最近はてブで話題になっていたヨッピーさんの記事を読んで、そもそも人類に冷静な討論が可能な物なのか?と考えておりました。
ヨッピーさんも対戦という言葉を使っていた通り、結局バトルになるやん?負けた側が黙ってくれればいいけど、余計恨まれるよね。
多様性の受け入れは現代社会の必須要項です。
でも、そういう考え方もあるのだと認識する事と、自分自身の考え方を変えるのはまた違う。
後者には時間が必要だし、反発も付き物だと思うので…。
そんなことを考えていたら、古代ギリシャの話が思い出されました。新書の『ソクラテス』とか昔読んだ事がありますが、本当にソクラテスは問答で相手の恨みを買うことなく、理解を得ることが出来たのでしょうか?
そして、そんな話をしていたらお友達のelveさんが(id:elve)が一言。
『ソクラテスは毒飲まされてたなぁwwww』
確かにソクラテスの最後そうやったなぁ…そしてソクラテスに生える草w
ソクラテス、本で読む分には偉人だけど、近くにいて自分が諭されたらきっとアレっすよね…
私たちの話し合いは結局バトルになってしまいがちなのかも知れません、草。