おのにち

おのにちはいつかみたにっち

すべてオヤジになる日まで

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昨日のめざましテレビでオヤジ女子増加中!みたいなニュースをやっていた。
何週目だよ、この話題。
昭和の時代、中尊寺ゆつこさんが描いていたオヤジギャルマンガを思い出す。

めざましTVでやっていたオヤジ女子の3か条はおしぼりで顔を拭く、どっこいしょを口に出す、食べ物の嗜好が渋い、だった。最後好みの問題じゃね…?

 

OLゴルフ説教スイート・スポット vol.1

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オヤジの本質

 

アイアンマン(字幕版)

 

そもそも『オヤジ』のイデアとはなんぞや?
私は本性だと思ってる。

疲れて、取り繕えなくなった時にでてくる素の自分。
どっこいしょ、とかヤレヤレ、とか、長い溜息とか。

おしぼりだって、メイクさえなきゃ顔をガシガシ拭きたいですよ。
暑すぎだろ、日本の多湿の夏!

食べ物の嗜好はともかく、オヤジっぽさは『疲れ』と結びついているような気がします。

だからオヤジはオヤジだからみんなオヤジ臭い、ではなく、オヤジ世代に疲れている人が多いだけなんじゃ?と。
たまに疲れていない(もしくは疲れをださないように装っている)綺麗なオヤジもちゃんと生息してますからね。

疲れすぎて、全てがめんどくさくなって、気を使わなくなるのがオヤジ化の実体なのかも。

ニュースの中で、声の大きなオバちゃんが女の子にはかわいくいてほしい、なんて言っていたけれど、オバちゃん化とオヤジ化はイコールだと思うので、自分は気を使わない道を選んだのに若人には戦いの道を強いるのか…!と思ってしまった。

 

確かにかわいい女の子がキャッキャウフフしている様子はめっちゃ癒される。

春はあけぼのシリーズにいれたいくらいである。
夏の女子大生の白ワンピはいとおかし、水着もまたよし。

でも実際は毎日毎日満員電車に詰め込まれ、朝から晩まで働いて。
それで溜息つかずにいられるものか。

だから金曜日の夜くらい、ビール飲んでクワーッ!しても良いではないか。
クワーッ、ペッ、まで行ったらさすがに引くけど。

疲れていたら可愛くないぞ、なんて言葉に泥団子投げつけたくなる日もあるよね。
そんな時は可愛さで周囲を癒すより、本能のままに枝豆食べて靴脱いで、自分を癒したらええねんええねん。

それで月曜日も仕事に行けるなら、クワーッは魔法の言葉だよね。
なおペッ、はチルドさんにブコメしてあげてね、喜ぶから。

 

全てはオヤジにならないで

 

全て緑になる日まで (白泉社文庫)

全て緑になる日まで (白泉社文庫)

 

 

さてさて、そんな訳でオヤジ化は本性説を勝手にでっち上げる私ですが、タイトルみたいに全てがオヤジになる、オヤジ化を強制される世界はちょっとイヤです。

たまにいるじゃないですか、素の方がエライ、みたいな言い方をする人。

たとえばこないだ居酒屋で見かけたのはベリーニ(桃とスパークリングワインのカクテル。うまい)対ホッピー(ビールテイスト飲料。うまい)のマウンティング対決。

「えーべリーニかわぅいー!私なんてホッピーだよぉー」の上り下りするイントネーションから漂うマウント感はなんなのか。それよりべリーニとホッピーが同じメニューに並んでる居酒屋のカオスにつっこめや。

それから私なんてホッピーってなんだ。
謝れ、お前ごときになんて呼ばわりされたホッピーさん60年の歴史に謝れ!

 

前に増田で、ヒールが辛すぎる、だからヒールを廃止しろみたいな話を見た。
立ち仕事でヒールが辛いのはよく分かる。
たくさん歩くときにヒールを履くなんて拷問だ。
でもヒールを廃止しろ、はなんか違う気がする。

増田の職場にヒール着用という規約があって、それを廃止してくれ、なら分かる。
けど靴屋で売ってるヒールを全て廃止しろ、はやっぱり違うよ。

履きたくなければ自分がやめればいい。
街からヒールが無くなれば履かなくて済む、は子どもの発想だ。

増田だって、時にはヒールでパーティに出たい日もあるかも知れないじゃないか。
ホッピーとベリーニだってそう。お互い時々違うものを飲みたい日だってあるはず、なんなら2杯飲めばいい。

オヤジ化は素に帰るってことだと思うから、疲れた時は誰でもオヤジに戻ればいいと思う。ただ、いつも同じモードじゃつまらない。

 

この話のタイトルは「全て緑になる日まで」という大島弓子さんの漫画から取りました。
ヒロインは最後に「この世界の全てが緑に満ちたなら」と思うけれど一方ではそれがままならぬことだと分かっている。

真緑色の地球もきっと綺麗だけど、コンクリートジャングルや鳥取砂丘、五色沼があるからこそ世界は美しい。世界の価値は多様性にある、と私は思う。


ホッピーもハイヒールも、ただの物質にすぎない。

オヤジ女子、草食系男子、なんてどっかの広告代理店が作ったようなレッテルに縛られないで、あなたはあなたでいればいいのだ。

『私』が着るもの、食べるもので変わるなら、たった一度の人生、両方楽しまないでどうする。

今日はスニ―カーでホッピー、明日はハイヒールでベリーニ。
誰かとは違うのよ、なんてつまらない意地を張るよりも、両方を軽やかに渡って行けばいい。
私は私、何を着ても飲んでも自由。
ナントカ女子、よりきっとそんな風に生きるほうが楽だし楽しい。

…ただ女性の痛風が増えた、はちょっと気になるな…。
そこをもっと追求するんだめざましテレビ!と文句を言って今日はおしまい。