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おのにち

おのにちはいつかみたにっち

閉じた世界を切り拓く?気持ちの簡単リセット方法

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最近子どもたちがスポーツに勉強に、いろいろ頑張っている。
子どもが頑張っているのだから、親も頑張らなくてはいけない。

週末は大会の応援、練習の送り迎え。
平日は地区委員会、別の夜は学童の委員会。そのまた別の夜はPTA委員会。
子どもの応援は楽しいからいいのだが、子ども関係の委員会は重なりすぎて少し辛い。

しかもなぜか、役職は全部会計である。
なぜみんな会計なのか。私は会計ヅラなのか。いろいろ悩ましい。

 

こんなふうに忙しい日々を送っていると、精神面がヤバい感じになってくる。
まず、外部や他者に興味が持てなくなる。

髪切った?とかそのジャケット素敵だね、とか今まで当たり前に気がついていたことを見逃してしまう。
花が咲いたり、風が心地良いことにも気がつけない。
街で顔見知りを見かけても、回れ右してしまう。

挨拶したり、話しかけたりするエネルギーが足りないのである。
周囲の変化に気がつけないのも、同じくエネルギー不足が原因だと思う。

「自分」が大変すぎて、視野が自分と家族、と言う極めて狭い範囲だけになってしまう。私はこんな心境を「心の被膜が厚くなる」状態、略して『被膜モード』と呼んでいる。

 

 

心の被膜が厚くなる?

 

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心の被膜が厚くなる、とはどんな状態なのか。

忙しい日々が続くと文字通り自分の心を亡くしてしまう感じがする。
母として役員として会社員として、様々な役割に『私』が押しつぶされてしまう。

そうすると私個人の好奇心とか、世界を面白がる気持ちがどこかに消えてしまうのである。そしてこれ以上「やること」を背負い込まないために、自分の周囲にバリケード=被膜を張って身を守る。

こうなると自分と、自分の身の回りの狭い範囲の事しか見えなくなる。
世界も他者も、ちゃんと存在しているのに厚い被膜の向こうだからよく見えない、興味が湧かない。他人の不興にも気がつけなくなってしまい、結果「いつも忙しそうな冷たい人」と周りから敬遠されてしまう。

こんなふうに緊急避難せざるを得ない時もあるのかもしれない。
こうしてシャットダウンしてしまえば、確かに余計な仕事は降ってこない。

でもやっぱり、私は私を捨てるのが嫌だ。
野に咲く花に気づくこと、冷やし中華始めました、の張り紙をまっさきに見つけること。そういうどうでもいい、ささいなことの集合体で私は出来ている。

普通の日々から楽しいこと、素敵なことを抽出するのが私の楽しみなのだ。
忙しさに追われて楽しいことを見逃してしまったり、人に冷たく当たってしまったり。

そんな自分に気がつくと私は『被膜ヤバい!』と一旦被膜モードのリセットスイッチを押すことにしている。

 

『私』に戻るリセット方法

 

被膜、というのはあくまでも私の感覚上の話なのだけれど、役職や役割に追い立てられて本当の自分を忘れそうになる、と言う経験なら誰しも心当たりがあるのではないだろうか。
そんな時一旦気持ちをリセットして、素の自分に戻れるスイッチを持っておくと、人生楽だと思う。

私のリセットスイッチはとても簡単で、少しの時間でもいいから一人になること。

図書館とか書店とか、一人で出かけるのが一番効果があるけれど、子どもが小さい時なんかは旦那に子どもを散歩に連れていってもらうだけでも効果があった。
ほんのひとときでも一人になると気持ちがリセットされて、世界への好奇心が戻ってくる気がする。

この気持ちリセットが上手くできなくて、一番辛かったのは子どもが乳児だった頃。
美容院とか、買い物とか、週に一度、一時間でも安心して子どもから目が離せる時間があると本当に気持ちが楽になるから、お母さんにこそ一人時間が必要だ!と強く思う。

 

仕事でいろいろ行き詰まったとき、家族が待つ家にまっすぐ帰るより、ほんの少し寄り道したほうがリフレッシュするできる気がしませんか?
当てはまる人はお一人様タイムで、自分の気持ちを入れ替えているんだと思います。

一心不乱になっているときは雑談とかコーヒータイムとか、そういう些細なものを無駄無駄無駄!と排除してしまう。遮断被膜かぶりっぱなし、周りが見えてない。

でもちょっと一人になって、世界への好奇心を取り戻すと「休もうか?」とか「大丈夫?」なんて周りを気遣う言葉が自然と出てくる。

結局皮膜モードより世界を見るモードの方が、空気が柔らかくなって物事もうまく進む気がする。

 

心に被膜を作ってしまうと、周りの変化に気がつけなくなる。
そうすると他人が気にならない、合わせようとしなくなる。

それって一見強さに見えなくもないけど、人から何を言われてもまるで気にしない「ムテキング」はやっぱりヤバい。
インドの山奥で一人暮らしなら独立独歩でもいいけれど、集団の中でその恩恵に預かっているのなら、小さな気遣いは必要だと思う。

 

今日の私、皮膜モードに陥ってないかな?ムテキングになってないかな?
そんなふうに思い悩む日は、ほんのちょっと寄り道して、自分を取り戻してから帰ります。
コンビニ一つで気分は変わるから、我ながら安上がり。
暗い夜道に、コンビニの明かりが灯ってる。
見よ、あれが巴里の灯だ…的な?