友達が茶色のポニーテールを揺らし煙草をふかしていた頃の話を聞いた。
羨ましいと素直に思った。
私は若い頃から今まで、ヒョウ柄ミニスカピンヒール、派手な化粧や茶髪とは無縁な所で生きてきた。
いいおうちの生まれだとか、育ちがいいとかそういう話ではない。
私の母は娘の小学校の入学式に真っ赤なボディコンスーツで登場するような人だった。
ザ・派手。
髪は茶髪のワンレンロング、煙草は今でも手放せない。
(最近も娘の職場付近を赤白水玉ワンピで歩き回る。あだ名はミニー。)
( 過去記事参照)
目立つことが何より大事。他の人と被る服は着ない。ユニクロなんてもってのほか。
そんな派手好みの母を持った娘は若い頃から『中庸』を目指すようになった。
目立つのは駄目。地味過ぎても浮くから駄目。露出は少なめ。
ベーシックがメイン、そこに取り入れやすい流行を足す程度。とにかく普通平凡。
評価としては『真面目な人』。
ずっとそんな風に生きてきた。
今日は少し変わった母と娘の話。
母の抱えた問題
私の母はちょっと躁うつの激しい人だった。
更年期とともにうつ症状が重くなり、精神科に一時入院。
その時にお医者様から言われたのが「軽度の発達障害がある」という言葉。
ものすごく附に落ちた。今まで疑問だったことが全てしっくりと納まった。
私の母は昔から特異なところのある人だった。
好意的に言えばハイセンスなファッショニスタ。見たままを言えば奇抜な服装で徘徊する人。
家事育児があまり得意じゃなかった。
物の管理が苦手でいつも探し物をしていた。
空気を読まず思ったままを言ってしまう所があり、集団に馴染めず会社勤めは出来なかった。
大好きなことはおしゃれ。
世界で一番お姫様。
娘と本気になって張り合うような、大人げない人だった。
母は自惚れるだけあって綺麗な人だった。
まっすぐなストレートヘア、吊り上がったキツネ目、背が高く食べても太らないモデル体型。
私は丸っこく地味な父に似て、背が低くぽっちゃり、軽いくせっ毛にタヌキ顔。
母は思ったことを思ったままに言う人だったので容姿は子供の頃からこてんぱんに貶された。
娘に本気で張り合う人なので私が他人に『かわいい』などと少しでも褒められるととにかくけちょんけちょんだった。
子供心にも母は美人だったので、母に似ていない私は可愛くないのだろう、褒め言葉は全て偽りで母の言うことが真実なのだ、と子供の時は信じていた。
母が着るような少しセクシーで綺麗な服を私が着ると(不条理な事に母が選んだ服だとしても)こてんぱんに貶されるので私はなるべく地味で落ち着いた服を選ぶようになった。
母が買うとどうしても派手になるので小学校の高学年ぐらいからは自分で服を選んだ。
紺やグレー、地味で落ち着いたもの。
時折は友達に合わせて流行りの服も買った。
小学校の卒業式の服も自分で選んだ。
白いブラウス、紺のジャケット、ブラックウォッチのプリーツスカート。
ブラックウオッチは今でも好きな柄だ。
成人式の振袖はとにかく派手で奇抜な振袖ばかりある店に連れていかれた。
レンタルでは無く、記念に買おうと言われたけれど多分一回しか着ない着物にこんな大枚をはたくのは無駄だと思った。
結局地味でしっかりした仕立てのグレーのスーツを買ってもらった。
成人式で買ってもらったスーツは、それから10年も、布地がくたびれるまで活躍してくれた。
写真館で家族写真を撮るとき、地味な私に同情したのか店主が無料で振袖をお貸ししますと言った。
私は断ったが、勿体ないと言って母が着た。
グレーのスーツの娘と父、振袖の母。
意味の分からない家族写真。
結婚式も、親や親族のために一応挙げたがドレスは町で貸し出している安くシンプルなウエディングドレス一着で済ませた。
田舎の結婚式なので母には家紋入りの着物で我慢してくれと懇願した。
母はなんとか着てくれたものの、そのままではつまらないと袖に竜の刺繍とスパンコールを入れた(着物と同じぐらいの値段がしたらしい)。
「友達なんかいらない」が母の口癖。人間関係に悩むといつもそう言われた。
友達なんて要らない、どうせつるんで陰口を言うだけ。
自分の好きなことして堂々としてたらいいの。
子供の頃の私の眼には母が無酸素単独登山家のように強く逞しく見えた。
反面、幼心にも分かっていた。私は母のようには一生なれない。
大人になって気が付いたのは母が語る「友達不要論」は自分自身に言い聞かせていた言葉だったんだろう、ということ。
真っ赤なスーツで入学式に登場し、派手な美人で物言いもキツイ。
きっと陰口も言われたんだろう。
年金を貰う年になった母は、ボディコン→ピンクハウス系→古着→エスニックと洋服の趣味が変わり、今はエスニック・ババアになった。
辛辣な口調もいじわる婆さんとして聞き流してもらえるようになったらしく、趣味のバウンドテニスサークルでは楽しくやっているらしい。
あの頃の私今の私
結局私は小悪魔アゲハのような服装とは無縁のまま40代を迎えてしまった。
大人になって母の抱えていた問題に気が付き、呪縛も解けた。
年齢的な問題はあるけれど、若作りがだいぶ容認されてきた昨今、明日から小悪魔アゲハデビューも夢ではない。
でも私は多分、いや絶対着ないと思う。
大人になって気が付いた。
母の服から距離を置いて選んだつもりのグレーや紺色の地味な服。
あれは結局私が一番好きな服だったのだ。
あの頃母に誉めてもらえなかった埋め合わせをするかのように、今は子供達や夫が私の事をべた褒めしてくれる。
かわいい。きれい。これ似合うよ。
入学式や七五三の時貰えなかった褒め言葉が今降ってきたみたいで泣きそうになる。
いい大人なのにおかしい。
ふと成人式や結婚式のアルバムを開きたくなった。
成人式の写真を見ていたら派手な振袖で主役の様に映る母を見て五歳の息子が「これママ?」と聞いた。
違うよこれは小林幸子。
成人式の写真も、結婚式の写真も。
母は孔雀のように袖を広げ満足気に微笑んでいる。