柚木麻子さんの「ナイルパーチの女子会」を読み返したので感想を。
一回目はとにかく怖い、と思った本。
2回目は…怖いけれどもこの感情は私にも覚えがある、と気がついた。
登場人物は女性ばかり、表紙はふわふわ美しい。でも怖くて生々しい。
ブログを書いている女性なら背筋の凍る物語。
女同士のドロドロのむこう側にあるもの、を知りたい方にはお勧めします。
ナイルパーチを放したのは誰?
まずは簡単なあらすじから。
三十路の主婦、翔子は「おひょうのダメ奥さん日記」というブログを書いている。
主婦ブログランキングでは上位の人気ブログ。
夫との静かな二人暮らしの日々の雑記。
専業主婦でも、食生活も家事もいい加減。
力の抜けた日々を、携帯のそっけない写真と改行の少ない長文で書き綴る。
いい加減さ、が人気の理由。
この翔子のブログがやたらリアル。
たとえば、「かりんとうメロンパン」という菓子パンについて書かれた文章はこんな感じ。
『かりんとうとメロンパンを一緒にしちゃうって発想がアホですよね。コンビニで見つけて、爆笑しました。でも、油っぽくてざくっとした、かすかにみたらし醤油味の生地をかみしめれば、トンネルを抜けたように広がる爽やかなメロンの香り。今、やみつきなんですよ。アホな味。アホな値段。こういう「アホ食」で昼飯を済ませてしまうと、色々楽ですよ。人生なめてる感じにやすらぎます。あ、おすすめはしませんけど』
あるある。どこかで読んだような、上手い文章。
程よく力が抜けていて、ランキング上位者らしく知的で巧妙な書き方。
こんなブログがどこかにあったら、読者登録したくなる。
出版社からブログを本にしないか、と持ち掛けられた翔子。
カフェでの打ち合わせのあと、一人の女性に話しかけられる。
同い年とは思えないほど美人な栄利子。日本最大手の総合商社に勤めるキャリアウーマン。翔子のブログのファンだ、と語る彼女に翔子は好感を持ち、二人はその後も何度か会う仲になる。
問題は翔子と栄利子の感覚が行き違っていたこと。
翔子にとっては「数回あっただけ」の人。
栄利子にとっては、彼女と言葉が通じているだけでも奇跡。翔子のブログを明け方近くまで何度も読み返す。彼女の家を特定できるまで読み込んでしまう。
夜のファミレスで会うだけでも「人気者の高校生になったみたいで」胸がときめく。自転車の後ろに載せてもらっただけで、「二度と彼女を離すまい」なんて思ってしまう。
二人とも「友達が欲しい」と思っている気持ちは同じなのに、その重さが違いすぎる。
タイトルの「ナイルパーチ」とは、90年代にはスズキとして流通していた魚。一つの生態系を壊してしまう程の凶暴性を持つ要注意外来生物。
栄利子は言う。
「湖に放たれなければ、ナイルパーチも一生、自分が凶暴だなんて気づかなかったのにね」
隔絶から来た手紙
翔子は栄利子に自分の父親の話をする。
翔子が抱えている暗闇。
田舎の地主である父は酒とパチンコが好きでだらしがなく、人とコミュニケーションがとれない。ふらふらしていい加減で、資産をどんどん食いつぶし、妻にも再婚相手にも見捨てられている。
これからどうなるんだろう。
初めて闇を見せた翔子に栄利子は怒りを覚える。
彼女のことが理解できない、そのことで自分の経験値の無さが露呈するのが怖い。
だから正論を言う。
お父さんと向き合ってみたら。あなたよりもっと大変な人だって、たくさんいるんだから。誰かのせいにしないで頑張ってみたら?
ああ、と思った。
私もこんな手紙を受け取ったことがある。
そして理解できない、と放り出した事がある。
あれは小学五年生の頃だった。
私は5歳まで東京で育ち、小学校に上がるころ別の町に引っ越した。
東京で友達だったNちゃんのお母さんが私に宛てて電話をよこした。
私の母はそのお母さんと時折連絡を取っていたようだったが、私自身は彼女のことをうっすらとしか覚えていなかった。
どうやらNちゃんは友達がいなくて寂しい思いをしているらしく、時折保育所で仲の良かった私の話をするらしい。
私がNに手紙を書いてくれたら、あの子も元気がでるかもしれない。
どうか頼まれたことは内緒にして、手紙を書いてくれないか?と言われた。
私は大喜びで安請け合いした。
自分のことを覚えていてくれたかつての友達と文通。しかも彼女は憧れの都会人。
原宿や、渋谷のことを知っているかもしれない。
5歳までしか東京にいなかった私は都会の華やかさに憧れていた。
さっそく手紙を書いた。
久しぶり、元気ですか?私はこんな町に住んでいます。そちらはどんな感じですか?原宿に行ってみたいな。芸能人を見たことある?マンガ家さんのサイン会は?
Nちゃんからの返事はすぐに届いた。
教師のようにきれいで丁寧な文字。
彼女は私の事を詳細に覚えていて気まずかった。
よく忘れ物をしたけど今は大丈夫?アイス食べ過ぎてよくお腹を壊したよね。泣き虫はもう直った?
手紙には私の期待したような都会の華やかさは一つも書かれていなかった。
原宿や渋谷に子供だけで遊びに行くのは学校で禁止されています。
私は塾や習い事で忙しくて、遊んでいる暇はありません。
TVやマンガはバカになるので見ないようにしています。
今は習い始めたばかりの英語が楽しいです。
ちゃんと勉強していますか?手紙に誤字がありました、気をつけましょう。
なんじゃこりゃ、と思った。
彼女からの手紙は私には理解不能だった。
私は雑誌のふろくの子どもっぽい便箋で、同い年だから、とタメ口で綴ったが、彼女は無地の上質な便箋で、先生のような口調だった。
本当に手紙の向うに同い年のNちゃんはいるのだろうか。
それとも都会の女の子って、みんなこんな感じなの?
私は自分がものすごくバカに思えた。
それからはわざと少し悪いことを書いた。
田舎の子の、ほんのちょっとの悪い事。
嫌いな先生の悪口、学校の帰りにこっそりファーストフードに行ったこと。
Nちゃんは、毎回先生のように正しい手紙をよこした。
人の悪口はいけないよ。寄り道は危ないよ。
その内書くことがなくなって、好きな食べ物嫌いな食べ物の話を書いた。Nちゃんの好みも教えてね、と書き添えた。
帰ってきた返事はこんな文面だった。
好き嫌いを言うのはいけないよ、アフリカには食べられない人もいるんだから。
もうダメだ、と思った。
ごめんね、忙しくなって返事が書けないから文通はやめよう、と書いた。
帰ってきた返事は相変わらず正論だった。
自分から言い出したのに辞めるなんて飽きっぽさは相変わらずですね。
書くことは勉強になるのに、誤字まみれのまま辞めるのはあなたのためになりませんよ。
最後に、あなたと文通をしても私の勉強にはならないので、別にいいです、とあった。
ついていけない文通から解放されて、ホッとした気持ちと、お母さんから頼まれたのに投げ出してしまったという罪悪感が残った。
それきり、今はどこにいるのかも知らないNちゃん。
「ナイルパーチの女子会」を読んで思い出したのは彼女のこと。
お母さんは友達がいないと言っていた。
習い事でびっちり埋まった日々。TVは見ない、マンガも読まない。
5歳の頃の友達に、内緒にしてね、と文通を頼むお母さん。
Nちゃんは手紙のむこうの私じゃなくて、5歳の頃の手のかかる、彼女が必要だった私を見ていたんだろう。
私もNちゃんじゃなくて都会で華やかな暮らしをする女の子との文通に憧れていた。
あのまま文通を続けていたら、私達は仲良くなれたんだろうか?
いつか居酒屋で、課長がさぁ、と管を巻きたいけれど記憶の中のNちゃんにはやっぱり怒られそうだ。
物語の中の女たちはみんな罪を抱えている。
高慢、憤怒、嫉妬。
それは私の中にもくすぶっている。
オンナの友情は時折怖い。
カーストで、カテゴリで詳細に分けられて競争に巻き込まれていく。
絶対の勝者はいない。
独身は既婚者に負け、既婚者は子アリに負け、子アリは独身の自由さに負ける。まるでジャンケン。
争いに巻き込まれないように、強くなること、一人でも生きていけることに翔子と栄利子は気がつく。
絶対の友情も、愛情も世界にはきっと見つからない。
でもほんの少しの立ち話で、たまに笑いあえたり励ましあえる相手がいることで。
それだけで私の心は暖かくなる。それだけで充分。
友達なんていなくてもいい。
それでも今のNちゃんが、たまにはくそったれ、とゴミ箱を蹴っ飛ばせるようなしたたかなおばちゃんになっていますように。
Nちゃんは今の私を見て、いまだに忘れっぽい、誤字も多い、とあきれそうだけど。
あーあ、やっぱり女の友情は面倒くさいのだ。