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小原ECOプロジェクトと、限界集落が抱える問題

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日本は人口減少時代に突入している。
44年後には人口は8670万人になると見込まれ、34年後には6割以上の居住区域において人口が半減すると言われている。

12 人口減少により管理の担い手が減少すると予測される地域 | 生物多様性 -Biodiversity-

環境省の生物多様性ウェブサイト の地図では、平均を下回る減少率を示す地域は薄青、青色に塗られている。私の町は薄青色。

全国的な人口減少率の予測値は25.5%。
薄いブルーはその数値を下回る人口の現象が予測される、ということだ。

 

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人が住まなくなると野山は荒れる。
まだ身に迫った成果は感じられないのだけれど、総務省でも「ふるさとづくり大賞」などという賞を作り、地域再生を支援している団体、個人を表彰している。

昨年内閣総理大臣賞を受賞した試みが、「小原ECOプロジェクト」。

福井県勝谷市北谷町の小原という小さな集落がある。現在住んでいるのは2世帯。
山村集落の再生を目指して、福井工業大学との共同プロジェクトを行っている。
古民家を再生し、宿泊場所や交流場所にしたり、新しいコミュニティを生み出そうと頑張っている。

小原ECOプロジェクト 熱中時間 福井工業大学

 

こうした試みに素晴らしい、と喝采を送る一方で、私は地元の小さな諍いが気にかかっている。


地元のスキー場の周辺に、昔はペンション村だった集落がある。
スキーブームが去り今は廃業になったペンション村を、地元業者が改修し、別荘や住宅として販売し始めた。
それなりに売れ行きは良く、学校も廃校になってしまった小さな集落には、定年を迎えた夫婦が第二の人生を求めて移住してくるようになった。

地域は荒れず、人口が増え、地区としては運営していく資金も増える。

ただ少し困った話を聞く。地元のお年寄りが、新しく移り住んできた人達に回覧板を回さない、などと言った細かな問題が増えたのだ。
結局ペンション村は独立した地区として自治を行ってもらうようになり、トラブルはなくなったのだが。

これだから田舎の年寄りは意地が悪い…と切り捨てるのは簡単だが、私自身田舎者だし、意地悪をするのは私の祖父や祖母と同じ世代の人達だ。
どうしてそんな心理に陥るのか知りたい。

 

「よその人」という考え方 

 

実はもうすぐ90になる私の祖母もそういう考え方をする。
隣に引っ越してきた人がいる、などと言うと「どこの息子だ?娘だ?」と聞くのである。
家族で別の土地から越してきた人で、こちらに親族はいない、などと言うと急に迎える気をなくしてしまう。

私の祖父母たち、戦争戦後を体験した昭和初期の人達にとって、生まれた家は長男か長女によって必ず守られるべき場所だ。
2番目、3番目は嫁か婿に行き、その先の家の人間になる。親の面倒を見る必要のない夫婦なら都会で一旗あげるのもありだが、その場合も都会にいる親族を頼って上京することが多かったそうである。

昔は観光地でもない、親戚もいない田舎を訪れる人は滅多にいなかったらしい。
行商人や、変わり者の旅人は重宝されたり疎まれたり、どんなに長く滞在してもお客様扱いだ。

私の祖母も、意地悪をする年寄りも、新しく越してきた人達のことを同じ住人ではなくお客様扱いしているから挨拶しなかったり回覧板を回さないのかも知れない。


もちろんそうしたつき合いはすべて不要だ、町内会費も払いたくない、という人もいるだろう。でも地域に馴染みたい、と思ってくれる人もいると思う。

町に人が住んでくれることで、廃墟が減り地域は潤う。
そう考えるとここに越してきてくれた人達を歓迎したくなるのだが。

 

ただ「小原ECOプロジェクト」や私の町は成功例なのかもしれない。

人がいなくなった土地にコミュニティが出来ることでトラブルになるパターンも在り得る。

ロシア文学者、亀山郁夫氏の「新カラマーゾフの兄弟」はそのタイトルの通りあの傑作を19世紀ロシアから日本に舞台を移し替えて描いた異色ミステリーである。

 

新カラマーゾフの兄弟 上(上・下2巻)

新カラマーゾフの兄弟 上(上・下2巻)

 

 

その中に、ゾシマ長老をモデルにした嶋先生、という人物が作る「フクロウの知恵」というコミュニティが出てくる。

「フクロウの知恵」では生き辛さを抱えた若者たちが田舎で共同生活を送っている。
嶋先生がいる頃は地域事業にも積極的に参加し、良好な関係を保っていた。

しかし彼の引退後、背後に宗教団体や不透明なお金の流れがちらつき、無謀な農場経営で周辺の生態系を破壊しトラブルになる。

小さな村に巨大な宗教施設を建てた某宗教が浮かび、ぞくっとした。

地方に住む私達は、「ここに何ができるか」をよく考えなくてはならないのだろう。


話は戻るが、私の祖父母世代の人達が起こしたトラブルを、年寄りのしたこと、と切り捨てる訳にもいかない。

私の側にも責任はある。

70、80代の人達が新規住人とトラブルを起こすのは、彼らが町内会である程度の地位についていて、上から物申せる立場だから、でもある。

私は仕事と子育てを言い訳に、PTA、子供会はともかく町内会にはまるで参加できていない。
会費を払い、年に数度の地区清掃に参加するくらいだ。

ご近所も同様で、町内会は定年後~80代くらいの方々の運営で成り立っている。
一億総活躍、という時代のなか定年は遅くなる一方なので、60代後半は若者扱いされるのが我が町の町内会である。

なんだかんだ言っても、私は新しいお隣さんとなんの接点もない。
朝夕見かけたら挨拶をするくらいで、日中は仕事、土日は子どものクラブ活動でほとんど家に居ない。

実際に彼らと接する機会が多いのは町内会のお年寄りたちで、総会も出ずに委任状ですべてをお任せした私は文句を言える立場にない。


最後に、田舎に人を呼び込むのはいいけれど、来てくれた人達にとってのメリットが無ければ続かない、と私は思っている。

田舎で生まれ育った私達の祖父母世代は自然豊かなことが素晴らしい事だと思っていて、そこに住ませてやるのだから感謝しろ、というような思い上がった意識があるのかも知れない。

実際には自然豊かな田舎、は星の数ほどあるのでそこで人を引き留めるのは暮らしやすさ、安定したコミュニティもその重要な要素だと思う。

「新しい人たち」と共に暮らしやすい空気を作ること。どちらかを排除せずに、折り合っていける生き方を。
私が「町内会の人」側の立場になるまで、忘れないでいたい。