぞれの抱える悩み事は解決するのか?

小さなミステリーに溢れた物語です。

人には言えない悩み事

七人の子どもたちは、皆それぞれの悩みを抱えています。

クラスのリーダー格の少女から非の無いことで一方的に嫌われ、外に出ることすら怖くなってしまったこころ。
母親との確執を抱えるリオン。
家にも学校にも、心休まる場所のないアキ。
家族から見放され、未来なんてどうでもいいと思いながら生きるスバル。
小さな嘘をついてしまうせいで、友達から『ホラマサ』と呼ばれているマサムネ。
ぽっちゃりキャラで、みんなからいじられ嘲笑われてしまうウレシノ。
ピアノの天才と呼ばれ、学校にも行かずそのためだけに生きてきたフウカ。

みんな自分は独りぼっちだと思っていて、誰にも頼れなくて。

そんな子どもたちが、同じ境遇の仲間たちを頼りに、支え合い助け合い、少しづつ強くなっていく。その過程がもう号泣でした。

 

私自身、中学校の三年間は転校生としていじめられっぱなしで、市販薬を一瓶飲んだり、髪の毛を抜いてしまったり、色々拗らせていました。

でも家族にも先生にもSOSが出せなくて。

苛められている自分がみっともなくて情けなくて、誰かに話すなんて恥ずかしすぎる。
あの頃はそんな風に思っていました。

大きくなって、当時は思春期でケンカばかりしていた弟たちに話を聞くと、彼らもまた一時期同じような目に会っていたことが分かり、驚きました。

一つ屋根の下でみんな同じような経験をしていたのに、打ち明けられる相手がいるだけでも少しは楽になっていたかも知れないのに。

当時はこんな目に合うのはきっと私だけで、弱い自分がいけないんだ、恥ずかしいんだと隠すことばかりを考えていました。

 

でも、こころやマサムネやウレシノを見ていて思います。
いじめられて当然の子なんてこの世にはいない。
誰かに助けを求めるのは、決して恥ずかしいことじゃなかったんだ、って。


これは希望に満ちたファンタジーだから、私の側には孤城に繋がる鏡なんてない、と今孤独の最中にいるあなたは思うかも知れません。

だけどもしかしたら、あなたがいま覗き込んでいるスマホが、パソコンが、誰かと繋がる鏡になるかも知れない。私はそう思います。

きっとあなたは一人じゃない。
もしも自分がこの世でたった一人だと思えたら、一人の城に閉じこもる日々が続いたら。そっと世界に繋がる窓を開いてみるのもいいかも知れません。

同じ境遇の人と知り合うだけでも、話すだけでも、ほんの少し気持ちが軽くなるかも知れない。

もちろんインターネットの世界には、怖い人も、悪い狼も、山ほどいるのでしょう。

それでもまだ会った事のない人と、たわいない話をしてさよなら、またね、と窓を閉じる時、私はいつも暖かい気持ちになれるのです。


寂しい時には、どうか会いに来てね。
私達は支え合いながら、きっといつか大人になれるよ。
涙のむこうに見たのは、あの頃の自分の背中だったのかも知れません。

 

かがみの孤城

かがみの孤城

 

 

イキイキママかく語りき

ウェーイ。みんな羨むイキイキママだよ。
みんなの頭を踏みつけて、私だけは今日もイキイキハッピー☆

 

なんて思って生きてると思うのか愚民どもが。人体なんか踏まねえよバカ。ぐにゃっとするだろ、ぐにゃっとして生暖かくて気持ち悪いだろ人体なんか踏んだら。だいたい天は人の上に人を作らずって諭吉っちが言ってから何十年経ったと思ってんのまだ開国してないのかよ牛肉喰え美味いぞバカ。

あのさー、私だって昔は独身の同級生見て羨んだよ。私が子どもの添い寝してる間彼女達はお洒落して夜遊び出来る訳じゃん。でも結局子どもを産むと決めたのは私で自己責任だから仕方ないのは分かってる。けど産んだのが自己責任ならその反対だってそうだよね?産休に逃げて他人に仕事を押し付けた責任を取れ?それはその制度作った社会にいいなよ、そして一人が休んだだけで回らなくなる職場がおかしいと気がつきなよ。

確かにね、こうやって言いながらも心のどっかで申し訳ないと思う私がいる。申し訳ないと思え子ども産めた奴はお幸せなんだから世間様に感謝して卑屈に生きろという同調圧力だか、自分の中の妄想だかが脳内渦巻きまくってるよ?

でもね、申し訳なく思う私の頭も、申し訳ないと頭を下げてほしいお前らの頭の中も、どっちも等しく歪なんだと思うぜ。

 

確かに産休良かったよ。
子ども可愛いって話はみんな腐るほど聞いてると思うから飛ばす。正直寝れないし、仕事してる方がマシだと思ったけど、生との距離は近くなった気がする。

ずーっとずーっと仕事してると疲弊して、現実と自分の間に膜ができるような気がしねぇ?子宮内膜症ってお腹のヘンな場所で増殖した内膜が排出されなくて留まっちゃうのね?仕事に追われてると心にも分厚い内膜が出来るような気がして。人に冷たくしたり、酷い事言ってしまったり。ダイレクトに人を傷つけてるだろって分かるハズなのに外部との被膜が厚くなりすぎてるから他人の痛みが分からなくて、そのくせ自分ばかりが痛いような気がして。他人に酷い罵声浴びせられる人って多分口にしたら忘れちゃうんだろうね。そして相手も同じだと思ってるのきっと。いじめた相手に刺されて初めて気が付くんだよ、皮膜の厚さと自分のやってきたことに。

 

子供産んで、脳の血管切れたんだかなんだか知らないけど一時的にバカになったのね?今日が何日だか分からないし、物事を一つも覚えていられない、さっきしまったタオルの場所すら思い出せない。絶望したよ、正直知恵ぐらいしか自分の生きる価値ねぇって思い上がってたとこあるから。こんなんで退院して、子育てどころか生きていく自信も無いって医者に言ったら笑われたけど、徐々に治るって。人体すごいよな、ホントに少しずつ回復して行った。無理してなった子宮脱も、腱鞘炎もみんな時間がなんとかしてくれた。今までケガも入院もしたことなかったから、人間の回復力なんて忘れてた。

カラダが健康になるにつれて、じゃあ心は?と思ったのな。細胞が入れ替わってるんだから、昔心を抉ってった言葉も忘れていいんだ、って思ったらすげー楽になった。産むって超デトックスだったよ、私にとって。

でもそうやって休暇に感謝する一方で申し訳ない、と思うよ。だって私がそうやって人体の不思議やってる間もダンナは働き続けてるし、同僚も働いてるんだもん。

 

つかさ、誰にでも1年間くらい休暇があっていいんじゃないかと思うんだよ。

学校出て同じ仕事して10年くらいすると、なんだか人生に倦んでこねぇ? 別に今の仕事がイヤな訳じゃないんだよ、そうじゃないんだけど、誰にでも一旦小休止が必要な時期があると思うんだよ。 男も女も、用のあるなしに関わらず、人生に1度くらい1年間のリフレッシュ休暇が取れたらいいのにと思うよ。

 

出産なんかしなくてもきっと皮膜は破れるよ。時間作って瞑想して自然に触れて。生きてる実感を取り戻せば他人にも優しくできて、みんな生きやすくなるよ。

だから休みたきゃ欧米へ行け、なんて言ってる場合じゃねー。もう開国は終わってる、未だに欧米並みじゃないの?って諭吉っちに笑われる。

私は私の後ろめたさを払拭したい。自分ばっかり休んで、自分ばっかりリフレッシュしてなんて思いたくない。だから自分のために言うよ、みんな当たり前に休める世の中にしろって。誰もがヒトの心を取り戻せる世の中にしろって。

きっと今日も、誰かが誰かを羨ましく思ってる。でも羨ましいからお前の利権を取っ払えは絶対違うよ。羨しい立場に自分が立つにはどうしたらいいかを考えろ、声を上げろ。幸せな誰かを引きずり降ろしてみんな均等に不幸にしようと思う人はなんて社会に役立つ犬だろう。でも誰が骨をくれるの? 

 

『世界一の生産性バカが一年間、命がけで試してわかった25のこと』が面白い3つの理由

『世界一の生産性バカが一年間、命がけで試してわかった25のこと』という本を読んだ。職場の同僚から、これ面白かったよ、オススメ!と言われて借りたのだが、実は正直渋々…と言った感じだった。

だって、タイトルから漂う、意識高い系ビジネスマンのかほり…

主婦&平社員の自分と接点あるかなぁ、と恐る恐る読み始めたのだが(オススメされて借りたからには感想を言わなくてはいけないという小市民的発想)これが思いがけず面白かった。

 

世界一の生産性バカが1年間、命がけで試してわかった25のこと (T's BUSINESS DESIGN)

 

この本の著者、クリス・ベイリーは、高校生の頃から「生産性」に興味を持ち始める。 生産性とは、生産諸要素の有効利用の度合いである。

ベイリーは生活の中の生産性を高めることで1日有意義に使える、自由時間が増える、と主張し、大学卒業後の一年を「生産性の1年(A Year Of Procutivity)」略してAYOPと名付け、プロジェクトをスタートさせる。

その一年間の成果がこの本、『世界一の生産性バカが一年間、命がけで試してわかった25のこと』であり、彼が学び取った生産性を向上させる方法をなんと25個も学べる一冊…なのだが正直彼が教える25の項目は割とどうでもいい。

重要なタスクを見極める、タスクを三つに絞る、集中力がアップする時間帯に最も重要なタスクを持ってくる、瞑想を上手く活用する、などなど。

なるほど、と思える項目もあるがどこかで聞いたような話が多い。
25項目がつまらないなら、なぜこの本が面白いのか?

それはこの本の著者の生産性バカっぷり。
1週間で35時間瞑想する、1ヶ月間飲み物は水だけにする、自家製ソイレント(栄養機能食品)を作ってみる等々。

彼が25の法則を発見するために費やした1年間の試行錯誤がめっぽう面白いのである。

残念ながらベイリーの発見した『生産性を高めるための25の法則』はどっかで読んだ感がめっちゃ高い。
それは仕方がない。彼はこの一年間で生産性と名のつく本、役立ちそうな本を読み漁り、それを自分で実践してみた、その経験談をまとめているのだから。
つまりは体験レビュー。

しかしながらその何でも試した一年間はオリジナリティに溢れている。
生産性のプロに俺はなる!と就職を蹴り、奨学金の返済に怯えながらもわずかな貯金で食いつなぐ。

生産性やビジネスに関する本を読み漁り、これ!と思ったものは片っ端から試してみる。もちろん失敗も多い。

そうして学んだことを自分のウェブサイトに書き込んでいく。
彼は私たちが身近に感じるブロガーでもある。3つの法則やら25のことやら、数字にこだわるあたりがいかにもそれっぽい(ちなみに今日の記事のタイトルの3つの理由、もそこからパクってきた。正直私は数字を書けば読まれるなんて馬鹿じゃねえの、と思ってるけど。25とか、誰も数えないでしょ?)。
 お金のない1年間でも自分のブログには広告を貼らない、なぜならそこはお金を儲けるためにやっている場所ではないからだ、なんて意地もほほえましい。
どっかで見たよね、こんな人。

とにかく彼の1年間は面白い。
1週間で35時間も瞑想してみるが生産性とは程遠いことに気づく。 夜型人間なのに朝型を目指し、毎朝5時半に起きてみるものの夜遊びがしたくて人生に絶望する。 食事を作る時間を節約するために自家製ソイレントを作るが、美味しいものが恋しくてブログが食べ物の話で埋め尽くされる。

取り入れた法則は他人からの受け売りでも、評価するのは自分自身だ。
そして生産性を高めるためには余暇時間の使い方が大切なのだ、と気が付いていく過程がいい。

運動や瞑想、何を食べるかから友達との夜遊びまで。
一見無駄に見えることでも、自分にとってはかけがえの無い楽しみもある。
人生からすべての無駄を取り除いてしまうと、モチベーションの低下に繋がり、結局は生産性を低下させてしまう。

つまりこれは単純に生産性を上げる25の法則を教える本じゃない。
クリス・ベイリーという若者が、自分にとっての生きがいとは何なのか?を知っていく物語でもあるのだ。

『世界一の生産性バカが一年間、命がけで試してわかった25のこと』はなんだかアンバランスな本だ。

売り方はとにかくあざといし(表紙も数字も、内容にあまり関係のない4コマ漫画がついている所まで。ちなみに同僚はFORTUNEのベスト・オブ・イヤー受賞!のキャッチコピーに釣られて読んだそうだ。FORTUNEって何?と聞いたら知らないと言っていた)25のことは他人の受け売りばかり。 多分人から勧められなかったら手に取らなかった本だろう。

でも中身には20代の若者の、とりあえず1年間死に物狂いで頑張ってみました!感がぎっしりと詰まっている。

その瑞々しさがなんだか表紙とそぐわなくて、アンバランスだけど面白い。

普通は生産性を高めるために一日8時間も瞑想しないと思う。修行僧か?
他にもお金がなくて彼女のお父さんちに同居させてもらったからネガティブになったり、十日間一人きりで地下室にこもる実験を行い、やる気をなくしたり。

著者、クリス・ベイリーさんには是非これからも生産性バカ道を追究して行ってほしいと思う。10年20年30年、是非ライフワークにして欲しい。
そしていつかまとめ上げる『生産性を高めるためのコツ・完全版』こそが本当の意味で人の役に立つ本になるのだろうな、という気はする。

でも若者のフレッシュな、1年間死ぬ気でやってみた本、としてはすごく面白かったので、そういう読み方をするならこれはとてもオススメな一冊です。

理由、ちゃんと3つあった?

 

世界一の生産性バカが1年間、命がけで試してわかった25のこと (T's BUSINESS DESIGN)

世界一の生産性バカが1年間、命がけで試してわかった25のこと (T's BUSINESS DESIGN)

  • 作者: クリス・ベイリー,Chris Bailey,服部京子
  • 出版社/メーカー: TAC出版
  • 発売日: 2017/09/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

寝ない子デブる?-『脂肪の科学』とホルモンバランス

『脂肪の科学ー痩せりゃいい、ってもんじゃない!』という本を読んだ。
著者は最近ライザップでダイエットした森永卓郎さん、医学博士の柴田 玲さん。

メタボ代表・森永卓郎と、脂肪細胞研究の第一人者柴田玲が対談形式で脂肪細胞が出しているホルモン、アディポネクチンについて分かりやすく解説する、という一冊である。

今までただの厄介者と思われていた脂肪だが、近年脂肪細胞には、食欲を操る、血管を修復する、糖尿病・癌を予防するなどの働きがあるのではないかと見直されて来ている。

脂肪は必ずしも悪ではない、太りすぎず痩せすぎない、脂肪細胞が理想的な大きさである時(つまり標準体型)が一番アディポネクチンが分泌され、結果的に健康で長生きできる、という話だった。

 

なお「アディポネクチン」の説明はこちら。

www.healthcare.omron.co.jp

 

『脂肪の科学』で語られる痩せる秘訣は至って普通である。

体を動かし、健康的な食事をし、よく眠ること。

ホルモンの分泌は1ヶ月ほどで変わってくるのでダイエット後はそれを維持するのが大切だそう。とにかく太りすぎでも、痩せすぎでもない体型を維持させるのが健康には一番、という話だった。

40過ぎて付け焼刃ではない、無理なく恒久的に続けられるダイエットを探していた私、結局当たり前の生活習慣が一番なのだな、と納得した。

 

この本、分かりやすいし読みやすいけど発行から年数が経ちすぎているのであまり推奨しません。個人的にはいい本だった。

痩せりゃいい、ってもんじゃない!―脂肪の科学 (文春新書)

痩せりゃいい、ってもんじゃない!―脂肪の科学 (文春新書)

 

 

睡眠と女性ホルモン

 

『脂肪の科学』の中で何より大切だ、と言われていたのが睡眠時間である。
どんなに健康的な生活を送っても、睡眠時間が足りなければアディポネクチンは分泌されないそうなのだ。

 

40代前半、だんだん更年期が訪れる頃合いの私、今一番気になるのはやっぱり女性ホルモンの分泌である。

納豆を毎日1パック食べたらいいのか、豆乳も飲んだ方がいいのか。
女性向けのサプリもたくさんあるし、それなりに努力はしているつもりであった。

ところが忙しかった今年の夏、自分の時間が取れなくてついつい睡眠時間を犠牲にしてしまった。 そのツケは翌月、目に見える形で帰ってきた。

月に2回来る生理、大量出血…!

貧血でクラクラしながら婦人科へ行くと、女性ホルモンをぐっさり注射された。
もうそんな時期が来てしまったのか、納豆も豆乳も取っていたのに、養命酒?命の母は効きますか?と錯乱しながら医者に尋ねると「まずは1日8時間寝なさい!」と怒られた。

先生曰く、どんなにいい食事やビタミン剤を取っても、睡眠時間が足らなければ結局意味がない、というのである。

理想は一日7時間。体調不良や改善したい症状がある時には+1時間で8時間睡眠を取ったほうがいい。それでも改善しなかったら長期的なホルモン療法を考えていきましょう、という話だった。

就寝時間が24時を過ぎがちだった私(起床は6時)、なんとか23時までには寝るようにして一日7時間、早く寝られるときは8時間目指して1ヶ月頑張ってみた。

再度病院で測ってもらった女性ホルモンの数値は正常!
すげえよ睡眠…。

高いお金を出して色んな薬を飲むよりも、まずは規則正しく寝ることが大切なのかも知れない。そういえば99まで元気だった私の祖父は、水戸黄門(16時)を観ながら晩御飯を食べ、20時には寝る、という生活だった。

今の私には到底真似できない生活習慣だけれど、早寝早起きが祖父の健康、それから長寿の秘訣だったのだろう。

 

脂肪細胞と新しい学説

 

最後に、本の中で気になったのは人間の脂肪細胞の数は3歳の時に決められる、という一節。

脂肪細胞が多い人は太りやすいし、少ない人は太りにくい。
だから小さい頃太っていた人はより注意をしなくてはいけない、という話だった。

子どもの時の体型が将来を決める、というのは昔から言われているし、幼児期の肥満が将来に響く、と母子手帳にも書かれていた気がする。
確かに小学校の時の友達を思い出すと子ども時代太っていた人は大人になっても変わらない人が多い。

しかし最近その話に相対する学説が出てきた。

DOHaD(ドーハッド)仮説。
Developmental Origins of Health and Disease、直訳すると「健康と疾病の胎内発育起因説」。胎児期の発育が悪く、低体重で出生した者は成人後に生活習慣病を発症しやすくなる、という学説である。 

DOHaDとは | 昭和大学DOHaD班

この学説は未だ仮説であるようだが、一つ腑に落ちない点がある。

低体重出生、つまり未熟児の子どもは小学生くらいまで小柄で低体重な子が多い。
幼少期の脂肪細胞数うんぬんはどうした?と疑問に思ってしまうのだ。

しかしここでアディポネクチンの話を思い出すと、痩せすぎも太りすぎも悪い、というのはこういうことなのか?と納得できる気がした。

 

しかしデブもダメ、ガリもダメとは厳しすぎやしませんか、脂肪細胞さんよ…と愚痴りたくもなるのだが、医者曰く、思い悩む暇があったら寝ろ、なのである。

賢明なる読者諸君、このブログを読んだら早く寝るべし!
ネットサーフィンすんな!ブクマは許す!(何様?)

 

ねないこだれだ (いやだいやだの絵本)

ねないこだれだ (いやだいやだの絵本)

 

 

DOHaD その基礎と臨床―生活習慣病の根源を探る:胎生期から乳児期までの環境と成人期の健康問題

DOHaD その基礎と臨床―生活習慣病の根源を探る:胎生期から乳児期までの環境と成人期の健康問題

 

 

今頃見終わったメイドインアビスがとってもナナチだった件

メイドインアビス全話、ようやく見終わりました!

いや、実は初回はほぼリアルタイムで見てたんですけどね。
かわいらしいキャラクターに綺麗な映像、王道の探検物語、好感の持てる人物たち。

すごくいい話だと思うんですけど、正統派の児童ファンタジーを読んでるみたいでなんかハマりきれないというか…それで、5話あたりで視聴をストップしちゃってたんです。

 ところが、メイドインアビスの感想を聞くとみんなこの物語は10話から!ナナチ最高!と熱く語るもんで誰やねん?と気になりまして…

そしてつい先ほど、Amazonプライムにて全話完走!

ラストはナナチでしたね。とってもナナチなエンディングでしたね。涙が止まらねぇぜ、鼻水でてきた…うわー良かったー!続き見たーーい!!

さてこうしてナナチナナチ言ってても未視聴の方には何がなにやらですね。

今日は簡単にアニメ「メイドインアビス」の魅力、そしてナナチさんの魅力について語ってきたいと思います。

 

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「メイドインアビス」あらすじ・感想

 

人類最後の秘境と呼ばれる、底知れぬ巨大な縦穴『アビス』。
その大穴近くの町には、アビスの発掘を担う「探窟家」たちが暮らしていた。
彼らは命を賭けて遺物を求め、今日も奈落に挑み続けている。

主人公はそんな大穴の淵に住む探窟家見習いの少女、リコ。
偉大な探窟家の母を持つ彼女は、10年ぶりに発見された母の笛と手紙をきっかけに、アビスの底を目指し旅に出る。

相棒はアビスの中で機能停止していたロボットの少年、レグ。
記憶を失っているが、どうやらリコの母と関係があるらしい。

しかしアビスとは、未知の生物が棲み特殊な力場が存在している場所。
降りるのは容易いが、浮上するためには「アビスの呪い」と呼ばれる上昇負荷が掛かる。六層を超えれば生きては戻れないと言われる大穴。誰も知らないその深層に、彼女は無事たどり着けるのだろうか…?

 

物語はこんな感じ。

冒頭はリコと不思議なロボットレグ(大事な部分は生身)との出会い、三話は二人の旅立ちが描かれます。四話、五話はアビスの中の説明やら探検やら。

ここまではちょっとハウス劇場っぽい匂いがします。

第七話、かなりひねくれた性格の不動卿(リコの母の師匠)の登場、リコの出生の秘密あたりから物語が面白くなってくるのですが(女装男子マルルクくんめっちゃかわいい)それでもまだまだ、二人の探検は希望に溢れています。

 

そして子どもに見せたい探検アニメが変貌を遂げる第十話ぁ!

ついに深界4層にたどり着いた二人。ここまで来ると10m上昇するだけで全身に激痛が走り穴と言う穴から血の涙を流すという恐ろしい深度。

ところがリコは獣の毒に冒され、上層への非難を余儀なくされる。
腕は腫れあがり、血は止まらず、ついには呼吸まで止まってしまう。

主人公が凄まじい悲鳴を上げ、血を流し、毒の回った腕を助けるために骨を折りナイフで切り落とそうとする…

ハウス劇場ががががが!でもレグの絶望がもの凄くてこっちまで泣きそうになってくる迫真回。

そして十一話から最終回十三話まで、主人公はほとんど昏睡状態。
物語の主役はナナチに。

ウサ耳、もっふもふのナナチさんはアビスの呪いをその身に受けた「成れ果て」でありながら人の心を失っていない希少な存在。

極北の孤児だった彼女がアビスにいる理由、それから彼女の宝物『ミーティ』との出会いと別れの物語がホントにヤバいです。目が腫れるかと思った。
週末に見てホントに良かった、コレ仕事に行けない顔になるやつや…。

 

正直前半の王道探検物語はそこまでハマれないかな?と思ってたのですが、終盤のレグの絶望、それからナナチとミーティの物語がホントに良かったです!メイドインアビス高評価の理由が分かった。コレ、二期から更に面白くなる奴ですよね。続き...続きを…

 

メイドインアビスが素晴らしいのは終盤怒涛のストーリー展開だけじゃなく、ナナチという最高のキャラクターに寄るところが大きいです。

けものフレンズで我々が開眼してしまった、ケモナーという基本属性に『モフモフ』という最強オプションをつけてしまったナナチ。

しかも赤面で「さわるなよ」とか...その上めっちゃ触ってほしそうだし...あああなんなんっすか、このセクハラ殺しのモフモフっ子は!撫でまわしてぇ!

なんつーか性癖的な意味でも最強でしたね。もう深界から浮上できない。アビスの呪いとはこのことだったのか…!

とにかく今や私の頭からはナナチさんの、あの照れくさそうで嬉しそうな「さわるなよー」が頭が離れないのです。

 

さてさて、今日はそんな感じです。
Amazonプライムだと全話無料で見られるんで、良かったら週末に是非!

  

メイドインアビス DVD BOX 下巻

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今週のお題「私の癒やし」

限りなく現実に近いディストピア-中村文則『R帝国』感想

中村文則さんの「R帝国」を読み終えた。

近未来の架空の島国・R帝国を舞台にしたディストピア小説である。
あまりにも暗く、救いのないストーリー。でも現実に限りなく近いところが面白く、色々考えずにはいられなくなる一冊だった。

 

R帝国

 

物語は「朝、目が覚めると戦争が始まっていた」 ところから描かれる。
戦争のニュースが流れる中、主人公矢崎の小さな悩みは朝ご飯を目玉焼きライスパックにするか、ベーコンブレッドパックにするか、だ。

R帝国の人々はHP(ヒューマンフォン)と呼ばれる人工知能を持つ携帯電話を肌身離さず持っている。それぞれ異なる個性を持つ持ち主のためだけの『オトモダチ』。

戦争や、思わぬ地震。
なにかが起きるたびに、皆HPに釘付けになる。
目の前で起きていることではなく、HPが調べてくれる画面の向うの現実に夢中になっている、そんな近未来。

ただの地震だと思われた揺れが、他国の無人戦闘機と大型兵器による侵略だと気づいた時に、矢崎の当たり前の朝は変貌を遂げるのだった...

 

物語の冒頭はこんな感じ。

R国は国家主義でありながら自国民の人質を助けない、自己責任の言葉で切り捨ててしまう、そんな国。

物語の冒頭に登場する、移民女性アルファの言葉が胸に刺さります。

 

「覚えておけ、と言いたいんだ。お前達の、その国の性質そのものを。それはつまり、いざという時お前達の国は個人を見捨てる傾向がある、ということだ。国のやることに従えば守られる。そう思っているのだろう。しかし個人を見捨てるという選択肢を取る国は、そもそも根本にそういう性質を有している、ということだ」

 

ディストピア小説でありながら、限りなく現実に近く、胸が苦しくなる『R帝国』。
ノンフィクションが、フィクションを駆逐していくような物語です。

ラストの言葉が心に突き刺さります。

 

「人々が欲しいのは、真実ではなく半径5mの幸福なのだ」

 

物語は暗く、光の見えないままに終わりを迎える。
でも本を閉じても、私達の暮らしは続いている。

私ははっと辺りを見回し、受け取ったメッセージを確かめる。
本当の結末は、きっと私たちの生きる先にあるのだろう。

 

R帝国

R帝国

 

 

追憶の上の王様

昔昔その昔、指輪をお断りしたことがある。

場所はスキー場のリフトの上だった。
行き場を無くした指輪は送り主の手によって崖下へ投げ捨てられ、白い雪が積もって見えなくなってしまった。

思いがけない出来事の記憶というのは忘れられないもので、風が冷たくなるとあの指輪のことを思い出したりする。

 

あれはまだ十代の、免許取りたての頃。
当時ブームだったスノーボードにハマっていたのだけれど、まだ車の運転に自信がなく、高校時代の友人に同乗させてもらうことが多かった。

そうやって乗せてもらううちに、自然と男女混合のスノボグループみたいなものが出来上がってくる。指輪をくれた彼はそのメンバーの中の一人だった。

しかし何度も同じ車に乗り、何度も一緒に滑ったのに、実は彼とはほとんど話した記憶がない。 席が離れていることが多かったし、こちらから声をかけても返ってくる返事はハイかイイエくらい。 無口なのか、あるいは私のことが苦手なのかも知れない、と思って少し距離を取っていた人だった。

ところが突然、女友達と乗るはずだった2人乗りのリフトに割り込まれ、戸惑っていると山の中腹でいきなり指輪を差し出され「付き合ってください」と言われた。

名前や素性は知っているものの、ほとんど口を聞いたことのない人間からの交際申し込み、しかも高そうな物品つき。

彼のことは好きでも嫌いでもなかったけれど、あまりにもハードルが高すぎる。
当然断ったら気まずい沈黙が数分続き、リフトを降りる間際彼はケースに入った指輪を崖下の木立に勢いよく投げ捨て、そのまま滑り去って行った。

それから、彼とは二度と顔をあわせなかった。どうやらその日は一人バスで帰ったらしい。後日人づてで、「断るくらいなら気のある態度を見せないで欲しかった」という言葉を聞いた。

当時は話もしないで気があるもクソもあるかい、バカちんがぁ!と思っていたけれど、今は少し分かる。

 

高校時代の私もそうだったけれど、異性に免疫のない人は段階をすっ飛ばしてしまいがちな所がある。

相手に、私はあなたに好感を抱いていますよ/もっと好きになってもいいですか?的サインを送らないまま、自分の中で想いを募らせて、それが満タンになった時点でいきなりガッ!と告白してしまうのだ。

徐々に段階を踏んでいけば答えは違ったかも知れない。千里の道も友達から、である。

 

追憶の上の王様

 

セトクラフト 不思議の国のアリス アクセサリーボックス(ハンプティ) SR-0640

 

話は現代に戻る。

今の私はあの銀の指輪を思い出して、それが時の経過の中で『私の指輪』になっていることに恐れ慄いている。 あの時の私の指輪、何処に行ったでせうね、的な。

投げ捨てた彼にとっては「俺の指輪を捨てた記憶」だろうに。
受け取らなかったものを自分のものにしている己の記憶の貪欲さにちょっと引く。いや、かなり引く。

気がつけば、かつて貰ったものや小さな賛美や、そうした些細なものたちを足の下に敷いて、自分の自信にすり替えている私がいる。

雪の下の指輪、貰った花束やバック、細やかな誉め言葉。
それらが私のほんの少しの上げ底、心のシークレットインソールになっている気がする。なんて高慢ちきで厭らしい、私の自信。

まるで追憶の上に乗っかった、哀れな道化の王様だ。

 

若かりし頃を思い出す。

あの頃は『かつての栄光』を振りかざして誇らしげな大人が嫌いだった。
なぜ失ったものの追憶だけでそんなに自信満々に、偉そうにしていられるのだろうと疑問だった。

あの頃の大人に、私はなっているのかも知れない。

 

でも今の私はしょうがないじゃないだって人間だもの、なんて思ったりする。 
記憶力も体力も、美しさだって若者には敵わない。
でも彼らを妬んだり憎んだりせずに、愛おしく見守るためには『私もかつてはそうだった』という記憶が大切だと思うから。

あの頃を通り過ぎてきた自分が幸せなら、過去に嫉妬を焼かずに済む気がする。
だから幸せを引っ張り出して来て、足の下に敷こうとするのだ。
もちろん恋愛絡みだけじゃなく、仕事や成績の評価だって良い。

かつての私で、今の私は出来ている。
『かつて』があるから、その頃にいる彼らを愛おしく思えたりする。

私の『好き』は『知ること』と繋がっている気がする。
だから通り過ぎてきた時を生きる人たちを愛おしく思えるのだろう。

お断りした彼だって、私が少しは知る努力をしていれば何かが違ったのかも知れない。

 

年をとるのは嫉妬に塗れることだと、昔の私は思っていた。
その頃の私の周りには、そんな大人しかいなかったから。

今の私は、今の自分を好きでいれば、世界を知る努力を辞めなければ、きっともっと好きなものが増える、と信じている。

身体はどんどん年を取る、不自由になっていく。
でもたとえ追憶でも、小さな幸せを積み重ねて、世界の全てをNGなしに愛せるようになっていたら。

腰が痛くても、歩くのが遅くても。それはきっと幸せなことだと思うのだ。
いつか私は、かつて嘲笑った追憶の上の王様になりたい。

全てを失っても、全てを愛して、ただ小さく笑っていたい。