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おのにち

おのにちはいつかみたにっち

他動的読書のすゝめ

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北海道の豊かな大自然の中で子供時代を送ったはずの私。自慢ではないがインドアの記憶しかない。

試される大地北海道!では近所の友達の家に遊びに行くだけでも片道30分。
牧場の友達の家に遊びに行った帰り、地吹雪に巻き込まれ死ぬ思いをした私は(北海道では年に1人は凍死する)熊さえ寝ている冬に外に出るなど自殺行為、と悟り長い冬をひたすら読書で過ごすようになった。

楽しい読書三昧の日々…といきたいところだが、致命的な問題があった。
肝心の本がないのである。

小学生の頃、お小遣いは友達とファーストフードに行けばすぐになくなる程度。
自分で本を買うなど問題外。
クリスマスや誕生日には全集をねだり、お年玉も図書券でいいから2割増にしろと交渉した。

しかしそれでも本が足りない。
学校の図書館は蔵書が少なく、町の図書館は徒歩一時間。
スマホどころか、パソコンも無かった時代、とにかく読む物!といつも活字を探していた。

読む物のない活字中毒者はどうするか?とにかくそこにある文字をハイエナのように漁っていく。

まずは父の本棚。
星新一、ブラッドベリ、フレドリック・ブラウン、夢枕獏はここで覚えた。

それから母や祖父母の雑誌。
暮らしの手帖、私のカントリー、家の光、月刊農業。

自営業だったので、付き合いで新聞をいろいろ取っていたのもありがたかった。
北海道新聞(地元じゃ道新)、朝日、毎日、スポニチ、赤旗。
新聞を数紙読むと、同じニュースでも少しずつ論調が違うことを学べる。
それぞれ自社の主張があり、世の中に「絶対正しい」はなくて、自分で選びとるものなのかな、と気がつく。
特に赤旗の押しの強さは、子供の目にも明らかだった。
一紙だけ取っていたら、思考の偏りが結構やばかったと思う。

暮らしの手帖は結構ハマった。
料理や手芸、生活のあれこれはまだ早かったけれど、巻末のエッセイや読者コーナー、本や映画の紹介は面白かった。

大人になってから「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」を買った。
読んだ当時も古めかしく感じたのだけれど、その旧弊さが今は逆に豊かで、美味しそうで大好きな本だ。

  

巴里の空の下オムレツのにおいは流れる (河出文庫)

巴里の空の下オムレツのにおいは流れる (河出文庫)

 

 

 自由な読書の不自由さ

 

大人になった今、好きな本を好きなだけ読めるようになった。

自由になるお金も少しはある。
Amazonがあり、絶版本だって予算が許せば買える。
電子書籍も、図書館にもいつでも行ける。ネットの向こうにも文章が溢れている。

読み放題、贅沢な日々を送れる今。
実は少し、つまらないことがある。

それは目新しい、初めて知った!と言う驚きと出会えないこと。

自分でお金を出して買う本は、どうしても好きなジャンル、知っている作家に限られてしまう。図書館で借りるのも、自分好みの本ばかり。
それでも読み切れないくらい、好きな本はたくさんある。

本でも映画でもアニメでも、好きなジャンルの物ばかり手を出してしまいがちではないだろうか?それでも勿論、充分楽しめる。

ただ1つのジャンルを極めすぎると目が肥えてくる。
あれ、この展開〇〇で見た。面白いけれど、〇〇には敵わない。
そんなふうに感じてしまうようになったら、あなたは飽和状態なのかもしれない。

世の中面白い本も映画も山ほどあるけれど、時代を超えて愛される神作品とはなかなか巡り会えない気もする。

 

そんな時、昔読んだ父の時代小説やら、祖父の農業雑誌を思い出す。
どちらも普段は絶対読まないジャンルなのだけれど、読むものがなくて仕方がなく手を出した。

読んでよかった池波 正太郎。
それからキウイに雄雌があることを知った時の驚き。

自分で本を選ぶことを能動的読書、と言うならばそれはさしずめ他動的読書。

読むものがない、と言う理由で何の気なしに読んだ本の数々を思い出す。
そこには、ハズレもあるけど新しい驚きがあった。

知らなかった!エウレカ!と思うような本と出会えたときは、シナプスが火花を上げるほど面白い、ワクワクする。
そんなスパークが他動的読書にはあった…気もする。

私の知らないスゴ本は、あなたの家にあるのかもしれない。
今年は苦手なジャンルの本も、月に数冊はチャレンジしてみようと思う。

あなたのシナプス、鈍ってませんか?
女子大生ジャンルに飽きたなら、次はスカトロにGO! (そうじゃない)