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Twitterから始まる人間らしい文章への疑問-ファジィな私クリアなあなた

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 Twitterとは何だろう?と改めて考えていました。

私にとってはブログを通じて知り合った仲間と交流できる、便利なコミュニケーションツールです。でも情報収集も出来るし、ミニブログ的な使い方をしている人もいる。

最近は人気のユーザーさんを色々チェックしていて、やはり政治アカよりも身近な話を書いている方の方が距離も近いし、素人っぽさもあって好感が持てるなーと思っていたのですが。

ところが、なのです。

一人のツイートをずーっと辿っているうちに(多分Twitterって、一人の文章を延々と読んでいくような使い方をするもんじゃないと思うけど)『素人っぽさ』が分からなくなってきました。

彼女は普通のお母さんで、子どもたちがなかなか痛快なことを言ってくれて、当たり前の日々がギュッと詰め込まれていてとても面白いんです。

でも読めば読むほど、実在しているはずの彼女がサザエさんみたいにキャラクター化されてしまう、日常が繰り返すアニメ番組のように思えてしまう。

書いている彼女が悪い訳じゃないんです。
これは多分書かれたものに定型を見出してしまう、キャラクターを思い浮かべてしまう、私の脳の問題なんです。

  

サザエさん音楽大全

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定型化されるフミコフミオ

 

一時期、晩酌時には必ず『孤独のグルメ』を観る、というワンパターンな行動を取っていたことがありました。番組にハマっていたのも確かなのですが、今思い返せばあの頃は転職したばかりで、日々不安な気持ちを抱えていました。

ワンパターンなもの、次の予測がつきやすいものを観ていると安心するし、寛いだ気持ちになれますよね?疲れていた私には予定調和が必要だったのだと思います。

 

予定調和のある作品。

ブログで例えるなら、お昼休みに読む『Everything you've ever Dreamed』(タイトル覚えられる?私は今日のフミコフミオって呼んでる)でしょうか?

ガンダムの青き衣をまとい、はてなの地に降り立ったフミコフミオ氏は、今日も明日も自虐的で、そこはかとなく不幸です。急に夫婦仲が良くなることも、EDが寛解することもありません。かといって唐突にJDとホテルになだれ込むようなスキャンダラスな事件も起こさないのです、多分。

フミコ氏はいつも一貫しているように見える。
氏が本当に一貫しているのか、またはそういうキャラクターを演じているのか、それとも私たちがED会社員の物語を創り出してしまったのかは分かりません。

とにかく日々疲れ気味な私達の脳は矛盾しないもの、この先の想像がつきやすいものに惹かれやすいのです。

もしもXevra氏が明日から『焼肉大好きアカウント』となり、ひたすら肉の部位を伝えていくだけの謎のブックマークを繰り返したなら、私達はどう感じるでしょうか?
『ギアラは牛の第四胃である』とか。アレおかしいなすっげぇ惹かれるぞついに発狂したかで盛り上がるブコメへのブコメ欄が目に浮かぶぞ…

 

...コホン。Xevra氏はともかく、私はTwitterの中に矛盾のない定型文を求めてしまっているんじゃないか、けれどもそうやって安心できる一貫性を求めていけばいくほど、本物の人間からは遠ざかってしまうんじゃないか?そんな風に思えたのです。

  

刺身が生なんだが

刺身が生なんだが

 

 

 

AIと人間の文章の違い

 

文章が型にはまればはまるほど、その言葉はbot(定型文を呟くプログラム)じみて聞こえるようになります。例えば『運動と瞑想しない者の末路はいつも悲惨だ。ついでに野菜350g摂らない奴はさらに悲惨だ。』など。もはやコピ―&ペースト。う、だけで自動入力できそう。

 私はなんとなくクリアで明確なものを機械的、ファジイで曖昧なものを人間的だ、と思い込んでいました。

だから予定調和の文章に対して「中に人はいますか?」とノックしたくなってしまう。

 

でもコミットメントと一貫性、という心理を知って少し考えが変わりました。
コミットメントと一貫性とは、一度心に決めたことや実行したことに対して、矛盾のない行動を今後も行いやすいという人間の性質を表します。

 その考えや行動が自分に不幸を招くと分かっていても、自分の考えを変えるのは「嫌だ」と判断し、わざわざ損をする行動をとってしまうという心理。

 これって、損をするのが分かっていても頑なに自論に固執した長谷川豊さんの行動そのものじゃないですか?

周りに公言したり、契約したり、努力してきたものほど、コミットメントと一貫性の心理は働きやすいそう。

 

 つまりブログやTwitterで書いているうちに、自分らしさという型にはまっていく、一貫性のある行動や言葉を取るようになってしまう、最終的にはbot化していく…というのは実は、非常に人間らしい行動なのかも知れません。

 

そして読む側もきっと脳が疲れない、予定調和の物語を求めている。

よく知らない人には返信し難いですよね?
突然罵倒されたりグロ画像をDMされないとも限らない。

逆に大手の商業アカには安心感がある。
こちらがとんでもない罵倒を送らない限りは、きちんと心地よい返答、もしくはいいね!が帰ってくるであろう、という信頼を抱ける。

定型化している、キャラがきちんと立っているアカウントにもそういう信頼を寄せやすいのだと思います。一貫性のある行動を取っているように見える人、人気や社会的な立場のある人なら突然怖い言葉を吐いたり、裏切ったりはしないだろうと。

 

はてさて、『ホンモノの人間』とはもしかして定型文の中にいるのかも知れない、と思えてきてしまいました。だって私達はできれば無意識の内に行動したい、楽して生きたい生物なんですもの。

自らをパターン化してしまう、もしくは分かりやすい人を好み、そこにパターンを探してしまう。『孤独のグルメ』にハマった私は要するに脳に楽をさせてあげたかったんです。

 

ではAIはどうなんでしょう?脳が疲れたりしない、機械の言葉とは?

2014年の6月、AIと会話をして人間かどうかを見抜くチューリングテストで、13歳の人工知能ユージーン君は見事審査員を欺き「人間である」という評価を得たそうです。

私達の脳は、たとえ間違っていても自分の考えに固執してしまう、一貫性を求めてしまう事がある。

機械は疲れない。
適切に学習させてあげれば私達のように楽を求めない彼らはよりファジイに、間違ったこだわりを持たずに『人間らしい言葉を』語るのかも知れません。

 

そのうち商業アカの中の人はAIが当たり前の時代が来るのでしょう。
24時間返答してくれて、どんな人にも嫌悪感を見せず、優しくしなやかに語ってくれる彼らは、きっと誰も傷つけない。裏アカと間違ってコミケに落ちた話を呟かないし、DMで卑猥な画像を送らない。

でもそんな時代が来たら、私は思いがけず突き刺さったあの日の定型文を懐かしく思い出すのかも知れません。

 

運動と瞑想をしない者達の末路はいつも悲惨だ。恐ろしい恐ろしい...

 

ウルトラエッグ ガンQ

ウルトラエッグ ガンQ

 

 ※私の中のXevra氏は未だにガンQ。