おのにち

おのにちはいつかみたにっち

愛してるよ、さえ明日になれば

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長いトンネルの中でハンドルを握りながら、昔似たような長い長いトンネルの中で別れ話をしたことを思い出した。

トンネルは不思議だ、光が消え景色が見えなくなって、音さえも籠もりだす。
ここはどこなのか、いまはいつなのか。

長い長いトンネルは、ハンドルを握る私をあの頃に引き戻す。

 

それはとてもよくある話で、少し距離のある街に住む彼が、私と会えない一度の週末に浮気をしてそれを打ち明け、許せずに別れた、たったそれだけの事。

鮮やかな夏の光の中、湖畔沿いの道を笑いながら走っていたのに、暗いトンネルの中で思わぬ話をされて、トンネルを抜ける前に別れを決めた。
光溢れる湖畔と薄暗いトンネルのコントラストがあまりに強烈すぎて、今でも覚えている。

傷ついたのは別れたことよりも、そのことに対する友人たちの反応だったかも知れない。

たった一度のあやまちで別れるなんて勿体無い。
お互い若いんだし、よくある話。ただの生理現象なんだから。
正直に言ってくれただけいいじゃない。

みんな、女には男を許す寛容さが必要だ、という論調だった。
私もなんとなく、そんなものなのかな、と思うようになった。

生理中だから、と行為を断った私がいけなかったのだ。
そしてその次の週、彼よりも友達の結婚式を優先したのがいけなかった。
なにより彼の生理現象を許せない私の心の狭さが悪いのだ、と。

それでも彼を許す気にはなれなくて、なんとなくモヤモヤした物を抱えていた頃、現在の旦那と出会った。

旦那を含めたたくさんの友人で飲んでいた時、離婚したばかりで欠席した一人の話題になった。

夫に浮気をされた彼女は、二人の小さな子どもを抱えていた。
みんな、ああ…みたいな空気だった。

最初は夫を責める意見が多かった。
小さな子どもがいるのに浮気をするなんて。

でも徐々に、まだ子どもが小さいんだから少しは我慢をしても…とか、誰にでも起こりうることなんだから、みたいな話になってきた。
カラダだけの浮気は浮気には入らないんだ、みたいな。

私はモヤモヤしながらも、世の中そういうものなのかな?と納得しようとしていた。
どうしようもない生理現象に目くじら立てても仕方がない、大人になって、現実を見ようと。実際浮気や不倫なんて、四人に一人は経験済みだと統計も言うし。

それでもお腹の中は、冷たい石を飲み込んだみたいにずっしりと重たかった。

 

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そんなとききっぱりと「俺は嫌だ」と言い放ったのは旦那だった。

みんながしている、よくある話だなんて関係ない。
俺は家族を裏切るのが嫌だ。

静かだけど、力強い口調だった。
真面目じゃん、と冷やかす人もいたし、そんなこと言ったって結局は…と茶化す人もいた。
でも彼は意に介さず、淡々と飲んでいた。
その力強い「俺は嫌」という言葉に私は救われた。

何かを嫌だと言うことは誰かを傷つけることだと思っていた。
だけど旦那の「嫌」は私にとって、差し込む光のようだった。

みんなに合わせなくては、波風を立てないようにしなくては。
そうやって長いものに巻かれて生きるのは容易い。
納得のいかない事でも、みんなが容認しているから…と何となく飲み込んでしまっていた。
でもそうやって胃の中に押し込んだ冷たくて暗い石は、いつか私自身をも曖昧な、灰色のモヤの向こうへ連れ去ってしまうようで、それでも「嫌」を言えなくて迷っていて。

旦那の嫌、に私は曇りを晴らされたような気分になった。
ああ、生理現象だから、誰にでもあやまちはあるから、なんて諦めなくていいんだ、飲みこまなくていいんだ。

もう少しだけきっぱりと生きてもいいのだ、と思った。
自分の『嫌』をちゃんと認めてもいいのだ。

「愛してるよ」なんて重たい言葉さえ、明日になれば嘘になってしまう世の中なのかも知れない。
でもたとえ、人体がそうなるように出来ていようと、社会がそうなっていようと、私が許せないなら許さなくていいし、憤ったっていいのだ。

色んな言葉が手ぐすねを引いて、私を『仕方がない』という諦めの沼に引きずりこもうとする。

でも『愛してるよ』さえ嘘になるなら、誰を信じていけばいいのか。
絶対のない世界で、信じることはオロカなのか?

 

浮気や不倫経験のある友人はたくさんいる。
彼女たちのことを切って捨てたい訳じゃない。
世の中にはどうしようもない感情があることもちゃんと理解している。

でも、周りのことは許せるけれど、自分はそうしたくない。
「私は嫌」と線引きをすることは、灰色のモヤに取り込まれないために、冷たい石に心を凍らせないために、必要なことだったのだ。

かつて浮気をされて、自分が悪いと思い込もうとした私も、復縁をうながした友人たちも、今思えば色んなものに踏みにじられていて涙が出る。
私たちはどれだけ世間に踏みつけられて、それを当たり前だと思って生きてきたのだろう?

 

愛してるよさえ、明日になれば。
たとえそんな世界でも、私は信じていたいし、信じさせて欲しい。
勿論私も裏切らないから。

色んな声が私を揺さぶって、永遠なんてないと嘯くけれど。
信じさせていてね、どうか死ぬまで。

 

…せめて死後なら、位牌をデコピンくらいで許してあげるから。

 

なおタイトルは街角で聞いた米津玄師の歌詞から取りました。

ただ私は聞き間違えていて、「愛してるよさえ明日になれば」どうなるんだろう?と思っていたのに実際は「愛してるよビビ明日になれば」というビビちゃん?に捧げる歌でした…。聞き間違えの方が好きなので聞き間違えたまま採用。

 


米津玄師 MV『vivi』