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繁殖と本能の話-私の不妊治療体験

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今日こんな記事を読んで、面白そう!この書店に行ってみたい!と思った。

 

toyokeizai.net


でも今日はこの書店の話じゃなくて、インタビューの中に出てきた「現代人と動物的な本能」というお話。

現代を生きる私達は本当に動物的、肉体的なものと切り離されてしまったんでしょうか?記事を読むうちに、昔の自分が思い起こされてきたので、今日はそんなことをつらつらと書いてみます。

 

女性と動物的な本能?

 

さて、最初にあげた記事は吉原で遊郭関連の本の復刻本などを出版するカストリ出版という出版社が、ソープ街のすぐ脇に「カストリ書房」を開店した、というインタビュー記事である。

途中、こんな話が出てくる。

(書店の客がほとんど女性だ、という話を受けて)「何かどろどろしたものを求める気分が僕の中にはあるんですが、それは来店する女性たちにもある気がします。怖い物見たさというか……。」

なぜだろう。映画の『吉原炎上』とか、漫画の『さくらん』とか、春画展とか、女性が遊郭に関心をもつきっかけは最近継続してあった(2015年に東京の永青文庫で開催された「春画展」も、若い女性客が多かったことで話題になった)。 「女性のほうがレバーを食べる、男性はあまり食べない」という本連載前回インタビューでの女性の発言もあったが、男性のほうが今は、動物的、肉体的なものと距離があるということではないか。 女性は毎月いやでも自分が動物であることを肉体で実感する。対して男性のほうがパソコンやゲームなどのデジタルなものや人工的なものだけに浸って生きてしまいがちだ。生活全体のデジタル化に生理的に満足できない、リアルさを求める心理が女性のほうでより強いということかもしれない。

 最初の「」内が店主の言葉、その後がこの記事を書いた社会デザイン研究者、三浦 展さんの言葉である。

男性の方がパソコンやゲームなどデジタルなものや人工的なものに浸ってしまいがち…というのは一部のギークな男性だけの話ではないか?女性が月のもので自分が動物であることを実感するなら、若い男性は毎朝動物であることを実感しているのではないか?などと一部同意しがたい部分もあるのだけれど、基本的な部分は同意である。

デジタル化していく生活、便利なもの綺麗な日々に押さえこまれてしまいがちな私たちの本能。

もっと動物的に、本能のまま生きよう…という意識の表れが「どろどろとしたものを求める気分」なのかも知れない、と思った。

 

人は理性では繁殖できない?

 

さて、私自身が一番本能的なものを感じるのが「繁殖行為」である。
子どもを二人持つ私、もちろん本能の赴くままにすぐ出来ましたがな…と言いたいところだが、生憎若かりし頃の私は頭でっかちだった。

今もそういう生真面目な部分は残っている。
だからこそブログではふざけたいのだろうな、と分析してみたりするのだが。

私は20歳の時から5年間付き合った人と25歳で結婚した。
25歳という年は当時の結婚適齢期。
思いっきりテンプレである。
もちろん「出来ちゃった結婚」など許せない頭でっかち。

新婚旅行中に出来るのも恥ずかしい…などと戯けたことをほざいていた。
今思うとなにが恥ずかしいのか。
あの頃の私の石頭をかち割りたい。

結婚後も、すぐに子供が欲しいのに、仕事のことばかり考えてなかなか上手く行かなかった。

今は人が不足している。出産予定がこの時期だと職場に迷惑を掛ける。
育休を取らせてもらうなら仕事が忙しくない時期に。人が足りているときに。
新人さんが入ったから、この人が仕事に慣れてから…なんて考えていたらベテランさんが辞めてしまったりして。

あの頃の私に言いたい。
その態度、社会人としては相応しいかもしれないけど動物としての本能に反している。

いわば社畜ファースト。
新入社員で仕事も覚えないうちに妊娠するのは…とか、転職してすぐに育休を取るのは…なんて、真面目な人間ほど「社会の常識」に縛られて遠慮してしまいがち。

それは確かに社会人としては正しい。
でも、そんなに色々考えて、計算づくで繁殖が出来ると思うのは甘い…かも知れない。

色々色々考えて、基礎体温を測りグラフを描き、計算づくで挑んだ私は結局2年間子どもが出来なくて、不妊治療に移行した。

その後もなぜ出来ないのかは原因不明のまま、尻に注射を打ちながらタイミング法を続け、毎週の不妊治療という精神的なストレスと、出世と共にどんどん忙しくなっていく仕事に病み、生きていくことの何が楽しいのか分からない、と泣くようになった。
人としての限界を感じて一度仕事と不妊治療をやめた。

子どもは諦めてもいいよ、ちょっと一休みして、もう一回人生を考え直そうよ…。
そう夫に言われて注射も薬も仕事も辞めて、自分の人間としての不甲斐なさに打ちひしがれ、とにかく泣いてばかりいた30歳の夏休み。

私が妊娠したのは、どん底から人生を見直そうとしていた時期だった。
仕事も、排卵誘発剤もやめて、タイミング法も忘れて一か月。

あんなに頑張ってもダメだったのに、諦めて肩の力が抜けた時に妊娠はやってきた。

今思うのは、ガチガチガチガチ、計算づくだった私の頭の固さが敗因だったのではないか、と言うこと。

 結局二人目もそうだった。
一人目を産んだあとは妊娠しやすいと聞き、休職中に頑張ろう…と3年間頑張ったがダメで、一人っ子でも仕方ないか、と諦めて職についたら一ヶ月に妊娠した。

どうやら私の着床はストレスに左右されるらしい。
「頑張ったら」ダメなのだ。

あんまり考えすぎないで、本能の赴くままにするのが私の繁殖のコツだった。
そういえば子だくさん一家のお母さんはあまり深く考えていない人が多い…ような気がしなくもない。(ただしハダカの美奈子一択)

だいたい今の世の中、理屈で考えたら家も車も子どもも持てない。
全ては「贅沢品」の言葉で表されてしまう。

レバーを愛し、遊郭を懐かしみ、「どろどろした物」に惹かれる若い女性達。
それは頭でっかちな現代の私たちが忘れていた本能ファーストの復活なのかも知れない…と言ったら大げさでしょうか?

もちろん理性も倫理も、私たちが人間として生きる上で身につけてきた大切なこと。
でも絶対に人に迷惑を掛けない、自分のしたこと全てに責任を持つ…ってガチガチに考えすぎたら。

そこは袋小路なのかも知れないな…と思いました。

人も所詮動物。
時には肩の力を抜いて、自分の本能に聞いてみることも大切なのかもしれませんね。

あなたが求める「どろどろしたもの」は何ですか?
下ネタはやめろよバカ野郎、と釘を刺して今日は終わり!

 

私たちは繁殖している (1) (ぶんか社コミックス)

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