おのにち

おのにちはいつかみたにっち

追憶の上の王様

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昔昔その昔、指輪をお断りしたことがある。

場所はスキー場のリフトの上だった。
行き場を無くした指輪は送り主の手によって崖下へ投げ捨てられ、白い雪が積もって見えなくなってしまった。

思いがけない出来事の記憶というのは忘れられないもので、風が冷たくなるとあの指輪のことを思い出したりする。

 

あれはまだ十代の、免許取りたての頃。
当時ブームだったスノーボードにハマっていたのだけれど、まだ車の運転に自信がなく、高校時代の友人に同乗させてもらうことが多かった。

そうやって乗せてもらううちに、自然と男女混合のスノボグループみたいなものが出来上がってくる。指輪をくれた彼はそのメンバーの中の一人だった。

しかし何度も同じ車に乗り、何度も一緒に滑ったのに、実は彼とはほとんど話した記憶がない。 席が離れていることが多かったし、こちらから声をかけても返ってくる返事はハイかイイエくらい。 無口なのか、あるいは私のことが苦手なのかも知れない、と思って少し距離を取っていた人だった。

ところが突然、女友達と乗るはずだった2人乗りのリフトに割り込まれ、戸惑っていると山の中腹でいきなり指輪を差し出され「付き合ってください」と言われた。

名前や素性は知っているものの、ほとんど口を聞いたことのない人間からの交際申し込み、しかも高そうな物品つき。

彼のことは好きでも嫌いでもなかったけれど、あまりにもハードルが高すぎる。
当然断ったら気まずい沈黙が数分続き、リフトを降りる間際彼はケースに入った指輪を崖下の木立に勢いよく投げ捨て、そのまま滑り去って行った。

それから、彼とは二度と顔をあわせなかった。どうやらその日は一人バスで帰ったらしい。後日人づてで、「断るくらいなら気のある態度を見せないで欲しかった」という言葉を聞いた。

当時は話もしないで気があるもクソもあるかい、バカちんがぁ!と思っていたけれど、今は少し分かる。

 

高校時代の私もそうだったけれど、異性に免疫のない人は段階をすっ飛ばしてしまいがちな所がある。

相手に、私はあなたに好感を抱いていますよ/もっと好きになってもいいですか?的サインを送らないまま、自分の中で想いを募らせて、それが満タンになった時点でいきなりガッ!と告白してしまうのだ。

徐々に段階を踏んでいけば答えは違ったかも知れない。千里の道も友達から、である。

 

追憶の上の王様

 

セトクラフト 不思議の国のアリス アクセサリーボックス(ハンプティ) SR-0640

 

話は現代に戻る。

今の私はあの銀の指輪を思い出して、それが時の経過の中で『私の指輪』になっていることに恐れ慄いている。 あの時の私の指輪、何処に行ったでせうね、的な。

投げ捨てた彼にとっては「俺の指輪を捨てた記憶」だろうに。
受け取らなかったものを自分のものにしている己の記憶の貪欲さにちょっと引く。いや、かなり引く。

気がつけば、かつて貰ったものや小さな賛美や、そうした些細なものたちを足の下に敷いて、自分の自信にすり替えている私がいる。

雪の下の指輪、貰った花束やバック、細やかな誉め言葉。
それらが私のほんの少しの上げ底、心のシークレットインソールになっている気がする。なんて高慢ちきで厭らしい、私の自信。

まるで追憶の上に乗っかった、哀れな道化の王様だ。

 

若かりし頃を思い出す。

あの頃は『かつての栄光』を振りかざして誇らしげな大人が嫌いだった。
なぜ失ったものの追憶だけでそんなに自信満々に、偉そうにしていられるのだろうと疑問だった。

あの頃の大人に、私はなっているのかも知れない。

 

でも今の私はしょうがないじゃないだって人間だもの、なんて思ったりする。 
記憶力も体力も、美しさだって若者には敵わない。
でも彼らを妬んだり憎んだりせずに、愛おしく見守るためには『私もかつてはそうだった』という記憶が大切だと思うから。

あの頃を通り過ぎてきた自分が幸せなら、過去に嫉妬を焼かずに済む気がする。
だから幸せを引っ張り出して来て、足の下に敷こうとするのだ。
もちろん恋愛絡みだけじゃなく、仕事や成績の評価だって良い。

かつての私で、今の私は出来ている。
『かつて』があるから、その頃にいる彼らを愛おしく思えたりする。

私の『好き』は『知ること』と繋がっている気がする。
だから通り過ぎてきた時を生きる人たちを愛おしく思えるのだろう。

お断りした彼だって、私が少しは知る努力をしていれば何かが違ったのかも知れない。

 

年をとるのは嫉妬に塗れることだと、昔の私は思っていた。
その頃の私の周りには、そんな大人しかいなかったから。

今の私は、今の自分を好きでいれば、世界を知る努力を辞めなければ、きっともっと好きなものが増える、と信じている。

身体はどんどん年を取る、不自由になっていく。
でもたとえ追憶でも、小さな幸せを積み重ねて、世界の全てをNGなしに愛せるようになっていたら。

腰が痛くても、歩くのが遅くても。それはきっと幸せなことだと思うのだ。
いつか私は、かつて嘲笑った追憶の上の王様になりたい。

全てを失っても、全てを愛して、ただ小さく笑っていたい。