軍艦島ツアーに行ってきた。
天気に恵まれ、無事に上陸できた。
島の一部にしか立ち入りできなかったけれど、憧れていた場所に立てて本当に感動した。
家に帰って昔買った「軍艦島超景」という写真集を読み返した。
私が入れなかったたくさんの場所の写真が載っている。
島の周囲を船で回ったので、この写真の場所はあそこの内部、この写真はあの場所から撮ったのだろうか、と想像できる。
写真集やネットで見ただけの、憧れの場所が自分の感覚と繋がる不思議。
半日ほどの短いツアーだったけれど、この感覚を得られただけでも行ってよかったと思う。
写真では軍艦島はとても大きく見えるのだけれど実際には総面積0.1平米㎞のとても小さな島だった。
30分も掛からずに歩いて一周できるのではないだろうか。
ここに最も多いときは5200人の人が暮らしていたという。
ガラスの無くなってしまった窓の向う側から、賑やかな声が聞こえたような気がした。
軍艦島、正しくは端島という小さな島にいつか行ってみたい、と思うようになったきっかけは10年くらい前に見たとあるホームページだった。
黒バックに白文字。
廃墟巡りの専門サイトだったと思う。
そこにある沢山の写真を、私は何度も見た。
色んな廃墟があった。
中でも軍艦島の、社宅の中庭から見た景色が一番好きだった。
こんなにたくさんの窓があって、かつては人で溢れていたはずの場所が今は廃墟であるという寂しさはいつも私の胸を締め付けた。
10年前。
一人目の子供を産んですぐの頃。
私は小さなアパートの一室で、毎日子供と過ごしていた。
今考えると、少し育児ノイローゼ気味だったのだろう。
育児書に書いてある通りに。規則正しく正確に。小さな赤子を人混みに出さないように。
1年くらい、私は赤ん坊の外気浴や散歩以外はほとんど外に出なかった。
買い物は夫に頼んで。美容院も行かないし服も買わない。
友達の誘いも断ったし、家にもほとんど招かなかった。
昼寝や授乳のスケジュールが狂うのが怖かったのだ。
そんな風にして赤子に尽くす一方で、社会に何も貢献出来ていない自分、他人の役に立たない自分が怖くてたまらなかった。
1年間夫としか話さないような生活。
語彙も減ったし話題はテレビのことばかりだった。
頭が上手く働かなくなったような気がした。
こんな生活をしていて、私は本当に元の様に働けるのだろうか、社会に復帰できるのかと将来への不安ばかりが積もっていた。
あの頃の楽しみは子供が寝ている間に眺めるインターネットだった。
内容の選べないテレビより、自分で選択できるインターネットの方が少しは知識の足しになるような気がしていた。
通信量が少し安くなって、ISDNからADSLに乗り換えたのはあの頃だろうか?
私は情弱だったのでランキングなんかを見てそこから読んでいた気がする。
まだ動画は途切れ途切れにしか見れなくて、週末の夜は繋がらなかったあの頃。
書き込むのはハードルが高くてただ読んでいるだけだった。
そうやってネットサーフィンを楽しむ内に辿り着いたのが廃墟巡りのサイト。
色んな場所の写真を見た。
あの頃廃墟が好きだったのは、当時の自分に重ねていたのかもしれない。
誰も立ち寄らなくなった場所。
でも草が茂り、錆びついた場所はそれでも美しかったし、形を残していたから。
形骸化してしまった私もいつかは自分を取り戻せるのだろうと、そう信じることが出来た。
自分の時間が出来たら必ずこの島に立ちたい、本当の潮の匂い、波の音を聞きたいと願っていた。
毎日眺めていたのにメール一つ送らなかった。
管理人の名前も知らない。
子供が大きくなり外に出られるようになって忘れてしまったあのホームページ。
検索してみたけれど、どれがあの頃毎日見ていたサイトか分からなくなってしまった。
もしかしたらもう閉鎖してしまったのかも知れない。
でもあなたが撮った沢山の写真に、添えられた短い文章に私は夢を見たのです。
届くかどうか分からないけれど、あの時画面の向う側にいた人に、あの頃ホームページを作っていてくれた人達に伝えたい。
本当にありがとうって。
言える言葉はそれだけだけど。
Twitterで気軽に交流が出来るようになって、オフ会の記事も増えて。
インターネットが変わってしまったと嘆く人もいるかも知れない。
でも私は今でもIDを持たない通りすがりのあなたに向けて手紙を書いているのだと思う。
たまたま通りかかっただけの、私には顔の見えない誰か。
駅の雑踏で、学校で、貴方はこのブログをどこで読むんだろう。
たった一人でも、あの頃の私のように無為な日々を送っていると落ち込む人に届いたらいいと思う。
途中で戻るボタンを押されても良い。
たとえ1分間でも、気晴らしになってくれたらそれだけで。
ハローあの頃の私。
小さな部屋の中で、パソコンの前で膝を丸めて爪を噛んでいたあの頃の私がきっと画面の向うには居るから。
2016年の今日から、遠い海へボトルにつめた手紙を送る。
見えない誰かに、いつか届いてくれたらいい。
それはきっと2006年のホームページの向う側で書いていた人達と同じ気持ち。
私のインターネットは失われていない。