祖父母の住む古い日本家屋には屋根裏があった。
ロフトスペースなんてオサレなもんじゃなく、梁がめぐらされて薄暗く埃っぽい、昔ながらの天井裏、というやつ。
子どもの頃、私はここに入りこんで小さな風穴から下を覗くのが大好きだった。
私は祖父母の一番最初の孫で、子どもの頃は本家に遊びに行くのが少しばかり億劫だった。おもちゃは無く、遊び相手もいない古い農家。
大人たちは食べて飲んでばかり。
祖父母の本棚を漁ってはみるものの、農業の専門誌ばかりでつまらないし、田舎なのでTVの映りも悪い…。
そんな私が見つけた秘密の遊び場所が屋根裏部屋だった。
祖父母の家は家族が集まる居間だけは天井が少し高く作られていて、その部分だけ二階に部屋がなかった。代わりに通気口なのか所々に穴を開けた天井裏が作られていて、二階の和室の物置の上の段から出入りすることが出来た。
押し入れのふすまを開けて、湿っぽい客用布団の奥にある小さな開き戸をくぐれば、そこはもう異世界だ。
居間の明かりが四角く切り取られ、大人たちの声が少しだけ漏れ聞こえてくる。
私は時代劇のくのいちや、『屋根裏の散歩者』になったつもりで、こっそり下を覗き見るのだった。
不思議なもので居間にいる時は退屈で仕方なかった大人たちの会話が、盗み聞きしているという背徳感が混じると興味深く思えてくる。
天井が高いため全ての声は聞こえないので、途切れ途切れの話を子どもの頭で繋ぎ合わせていくと理の通じない、あり得ない世界の物語が出来上がっていく。
その過程が無性に楽しかった。
時折お昼のTVで見た『あなたの知らない世界』が頭をよぎって、恐怖に駆られる時もあった。親類たちと大人の話をする父母の顔が自分の知らない人のように見えて、慌てて階段を駆けおりてみたり。
どうしたの?なんていつもの顔で言われて、またすぐに上へと戻るのだけれど。
子どもだった私は、夢と現実のあわいに生きていたのだと思う。
ふわふわしたあの感覚はもう戻らない。祖父母の屋根裏も、家屋の老朽化が進んで今では立ち入り禁止だ。
それでもすれ違いざまに聞いた短い言葉の端々から、勝手な物語を仕立て上げる私はまだ心の何処かに残っている。
あなたは今日不思議な話を聞きましたか?
町の何処かに、本当に理の通らない物語が落ちていたらいいのにな。
今でも心の奥底で、そんな夢を見ているのです…。