仕事を終えて家に帰ってきたら、今朝キレイに掃いたはずの玄関がグラウンドのように土埃にまみれていて、靴がたくさん転がっていて、一瞬うああああとなりました。
いや、みんな元気でいいんだけどね⁉なぜこんなに黒くなる…自宅でマーキングすんな…とぼやきつつ片付けていました。
一番信じられなかったのが旦那の靴。
ランニング用のスニーカーと仕事の革靴、せめて一足くらいは靴箱に片付けようという気持ちはあったんでしょうね。
結果、革靴のかたっぽうとスニーカーのかたっぽうが転がっていました。
革靴とスニーカーの斬新なセットアップ。
絶対流行らねぇ、と思いながら綺麗に揃えて地味に嫌がらせ。
明日の朝おののくといい…ぐふふふふ。
昔、ものすごく玄関が綺麗なお宅に、月一でお邪魔していたことがあります。
本当に何もなくて、チリ一つ無く掃き清められていて、土足のまま入るのをためらってしまうほど綺麗な玄関。いつ誰が来ても恥ずかしくない、完璧な空間。
当時独身だった私は、いつか自分の家を持ったらせめて玄関だけでもこんな風に…と憧れたのですが、現実は棚からはみ出すサッカーボールやらバトミントンやらドッチボールやら。理想はどこかに追いやられ、です。
結局私は雑多な現実でしか生きられなかった。
あの人はずっと理想を追い求めているように見えました。
今日は私が昔出会った、幸せなフィクションを語り続ける人の話です。
二十代の頃、花屋に勤めていました。
基本は店舗販売なのですが、ホテルや飲食店など、配達の仕事もちょこちょこあり、良い気分転換になるので私は好きでした。
数は少ないけれど個人宅への配達も数件あり、注文主は大概裕福なお家の老婦人でした。
蔵屋敷の老婦人と出会ったのもその頃です。
個人宅への配達はお茶を飲んでいけ、と引き留められることが多く、店からも引き留められたらお邪魔して茶の一杯くらいは飲んでくるように、と通達されていました。
結局花よりもそうした繋がりのために注文する方が多かったのでしょう。
個人宅への配達の日は時間の余裕もあり、私もゆったりした気持ちで、自分よりはるかに年上のおばあちゃん達との会話を楽しんでいました。
金銭的に恵まれているからなのか、自慢話が多いけれどどこか子どものような、邪気のない人達ばかりでした。話の内容も嫁がどうしたとか、孫の言葉遣いが、なんて割とどうでもいい話ばかり。
けれどこうして私も大変なのだとアッピールすることが、現実の忙しなさから取り残されてしまっている彼女達にとっては大切な繋がりなのだろうなぁ、と現実に追いまくられていた当時の私は思いました。
あの頃はいつか来る定年に、何もしなくていい時間の訪れに憧れていたけれど、今そんな風に思えないのはあの頃の老婦人たちに有り余る暇は罪悪感を伴うのだ、と教えられたからかも知れません。
ただ、蔵屋敷の老婦人との会話はほんの少し違っていました。
彼女はかつて中学校の教師をしていて今も独身。
所得が多かったので生活に困ることはなく、親が遺した昔の土蔵をリフォームしてそこで暮らしていました。
私は20代、当時の彼女は70代くらいだったと思います。
いつも背筋がしゃんとしていて、教師らしくよく通る、聞きやすい声をしていました。
綺麗な顔立ちで豊かな白髪も素敵なのだけれど、どこか近寄りがたい『学校で一番怖い女教師』みたいな面影が消えない人でした。きっと実際にそうだったのでしょう。
彼女のお宅は玄関から綺麗で、室内もいつも整えられていて、毎回面接を受けているような奇妙な緊張感があったことを覚えています。
少しでも粗相があったら叱られてしまいそうな、厳格な雰囲気の人。
話すことは新聞やニュースで見かけた、社会の曲がった部分ばかり。
いつも何かにまっすぐな怒りを抱えていて、良いニュースの話は出てきません。
それでも時折、昔の生徒が送ってくれたというお菓子や年賀状を取り出してきて昔語りをする時だけは別でした。
自分がかつてどんな風に生徒を指導していたか、そしてどれだけ生徒から慕われたか、自分が育てた彼らが今は立派な社会人になってこんな役職についているのだ…と語るときだけは幸せそうな笑顔でした。
だから私は信じていました、少し偏屈で堅苦しい彼女が昔は良い教師だったことを。
けれどもこんなに怖い雰囲気の人がそんなに慕われるだろうか、とほんの少し疑っていたことも確かです。だから花屋の店長が語る、その先生の本当の姿をすんなりと受け入れてしまいました。
教師をしていた頃の彼女は贔屓が激しく、従順で自分の言う事を聞く子どもだけに良い点数を付け、反抗的な態度の子どもはどれだけ成績が良くとも推薦が得られなかったこと。虐めをした生徒を皆の前で問いただし、不登校まで追い込んだこと。それが元となり、ほぼ強制解任に近い自己退職に追い込まれたこと…。
教師って、本当にめんどくさい職業だと思います。
普通に考えたら、たとえ教職課程を取ったって大学を出たばかりの若者が即人を導く立場の人間にはなれないですよね。
でも世の中には本当に慈愛に満ちて、高い理想を抱いて、自分の全てを投げ打つような勢いで子どもたちを救ってくれる神様のような先生がいる。
今年定年を迎えた息子の学校の校長先生がそんな人で、本当にみんなから愛されて、慕われて卒業の日を迎えました。
でもそんな『神様』が教師の理想だなんて、目指すべき目標だなんて言われたらどうしたらいいのでしょう?
営業成績や、販売実績なんて目に見えるモノならば頑張れば多少はどうにかなる。
でも理想の教師に求められているのはその時々の社会に即した一般的な正しさ、そして慕われる人柄なのです。
明るく優しい、信頼に値する人物はどんどん愛されて出世していき、偏屈で変わった人物はどんどん社会から疎まれていく。
それは学校に限った話ではありません。
でも生徒や、生徒の親という『素直すぎる顧客』がいる世界では先生の人気が目に見えて分かってしまう。それはとても残酷な世界だと思うのです…。
店長から話を聞いた後も、私は変わらず彼女の元でお茶を飲み続けていました。
私が高校の時に出会った美術の先生と彼女の姿が重なって、前よりも少し近寄りやすくなった気がしました。
私の高校の美術の先生は、偏屈で変わり者で、正直に言えば学校の嫌われ者でした。
でもそんな評価を気にする様子は表に見せず、何を言われてもそんなに怒らずただ飄々と生きていました。
何より、私たち美術部の面倒は顧問としてちゃんと見てくれたのです。
体が弱くてよく入院する人でしたが、長期休みのたびにやかましい女子高生を連れて様々な展覧会に連れて行ってくれて、絵を見る楽しさを教えてくれました。帰りはいつも疲れ果てて胃を抱えていましたがそんな姿も先生なりに誠実でした。
何より人と同じでなくては生きていけないのではないか、と怯む10代の私たちに、おっさんだろうが胃が弱かろうが、どれだけ疎まれたって人間なんとか生きていけるもんですよ、と言葉にして教えてくれました。
老婦人にも年賀状やお菓子を送ってくれるような、彼女の厳しさや佇まいに自分を重ねて救われた人が、ちゃんといるのだと思います。
彼女の語る物語はフィクションだと、店長は言いました。
でも全てが嘘ではなくて、きっと自分が大切に抱え込んだ真実の芽がいつの間にか豊かな森になってしまったような、虚飾の物語なのですよね。
誰を傷つける訳でもない、細やかなフィクション。
私もこんな風に誰かの話を書くときは個人が特定されないように時列系や場所を変えたり、他の人の話を混ぜたりして作り物のお話にしてしまいます。
でも全部が嘘じゃないんです。
設定や、複数人が混ざり合ったりしているけれど、これは私が体験した物語。
老婦人の話も悲しい作り話じゃなくて、大切に抱えたエピソードが豊かに花開いたものだと信じたいです。
本当は私の美術の先生みたいに、世界に嫌われても上等、ぐらいのことが言えたら生きるのが楽になると思うのですが…
誰だって誰かに褒められたいし、認められたいのですよね。正しさが求められる教師と言う職業ならなおさら。
老婦人は自分が信じる世界を構築して、花を飾って生きていました。
今屋敷には人影がなく、ただ裏庭のバラだけが初夏が来るたび咲き誇っています。