おのにち

おのにちはいつかみたにっち

遠い教育

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週末は息子の部屋で使うカラーボックスと本棚を組み立てた。

どちらもドライバーひとつで出来る簡単な作りなので、中三の子ども一人でも出来るかな、と想定していた。

実際には縦長の本棚の組み立て手順やパーツが予想より多く、大変そうだったので一緒に作業した。

こんな風に部品が多いものはまず説明書通り、種類ごとに揃えてから始めれば間違わないのだ、と教えながらの作業。

ドライバーの扱いもままならない様子だったが、よく考えたら学校の授業では小さな木の踏み台を一つ作ったきりなのだ。

技術や家庭の授業時数、中三の時は一年で三五時間しかないらしい。

 

 

 

コロナの影響で、ただでさえ少ない授業数はさらに減らされた。

学校で習ったことを聞いたら、木材を測って切るなど時数が少ない割にはやたらと本格的だったので、Amazonから購入した日本語の怪しい家具を組み立てるとかでも良いのにな、なんて一瞬考えてしまった。

 

しかし、すぐに思い直す。

学校で「今役に立つこと」を教えても、それは長い人生の中ではすぐに使えなくなってしまうのかも知れない。

注文の翌日にはすぐになんでもお家に届くような便利な暮らしは、明日崩壊するとも限らないのだ。

もしかしたら、また木材を切るところから家具を作る暮らしが復活するかも知れないし、あるいは趣味の木工作にハマるかも知れない。

だから学校では現在の実用性より、より応用の利く基本を教えているのかなぁ、なんて勝手に想像してしまった。

 

そういえば日本電産会長が、即戦力となる学生を育成してくれと言い出して炎上した話もありましたっけ。

ついつい目先のことだけに囚われがちな私たち。

『今』だけではなく、十年後、五十年後の変化に対応できるように、基本や世の中の構造を学んでいくことが大事、それが学問なのかも知れません。

正直私の場合は授業より学生の時に読みまくった図書室の本の方が役に立ってる気もするのですが…それもまた、学生時代にしか得られない学びってことで。

 

それでいいのだ!(教育の成果が感じられない、とてもなげやりな〆