おのにち

おのにちはいつかみたにっち

怒りの虎を飼い馴らす日

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異動転勤の季節です。
行く人来る人、人事異動の名簿を眺めていたら遠い昔、遠い街に去っていった人を思い出しました。

あの人は元気にしているでしょうか?
今日は遠い日の思い出話をひとつ。

 

若い頃花屋に勤めていました。
金曜日の閉店間際、仕事帰りのスーツ姿で、アレンジメントを買いに来る男の人がいました。

背が高く、少し太っていて穏やかな話し方で、ムーミンパパに似ていると思いました。パパは既婚者で、奥さんが入院しているのでお見舞い用にアレンジメントが欲しいというのです。

そして窓の外を指差し、あそこに入院しているので、神経に触らないように全部似た色の、穏やかなアレンジメントにして欲しい、と言いました。
指の先にあるのは精神科の入院病棟でした。


それから毎週金曜の夜に、パパはお見舞いの花を買いに来るようになりました。
注文は、いつも同じ色の小さな花かご。
今日は黄色の花、今日はピンクの花だけで。

淡い、全て似た色のアレンジメントが出来上がるのを待つ間、パパはちょっとずつ自分の話をしてくれました。

奥さんが入院したのは自分が退院した後だったこと…つまり自分の方が先に病んだのだ、妻は病の自分に引っ張られてしまったのかも、ということ。

昔は出世頭で、同期の中で一番先に役職をもらって、異動の度に偉くなったということ。

そうこうしているうちに、どんどんどんどん、頭の回転が速くなる。
仕事が進むし、周りもよく見えるようになった。

ところが自分ができるようになるにつれ、他人の間違いや怠慢が許せなくなった。
特に部下ができてからは、部下の失態が自分のもののように思えて腹立たしい。
自分と相手は違う人間、それはわかっているはずなのに、自分が気がつくことを相手が見落とす事が信じられない。出来ない人間が一人でも側にいるとイライラして仕方がなかった。

そのうち激しい怒りが抑えられなくなり、人前で部下を異常なほど叱責してしまうように。ついには怒りで夜も眠れなくなり、とうとう倒れた。

一年間休職し、元の仕事に戻ったが出世街道からは外れてしまった。
未だに薬が手放せないので昔より太り、思考速度も遅くなった。

妻も同僚も、これが普通だ、これでいいんだと言うけれど。
しかし自分では、本当にこれで良かったのか、が分からない。
今の自分が情けなくて仕方ないのです、と薄く笑って言いました。

 

私は彼の話を聞いて、山月記を思い出しました。

李徴は他者から認められず、自尊心と羞恥心を持て余しついには虎になった。
ムーミンパパさんは周囲から認められていたはずなのに、己の感情を抑えきれず虎になってしまった。そうしてまた人として生きるために牙を抜き、虎をやめた。

 

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今日、退職者の受け取る色とりどりの花束を見て、パパさんのことを思い出しました。

あの頃の彼は35歳くらい?
働き盛りだったと思います。今は50過ぎでしょうか。

彼の好きな、全部同じ色のアレンジメントが、私は少し不安でした。
漠然としていて、どこに焦点を合わせたらいいか分からなくなる。
同じ色ばかりの、優しく穏やかなアレンジメント。


あの花かごが本当に欲しかったのは、あの世界に住みたかったのは、あの頃のパパだったと思うのです。

歳月は、彼の切れすぎる頭を上手く損なってくれたのでしょうか?
薬を飲まなくても、ゆっくりぼんやり、スローな回路に変わったでしょうか?
思わぬ失敗や見落としをするようになったでしょうか?

そして他者の失敗を、許せるようになったのでしょうか?

色とりどり、華やかな花束を受け取る人の笑顔を見ていたら、そんなことを考えたのです。