おのにち

おのにちはいつかみたにっち

前髪は悩ましい

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分量は全頭髪のわずか10%にも満たない、そんな微量の毛束を人は『前髪』と呼ぶ。

古来より人の前髪は象徴的に扱われてきた。
まだあげ初めし前髪の、と藤村の詩にもあるように、切り揃えていた前髪を日本髪に結い上げ、額を出すのが少女から女性になる、一種の通過儀礼だった。
前髪=子どもと大人の境界だったのだろう、昔の日本では。

そして現代。
終わりかけた平成の世に、いまだ前髪に悩む女が一人…

私の前髪どうしよう? 切るの切らないの斜めなのまっすぐなの?
定期的に訪れる、前髪切りたい期の襲来である…!

 

今思えば規則で縛られた学生時代のオンザ眉、イモト風前髪は壊滅的に似合わなかった。厳しい校則から解き放たれた20代の私はその反動から前髪を伸ばし、斜めに流し、一つ結びやお団子ヘアにしていた。

このヘアスタイルの利点は「美容院に行くのが最低限で済む」である。
当時は黒髪だったのでプリンになることもなく、毛先は痛んでくるものの、結んでしまえばそんなにバレない(と信じていた)。

いわゆる結んどきゃなんとかなるロング期。
その後セルフカラーリングでまだらの紐風になったり、ゆるふわウエーブが上手くセット出来ず水死体風ワカメヘアに、などの失敗もあったがとにかくまとめ髪で誤魔化してきた。

しかし、10年ほど付き合ったロング期にも終わりが訪れる。
いわゆる30代クライシス。

子を産んだばかりの私に悲劇が訪れる。
毛が…抜ける…!

どうも産後の女性はホルモンバランスの崩れで毛が抜けやすいらしい。
結ぶと更に毛が抜ける、しかも頭皮が目立つ。

悩んだ私は髪をばっさり、ボブカットにした。
禿隠しに前髪も作った。いわゆるちび・まるこボブ。

本当は『レオン』のマチルダを目指したのだが悲しいことに私は限りなく平坦な顔だった。 あの頃、いったい何人の女性がマチルダに泣かされたのだろう。

この髪型はロングよりは美容院に行く手間が増えるものの、セットが限りなく楽(下向いてドライヤーががっとやっときゃ何とかなる)という利点があったため、それから40代の今まで、私は顎下~肩上くらいの長さで生きてきた。

ショートはこまめなカットが必要なため却下、セミロングは肩に当たると跳ねるため却下。 つまり30代から今まで、ずっと私はボブな女、なのである。

前髪には迷いがあった。
切って伸ばして、邪魔になったらまた切って。

一度だけ血迷って、厚めぱっつん前髪にしたらYUKIの偉大さを思い知らされたこともある。 一般人はYUKIを目指すな。孫子の代まで言い伝えたい教えだ。

 

中途半端だった前髪を伸ばしはじめたのは40代から。
昔風に言えばワンレンストレートボブ。

40代を境に、大人っぽくしたい、みたいな気持ちがあった。
前髪はやはり、年代を表す記号なのかも知れない、と思ったから。

前髪を作ると田嶋陽子さんに似る年になった…というのも理由の一つではある。
結局のところ今の私はワンレンストレートボブが一番落ち着く、似合ってるのだと思う。

 

だがしかし…飽きるのだよ…たまに前髪切りたいの波が訪れるのだよ…!そう!今!NOW!

雑誌各社は前髪で10歳若返る!とか見出しにつけるの辞めてくれまいか!!!
年相応でいいや、と思いつつ揺れるババア心ゴゴゴゴゴ。

毎回!切るたびに!あっ田嶋陽子さんこんにちは!って泣かされるのに!
なんでその痛い気持ちを忘れちゃうの?ねぇなんで?

結局のところ、この忘れっぽさこそが、色んな事に打ち勝つ勇気に繋がるのかも知れないけれど。
二人目の陣痛の時思ったもんな。 あっこの痛み一回やった!二度と味わないとあの時誓ったのに、なんで私今分娩台にいるの⁉バカなの死ぬの⁉って。

忘却出来るからこそ、人は前に進めるのでしょう。
そんな訳で、今日こそ脱・田嶋陽子なオサレ前髪を目指してカットしてくるるるる⁉
未だ、迷ってます…。

 

 

揺蕩い たゆたい

揺蕩い たゆたい