おのにち

おのにちはいつかみたにっち

こどもの地図

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5歳~小6まで北海道で過ごした。

今でも父方の祖母や私の弟、親族がたくさん暮らしている場所だ。
同じ東北とはいえ海を挟んだ距離があり、気がつけば疎遠になってしまっていた。

独身の時や新婚時代は顔を見せに行っていたのだが、子どもが小学生になってからは忙しさを言い訳にさっぱりだ。

 先日の地震を受け久々に連絡を取ってみると全員無事で、今だ健在の祖母から死ぬ前にひ孫の顔を見せに来ないと祟るぞ、と脅されてしまった。やぶへびである。

おばあちゃん私が結婚した時も子どもを産んだ時も、もうじき成仏するんだから会いに来ないと祟るぞ、って言ってたよね…

 

元気なのは何よりだが、成仏詐欺もそろそろノンフィクションになりかねないお年頃だ。雪が降る前に行けたらいいのだが。

 

今度ひいおばあちゃんちに遊びに行きたいねー、なんて話をしていたら最近授業で自分の町の地図作りをした息子に、その町の地図を書いてよ、とねだられた。

小学生の頃、暮らしていた町である。
だいぶおぼろげながら小学校と自宅、駅の位置関係くらいは覚えているだろう…と取り掛かったのだが、あまりの記憶の飛び具合に笑った。

細部は詳細すぎるほど、覚えているのである。
職員玄関前に飾られた巨大な木版画の目が怖かったこと。 自転車のカギを落としたグラウンド脇の側溝。 教室の窓から見えるお寺の境内、そこに置かれた白い象の赤い目。 駅の前には通っていたピアノ教室。 暗い階段と、たくさん置かれていた古い週刊マーガレット。

家も学校も駅前も、 印象的な場所やポイントは絵画のように思い出せるのに、それぞれの道が繋がらない。細い裏道、近道ばかりが記憶に残っていて、幹線道路がさっぱりだから全体図が描けないのだ。

小学生の頃は徒歩か自転車移動がデフォだった。
主要道路の記憶がなく、代わりに友達の家や遊んだ場所、好きだった店のことばかり思い出すのは車で走らなかったせいだろう。

 

そういえば授業参観で見た息子の地図もそうだった。

小さな児童公園や、車は通行止めだからサッカーをするのにもってこいの赤い道路(レンガ風の作りだから)など、遊び場は大きく、道は国道町道関係なしに、自分たちが使う道だけが細く世界を繋いでいる。

全ては描かれていないし、縮尺も間違っている。

でもこどもの地図で一番大切なのはキラキラのマーカーで縁取られた『僕らの遊び場』だから、それでいいのだ、多分。

 

自分が小さかったせいか、ほっかいどうはでっかいどうだからなのか(?)当時の事は何もかも大きめに記憶しているようだ。
それにしたって元旅館に住んでいた友達んちの、大広間の先が見えなかった記憶は幻だと思う、さすがに。

襖を全部開けてよーいドンしたら100m走のようで楽しかった記憶があるのだが、いくらでっかいどうとは言え札幌市近隣の、商店街の立地である。
そんな千と千尋みたいな屋敷があるかい!とは思うのだが…

他にも暗黒沼地の先の家や(落ちたら死ぬごっこをしながら遊びに行ったけど、今思えばただ舗装されてなかっただけかも知れない)隧道の向こうの家など(自転車を降りないと頭をぶつける高さ。アレ絶対道じゃない) 友達の家に行くときでさえ冒険に満ちていた日々。危険地帯茱萸の木とか(農業用水路のすぐそばに生えていて欲張りすぎると水路に落ちるデンジャーなグミ。食べ過ぎるとお腹を壊すのでそんな意味でもデンジャー)すごく巨大で、楽しいことに満ち溢れていた町だった気がする、私の記憶の地図の中では。

 

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祖母の家に帰ったら、細い小道をまた探検したいような、したくないような。

大きくなった私が思い出を辿ったら、巨大な町がスケールダウンしてしまう気がしてためらってしまう。

私の中の思い出の地図はずっと歪なままで、でもそのままがいいのだ、きっと。

 

 

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先日、風邪を引いた話を書いたらどなたかからお見舞い?のサラミを頂いてしまいました!人の温かさが身に染みる秋です、ありがとうございました。
それにしても放置しっぱなしの欲しいものリスト、ツマミぐらいしか入ってなくてすいません…!