こんにちはみどりの小野です。
今日は多島斗志之さんの『症例A』の感想。
正常と異常の境界、精神を「治す」とはどういうことなのか?
七年の歳月をかけて書かれた異色作です。
丁寧に描かれた精神論と、魅力的な謎たち。
一度に読んでしまうのが勿体ない。
そんな不思議な味わいの本でした。
『症例A』あらすじ。精神科医が出会った心の謎とは?
精神科医の榊は美貌の十七歳の少女・亜左美を患者として持つことになった。亜左美は敏感に周囲の人間関係を読み取り、治療スタッフの心理をズタズタに振りまわす。榊は「境界例」との疑いを強め、厳しい姿勢で対処しようと決めた。しかし、女性臨床心理士である広瀬は「解離性同一性障害(DID)」の可能性を指摘し、榊と対立する。一歩先も見えない暗闇の中、広瀬を通して衝撃の事実が知らされる…。正常と異常の境界とは、「治す」ということとはどういうことなのか?七年の歳月をかけて、かつてない繊細さで描き出す、魂たちのささやき。
この本の初版は2000年の発行。物語の舞台はそれより更に前。
統合失調症や境界例など、精神科医を主人公にしたその時代の最新医学の物語なので、読む前にもう古びてしまっているのでは?という懸念がありました。
また、精神科医と人を振り回す美貌の少女、というあらすじも一昔前のサイコミステリ風。
正直懸念を抱きながら読み始めたのですが、数ページで引き込まれました。
発行年数、あらすじだけでこの本を迂回してしまうのは大きな損失です。
物凄く面白いのです。時代を超えて読める。
そしてこの作品に含まれた一つの瑕疵、小さな『空白』。
この傷、謎こそが私を惹きつけました。
重なる二つの物語
この小説は同時進行していく二つの異なる出来事を描いています。
ひとつはあらすじにもある精神科医榊が新しく赴任した病院で出会う17歳の患者亜左美と、臨床心理士広瀬の物語。
もうひとつは国立博物館の職員遥子が、かつて同じ博物館の職員であった父の遺品から贋作を糾弾する手紙を見つける物語。
まずは精神病院編。
主人公の医師榊の問診風景が実にリアル。
医学用語や症例に疎い私でもどんな症状なのか、榊の目線を通して理解できます。
精神科医の立場、治療方針。様々な病院の在り方。
かつて患者を亡くし妻と別れた榊は、その痛みから真摯に患者と向き合おうとしている。
そして統合失調症のようにも、境界例のようにも見える少女亜左美。
彼女の治療を巡って対立する女性臨床心理士、広瀬。
広瀬もまた、重大な問題を抱えていた。
亜左美や、様々な患者たちを通して理想の精神医療、そして心の病というのは誰にでも起こりうることなのだ、という真実が優しい筆致で描かれていく。
そして訪れる大きなカタストロフィ。
それから博物館編。
館員の遥子は父の遺品の中から同じく博物館員だった父に宛てられた手紙を見つける。内容は収蔵品の贋作糾弾。
手紙を書いた人物が目利きの職員だったことから、遥子はこの話の真贋を調べ始めた。
しかし検査をしても偽造品、と言われた狛犬の真贋は分からない。
なおも引っかかるものを感じた遥子は、手紙の主である五十嵐という男を探すことになる。
ネタバレ注意!伝染する妄想の物語
この先はすこし物語の核心に触れます。
注意してお読みください。
精神病院の物語は実に丁寧に描かれ、榊、広瀬、亜左美達は未来に光を見出して終わります。
問題なのは博物館編。実はこの600ページほどの本の内容のほとんどは精神病院編なのです。
確かに人の心理、正常と異常の境を丁寧に描いた精神病院編は素晴らしい。
巻末には多数の精神病理に関する参考資料が挙げられ、臨場感に溢れています。
理想の病院、その境界を揺さぶるのが、合間に挟み込まれる短い博物館編のストーリー。
手紙の送り主である五十嵐を探す遥子は、彼が入院している精神病院にたどり着く。
五十嵐は、榊の働く開かれた理想的な場所であるはずの病院の奥底に隔離され、誰も会うことが出来ない。
職員の榊でさえ知らなかった場所に隔離され、院長しか会えない五十嵐。
彼はこの病院の理事長真柴の友人であり、彼が病に陥ったことが病院を設立するきっかけだったという。
自分の妄想に周りを引き込む力がある、と言われる五十嵐。
彼の書いた回想録もまた、伝播する妄想力を持つ物語だから他人には読ませることができないのだ、と語る院長。
空襲を避け疎開した美術品の話を聞く遥子。
疎開美術品の管理のために付き添った当時の職員は三人。
遥子の父と五十嵐、それから監査官のM。
榊は遥子の話、隔離された五十嵐の話に疑念を抱き、回想録を手に入れる。
回想録に書かれた内容を榊は遥子に話すが五十嵐の書いた「核心の話」については話さない。確認のとりようの憶測だから、と。
博物館員の遥子は確証のない物語を明らかにするために、何年かけてでも事実を明らかにするのだ、と決意を固める。
博物館編への疑念
Amazonなどのレビューをみると、総じて博物館の話は蛇足、不要だった、完結していないなどと書かれています。
みんなこの箇所がこの作品の傷だ、瑕疵だと言う。
私も一読したときはそう感じました。
作者は精神病院編で力尽きてしまったのだろうか、もしくはページ数が足りなかったのか。
本当に?
七年もかけて丁寧に描かれた作品が不完全?
病院編では正義感に溢れ心優しい医師として描かれる榊ですが、博物館編では表情がありません。あえて心理描写が省かれているようにも見えます。
自分の目で見たことを信じる、と言っていた榊が五十嵐と会うのを諦めたのは何故?
特殊な症例である亜左美を救うために榊が院長に切ったカードは?
妄想が限りなくグレーであることを知りながら理想の病院のためには隔離も構わない、と言った院長。
一度は病院への疑念から退職を考えた榊は、同じく秘密を抱え死亡した前任の医師が死因が事故だった、と知り辞める必要はない、と言う。
この物語は境、を描いているのだと思います。
正常と異常、理想と現実、そして善と悪。
私の想像もまた、妄想の伝染に過ぎないのかも知れませんが。
最後に
この精神医学小説でありミステリーでもある、本当に素敵な物語を私に紹介してくれたのはココさん、というブロガーさん。
@yutoma233 https://t.co/glj4KzQvhX 症例A-角川文庫-多島-斗志之/dp/4043690010
小野さんがこれを読んだらどう感じるのか、すごく知りたいです(一時期愛読しまくったミステリー)既に読まれていたらごめんなさい。汗
— ココ (@cocoquet22) 2015, 10月 22
上品で清楚、中身はちょい悪系ミニマリスト。更にはDJもやっちゃう多様性に満ちた女性。そんなかわいい人の愛読書がこんな複雑なミステリーだなんて。
私にこの本を紹介してくれたのはいつもTwitterでお話するココさん?それともココさんの中にいるもう一人のだれか…?