職場の近くで無料コンサートがあり、お昼休みに同僚男性と赴いてみた。
目立たないように一番後方の席に座る。
歌っているのは趣味でギターを嗜み、オリジナルのフォークソングを作っている60代の女性。
ロングの髪は赤茶に染まってソバージュが掛けられている。
ふわふわしたワンピースは薄い花柄模様。
細身で小顔で、歌声もかわいらしい(かわいらしすぎて後方まで聴こえないのが難)。
どうやら日々の生活をテーマに歌詞を作っているらしく『7月4日に携帯無くした』などというメモみたいな歌詞が聴こえてくる。
前列では同級生と思しき男性陣が団扇で扇ぎながら歌に聴き入っている様子。
どうにも馴染めない雰囲気を感じ、こそっと数曲で撤退して来た。
冷房の効いた職場に戻ると、30代の同僚男性が辛辣な一言を。
『いやぁ、昔は美人だったんでしょうね!』
あいたたた!
若いからこそ言える無邪気な一言に、私の方が胸が痛くなってしまった。
確かに、『昔』を引きずったままの人だった。
美人の面影は残っており、長い髪もワンピースも、かつてはすごく似合っていたのだと思う。
ただし60を過ぎれば誰の髪だって当たり前に腰が弱り、薄くなったり白髪も交じる。
そうやって髪質や、肌の色艶さえ変わった年代で若かりし頃の髪型が似合うかというとそれは…
でもなぁ?
辛すぎる真実に、同じく加齢を感じ始めたお年頃の私は抗いたくなる。
若作りって誰かに迷惑?
そんなに見苦しいものなの?
かつての美人が今もアイドルごっこを続けていたとしても、彼女のおかげで同級生の男性陣がきゃっきゃうふふと若返れるのだとしたら、それはそれで幸せな事なんじゃないだろうか?
アイドルの握手会なんかを見ていても思うけれど、輪の外にいる人間からしたらどんな熱狂だってちょっと痛痛しく思える気がするのだ。
だからあそこでアウェーだった私達が『痛たた…』と感じるのは当たり前の話で。
会場のファンと彼女自身が盛り上がっていれば、それはとても良いコンサートだったのだ。
でもなぜか、『かつての美人』が気になる私。
たまたま通りすがっただけなのに、どうして?
…実は私は、年相応という言葉を異常に気にしがちな人間である。
理由は分かっている、私が20代だった頃、紅白水玉模様の80年代スタイル、いわゆるミニーマウスワンピで町をウロついていた若作りの母親が脳裏をよぎってしまうせいだ。
あの頃の母を恥ずかしく、痛々しく思っていた気持ちが蘇り、今の自分も同じような痛さを再現してやいないかと胸が苦しくなるのだ。
でもその一方で、母親にも好きな服を着る自由がある、それを認めてあげられない、恥ずかしいなんて思ってしまう娘の私はなんて不寛容なのだろうと自分の心の狭さに胸が痛くなったりもする。
人の心は難しいものだ。
ただ…実は最近気がついた事があって…
好きな服を自由に着こなす、若作り万歳!の母だから、当然同じような若作り仲間にシンパシーを感じているのだと思い込んでいた。
ところが先日テレビに映っていた娘とお揃いのワンピを着た50代の母親を見て一言…
『若作りねぇ、恥ずかしい!』
???かつての貴女がそこに居るんだがーーー!
…なんつーか、人は思った以上に自由というか、我が身を振り返らずに好きなことを言う生き物なのだなぁと実感した。
だから私も、客観性とか見苦しいとかあんまり深く考えすぎず、好きに生きて好きなことをボヤけば良いのだ。
それでもやっぱり色々ごちゃごちゃ、余計なことを考えて過ぎてしまうのも私らしさなんだろうけど。
赤い髪を揺らして歌っていた人の姿が、ナンバーガールの歌う『透明少女』に重なってみえる。
赤い髪の少女、暑い季節の中で狂っていけ、走っていけ。
いつだって青春だ、みたいな言葉を信じきれないくせに憧れている私もいる。
大人にならなきゃいけない私達。
それでも今年の夏は暑すぎて、狂いたくなる気持ちも分かるのだ。
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